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第25話 呼び声

 

 ハニーサックルは蔦の一種だ。春から初夏にかけて細長い花をつける。

 最初は白い花が徐々に黄色くなっていく。ひとつの枝に白と黄の異なる花が開くその姿は、幻想的でとても綺麗だ。


 別名、金銀花。残念ながら前世では草花に詳しくなかったので日本でなんと言うかは知らない。

 花を摘んで吸うと、ほんのりと甘い味がするので、スーのお気に入りだ。


 乾燥させた花の蕾には、若干の解熱と咳止めの効果がある。

 まだ花の開いていない真っ白な蕾を選んで摘み取り、籠に入れていく。村へ帰るまでにそれなりに乾くだろう。

 本当は風通しのいい日陰に平たく並べて干すんだけど、そんな時間はない。


 花を摘むのもそこそこに、今度は別の薬草を探す。

 そこまで長くかからず、特徴的に長く伸びた草を見つける事ができた。

 食虫植物みたいな袋っぽいものがあり、その先から更にスッと枝みたいなものが出ている。変な形で緑色をしているが、実はこれが花なのだ。


 クロウディッパー……カラスの柄杓って意味の花だ。

 柄杓は花の形からついたんだと思うけど、なぜカラスって言うのかは知らない。別にカラスっぽくはないし、色も黒くない。

 形も名前も変な花だ。


 花ではなく根に効用があるので、いつも採取に使っている先を尖らせた硬い枝でザクザクと地面を掘る。

 小さくて丸っこい根をいくつも集める。干した根っこに解熱と咳止めの効用があるのだ。

 こらはよく洗って日向で干してから使うから、今日すぐは無理だ。あと、凄く苦いので子供に服薬させるにはあまり向いてない。

 甘草があれば良かったのにな。この辺りで甘草は見た事がない。甘草も喉にいいし、何にでも合わせられる万能薬なんだが。


 森を歩いていると不思議な感覚がしてきた。

 ゲームの鑑定スキルが現実になるとこんな感じなんじゃないだろうか。

 あちらこちらに目を向けるたびに、草や木の名前や効用なんかが頭の中にふわふわと浮かんでくる。俺が知っているものだけだけど。


 その中でも必要なものだけが、ぽぅっと淡く光るように目の中に飛び込んでくる。

 草木神のアーレイディア様が助けてくれているんだろうか。太古から残るこの祝福の森の中では神と繋がりやすいのかも知れなかった。

 導きに従ってセリの一種、コガネバナ、ヤマウリ、野生の生姜や人参の根なんかも掘る。この辺りも風邪の時によく使う薬草だ。


 およそ半日ほど森で薬草などを集めて、大急ぎで村に帰った。

 俺たちが本当に帰って来ると思っていなかったのか、村長やおじさんは微妙な顔で俺たちを迎えた。おじさんは本当は俺たちを巻き込みたくなかったのだろう。

 だけど、俺はもう罹患した子供に触ってしまった。森に帰っても発病する時はするさ。それくらいなら、ここで出来る事をする。


 彼らに手伝って貰って、掘って来た根っこをそれぞれ、籠に並べて日向や日陰に干したり、軒先に吊るしたりする。

 時間がまったく足りないな。薬効が充分、発揮されるまでなんて、とてもじゃないが待っていられない。

 ひとまず摘んできた花の籠を家の中に持って入る。


「金銀花……」


 奥さんが籠の中を見て呟いた。田舎の子なら、花を摘んで吸った事くらいあるだろう。


「ええ。解熱と咳止めに効果があります。早速、煎じて下さい」


 籠を彼女に手渡す。


「お豆はあれくらいでいいのかしら? 何に使うの?」


 豆を浸けた鍋を指差されて頷く。


「子供に食べさせるだけですからね、十分でしょう。後で熱が下がってきた頃に食べさせられるよう調理します」

「熱が……下がるのかしら」


 粗末なベッドに寝かせた我が子をチラリと見つめて、女の人は目に涙を浮かべた。

 この人も数日寝ていないのかも知れない。その顔は痩せて精彩がなかった。彼女たちにも栄養が必要かも知れないな。


「下がります。下がらせます、必ず!」


 俺は期待を込めて強く肯定した。なにしろアーレイディア様が教えてくれた、神様印の薬草だ。これで治らないはずがない。

 俺の根拠のない自信に気圧されるように頷くと、女の人は受け取った籠を抱えたまま鍋に火をつけた。


 湯気と一緒に、ほんのりと甘い花の香りが部屋に広がる。

 ベッドではゲホゴホと苦しそうに子供が咳き込んでいる。

 煎じた花のお茶にハチミツと、それから塩も加える。


 途端に、男の人が血相を変えて飛んできた。

 俺が取り出した小袋から何か変な粉を入れているように見えたみたいだ。


「今、何を入れた!」

「ただの塩ですよ。塩はミネラルが豊富で、汗で失われた成分の補給に丁度いいんです」

「みね……らる?」


 あまり信用していない様子なので少し舐めさせて塩だと納得させる。

 ハチミツのおかげで甘く、とろみのついたお茶を、木の匙で子供に飲ませようとする。

 この二日くらいほとんど何も口にしていないのだろう。子供はむずかって、なかなか飲み込んでくれなかった。

 口から零れたお茶が顎を伝って首を濡らす。


