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第3話 降臨

 

 今度こそ、完全に目が覚めた……と思う。

 頭がガンガンと締めつけられるように激しく痛い。頭だけじゃないな。身体全体が重しをつけられたみたいにずっしりとだるく、指一本動かすのも面倒だ。

 やれやれ。現世万歳って感じだな。


 俺は、どこか薄暗くて暖かいところにうつぶせに寝かされていた。

 そこが洞窟のような場所だと分かったのは、何かうっすらと光を発するものが頭上にあったからだ。

 光の源を追って、視線を上げる。


 そこに薄く透けるホログラムのように光っている男性の姿を見つけて、俺は目を見張った。

 年はかなり若く見える。二十代前半くらいだ。そこまで長くない黒髪は横分けで、前髪が少し額にかかっている。

 知的で端正な印象のその顔には黒縁の眼鏡がかかっていた。


 そう、眼鏡だ。こちらの世界で見るような不格好なものじゃない。前世の日本で売っていたような薄い眼鏡だ。服装は、黒っぽい手術着のような服の上に、白衣がひらりと靡いている。

 そんな男性の姿が、俺の寝かされている洞窟の頭上に浮いていた。

 お医者さんだ。少し若いけど、年以外は日本に普通にいる医者にしか見えない。


『良かった、なんとか間に合った』


 彼のものらしき声が頭の中に直に響く。ジリジリと消えたりついたりする蛍光灯のように、男性の身体は濃くなったり薄くなったり安定していなかった。それと同じく、声も繋がりにくいラジオみたいにひび割れて聞こえた。

 俺は彼が誰だか、分かるような気がした。

 神々しいまでの神気を全身から放っている光の粒子のみで作られた姿。


 彼ら、神の姿を見るのはこれで二度目だ。一度目は母様の姿に似せた光の女神セレスティン様だった。

 このお方は……神羅万象、ありとあらゆるこの世の英知を知り、死者をも蘇らせるほどの力を持つと言われる医神。


「ウレイキス様……?」

『君を治すのにかなり無理をした。オレインに会ったら伝えてくれ。しばらく力を送れなくてすまない、と……』


 それだけを伝えて、俺の言葉を肯定も否定もする時間もなく男性の姿は不意にかき消えた。周囲が静寂と暗闇に包まれる。

 だけどオレイン先生の話題を出すなんて、やはり医神ウレイキスとしか思えない。オレイン先生はウレイキス様の加護を受けている神子なのだ。


 まさか神が直接、俺の傷を癒すために現れるなんて。

 それほど俺の怪我は酷かったんだろう。本当だったらもう死んでいてもおかしくないくらいに。

 そう思うと、いまさらに背筋がゾクッと震えた。


 少し上げていただけで疲れてきた頭を剥き出しの地面に下ろす。

 なんだか胸がドキドキする。神様があんなに若くて気さくな感じだと思わなかった。

 神殿に置かれている彫像のウレイキス様は、もっとこう、髭が長くていかついおっさんって言うか、おじいさんみたいな感じだ。服装も古代ローマの風のローブだ。


 それを言ったらセレスティン様もそうだな。もっぱら、美しい二十代後半くらいの妙齢の女性の姿で描かれる事が多い。豊かでボリュームのある茶色の髪は緩いウェーブを描いて足の近くまで続いている。

 その姿は太っていると言うわけではないが、太ももとかお腹のくびれなんかがちょっとむっちりとした感じで、間違っても母様のような細身ではない。

 彫像では見えそうで見えない薄い布に覆われていたりして、それが逆に想像力をかき立てるのか男性に人気の神様だ。


 恐らく俺が見る神の姿は、俺のイメージにかなり左右されている。俺は前世の記憶の印象が強いから、神様とか女神様とか言われると神殿に祭られているような彫像じゃなくて、ついアニメっぽいイメージで思い描いてしまうんだよな。

 俺の前に現した姿が本当の外見ってわけじゃないんだろう。


 そうでなきゃ、日本で見るような眼鏡や白衣なんて身につけているわけない。少なくとも今まで、こっちの世界であんなものを売っているのを見た事はない。

 俺が想像するお医者さんのイメージがあんな感じだったって事だな。なぜ若い姿だったのかは不明だが。


 こうなると起きる直前に見ていた夢も、まんざらただの夢でもないような気がしてきたな。ところどころ内容はぼやけているが。

 アイリーンが俺を呼び戻してくれたんだろうか?


 あの時、俺は魂だけの状態になっていたような気がする。そしてこの世界から、どこか別のところに行こうとしていた。例えば前世に戻ろうとしていたとか?

 あのまま行ってしまっていたら、多分、もう二度とこの世界には戻って来れなかったんだろう。


「アイリーン……」


 呟いて彼女の笑顔を思い浮かべると、変わらず胸元にぽっと暖かい光のような温もりが灯った。

 俺の魂。ルーカスとしての人生。

 きっとアイリーンが、この地に俺を繋ぎとめてくれたんだ。これは彼女がくれた二つ目の命だ。

 この暖かさを感じられる間は、アイリーンとの絆は切れていないと信じたい。


 それに夢とは言え、もう一度、母様たちに会う事ができた。あれは神様からのご褒美だったのかな。

 思い出すと切なさに心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような気持ちになった。

 母様が俺を強い子だと言うなら、俺は強く生きていかなければいけない。この大地で。この身体で。

 泣いている時間なんてない。俺は眉間に力を込めて、滲みそうになる涙を引っ込めた。


 神が直接、力を与えないと危うかったらしい俺の身体は、今、どうなっているんだろう。

 まず首は動く。目も見えるし、頭も激しい痛み以外は、はっきりしている。

 手の指をひとつずつ順番に動かす。どこか痛いと言う事もないし、折れていた指や傷なんかも治っていた。

 かなり変な方向に折れ曲がっていた左腕も、きちんとまっすぐ繋がっているようだ。

 足も多分、大丈夫だな。


 よし、起きてみよう。そう思って腕に力を入れて身体を起こそうとしたが、途端に腕がガクンと脱力した。身体なんてほとんど持ち上がらなかった。

 動いたせいか、頭にズキッと激しい痛みが走る。背中が筋張ったように引き攣れる感覚もした。さすがに背中の傷痕は完治できなかったのか、完全に消せなかったんだろう。


「な、なんだ?」


 立ち上がるどころか起き上る事すらできなかった自分の身体に驚いて、見られる範囲を慌てて見下ろす。

 腕も足もまるで萎れてしまったかのように力が入らない。

 どこか神経に異常があるのかと一瞬、慌てたが、そうじゃないな。手足の感覚はあるし、ちょっとずつなら動かせる。

 ただ、腕ひとつ持ち上げるのに信じられないくらいの体力を使わないといけなかった。


「ぐ……ぅ……」


 重力の重みに負けて、俺は地面からわずかに上げた腕をドサリと力なく落とした。たったこれだけでハーハーと息が上がってしまっている。

 これは、一回死にかけたところを引き戻された代償なんだろうか。

 それとも神の癒しには何か制約があるとか?

 訳が分からず、途方にくれて俺はひたすらに自分の身体を見下ろすしかなかった。こんなところでたった一人、動かない身体で放って置かれたら、せっかく死の淵から蘇ったのにまたすぐに逆戻りだぞ。


 だが、しばらくもしない内に俺の耳にはトストスと軽く地面を踏みしめる誰かの足音が聞こえてきた。

 そうだ。俺をここまで連れて来てくれた人がいるはずじゃないか。

 どんな人なんだろう。

 期待と不安を込めて、俺は近づいて来る足音の方に視線を向けた。



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