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第24話 症状


 村長に連れられて行ったそこは恐らく、この村で一番重篤な子供がいる家だった。ドアを開いて顔を見せた父親らしき若い男性は重苦しい表情をしていた。

 症状が軽い子の家では、俺に見せたら命を取られると親に疑われて話にならない可能性があったからだろう。放っておいたら時間の問題という重症の子であれば、藁にもすがる思いで俺の提案を聞き入れてくれるかも知れない。

 そこでも一悶着あったが村長とおじさんが代わる代わる説得してくれたので、父親は渋々だが俺たちを家に入れてくれた。


 無言でおじさんに顎をしゃくられて、俺はなるべく彼らを刺激しないよう静かに家の中に入った。

 泣き腫らした赤い目の女の人が抱く三歳くらいの子は、もはやゼーゼーとか細く苦しい息をついているだけだった。泣く元気もないのだろう。

 その顔と手足には赤い斑点。


 ゾッとして、俺は小さく身を引きつらせた。

 ここで足を止めたら不審がられる。強いてなんの心配もないと言うような平気な顔で女の人と子供に近づいた。


「少し触っても?」


 女の人は躊躇う様子を見せたが、村長に促されて、俺の目の前まで子供を下ろしてくれた。

 額に触れると信じられないほどの高熱だった。

 口を開かせて中を見る。舌が赤く腫れあがってブツブツとしている。

 間違いない。猩紅熱だ。実際に見た事はないが、子供がかかりやすい病気としてオレイン先生から症状だけは聞いていた。


 まずい。前世ではぼんやりと名前を知っていた程度の危険性の少ない病気だったが、抗生物質のないこの世界では猩紅熱はかなりの致死率に達する感染症だ。

 抗生物質なんて作れないぞ。俺にそこまでの知識はない。


 猩紅熱について覚えている限りを思い出そうとする。主な発症年齢は三歳から十二歳くらい。なぜか赤ん坊と大人は感染しても症状が重くならない。

 潜伏期間は二日から五日間。発症すると一気に高熱が出て頭痛や喉の痛みを引き起こし、発熱から一日から二日で身体に斑点が現れる。この子は丁度、斑点が現れたくらいだろうか。


