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第10話 光の中へ


 次の日、目覚めると人間の姿のスーが俺の右側にぴったりとくっついていた。その他の子は、一匹は頭の上。もう一匹は左脇の下。最後は股の間で寝ていた。

 股の間がスーじゃなくて良かったよ。

 俺はすっかり彼らの弟だと思われて、懐かれまくって大変な事になっていた。

 どうも俺が上手く歩けず動きも遅いので、病弱な弟と思われているようだ。


 皆の優しい心は嬉しいんだけどね。本当にそう思っているなら、背中に登ってこないでよ! 痛い、爪が傷に食い込んで痛いってば!

 頭は駄目だって何回も言っているだろ。もー、髪を齧るなよ!


「コラー!!」


 俺に怒られるとその時だけはワッと楽しく蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのだが、またすぐに元の木阿弥だ。

 スーはビアンカの乳を吸う時だけは子狼に戻るが、それ以外の時はほとんど人間の姿で過ごしていた。

 手足とか耳とか尻尾が俺と同じでないのが許せないらしい。

 何度も何度も変身を繰り返している。

 そのたびに自分の手足に狼の毛を認めて、ムーッと地団駄を踏んでいる。


「スーも! スーも、ルーみたいなすべすべの手がいいの!!」

『娘よ、もっと気合いを入れて変身するのだ』

「スーはスーだってば! パパは変身できないんだから黙ってて!!」


 スーにごもっともな事を言われて、ロボはグッと黙り込んだ。

 森の王者をパパ呼ばわりの上、やり込めるとか、スーは凄いな。やっぱりこの世は女の子の方が強いんだ。


 スーがこんなに頑張りを見せているのに一人さぼるわけにはいかず、俺はロボに助けて貰って、長い間、棚上げにしていた歩く練習を始めた。弛み切った足は棒のようでなかなか言う事を聞いてくれないが、歯を食いしばって一歩、一歩と進む。

 ロボは辛抱強く俺のリハビリにつきあってくれた。

 身体にいいかも知れないと思ってストレッチなんかもやっている。


 そんな日々の中、子狼たちはグングンと大きくなっていった。モコモコしていた足は力強く細くなり、顔も伸びて狼らしくなってきた。

 スーの人間形態も、目に見えて背が高くなってきている。このままのスピードで成長したら、数週間もしない内に俺の背を追い越しそうだ。

 そしたらシャツじゃ足りなくなる。見えてはいけないところが……あわわわわ。


 俺のズボンを履かせるしかないんだろうが、それは俺が寒いし、変態っぽいしなぁ。

 どこかで服が手に入らないだろうか。

 さすがに三ヶ月以上、同じ服を着ているので、もう汚れているとか臭いとか言うレベルではなくなってきている。

 ロボに聞いてみると、心当たりがあるので今度、見て来てくれると言う。


「そんなところがあるなら早く言って下さいよ」


 ロボに訴えると、彼は肩を竦めて、


『聞かれなかったからな』


と言うばかりだった。

 狼族は頭が固いって言うか、所詮、獣なところがあって融通が利かない。言われた言葉は額面通りに受け止めるし、こちらから聞かなければ気を利かせて伝えてくれる事もないのだ。

