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第7話 生命(いのち)

【4章25話からのあらすじ】

敵の襲撃を受けて燃え落ちる館。偶然、外出して難を逃れたルーカスだったが、館にいた人たちは誰一人助からなかった。ルーカスに残されたのは四人の騎士たちだけだった。

父と合流するために敵の手をかいくぐり、逃避行を続けるルーカスたち。道中、ユーリが父王フィリベルトの一行を探しに先に旅立ち、ルッツが毒に倒れるなど、一人、また一人とルーカスを守る者は少なくなった。

さらに敵は人間だけではなかった。三千年前、神をこの地から去らせ、人々を襲った黒い魔物が蘇り、来襲したのだ。

その上、神を自称する少年が現れ、圧倒的な力を持ってルーカスたちを攻撃した。騎士たちも無傷では済まず、セインは左目を失った。

魔物自体は降臨した光の女神セレスティンが退けてくれたが、誰もが満身創痍だった。

これ以上、彼らを巻き込むわけにはいかない。ルーカスは騎士たちを残して一人、大狼神マーナガルムを探しに帰らずの森へ行くことを決意する。

けれど途中、館を襲ったイグニセムからの刺客に捕らえられてしまう。

ルーカスを逃すため、アレクは敵を引きつけてその場に留まり、セインはさらに深手を負う。

敵に背中を斬られ、足を滑らしたルーカスはセインの目の前で森へと落ちて行った。

一人きりになってしまったルーカスを助けたのは、神ではなく、マーナガルム神の血を引くという巨大な狼だった。人語を解す巨狼は、父フィリベルトとの約束通り、ルーカスを救った。

背に深い斬り傷を負い、崖から落ちたルーカスの回復にはかなりの時間を要した。

名前を持たないと言う狼たちにルーカスは、灰色狼にはロボ、その番の白狼にビアンカと名付け、共に森の中の洞窟で暮らし始めた。

ビアンカは身ごもっており、出産は間際に迫っていた。

そして──……。



 その日、ビアンカは朝から気ぜわしそうに何度も立ち上がって、洞窟の外に向かおうとしてはまた戻って来ると言う行動を繰り返していた。

 もしかしなくてもお産が始まるのかも知れない。


「俺は……ここにいてもいいんですか? 部外者なのに」


 俺は心もとなく、おろおろとビアンカの様子を眺めるばかりだった。ロボが仕方ない奴だなと言うように、いつもの調子でフンと笑った。


『何度言い聞かせれば理解するのだ。我は誇り高き狼族の末裔。お前の父親との約定を違えるつもりはないぞ。それにその足でどこに行くと言うのだ?』


 洞窟の壁に寄りかかって足を投げ出して座っている俺を、ロボがジロジロと眺める。

 こうして起き上がれるくらいにはなってきたが、まだ自分の足で歩くのは無理だ。確かに言われる通りなのだが、野生の動物は出産時に人間を近寄らせないと言う固定概念があったので心配してしまったのだ。

 だがビアンカは喋れないとは言え、神獣の血を引く狼族の一員だ。野生の狼とは違う。

 それに二匹って言うか……二人に俺が受け入れられてるって考えてもいいのかな。そうだったら嬉しいな。


 ビアンカは散々、ウロウロと動き回って、最終的に俺の横を出産場所に選んだようだった。どっかりと隣に座り込まれる。俺があまりにも心配そうな顔をしていたからだろうか。

 ロボなんて気楽なものだ。さっきまで獲物の骨をアグアグとしゃぶっていたかと思うと、今度はそれを口に咥えてプイッと巣穴から出て行ってしまった。

 ロボが出て行く直前、ビアンカが不機嫌そうにパシリと尻尾を振り鳴らしたので実は追い出されたのかも知れなかった。

 人間のみならず、どこの種族でも女の人の方が強いんだな。


 それにビアンカは初産ではないようだった。俺の隣でハッハッと浅い息をつきながらも、後ろ脚を放り出して座り込む姿はどっしりと落ち着いて見える。

 そろ~っと手を伸ばしてもビアンカが嫌がる素振りを見せなかったので、身体にそっと手を触れてみる。

 いつもはフカフカで柔らかい毛はどことなくパサついていた。お腹の子に栄養を与えているからか、お産が近づいて毛繕いが面倒になっていたのか。

 手を伸ばせる範囲でビアンカの身体をゆっくりと撫で続ける。

 そのお腹は今では大きく膨らんで、薄くなった皮膚の下で赤ちゃんたちが忙しなく動き回っているのが見えるほどだった。


 もはや俺には彼女の出産は他人事ではなくなっていた。俺の方が緊張しているくらいだ。ビアンカなんて悠々としていて、反対につぶらな瞳で俺の顔を怪訝そうに見返していた。

 俺は人間も動物も含めてお産を見るのは初めてだ。前世では一人っ子だったし、こっちでも末っ子だからな。動物を飼っていた事もない。

 これから何が行われるんだ。不安と期待が入り混じった緊張のせいで鼓動がうるさいくらいだ。

 俺も何か手伝った方がいいのかと思うが、所詮、身動きのできない身体では何もする事がなかった。


 肝心のお産はなかなか始まらず、昼頃には獲物を捕まえて持って帰ってくれたロボが俺に食事を与えてくれた。ビアンカは何も食べたくないみたいだ。

 狼たちは少し腐った肉でも平気なのだが、俺がお腹を壊してしまうのでロボはこうして毎日、兎なんかの小さい獲物を狩ってきてくれるようになった。


 ちなみに排泄はどうしているかと言うと、決められた場所があって頼んだら狼たちが俺を咥えて連れて行ってくれる。下の世話まで狼にされたなんて、ちょっと人には言えないな。

