第16話 狩り
俺の後ろには気配を消したロボが潜んでいた。俺もなんとか息遣いを小さく、少しでも存在感を消そうとする。
俺は岩だ。その辺りの石ころだ。
『いいな、ルーク。兎は巣に戻る前、必ずぐるりと大回りをする。そこを狙うのだ』
ロボの言葉に頷きだけで答える。まだ五月に入るか入らないかの季節だと思うが、緊張しているのか額に汗が浮かぶ。
しばらく見張っていると、カサカサと向こうの草むらが揺れた。
ゴクリと息を飲みながら、手の中の弓弦をゆっくりと引っ張る。最初に兎の耳だけがひょこりと見える。草の向こうで、フンフンと鼻を鳴らして周囲を窺っているのが分かる。
いかにも臆病そうに兎の顔がほんのわずかだけ覗く。
『まだだ、ルーク。落ち着け』
分かってる。落ち着かなきゃいけないのは分かっているが、心臓がドクドクとうるさくてあまり上手くいっていない。
息が苦しくて思い切り吸い込みたいが、そんな事をしたら兎に気づかれてしまう。
俺はスーが上手に変身できるようになったお祝いの御馳走を作るために、ロボに頼み込んで狩りに連れてきて貰っていた。
そりゃ、ロボとビアンカが狩りをした方が断然大きくて立派な獲物を捕らえる事ができるだろう。でも、俺はどうしても自分で仕留めて食べさせてあげたかった。
それに実は以前、スーに俺だけ何も捕まえていないと言われた事を根に持っていた。
俺は負けず嫌いなんだ!
兎は完全に草むらから全身を現し、ロボに教えられた道順をその通りにグルッと一周し始めた。
ピンと立った耳。力強く躍動する後ろ脚。つぶらな瞳。
俺はお前の事嫌いじゃないけど。今日、お前の命を戴いて明日を生きるよ。
兎が俺たちに一番近づく。
ロボに声をかけられるより早く、俺はサッと顔の横に弓を持ち上げ、間髪を入れず矢を摘んでいる右手を放した。不格好なりに何度も練習した矢はまっすぐに飛んでいき、兎の頸椎辺りに突き刺さった。
何が起こったか分からない様子の兎がドサリと地面に倒れる。
二人して木陰から飛び出して、兎へと駆け寄る。
『お前が止めを刺すのだ』
それも分かっている。俺は木の棒で作ったこん棒を勢いよく兎の頭に振り下ろした。ごめんねとは謝らない。前世でも今世でも俺を生かすために、たくさんの命が費やされている。
俺は生きる。
それが正しいとか、正しくないとか、関係なく。
俺がそうしたいから、ただそのために。
血のついたこん棒を手に、緊張のあまり止めていたせいでハッハッと荒い息をつく。
『素晴らしい。完璧なタイミングだったぞ、ルーク』
まるで息子の初めての狩りをねぎらうように誇らしげに、ロボが俺の前にすっくと立った。
「ありがとうございます」
俺は額に流れる汗を服の袖で拭った。こんなに暑いと、そろそろ長袖で歩き回るのは無理だな。南国に近いからかな。
ロボに乗せて貰って、兎を持って皆のところに戻る。
俺が獲ってきた兎を見て、皆が手放しで称賛してくれるので、ちょっと恥ずかしい。
『ルー、凄いすごーい!』
「みんなの中で一番最後かと思ったら、一番大きいじゃん!!」
スーはキラキラした目で手が千切れんばかりに拍手してくれた。ビアンカが目を細めてクゥーンと唸りながら、俺の胸元にトンッと鼻面を押しつけてくる。
「えへへ……」
俺は盛大に照れて、後ろ頭をポリポリと掻いた。
「今日はスーのお祝いだからね。俺も何か獲ってきたかったんだ」
「スーの? スーのために獲ってきてくれたの?」
今までも大きく見開かれていたスーの目がまん丸になる。スーはドンッとぶつかるように俺に飛びついてきた。
「ルー、大好き!」
「ちょ、ちょっとスー、苦しいよ……」
素直な感情表現は嬉しいが、そろそろ自分の力が半端ない事に気づいて欲しい。スーは抱きしめているだけかも知れないが、俺はギリギリと羽交い絞めを食らっているみたいに苦しかった。バシバシとスーの腕を叩く。
