第15話 成長
暦代わりの枝に目盛りが増えていくたび、またもや俺の情緒は不安定になってきていた。
俺は枝につける傷を、一週間が分かりやすいように七日目の刻みだけ他より少し長くしていた。
それが縦に四回溜まったら二十八日……およそ一ヶ月だ。
枝を上まで戻って、最初に刻んだ目盛りの横に小刀で線をつけると、俺はカランと地面に枝を転がした。
何しているんだよ、みんな……今頃、どこにいるの。もう新年からも一ヶ月も経ってしまった。洞窟で目を覚ましてからは三ヶ月近い。
ちゃんと迎えに来てくれてるのか。詳細が分からない日々は辛い。両手で顔を覆う。
いつも朝起きると、誰か訪れた気配はないかロボに聞く。
返答は毎日、同じだ。
『お前の国から、お前を探しに来ている者はいない、ルーク』
「ほんとの本当でしょうね!?」
『我は偽りを口にしない』
それはそうだろう。狼には嘘と言う概念自体が分からない。ロボが俺を騙す理由もなかった。
いや、まだ一ヶ月。たった一ヶ月だ。
昼間は強いて皆の事は考えないように、俺はせっせと働いた。
春は森に劇的な変化をもたらした。あちこちは緑で溢れ、花が咲き、鳥の鳴き声や動物の物音がする。
それに伴い虫の数も増えたが……あえて見ないように頑張っている。
俺が洞窟の周りに植えた虫除けの草の匂いは狼たちには不評だ。けれどなんと言われようが俺は毎日、ゴシゴシと身体中に草の匂いをすり込んでいる。
子狼たちは、もう赤ちゃんとは言えないような大きさだ。まだまだロボたちの半分もないが、身体つきがしっかりしてきて、毛も生え変わり始めている。
人型に変身したスーには、もうすぐ身長を抜かされそうだ。
子狼たちはそれぞれ、トカゲとかネズミとか、小さな動物を捕まえられるようになっていた。ビアンカはそのたびに、満足そうに目を細めた。
こうして狩りを覚えてくってのは分かるけどさ、自慢気に俺にまで獲物を見せに来ないで欲しい。だってトカゲもネズミもけっこう可愛いじゃん。森の掟が弱肉強食なのは分かってるけど。
あまり視線を向けないようにして、子狼たちの頭を撫でて褒めてやった。
「ルーだけ、まだ何も捕まえてないね?」
無邪気なスーの言葉は俺をちょっと傷つけた。食べられるものを採ってきたり、魚を捕まえたり、食生活にはけっこう貢献していると思ってたんだけど。
そうそう実はあの後、蔓を編んで作った罠を川に仕掛ける事に成功した。見に行ったら大抵、小魚とか蟹とかが入っていたりする。沢蟹のスープはスーの大好物のメニューになった。
なんとなく狼たちに対抗して俺は弓矢なんか作ってみた。矢は矢じりや羽もなく、単に硬い木の枝の先を尖らせただけだったけど。いびつだけど、前に飛べばいいんだ。
ユーリとの弓の特訓も途中になってしまったから腕に自信はないが、なんとか頑張るしかないだろう。破れたシャツを的にして、洞窟前で練習したりしている。
弓の練習の後は、籠を編む。その中に食料を集める。それだけでもう昼過ぎだ。川に行って魚を捕まえる。ついでに髪や身体や服を洗う。帰って夕食の用意をする。あっと言う間に時間が経っていく。
狼たちと森を走り回る俺は、すっかり以前の体力に戻ってきていた。いや、なんでも自分でするからか、以前より逞しくなってきたような気もする。
子狼たちはすっかり俺と一緒に朝に起きて、夜は洞窟で寝る生活になってしまった。本来、狼は夜行性のはずなのだが。ロボとビアンカは夜に出かける事が多かった。
四匹……いや、三匹と一人に囲まれて洞窟の床に横になって、俺は考えても仕方がない事を鬱々と考えていた。
国からは誰が迎えに来てくれるんだろう。アレクとユーリとルッツは鉄板として、セインはどうかな。あれほどの酷い怪我が、数ヶ月で治っただろうか。止められても無理について行こうとして怒られたりしてないかな。
セインの腕は上手くついたとしても、もう剣を持つのは難しいかも知れなかった。でも騎士でなくなったって、セインが俺の家臣である事に変わりはない。大体、護衛以外にも仕事はたくさんあるんだ。
そう言えば俺には従者がいないから父様に相談しようと思ってたんだった。セインはそういう役目は嫌いかな。前に色々頼んだ時には嫌がってなかったよな。
昼間、しっかり身体を動かしたから、そんな事を考えているとうつらうつらしてくる。
そして朝が来て、またロボと同じ話の繰り返しだ。
