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第9話 弟


『恐らく先祖返りだろう。始祖様を始め、古き狼族は人の姿にもなれたようだ』


 とは、ロボの見解である。そうか、マーナガルム様って人狼だったんだ。カッコいい。

 狼たちはあまり細かいことには拘らない性格のようで、ロボもビアンカも兄さん狼たちも、スーの見た目が変わっても落ち着き払っていた。

 肝心のスーはと言えばもうニコニコ顔でご機嫌だ。

 へ、変身するのは細かい事とは言い難いんだけど……。


 しかしついに、ついに憧れの亜人種だ! ケモミミだ! 獣人だ!!

 俺は高鳴る鼓動を抑えられなかった。

 思わず両の拳を握り、突き上げてしまう。


 この世界、長らく魔法もなければ人間以外は存在しないのかと思っていたが、魔物や神、喋る狼に引き続いて、人狼っすよ、人狼!!

 いるところにはいるんだ! ファンタジー世界、万歳!!


 スーはぺったりと地面に座り込んでいる。裸なのはあんまりだったので俺のズタボロのシャツを着せてあげた。

 脱いでみて改めて思ったが、シャツは背中が血で染まって固くなっているし、あちこち破けて酷い状態だ。しかしまぁ、当面は見えてはいけない部分が隠れさえすればそれでいい。

 上半身が下着一枚になってしまって、俺はちょっと寒い。最近、外が少しずつ暖かくなってきているようなので、それだけが救いだ。


 スーの白い髪の毛は長くて凄いくせっ毛で、あちこちがピンピンと跳ねていた。その頭部にはチョコンと二つの獣耳が立っている。

 よくよく見るとスーは完全には人間に成り切れておらず、腕や脚は途中から毛で覆われて、先の方は肉球や爪もそのままの狼の手足だった。お尻の後ろには白い尻尾がひょこひょこと揺れている。


 初めて生で見たケモミミは感動ものだったが、冷静になってくると扱いに困る。獣人が普通にいる世界ならともかく、この世界は人種的には地球に近い。モンスターもいなければ、残念ながらエルフやドワーフもいないのだ。


「これ、どうするんですかー」


 俺は地面に手足を放り出して洞窟の壁にぐったりと背をもたれかけた。あまりに興奮したので、少し疲れてきたのだ。まだまだリハビリ途中の身体は疲れやすかった。


『どう、とは?』


 対するロボは大した問題とも思っていない様子でのん気なものだ。


「だってこんな姿じゃ狼として暮らしていけないでしょ。人間として生きるわけにもいかないし。誰が面倒見るんですか」

『む。そうか……娘よ、狼の姿に戻れるか?』


 ロボはやっと問題点に気づいたようで、眉間を寄せてスーに語りかけた。スーはその呼ばれ方が気に入らなかったらしく、むっと口を尖らした。


「娘じゃない。スーはスーだよ」

『ではスーよ。戻れるなら元の姿に戻るのだ』

「戻れるよー」


 軽く答えたスーがまたピカッと光ると、ボワンと人間の女の子の姿は掻き消えた。どこに行ったのかと思いきや、地面に落ちた俺のシャツがモゴモゴと動いている。めくって見るとそこに、ぬいぐるみみたいに小さくて真っ白な元のスーの姿があった。

 しかしスーは狼ではいたくない様子で、すぐに人間の姿に逆戻りした。当然のようにマッパなので、仕方なくまたマントみたいにシャツを頭から被せてやった。結構、面倒くさいな。

 スーは嬉しそうにエヘヘと笑った。子狼の姿も信じられないくらい可愛いが、人間の時も天使みたいだ。大きくなったらさぞや美人になるだろう。


「ルー、ルー」


 抱っこしてー、とでも言うように、スーが両手を伸ばしてくる。まだ人間の姿では動きづらいのかも知れない。

 俺はスーを抱き寄せて膝に乗せてやった。見た目より軽いので助かった。


「狼に戻れるなら問題なさそうですね」

『最初から何も心配していない。神は意味のないことはなさらない』


 ロボは気にしなさ過ぎだと思いますけどね。

 それにしても俺が森に来た事で子狼たちが喋り出し、スーが人間に変身したのはただの偶然なんだろうか。


 俺が死にかけていた時、夢の中で母様たちが何か言っていた。

 大事な事だから絶対に覚えていろ、と。

 狼と一緒に生きろとか、そういう意味合いの言葉だった……と思う。


 俺はそれをロボのことばかり思っていたが、もしかしてスーの方なのか?

 この子の人生にも神は試練を用意しているのだろうか。まだこんなにも小さいのに。

 浮かない顔で頭を撫でると、スーは満足そうにグリグリと額を俺の胸に押しつけてきた。


「スーはなんで人間になろうと思ったの?」


 問いかけると、んーっと自分の口元に人差し指を当てて考えている。


「えっとねー、ルーはスーと違うなぁって。同じになりたいなぁって思ったらなれてた!」


 スーは俺を見上げて、にぱっと屈託のない笑顔を見せた。可愛いなぁ。癒される。妹がいたらこんな感じなんだろうか。

 生まれて二週間しか経っていない子に気遣われたような気がして、俺はじんわりと目頭を熱くした。最近、涙腺が緩すぎる。目に拳を当てて涙をやり過ごす。


『スーだけずるーい!』

『ずるーい!』

『俺もルーに乗るー』

『俺もー』


 スーだけを抱っこしているのを見咎めて、兄さん狼たちが次々に俺の足の上に乗ってこようとする。いきなり俺の上は大渋滞だ。

 彼らは姿が変わってしまっても、ちゃんとスーをスーと認識しているようだ。まぁ、最初からこんなに大きい俺を、一緒に生まれた兄弟だと思い込んでるくらいだしな。


「駄目です、ダメー。全員いっぺんは無理だから降りてくださーい!」

『えー、なんでー。ずるい、ずるーい!!』


 きゃわきゃわと叫んで子狼たちが飛び跳ねるものだから足が痛い。俺、まだ本調子じゃないんだって。

 一匹ずつ降ろしても、降ろしても、すぐにまた突進してくる。

 なんて過酷なリハビリプログラムなんだ。

 俺の下着の胸元を握りしめていたスーは、一人、降ろされなかったことにご満悦でニンマリと笑った。


「みんな、ダメだよー。だって、ルーはスーの弟なんだから!」


 え、スーさん、今なんて? 俺がお兄ちゃんじゃないんですか?

 衝撃の発言に固まってしまう。その間に、他の兄さん狼たちも騒ぎ始めて洞窟の中は騒々しさに包まれた。


『おかしいじゃん、スーの弟なら、俺にとってもルーは弟だよ!』

『そうだ、そうだ!』

『俺も、俺もー』


 なんてこった。訂正できないでいる間に全員に弟認定されてしまった。どうしてこうなった……。

 俺はもう諦めに脱力して、身体をよじ登って来る子狼たちを引き剥がす気力も沸いてこなかった。

 髪の毛をアグアグと噛まれても、俺はひたすらに口を薄く開いたまま、ぼんやりと洞窟の天井を眺め続けた。



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