「あ、ごめん」
やっとスーの腕から解放されて、俺は小さくケホコホと咳き込んだ。
「うっさぎ、うっさぎ♪」
スーはそこら辺をスキップして回っている。期待に応えるには、ここからが一大事だ。なにせ、俺は動物を解体した事がない。アレクがしてる時に、ちゃんと見てれば良かったな。
狼なんか、獲ってきた獲物をそのまま食べるだけだから参考にならない。
まずはおっかなびっくり小刀で腹を裂いて、そーっと内臓を取り出す。即座に子狼たちが争うように取り合いを始めた。鼻づらが血で真っ赤だ。
そう言えば血抜きも必要だったんじゃね?と後で思ったが、恐らく頭を潰した兎を足を持って逆さまにしていたので、それであらかたは抜けてたみたいだった。今度からはちゃんとしよう。
あと、こう言うのは川辺でした方が良かったな。手が血みどろだ。
どうするのが正解なのかも分からず、ザクザクと皮を切り取っていく。勢い余って皮が三度くらい破けてしまった。
この小刀もけっこう使い過ぎて、ガタがき始めてる。やばいな。使う都度、草とかで綺麗に拭いてはいるんだが。どこかで新しいものが手に入らないだろうか。あと、鉈とか斧があると薪を集めるのが随分、楽になると思う。
それからもせっせと手を動かして、兎はやっと肉の塊になった。ふうとため息をつく。こうして見ていると、足がついている以外は前世で言うとスーパーで売られていた丸ごとの鶏とそう大して変わらない。
もういつもより遅い時間なので、急いで肉を一口大に分けた。香草を塗して竈で焼く。俺の獲ってきた兎だけだと量が足りないので、ロボが丸ごと一頭、鹿を狩ってきてくれた。スーは後で狼の姿になった時に生で食べればいいだろう。
それ以外にも、今日はスーの好物ばかり揃えた。小魚と沢蟹のスープに、山芋を焼いたもの。どんぐりのクッキー。ちなみにクッキーって言っても粉を固めただけなので甘くない。デザートには野イチゴをたっぷり摘んできた。
テーブル代わりの平らな岩の上に、大きめの葉っぱを敷いて料理を並べると、スーは両手を上げてわぁわぁと声を上げた。
「お祝いって凄いね! ご馳走だね!」
「そうだね。スー、おめでとう。さぁ、あったかい内に食べて食べて」
スーは念願の人間の手で兎肉の刺さった串を持って、ニコニコ顔でかぶりついた。
「すべすべの手で食べると百倍おいしい! スーは今日、兎がもっと好きになった!」
口の周り中に肉汁をつけて、大げさな事を言っている。俺にクスクス笑われて、スーはむっと眉を寄せた。
「なにがおかしい、ルー?」
「スーは可愛いなって。はい。ちゃんと口の周りを拭いてからスープも飲んで」
ちょっと首を傾げてから、スーは口を手の甲で拭った。そこに肉汁がついているのを見て、
「もったいない」
とか言って、ペロペロと舐めた。
スープは木の皮を巻いただけの即席のコップに入れているので、逆三角形をしていて地面に置けない。受け取って貰うしかない。
すぐにスーは中身をゴッゴッゴと飲み干して、小魚も小蟹も丸ごと、ボリボリと噛み砕いた。
「カニも百倍美味しい!」
「もっと食べる?」
「もっと!」
遠慮なんてするわけなく、スーは即座にコップを俺に返してきた。中身をたくさん掬って手渡す。
イーたちも食べたそうにしていたので、小魚を指で摘むと、あーんと大きく開けた口に一匹ずつ放ってやる。俺がノーコンであらぬところに投げてしまっても、三匹はひょいと飛んで器用にキャッチしていた。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去って行く。
その日、俺は疲れ果てて夕食後の後片付けもそこそこに、ほとんど何も考えずに四匹に囲まれて寝た。




