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第29話 激突!


 鍛えられた軍馬はほんの数歩でトップスピードに乗った。

 前を向け。背筋を伸ばせ! ルナは絶対に俺を落としたりしない。俺は彼女に乗ってさえいればいい。


 雨の混じった風がバサバサと髪を揺らす。

 景色があっと言う間に後ろへと過ぎ去って行く。

 しかし。


「チッ。大人しくしてろって言ったのに、言う事を聞かない王子様だな。お前ら、給料分くらいの働きはしろよ!」


 後ろからジークの大声が俺を通り越して前方へ響く。呆気に取られていたチンピラどもがハッと我に返って進路を塞いだ。

 余計な事、言いやがって!


 チンピラたちは人数に物を言わせて道を塞いでいる。森に抜けるルートがない。

 どうにか右側になら逃げられそうだが、そちらは崖だ。行ってどうする。


 ここは強行突破して……駄目だ。俺をなるべく生け捕りたい奴らは、ルナを狙うだろう。

 それは駄目だ。もしも俺だけ森に辿り着いても、傷ついたルナを放って行けなるわけがない。

 ここまで来て諦めるしかないのか。

 いや、あがいてあがいてあがいて、時間稼ぎをするしかない。

 力も腕もない俺にできる事なんて、それしかない。


 チンピラたちの持つ剣の切っ先が届くその前に、俺は迷わず右へと身体を傾けた。ドドドドッと、まるで宙を駆けるようなスピードそのままに、ルナが進行方向を右の崖へと変える。

 後方から幾つもの気配が迫り来るが、ルナのスピードの方が優っているようだ。

 相手は重たい大人を乗せた、普通の馬だ。

 いかなイグニセムの腕利きでも、旅人を装っていては流石に軍馬までは持ち込めていない。


 このまま、じわじわとでも奴らを引き離せるか。

 しかし奴らだとてふざけた態度を装ってはいるが、他国に派遣されるほどには手練れだった。そこまで甘くなかった。

 まだ余力を十分に残しているはずなのに、いきなりルナの速度がガクンと落ちる。


「ル、ルナッ!?」


 それどころかルナはヨロヨロと覚束ない足取りで数歩、進んだかと思うと、前足を折ってドウッと横倒しに地面に倒れ込んだ。

 もちろん乗っていた俺も、もんどり打って地面にしたたかに叩きつけられゴロゴロと転がる。


「ぐっ……う……ッ!」


 受け身なんて地面に落ちてから思い出したよ。

 腕や背中の激しい打ち身にも構わず、俺はすぐさま身体を起こすとルナに走り寄った。

 ルッツが毎日世話をして健康そのもののはずの牝馬は、白目を剥いて口から泡を吹いていた。


「ルナ、ルナ、どうして……」


 混乱して俺はおろおろとルナの首筋をさする事しか出来なかった。


「そう言うところは子供なんですな。たかが動物を友達のように……」


 雨風に重なって、冷たい声と人馬の影が俺たちに落ちる。たかがってなんだ。ルナは国からずっとついて来てくれている大事な仲間の一員だ。

 今だって、立ったままの馬の背から落ちたら俺はただでは済まなかった可能性がある。だけどルナは自分が苦しい中、前足を折ってできるだけ低い姿勢で俺を下ろそうとしてくれた。

 そんな心優しい生き物を、どうして動物とかで切り捨てられるんだ。


 そんなだから、お前らは人の命も心もなんとも思わないんだよ!

 お前らが! ルナに何かしたんだろ!!

 拳を強く握りしめて怒りの視線を向ける。


「そこまでご心配なさらなくても、命に別状はないですよ。そうだな、キケ?」


 ジークに視線を向けられたエンリケは、手に竹のような筒を持っていた。


「いくら私でも捕縛対象者に当たりかねない状況で毒は使わないですよ」


 軽い口調でエンリケが答える。


「と、言うわけです。その馬が足でも折ってなければその内、回復するでしょう。あまり手間をかけさせず、今度こそ大人しくしてくれますかねー?」


 ジークが馬をひょいと降りて俺に近寄って来る。

 エンリケが手に持っているものは吹き矢か。

 そうか。

 確信に近い考えが俺の頭の中を占める。やっぱり、お前たちはあの屋敷にいたんだな。


「お前が……お前らが、ワルターを……」


 拳を握っても、握っても両腕がブルブルと震える。どんな卑怯な手を使われたのかと思っていたが、まさかあの誇り高い騎士たちが剣ではなく、毒で倒されたなんて。

 そんな酷い。酷すぎる。


「ワルター? あぁ、あの隊長らしき男がそう呼ばれてましたかな。あの男は見応えありましたよ。毒矢を三度も食らって、なお我々の仲間を五人も道連れにしましたからな。殿下は優秀な部下をお持ちだ」

「お前がワルターを語るなあぁぁッ!!」


 瞬時に俺の頭は沸騰して、何も考えられなくなった。目の前が真っ赤に染まったように感じる。

 俺がワルターや母様の最期を聞くのはセインからだけだ! 決して、お前からじゃない!


