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第26話 邂逅


 人里に降り立った三匹の若い狼たちは、興味津々の様子で鼻面を上げてフンフンと周囲の匂いを嗅いでいた。アルなんか興奮し過ぎてゥオンと喉の奥で唸り声を上げたかと思うとスーに飛びかかったほどだ。

 人間の大人ほどもある大きさの狼が少女に襲いかかるのを見て村の人はハッと息を飲んだ。

 だが、スーはキャハハハと笑っているだけだ。


「アル、くすぐったいよー」


 大きな舌でペロペロと首筋を舐められて、やり返してやろうとばかりに太い首に抱きつき、わしゃわしゃと毛皮を撫でくり回している。

 のん気な二人は放っといて、長男であるイーが落ち着いた素振りで俺の側に寄って来る。


『それで、ルー、俺たちが必要になった理由はなんだ? こいつらが敵か?』


 鋭い眼光で村中を見回す巨大な黒狼に、村の人にはヒッと身を竦めた。


「ちょっ……スー、何も伝わってないじゃん!」

「スーは早く来てって言っただけだよー」


 お気楽過ぎるスーの態度に頭が痛くなってくる。俺は額を押さえて嘆息した。


「って言うか、イー、言葉は……」

『安心しろ。お前以外にはただの唸り声にしか聞こえん』


 へー、そんな便利能力が。狼族には実は俺が知らない力がまだいっぱいありそうだな。

 とは言え、そんなことを追求している暇はない。俺はイーたちへ今までの経緯を簡単に伝えた。

 しかし意外や、イーは俺の頼みにかなりの抵抗を見せた。


『この俺に? 人間を乗せろと?』


 俺たちには優しい兄さん狼だが、イーは実はプライドが高かったらしい。ロボに毛並みが似ているのはアルだが、性格はイーが一番近いのかも知れないな。

 今回、(俺の中で勝手に)乗って行って貰う予定のおじさんを睨みつけて、イーはゥーッと低い唸り声を上げた。

 可哀想に事情も分からず、槍玉に挙げられたおじさんはガタガタと震えるばかりだった。

 おじさんなんてただ親切心で行くと言ってくれただけなのに、とんだとばっちりだ。


「イー、人間は弱いから助け合って生きてるんだ。俺はこの人たちに助けて貰った。だから、今度は俺がこの人たちを助けたい。それは俺の勝手な考えなんだけど……」


 こう言う言い方もイーには気に入らなかったようだった。グルルルとなぜか俺が威嚇される。


『ルーは俺を侮辱するつもりか。俺たちの弟が助けられたなら、俺たちも人間に恩ぐらい返す』


 もー、めんどくさい人って言うか、狼だなぁ。いいなら最初から了承してよ。と思うが、イーにはこういう体裁が必要みたいだ。

 俺は腕を組んでイーを見上げた。


「じゃあ、乗せて貰えるって事でいいんだね?」

『……致し方あるまい』


 最終的にイーは不承不承、引き受けてくれた。


「と言うわけなんですけど」


 まだ腰を抜かしているおじさんを振り返ると、彼は一瞬、自分の周りに他に人がいるのかとキョロキョロと辺りを見回した。

 けれど村の人たちは巻き込まれたくないとばかりに遠巻きに眺めているだけで、そこには彼しかいない。

 自分が話しかけられているのだと理解したおじさんは、驚愕に顎を落としかねないほどの表情を見せた。


「え、俺? 俺が? え、え……?」


 俺がその狼に乗って行くのか、と言う具体的な話は、あまりにも怖くて口に出せなかったようだ。


「馬より断然早いですよ。振り落とされたりする事は……ないと思います」


 またもやイーが唸り声を上げたので、慌ててつけ加える。


「そう言う問題じゃねーんだよッ!」


 このまま仰天してうずくまっている間に話が進んでいったら堪らないと思ったのか、おじさんは立ち上がると血相を変えて俺に詰め寄って来た。


「なんで嬢ちゃんが呼んだら、こんなのが来るんだよ! 大体、こいつら何なんだ!!」

「え、狼ですけど……?」

「そう言う事を聞いてるんじゃねーんだッ!!」


 なし崩しに狼に乗せられてなるものかとおじさんは必死だ。目を吊り上げ、口から唾を飛ばして、怒声を浴びせてくる。人間って死に物狂いになると、ほんとにこんな血走った目になるんだな。

 俺は久しぶりに可愛子ぶりっ子して純真無垢な子供のような表情を作ると、口元に手を当てておじさんを見上げた。


「でも、薬を届けてくれるって言いましたよね。こうしている間にも子供たちが……」


 目をうるっと潤ませて視線をそっと逸らすと、おじさんはグッと黙り込んだ。


「……分かったよ! 行けばいいんだろう、行けば!!」


 すみませんね。最初から断るとか言う選択肢はなかったんですよ。


「スーもついて行ってね」

「はーい」


 じゃれあっていたアルを押し退けて元気よく返事したスーがシャツのボタンに手をかけ始めたので、それをやめさせてこっちに来いと手招きする。

 こそっと耳に囁くと、途端にスーは機嫌を損ねて口を尖らせた。顔を近づけて、同じようにコソコソと小声を返してくる。


「なんでスーがアルに乗ってかないといけないの」

「アルでもサンでもいいけどさ。さすがに人前で変身はまずいよ」


 スーはしばらくふてくされてムーッと口をへの字に曲げていたが、俺が絶対に許可しないと悟ったのか渋々、アルに跨った。狼の表情は読めないが、なんかアルも微妙そうな雰囲気だ。狼族同士は反発しあうとかそんな事ないよね。大丈夫だよね。