暦の枝の二列目の目盛りも徐々に増えていく。それが隣の半分にもいかない内に、俺はだんだん怖くなってきた。皆は本当に無事なんだろうか。
新年から一ヶ月半も経つのに迎えが来ないのは、何か理由があるんだろう。
第二王妃が殺されるなんて、小さな国を揺るがすほどの大事件だ。軍を動かしたくても動かせない状況なのかも知れない。
それでも早く迎えに来てくれればいいのにと思ってしまう。
それに、どうにかしてアイリーンとマルティスだけにでも、俺が生きてるって伝える術はないだろうか。きっとみんな、ずっと俺を心配しているだろう。
俺はここにいるよ。なんとか毎日頑張ってるよって伝えたい。
あまりにも考えに没頭し過ぎて、スーが何か言っているが耳に入ってきていなかった。
「ルー、ルーってば! ちゃんと見てよ!!」
スーの金切り声に、急に現実に戻される。スーは俺の目の前で両手をヒラヒラと振っていた。
「ごめん、ごめん。考え事してて。どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ、ちゃんと見てよ、ルー!」
見てって言われても、何を見たらいいのか分からない。スーは手に何も持っていない。白っぽい色に近い、肌色の手がそこに揺れているだけだ。
って、ちょっと待って。手だ! 人間みたいな、すべすべの手!!
俺はスーの両手を握って、うぉーっ!と腕を振り上げた。
「凄い、凄いじゃん、スー!! ちゃんと変身できてる!!」
「うおぉー!」
スーは俺に両手を上げさせられながら、真似をして叫んだ。その途端、白いくせっ毛の頭部に、ぴょこん、ぴょこんと片耳ずつ、獣耳が立った。
「あ、あれ? あれれ?」
俺の手を振り払って、スーはなんとか耳を引っ込めようと、自分の頭をぎゅうぎゅうと押さえた。
その間に、ひょこっとお尻にも白い尻尾が覗く。
「え、なんでー。やだー。ちゃんと変身できたと思ったのに!」
両手で頭を押さえたスーは涙目だ。だけど、その手足はちゃんと人間の形のままだった。
俺はスーの掌ごと、頭をぐりぐりと撫でた。その頭はもうほとんど俺の視線と同じくらいの高さにある。
「大丈夫。手と足はちゃんと人間のままだよ。スーは凄いね。諦めなかったから、ちゃんと変身できるようになったんだよ」
スーは半分、べそをかいた顔そのままで、いつも通り犬歯を見せて、えへへーっと笑った。
能天気に森を走り回っているだけのように見えて、スーは毎日、子狼の姿から人間になるたび、俺みたいになりたいと願ったのだろう。
俺が再び立ち上がって皆を待ち始めた月日は、スーにとっても成長の日々だった。
俺にはスーやロボたちがいれば大丈夫。
もう一ヶ月……いや、二ヶ月くらいは待ってみよう。
俺は皆を信じている。俺が使命に立ち向かうには四人は不可欠だ。誰一人、欠けても先には進めない。
眷属と言うのは、恐らく俺が心から信じられる人の事だ。その絆が容易く切れるなんて、あるわけないんだ。
「今日はご馳走にしようか」
「え、なになにー。楽しみ―!」
人間の手でスーは万歳をした。
洞窟の外に向かう俺の後ろをタタッと追いかけて来る。その滑らかな手が、俺の手の中にするりと入り込んで、キュッと握り込んできた。
間近でスーの金色に近い目が笑う。
「ずっと、ずっと、こうしてルーと手を繋ぎたかったの」
そうか。狼の手だと、俺の方は手を取れても、スーが握ってきたら爪が食い込んで大変な事になるからな。遠慮してくれてたのか。
スーはずっと俺と手を繋ぎたくて、そのためだけに努力してくれたのか。
「ありがとう、スー」
「ありがとはおかしいよ、ルー。よくやった? でかした?」
「スーはほんとに凄いよ。良くやったし、でかしたよ」
笑って繋いでいる手をぶんぶんっと振り回したら、スーは鼻高々で、歩きながらピョンピョン飛び回った。
「やったやった! スーはすごい、えらい!!」
俺もスーみたいに素直に生きていけたらな。出来るようになった事は、凄いって誇っていいんだ。どんな小さな事でもさ。
俺は火が熾せて、魚を獲って、焼いて食べられるようになったよ。一人でもロボたちに助けられてなんとかやってるよ。
だから、父様も皆も心配しなくていいよ。
陽光の下で、繋いだままの腕をスーが天高く突き上げる。俺も一緒になって、大きく万歳をした。