 今からどんどん患者は増えるぞ。

 放っておいても治る子は治るが、こんな僻地では他に大した症状がないのに高熱と激しい咳で体力を奪われた子から死んでいく。合併症なんか起こしたら最悪だ。

 一刻も早く熱を下げて、少しでも咳を抑えないと。あとは体力勝負になるので、栄養をつけるくらいしかない。


 春から初夏にかけて手に入る薬草で、解熱と咳止めの効果のあるものか。目を瞑って額に手を当てながら思い出す。

 頭の中に浮かんでくる薬草の名前の中から、森で見た事のある場所をピックアップしていく。こう言う時は記憶力のいいこの頭脳がありがたいな。


 病気の子供を見た途端に、俺が押し黙って固まってしまったからだろう。目を開けるとその場にいた大人たちは不安そうに俺を見下ろしていた。

 彼らの表情には構わず俺は再度、口を開いた。


「何か消化にいい食べ物はありますか?」

「しょうかって言う意味が分からないけど……食べ物はそんなにないわ。お豆か麦の残りくらいよ」


 女の人がたどたどしく答える。豆って大豆か。丁度いい。


「豆を水の張った鍋に入れておいて下さい!」

「豆……お豆なんて何に使うの」

「その子が食べられるものを作ります」


 急いで森に戻って薬草を探さないと。踵を返そうとした俺は急に横から激しい衝撃を受けたかと思うと、気がつけば壁に押しつけられていた。


「ぐっ……」


 襟首をグイグイと締め上げられて息がつまる。薄目を開けると子供の父親が怒り狂って俺を掴んでいた。

 離して下さいと声を出すこともできない。せめても落ち着かせようとその腕に手をかけたが、大人の力にはまるで敵わなかった。


「この子は! この子はもうな、ものなんて食べられない! お前に……お前に何が出来るって言うんだ!!」


 目を血走らせ、声を荒げて男の人は俺に迫ってくる。後ろで村長やおじさんが宥めようとしているが、何も耳に入っていない様子だ。

 近くでゥーッと低い獣じみた唸り声がした。

 チラリと視線を走らせると、スーが瞳を爛々と光らせ、白い髪が逆立たんばかりに威嚇していた。

 思いっきり身体をよじって、なんとか息を吸い込む。


「ごほっ……スー、下がってろ! まだ大丈夫だ!」


 腕を伸ばしてスーを制する。

 この人は本当のところ、俺に怒っているわけじゃない。無力な自分が、何も出来ない現状が腹立たしくて、それをぶつける場所がないだけだ。

 病気だとか運命だとか、抗いがたいもので自分の子供の命が失われそうになっている。それを認めたくなくて、ただここに居合わせた俺と言う異分子を敵だと思い込みたいだけなんだ。

 俺を憎んでいる間は不安に囚われなくていいから。


 でもそれじゃ何も変わらない。変わらないんだ!

 俺はこんなところで足を止めるつもりはない。キッと眉間に力を込めて父親を睨みつける。


「あんたは父親だろ! あんたが諦めたら、誰があの子を救うんだ!」

「お前に何が分かる! 俺だって、金さえあれば街に行って薬でも医者でも……!」

「諦めるな、諦めるなよ! 医者は無理だが、薬は俺が持ってくる! あんたはあんたにできる事をするんだ!!」

「俺に……俺に何が出来ると……」


 首を絞められながらも怒鳴り合っていると、徐々に男の人は力をなくしていった。理不尽だと自分でも分かっている怒りは長続きしなかったようだ。

 緩んだ腕を振り解いて床に両足をつける。俺は痛む喉を押さえながらも、タタッと走って部屋の隅にあったバケツを拾い上げた。

 男の人は両手で顔を覆ってブツブツと呟いている。


「これで三人目なんだ……上の二人は育たなかった……この子は、やっとここまで大きくなったと思ったのに」


 この世界はこんな話ばっかりだ。死ななくてもいいはずの子供が死んでいく。だから俺は故郷を変えたかった。

 誰でも理不尽に奪われていい命なんてないはずだ。

 その思いは今も変わっていない。

 力無くうずくまる彼に、俺はバケツを突きつけた。


「さっきも言ったが、豆を水に浸けろ。それからもっと水を汲んでこい。俺が帰って来るまで、できるだけその子の身体を冷やしておくんだ」


 さっきまでの勢いはどこへやら、やつれた顔をわずかに上げて男の人は弱々しくバケツを受け取った。納得しているか分からないが、受け取ってくれたって事はまだ心は折れていない。そう思いたい。


「他の子の家にも伝言をお願いします」

「分かった。こちらも出来るだけの事はしよう」


 家を出る前に村長たちに声をかけると、もはや彼らは逆らう様子もなく素直に頷いた。

 マントのフードを目深に被り直して、スーを伴って村を走り出る。

 スーは人間とは比べものにならないほど足が速いので、軽々と俺の隣に追いついて来た。


「何を採りに行くの?」

「そうだね。まずはハニーサックルの花を。気休めにしかならないけど、他の薬を乾燥させる間の応急処置にはなるはずだ」


 甘い花なら煎じても子供たちにも飲みやすい。俺が花を吸ったら甘くて美味しいよと教えてからスーも大好物になったので、すぐに分かって頷いた。


「ルーの足に合わせてると時間がかかる。森までスーが乗せていくよ」


 スーもあれから随分、大きくなってるからな。乗り心地が悪いって事もないだろう。

 俺が頷いたので、人気のないところまで来るとスーは物陰でゴソゴソと服を脱ぎ始めた。

 人狼ってカッコいいけど、こう言うところが不便だな。変身のたびに着脱できる服があるファンタジー世界が羨ましい。


 狼の姿に戻ったスーにすぐさま跨り、俺たちは森へとひた走った。


 

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