 おじさんは今にも死にそうなほど生気を失った顔でイーの背に腰を下ろすと、もうどうにでもなれとばかりに目を瞑った。


「あ、帰りに水汲んで来てくれる?」

「ルーは人使いが荒い!!」


 スーはご機嫌斜めで喚いたが、そのくらいで俺が気を変える事なんてあるわけないでしょう。ニッコリ笑って水運び用のバケツが両端についた天秤棒を手渡す。

 ブーブーと文句を垂れながらスーはおじさんと出かけていった。

 いってらっしゃーいと手を振って見送る。


 まったく、手間がかかる人たちだよ。

 やっかい話がひとつ片づいて、俺は晴れ晴れと後ろを振り向いた。

 そんな俺に村中の視線が突き刺さる。

 青白い顔をした村長さんが、皆を代表して話しかけてくる。


「事情はお聞きしない方がよろしそうですな?」


 口調まで変わってしまってるし。俺は後ろ頭に手を当ててアハハと乾いた笑いを響かせた。


「そうしていただけると有難いです」


 イーたちがただの狼じゃないのはバレバレかも知れないが、こういうのは明確にしない方がお互いの身のためだ。

 狼族は神獣の血を引いているのだから、ただの人である俺たちにとっては神に等しい。

 文字通り、触らぬ神に祟りなしってやつだ。


 その狼族を族長であるロボの許可も得ず俺の独断で人里に呼んでしまったわけだが……自分でしたことだ。後悔したって仕方ない。

 ロボに叱られる時は俺一人で叱られるさ。

 でも……鳥も飛び立たない静かな森の方へ視線を向けて、少し眺める。


 森の中心にいながらして森の全土と周辺のことを全て網羅しているロボのことだ。俺たちのしていることを知らないなんてあるだろうか。

 ましてやあの大音量のスーの声が届いていないとは考えづらい。

 ロボは何を考えて俺たちを……俺を放ってくれているんだろう。

 しばらく待ってみたがやはり森からはなんの反応もないので踵を返す。


 さて。俺はやる事がなくなったから、ちょっと裏技でも使って豆を調理するかな。

 家に戻って奥さんに手伝って貰いながら、沸騰したお湯で豆を一度煮る。本当は夏場でも最低、十時間は浸けてゆっくり水を吸わせた方がいいんだけど。時間がないから今回は奥の手だ。


 ここからが大変だ。この豆を全部、砕いて擦り潰す。ミキサーがある前世なら簡単だったんだろうけどな。水を加えながらすり鉢でゴリゴリと滑らかになるまで根気良く擦る。

 またもや途中で見かねた旦那さんと奥さんが手伝ってくれた。

 三人で交代に子供の世話を見ながら、ひたすらに豆を擦る。


 全部の豆が砕けたら、ドロドロの液を鍋に入れて火にかけ、底が焦げないように頑張って木べらで混ぜる。これも途中から旦那さんがしてくれた。

 十分くらい煮たら、ボウルにかけた布の上に適量入れる。それからうんと力を入れて絞る!のだが、ここでもほとんど俺の出番はなかった。

 なんか口だけで全部やって貰ってホントにすみません。


 とても俺が作ったとは言い難いが、ボウルの中には豆乳、布の中にはおからが出来上がった。

 豆乳の方は擦り下ろした百合根や塩を加えてポタージュスープにする。これで固形物を摂取できない子供たちに少しでも栄養を摂らせる事ができるだろう。


 おからの方は採ってきたハチミツを入れてクッキーを作った。これは大人用だ。子供たちが発病してから他の村の人もあまり寝ておらず、ろくに食べてもないみたいだからな。これにも百合根を入れたり、木の実や乾燥ベリーを入れたりして、違う味のものも作ってみた。

 出来上がったものを早速、二人に食べさせると奥さんはやんわりと顔をほころばした。


「甘くって美味しい……」


 緊張が緩んだのか、旦那さんの方は目に拳を当てて、グズッと鼻を啜っている。


「俺……あんな事言ったのに……ここまでしていただいてすみません……」


 彼の背中をポンポンと叩いて宥めておいた。

 子供の容体は未だに予断を許さない。花茶のお陰で少しは楽になったようだが、所詮、ただのお茶だ。

 水タオルで額だけでなく首の後ろ、脇の下、膝の裏などリンパが集中している部分を中心に冷やさせているが、夏が近く水温も高いのであまり効いている感じがしない。

 置いただけですぐタオルが温くなってしまう。


 採ってきた薬草が渇くのが早いか、子供の体力が尽きる方が先か……俺たちはまんじりともせず、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


 

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