第12話 川の向こう
ガタガタと震えながら俺が川から上がる頃、ちょうどいいところにロボが帰って来てくれた。口に服と、なんだか大きな布を咥えている。
『これで良いのだろう?』
ロボはポイッと地面に咥えてきた物を放ってった。
彼が持ってきたのはタオルじゃなくて、毛布だった。今の俺にはタオルより有難い。
少しカビ臭いそれを広げて急いで身体を包み込む。
すぐにスーと三兄弟が服や毛布の匂いをフンフンと嗅ぎ始めて、顔を顰めた。
さっきまでの俺の匂いより全然マシだと思うんだけどな。皆が生まれた時から俺はあんな匂いだったから、気にしてなかったんだろうな。
どこから持ってきたのか服もカビ臭かったので、着る前に川べりに広げて太陽の光の下に干す。服は大人用だったので随分大きかった。
ロボがこの森の頂点なので、川辺でのんびりしていても獣に襲われる心配はない。
「こんなものどこにあったんですか? もしかして盗って……」
『ルーク、誇り高き狼族の末裔である我を愚弄するつもりか?』
目を眇めたロボにギロリと睨まれる。す、すみません。恐縮して身を縮める。
『近くに住む人族が祠に貢物を置いて行くのだ。森の守護者たる我らに捧げられたのだから、これは我の物だ! もっとも今まで役に立つ事はなかったのだがな』
ロボは憤慨した様子で、前足をダンッと踏み鳴らした。
そうか。この付近に街はないが、たまに数軒の家が寄り集まっているだけの、村とも言い難い集落がそこかしこにポツポツとある。
どの国にも所有権がない帰らずの森付近での生活は、税の徴収がない代わりに後ろ盾もない。
そんな彼らが藁にもすがる思いで森に今も残ると言われる神……実際には狼族に貢物を捧げているのだろう。
「すみません。そう言う事ならありがたく使わせていただきます」
『分かれば良いのだ』
過ぎた事を気にしない性格のロボは謝るとすぐに機嫌を直した。毛布をまとったまま、広げた服の横に腰を下ろす。
川がそんなに遠くない事も分かったし、これからは毎日だって来れるな。当面の目標は自分で歩いてここまで来る事だな。
俺が考えている事が分かったわけではないだろうが、ロボは俺の隣に立って川を見つめた。
『この川は支流なので構わんが、森の真ん中に大きな川がある。それより東へは行くな。熊族の縄張りだ』
えっ、この森に、狼以外に神獣の血を引く一族が?
熊族って言ったら、多分あれだろ。
「熊族って、もしかしてバルベール様の……」
『あぁ、そうだ。まったく忌々しい熊族め。我らの力がこれほど失われていなければ、この森から叩きだしてやるものを』
俺に対する時は辛抱強く優しいロボが、森の遥か東側を睨みつけて、好戦的に唸り声を上げる。
バルベール様は熊の神獣だ。八番目の月、マーナルが堕ちた後の八日八晩の戦を人間やマーナガルム様とともに戦い、邪悪な月に辿り着くその前に命を落としたと言われる。
マーナガルム神のライバルと伝えられており、ロボの反応と同じく、我が国では大層人気の低い神様だ。
有体に言うと嫌われている。
でも俺は熊って嫌いじゃないよ。スーがいるくらいなんだからさ。あっちにも熊耳の女の子とかいたりしないかな。
ロボに習って森の東側を見つめる俺の横に、目ざとくスーがやってきてジーッと顔を覗き込んできた。
「ルー、今、なに考えた」
「え、別に何も……」
なんとなく視線が怖いのでサッと顔を逸らす。
「虫獲ってくる」
「スーさん、やめてー。誤解です、これは違うんです」
即決で踵を返そうとするスーの身体をガシッと掴んで引き留めるが、俺はその場からズルズルと引きずられた。俺よりまだ小さいのに、筋力が半端ない。
ちょっと考えただけなのに。スーなんてまだ熊族と狼族の因縁なんて知らないはずなのに、どうなってんだ。宿怨がその血に刻まれてしまっているんだろうか。
仕方なく俺は立ち上がって、肩からずり落ちそうになる毛布を片手で持って、スーを宥めようと頭をナデナデした。
「スーのピンと立ったお耳が一番可愛いよ」
「ほんとにー?」
「あったりまえだよ」
俺が真面目な顔をして頷くと、スーは途端にご機嫌になって撫でられた頭を両手で押さえた。
「えへへー」
笑うと、口の端に鋭い犬歯が覗いて可愛い。スーはかなりちょろいな。これからは虫攻撃されそうになったらこれでいこう。
スーが納得してくれたので、やっと俺はベルトから小刀を抜いて、肩辺りまで伸びきっていた髪をザクザクと切った。
おっかなびっくり、爪もなんとか小刀で短くする。いびつな形になってしまったが仕方がない。
ロボは向こうで子狼たちの監視をしている。ビアンカと協力して子育てをする、ロボはいいお父さんだ。やっぱり俺は動物の中で狼が一番好きだな。
虫干しした服の長い袖や裾を折って着込むと、やっと人心地ついた。ズボンは落ちないようにベルトで止める。
俺は気分も新たに颯爽と立ち上がった。
すぐにスーが近寄ってきて、フンフンと俺の匂いを嗅いでいる。
「毛皮を替えるなんてルーは変」
「人間には毛皮なんてないんだよ。これは服だよ。スーもその濡れた服、早く脱いで。風邪引いちゃうよ」
元は俺のものだったズタボロのシャツを引っ張って脱がせようとしたら、思わぬ抵抗にあった。
「いーやー! これはスーの! スーの毛皮!!」
「毛皮じゃなくて服だって。それにそれ、俺が三ヶ月くらい着てたから臭いよ」
俺の言葉を聞いて、スーはショックを受けた様子であんぐりと口を開いた。慌てて服の袖を持ち上げて、またフンフンと匂いを嗅いでいる。
まだ納得していないような表情ながらも、スーはゥーッと口を尖らせて、渋々ながらシャツを脱いでペイッと地面に放り投げた。
極力、スーの方は見ないようにして、新しいシャツをズボッと被せる。
スーは妹。妹みたいなもの。弟認定されてるけど妹。と、心の中で呪文のように繰り返す。妹ならセーフだろ……と思いたい。
大人用のシャツはスーには大きすぎるって言うよりは、地面に裾がひきずるほどだった。
手の先でだぶついている袖をまくって、裾もめくってキュッと縛ってあげる。そうするとちょっと大き目のワンピースみたいに見えなくもなくなった。
新しい服に落ち着かない様子であちこちを持ち上げてフンフンフンフンと鼻を鳴らしているスーは、信じられないくらい可愛かった。
やだなー、俺に幼児属性はありませんって。
言ってみればこれは父性。そう、父性みたいなもんですよ。
「さぁ、そろそろウチに帰ろうか」
スーは、うんっ!と顔いっぱいに笑って俺に手を差し出した。スーの狼の毛に覆われた掌を握ると暖かくて不思議な感触がする。
俺たちは兄さん狼たちに足元にまとわりつかれて、途中、ちょっとこけそうになりながら、皆で笑ってロボとビアンカの方に向かった。