 なんだか怖くなってきて、俺は以前からの約束を口を酸っぱくして再度、繰り返した。


「国から俺を探しに来た人がいたら、ちゃんと教えて下さいよ!」

『分かっている』

「絶対ですよ! 森のちょっと外だったから言わなかったとかナシですよ!!」

『だから、分かっていると言っているだろう』


 ロボは呆れたように嘆息したが、怪しいものだ。これくらい強く、何度も言っていた方がいい。

 ある日、ロボは俺の目をじっと見つめて伝えてきた。


『そろそろ外に出てみるか?』


 外へ。思ってもみなかった言葉は俺を動揺させた。

 そりゃ、その内にはここを出て行かないといけない事は分かっている。いつまでもロボたちに世話になるわけにもいかない。

 でもそれはもう少し後だと思っていた。

 故郷マーナガルムの雪は深い。春になったからと言ってすぐに出立できるものではない。

 逡巡する俺と違って、子狼たちの行動は早かった。


『お外行くー!』


 口々にそんな事を言いながら、俺たちの足元をすり抜けて洞窟の入り口の方へ向かう。


「あ、こら……」

『いいのだ。外は晴れだ。ちょうどいい。あの子たちにとっても今日がその日だったと言う事だ』


 子狼たちに声をかけようとする俺をロボが遮って止める。

 皆と一緒に走って行きかけたスーが途中でピタリと立ち止まって、白い髪を揺らして振り向く。


「どうしたの? ルーも行こ」


 なんの屈託もない笑顔で俺に手を差し出してくる。シャツの下でまだ短い尻尾がひょこひょこと揺れていた。

 俺にはスーの期待を裏切る事はできなかった。自然にクスッと笑いが口元に浮かぶ。


「今、行くよ、スー。ロボ、お願いします」

『あぁ、行こう』


 先に出て行ってしまった兄さん狼たちの引率にはビアンカが向かったようだ。

 俺はロボに掴まり立ちをして、ノロノロと一歩ずつ進んだ。

 スーは待ちきれない様子で俺より早く、二、三歩ほど進んでは、ピョンピョンと飛び跳ねてまた戻ってくる。先に行っててくれて構わないのに。

 狼たちには一駆けの緩やかな斜面も、足が萎えている俺には障害物のように感じられた。


 しかし、よくよく考えたらそれは辛い道のりではなかった。隣にロボがいて、スーがいて。外では三兄弟とビアンカが待ってくれている。

 未来も見えなかったあの二日間に比べれば。皆と駆け抜けたあの道なき道に比べれば。

 これは何て事ない、言ってみればただの家の玄関に続く坂道だ。


 すぼまって少し狭くなっている洞窟の入り口でスーがウズウズと、ゆっくりと近づいてくる俺を振り向いた。

 俺たちは笑い合いながら、せーの、で光の中に足を踏み入れた。

 そこは……外は春だった。

 晩冬の暖かい日差しが降り注いでいる。

 小春日和って言うんだろうか。俺は掌で眩しい陽光を遮って空を見上げた。


「わぁー……」


 隣ではスーが、初めて見る世界に目を見張って言葉を失っている。

 森の木々は間近に迫る春の息吹を感じて、早々と新芽を伸ばし始めている。地面のあちらこちらには気の早い草々も覗いてる。陽気な小鳥の鳴き声も聞こえる。

 世界はこんなに美しいものだったんだ。


 再びこの地に生まれ変わったような感覚で、俺は森の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 ロボに捕まっていた手を離す。

 ヨロヨロと、二、三歩進んで、俺の足は力を失ってその場にガクリと膝をついた。

 陽が当たって暖かな、草の生えている地面に手を当てる。


 セレスティン様……俺はもう一度、貴方の元に戻って来る事ができました。顔を上げて重なる木の葉の向こう、遠い空を見上げる。

 俺の胸には自然に神への敬意が蘇っていた。

 見捨てられたと思ったのは俺の勝手な感情だ。ウレイキス様も言っていたじゃないか。俺を助けるのに無理をした、と。

 三千年も姿を消していた神が、無理を通して俺をここまで治してくれたのだ。

 そこから先は俺自身の問題だ。


「ルー、どうしたの?」


 すぐにでも駆けて行きたそうだったスーが戻って来て、俺の様子に首を傾げる。


「大丈夫。神様に感謝していたんだよ。この世界に呼んでくれて有難うって」

「ふーん?」


 後ろで指を組んで、スーは不思議そうな顔をした。もうちょっと大きくなったらスーたちにも話してあげよう。俺の大好きな人たちと、一緒に歩んで来た日々の事を。

 俺はもう自分に課された使命を投げ出さない。たまに弱音は吐くかも知れないけど。

 この世界に俺が必要とされているなら、行ってみようと思う。皆と一緒に、行けるところまで。


 もう一度、ロボに助けて貰って立ち上がる。

 俺の決意を喜ぶように、さわさわと優しい風が吹いてきて、すっかり伸びてしまった髪を揺らした。

 その時、ギャッと声を上げてスーが俺の後ろに隠れた。


「な、なんか揺れた!」


 ガタガタと震える、その尻尾がぽんぽんに太くなって毛が立っている。俺はアハハハとお腹の底から笑い声を上げた。

 そうか。スーにとっては、この世界は何もかも初めてだらけか。


「あれはただの草だよ、スー」

「く、草?」

「そうだよ。洞窟だって隅っこに生えてるじゃん」


 俺に草むらを指差されて、スーは恐る恐る背中から顔を覗かせて、揺れる草を眺めた。その内に好奇心に負けた様子で近寄って、動物がするようにフンフンと匂いを嗅ぐ。

 三兄弟もそこかしこでギャッギャッと声を上げては、興味津々に辺りをうろついている。

 春に至る太陽の位置は高く、俺たちはその日、かなり長い時間を外で過ごした。



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