 でもまぁほら、入院患者だと思えば身動きができない人が介護して貰うのは普通の話だよ。と思って自分を慰めている。子供の姿でまだ良かったな。大人だったら目も当てられないところだった。


 俺はあの日からずっと、ズタボロで血まみれのシャツとズボンを着たままだ。洞窟の中は暖かいとは言え、さすがに裸で過ごすのは恥ずかしかったからだ。

 あちこち破れていて着ている意味もほとんどないが、真っ裸よりはマシだと思う。二ヶ月以上着ている割には匂いとは汚れとかはそんなに気にならない。ただ単に慣れてしまっただけかも知れないが。

 ベルトとブーツは脱いで洞窟の隅に放ってある。今ではこれだけが俺の全財産だ。

 夕方近くなってビアンカの唸り声が変わってきた。唇をめくり上げ、食いしばった歯の間からウゥゥーッと低い声を響かせている。


 とうとう出産が始まるんだ!

 俺は息を飲んで、じっとビアンカの様子を見守った。

 最初の一匹目の頭が覗くまでは少し時間がかかった。ビアンカは苦しそうながらも落ち着いていきんでいる。

 薄くてぬるっとした膜に包まれた赤ちゃん狼が姿を現す。まだ毛も生えてなくて小さな宇宙生物みたいだ。肌は黒っぽい。

 ビアンカが丁寧にペロペロと膜を舐め取ると、こんなに小さいのに子狼はピィピィと鳴きながらヨロヨロ動き出した。


 それから二、三十分もしない内に、立て続けにあと二匹の子狼が生まれた。

 全部で三匹。三兄弟か。

 赤ちゃん狼たちは母親の温もりを求めて、もうすでにモゾモゾと元気に動き回っている。

 俺は感動のあまり滂沱で頬を濡らしていた。

 赤ちゃんってこんな風に産まれてくるんだ。

 なんてけなげで、儚くて、愛おしいんだ。

 えぐえぐとしゃくり上げながら俺は、ひたすらに服の袖で涙を拭い続けた。


 けれど、ビアンカの様子がどこかおかしい。三人目の子を産んだ後、その子も綺麗に舐め上げてお乳を吸わせていたのに、またもやウゥーッと低い唸り声を上げ始めた。

 どうしたんだろう。ええっと……胎盤! そうだ、確か胎盤とかが最後に出てくるって聞いた事がある。それかもな。

 ハッハッと荒い息をついて唸り声を上げるビアンカの首筋や背を撫でて、俺は必死に励まし続けた。俺は応援する事しかできない。

 ビアンカはもし人間だったら、きっと玉のような汗を掻いていただろう。それくらい苦しそうだった。


「頑張れ、ビアンカ。もう少しだから。大丈夫だよ」


 コツンとビアンカの首に額を押し当てて、片手で抱きしめる。

 しかし、もうお産は終わったと思ったのに、ビアンカのお腹から出てきたのは胎盤ではなかった。もう一匹の赤ちゃん狼だった。

 他の兄弟と比べてかなり遅く産まれてきたその子は見るからに小さかった。

 ビアンカが全身を覆う膜を舐め取っても、鼻づらでツンツンっと優しく小突いても、最後の子はピクリとも動かなかった。鳴き声も聞こえてこない。


 そんな馬鹿な……せっかく産まれてきたんじゃないか。どうして動かないんだ。

 俺は衝動的に震える手を伸ばして、その子を掌に掬い上げた。

 肌も剥き出しで小さな赤ちゃん狼は、まるで木の葉のように軽かった。


「生きろ、生きろよっ!」


 何をしていいか分からず、触れただけで壊れてしまいそうな小さな身体を指で揺さぶる。

 しばらくして俺の願いが届いたのか、赤ちゃん狼は掌の上でヒィと、か細い声を上げた。


「よ、よかった……」


 ヨロリと脱力しかけながらも、ビアンカに向かって赤ちゃんを差し出し、乳が吸いやすい場所に置いてやる。

 その子がか弱くではあるがビアンカの乳に取りついて飲み始めたのを見て、俺はグラリと地面に突っ伏した。


「あああぁぁぁ……!」


 いつかの絶望の叫びとは違う、身体を突き抜けるような熱い衝動に突き動かされて泣き叫ぶ。

 生きてくれた。産まれてくれた。

 生きてて良かった。俺はここに来て良かった。良かったんだ。

 この世に無駄な事なんて何もない。回り道のように見えて、いつも一番大切な事に繋がっている。

 俺はきっと、この子に出会うためにここに来たんだ。そう、心から信じられた。


 俺が泣き疲れて静かになるまで、ロボもビアンカも静かに見守っていてくれていた。

 洞窟内には四匹の赤ちゃん狼の鳴き声がピィピィと元気に響き渡っていた。



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