「飲んで、飲んでちょうだい!」

「あ……」


 女の人が俺からお茶の入った椀を奪ったかと思うと、口に含んで口移しで子供に与えた。

 猩紅熱を引き起こす菌は大人にも移るんだけどな……まぁ、一緒に暮らしてたらもう感染してるか。と言うか、実際は大人が感染源で子供に広がってるんだろうな。


 子供がゴクリとお茶を飲み下すのを見て、まだ病気が治ったわけでもないのに女の人はハラハラと頬に涙を流した。

 発熱して初めて、治るかも知れないと希望が湧いてきたのだろう。

 その目は微かに光を取り戻していた。


「神様……」


 彼女が縋るのは農民の信仰の対象、グレイース様か、癒しの神ウレイキス様なのか……いや、希望や優しさをもたらすのが一神とは限らない。

 生への渇望そのままに彼女はこの世の神、全てに祈っているのだろう。


「ひとまずこのお茶を症状が出ている子がいる家に配って下さい。大人も感染している可能性があります。油断しないで」


 村長は力強く頷いて、俺の作った薬草茶を持って家を出て行った。彼もまた理不尽な運命に抗う希望を見出したようだった。

 俺からだと無理かも知れないが、村長さんが配るならお茶くらいなら他の村人にも受け入れて貰えるだろう。症状が少しでも改善すれば次の薬も飲んで貰えるかも知れない。


「近隣の村にも症状が出ている子供たちがいるんでしょう。そちらにもこの花を届けられませんか? 薬が何人分必要か、数も把握したいです」


 まだ花の蕾の残る籠を差し出すと、おじさんは二つ返事で了承してくれた。


「分かった、俺が行こう」

「馬があるんですか?」

「そんなもん、あるわけないだろ。徒歩だ、徒歩」


 それじゃ、到底、間に合わない。

 村々の場所は遠い。人の足ではひとつ回るだけで半日くらいかかる。

 俺が気軽に行き来していたのはイーたちに乗せて貰っていたからだ。


 俺は一瞬だけ逡巡した。ここから先は俺だけの問題じゃない。狼族を巻き込んでいいのかと迷う。

 知り合いになった村の子を助けたいと思うのはただの俺のエゴだ。狼族には何の関わりもない。


 だが、俺はなぜこんな遠国まで来て狼たちに助けられるような運命を歩んだのだろう。

 なぜ彼らの子供と縁を結ぶ事ができたのか。

 夢で母様たちは言っていた。狼とともに進みなさい、と。

 遥か昔に絶たれてしまった神獣と人の繋がりを、わずかなりとも結び直すのは今しかないんじゃないのか?


「スー。イー兄さんたちを呼んでくれ」


 静かに告げる俺を、スーは首を傾げて見返してきた。


「ルーはそれでいいの?」

「あぁ。俺はそうしたい。俺はあるものは何でも使う主義だ」


 俺が今まで、一人で成し得てきた事などひとつもない。今回も情けない事に皆の力を借りなければ俺にはこの子一人、救う事もできないだろう。

 だけど、それの何が悪い。使えるものは何だって使って俺は先に進む。誰かに助けて貰う事を、俺はもう恥ずかしいとは思わない。


 こんな俺でも助けてくれる人がいるから。

 俺はその人たちに恥じない生き方をすればいいだけだ。

 そんな事で思い悩む、その間にも助けられる命が零れ落ちていくかも知れない。今はその時間すら惜しい!

 俺をしばらく見つめていたスーは、表情をにこぱっと笑顔に変えた。


「それがルーの願いなんだね」

「あぁ、俺の願いは最初からひとつだけだ。俺はもう、誰一人失いたくない」


 あの日。母と仲間たちと言う大きな光を失ってから、俺を突き動かしている原動力はそれだけだった。

 あの時に感じた、心を焼き尽くす炎のような激情を再び感じる。

 それは俺の中で消えていなかった。ただ熾火のようにくすぶって眠っていただけだった。

 俺の答えを聞いたスーは大きく頷いて、白い髪を揺らした。


「なら、ルーの願いはスーの願いだよ」


 すぐさまスーは家から走り出て行った。俺も慌てて後に続いた。

 空を仰いで、スーは胸いっぱいに息を吸い込んだ。ギュッと両手の拳を握って、身体の横で突っ張る。


 空気をビリビリと震わせて、その口から雄叫びが放たれた。

 大声なんてもんじゃない。

 最大音量まで上げに上げた野外コンサートのスピーカーの目の前にいるかのようだ。

 まだ小さい少女の身体のどこから、そんな声が出てくるのか。


 もはやそれは激しい衝撃破のようで、俺は思わず両耳を塞いだ。

 すぐに森の方から、アォーン、オォーンと聞きなれた兄弟狼たちの返事が聞こえてくる。俺には狼の言葉は分からないので、彼らが何と答えたか分からなかった。

 何度か遠吠えでやり取りをする間に、彼らの声が近づいてきているのに気づいた。


「すぐ来るって」


 振り向いたスーが指差す村の入り口の方から、時を移さず黒い影が踊る。

 家々を飛び越えて、銀の毛を持つ若い三匹の狼たちは、姿を隠す事なく堂々と俺たちの前に降り立った。


「狼……狼が……」


 何事かと様子を見に出てきたおじさんや、村長さん、村の人々は扉のところで腰を抜かして、そう呟くばかりだった。


 

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