 ガアァッと喚き声を上げて俺は腰の剣に手をかけると、ジークに向かって振り抜いた。子供の腕で振るった剣はカンッと軽い音を立てて阻まれる。

 剣の腕で敵うとか敵わないとか、すでにそんな事はどうでも良かった。

 ただ怒りに任せてめちゃくちゃに剣を振るう。


「うわああぁぁ!」


 俺のデタラメな剣筋を片手で危なげなく右に左に受けて、ジークは嗜虐的な笑みを口元にニヤリと浮かべた。


「フフ。やはり男の子ですな。荒っぽい攻撃だ」


 どれだけ振るっても俺の剣はジークには届かない。それどころか、まるで剣の稽古をつけられているかのような腕の開きがある。

 右下から斬り上げても、両腕で力任せに打ち込んでも、そのたびに先に相手の剣が待っていて最小限の力で防がれる。


「ほらほら、どうしました。憎い仇が目の前にいるんじゃないんですか? 貴方の力はそんなもんですか?」


 俺の攻撃があまりに温いからか、合間にジークの切っ先が飛んでくる。頬を掠め、髪を切り飛ばし、薄く赤い筋をつける。気づけば頬に、腕に、手に、俺は幾つもかすり傷を負っていた。

 巧妙に、跡に残らない程度の傷をつけてくるところが嫌味だ。


「ジーク」


 呆れたようにエンリケが眉を潜めて声をかける。


「ここまで待たされたんだ。ちょっとくらい、いいだろ。せっかく王子様がやる気を見せてくれてるんだからさぁ」

「俺を王子様と呼ぶなッ!」


 俺をそう呼んでいたのは、出会った頃のヒューゴ先生だけだ。嫌だな。どうして、こんな男と打ち合っているのに先生の事を思い出すんだろう。

 顔が似ているとか、そう言う事はない。背丈だってヒューゴ先生の方が随分大きい。


 けれど無駄のない動きとか、容赦ない剣筋とか、勝つためには手段を選ばなそうなあざとさとか、怒りに染まった視界の中でダブるように先生との鍛錬の日々が重なる。

 あの暑い夏の日からずっと、俺は先生の剣を受けてきた。

 俺が教わった事はこんなものじゃなかった。


 もっとだ。先生やこいつに届くには、何もかも足りない。もっと速く、もっと速く。ただ速く。

 いつしか俺は怒りも忘れて、ひたすらに剣を振っていた。

 速度を増す剣撃にジークも忙しなく動き、キンキンッと金属音を響かせて俺の剣を弾く。

 柄を握る手が雨で滑りそうになる。

 両手でしっかり持ち直して、真下から振り抜く。


「ぅらあッ!」

「お?」


 その時だけ、ジークは小さく声を立てた。わずかに目を見張って、逆手ではあるが初めて両手で俺の剣を受ける。ギリギリと刃同士で鍔迫り合いをする。


「今のはなかなか良かったですよ、王子様?」


 二本の刀身の向こうでジークが薄い笑いを見せる。俺が嫌がっているのを分かっていて、わざとらしい。


「お前はヒューゴ先生じゃない!」

「ヒューゴ? 金獅子の? そんな伝説の人物と比べて頂けるとは光栄ですな。だが」


 言葉を切って、ジークは一歩、後退った。急に相手がいなくなって俺はバランスを崩し、慌てて体勢を立て直そうとした。そこにすかさず斬撃が走り、俺の剣を跳ね飛ばす。

 俺の手を離れた剣はクルクルと雨の中を飛んで、後方でカランと地面に落ちる音がした。


「そろそろ当方のお目つけ役が焦れてきそうなんでね。お遊びはこれくらいにしていただきましょーか?」


 俺の喉元に切っ先を突きつけて迫るジークは、チラリと隣に視線を向けた。見ればエンリケが構えていた吹き矢の筒を下ろそうとしているところだった。

 あっぶねーな。あんなものが刺さったら、気づいた時にはこいつらの手の内だ。

 その事態だけは避けたい。


 こいつらがなぜ本隊から離れて二人だけでいるのか知らないが、合流する前にどうにか隙を見つけて逃げ出すしかないな。

 それもこれも、馬も剣もなくなった今ではかなり難易度が跳ね上がってしまったが。

 なんでも、俺にできる事をするんだ。使えるものはなんでも使えって言うのも、ヒューゴ先生の教えだ。


「ルナをこのままにして行けって言うのか?」

「さっきも言いましたが、運が悪くなければ勝手に立ち上がるでしょうよ」

「なら、せめて剣を拾ってもいいか? あれは誕生節に父から貰った……」

「そんなに大事な物なら家に飾っておけよッ!」


 俺の言葉を遮って、今までは軽薄さを装っていたジークの雰囲気が一変した。低く唸るような怒声が響く。不機嫌に眉を寄せて見下ろされる。


「勘違いしてるんじゃないか。俺たちは子守じゃないんだ」


 グッと腕に力が込められ、刃先がチクリと俺の喉に食い込む。うっすらと滲んだ血が一筋、首を流れ落ちる感覚がした。


「首から上さえついていれば頭脳には関係ないだろうよ。あまりふざけるようなら、腕のひとつやふたつ、斬り飛ばしてやろうか」

「ジーク……班長」


 芯から冷えるほど感情に乏しい黒い瞳。立場を思い出させるためにかエンリケは咎める声で言い直したが、ジークが言う事を聞く気配はない。お目つけ役とか言うわりに、あまり手綱が取れている感じがしないな。

 こいつはやると言ったら本当にやるだろう。


 俺が子供だとか、こいつらには関係ない。普通の人間のように喜怒哀楽があるように見せかけているが、それは表面上だけ。

 本来は与えられた命令をこなすだけの、ただの人形だ。


 あぁ、このムカつく感覚は最近、感じたばかりだなと思い出す。セインたちをもっと酷くするとこいつらみたいになるのか。

 どんな人生を歩んできたのか知らないが、俺は同情しない。


「腕を斬られたら本を読むのが難しそうだ。足にして貰おうか」

「この餓鬼ッ! ……ったく、大した玉だな。もういい。さっさと来い」


 一瞬、怒気をさらに膨れ上がらせようとしたジークだったが、途中で自ら感情を切り替えて剣を引いた。ドカドカと大股で近づいて来る。

 俺はそれを成す術もなく黙って見上げるしかなかった。



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