第27話 さよならの代わりに
俺は村長の家の台所を借りて、お茶を入れることにした。竃の火は危ないからってアレクがつけてくれた。相変わらず過保護なんだからな。
お湯が沸騰するまでの間、アレクは台所の椅子に腰かけて大きな欠伸をかみ殺していた。
何かを考えるように掌を広げて、見下ろしている。
「しかし……あれ、なんだったんでしょうね。俺の攻撃、効いてましたよね?」
俺の放った光以外に、唯一、闇をたじろがせたのはアレクの攻撃だけだ。あれがあったからこそ、俺以外は雑魚と言わんばかりに無視をしていた少年の意識が、皆に向いてしまったとも言える。
けれどアレクがいなければ、きっと俺は成す術もなく闇に連れ去られていただろう。
じっと自分の掌を見つめて、アレクは不思議そうに首を傾げている。自分の身に起こった事だ。アレク自身が一番よく分かっているだろう。
「あの時、よく覚えてないんすけど、ルーカス様が連れ去られるかもって思ったらカッと頭に血が昇って……気づいたら俺の怒り? みたいなのが? 槍の穂先に溜まってたみたいな?? よく分かんないんすけど」
アレクの話はクエスチョンマークだらけだった。いつも直感だけで生きてるような奴だからな。言葉にすればするほど、自分の体験した事が霧散してしまっているんだろう。
「あの時、奴が言ってた事、ルーカス様には分かりました? ケンゾクがどーのこーのとか?」
「眷属って言うのは、アレクが僕の家臣ってのと同じような意味だよ」
「じゃぁ、俺、家臣だから力が使えたって事ですか? ルーカス様と同じみたいな?」
「多分ね?」
「俺も光の神子様かー」
アレクは机に両肘をついてエヘヘへと、にやついた笑顔を浮かべている。
そんなわけないだろ、馬鹿。
アレクは単純だからな。これくらいの話で誤魔化されてくれたけど、いつか誰か気づくかも知れない。
アレクの槍の穂先から出たのは、光じゃない。火花だ。
この世界では光と炎は同一視されていない。
光を司る女神セレスティンとは別に、炎の女神シャルーカがいるからだ。
それなのに敵が一瞬でアレクを俺の眷属と認めたと言う事は、俺は少なくとも光だけの神子じゃない。
風と雨雲が力を貸してくれたのもどう考えればいいんだ。
俺は躊躇いながらも、考えたくもない事を考え始めていた。
もしかしたら俺は全ての神の力を使えるようになるのではないか、と。
いにしえの神々の力。
それは俺にはふさわしくない、あまりにも強大な力だ。
このまま側にいたら、遅かれ早かれ、セインたちにもアレクとは別の神の力が発現するのではないか?
そうなったらもう誤魔化しは効かない。
俺だけじゃない。アレクたちも敵から狙われる対象になる。
この地上から神々を消すほどの力を持った敵の。
俺は震える手をどうにか抑えて、茶葉にゆっくりとお湯を注いだ。
あまり乾燥させる時間がなかったから、もともと薬効が少ない。熱湯では効果が薄れてしまう。
少し冷ましたお湯で時間をかけて葉っぱの成分を抽出する。
不自然に見えないように。
慌てずに。
にっこりと笑顔でアレクにコップを差し出す。
「アレクも疲れただろ、お茶でも飲みなよ」
「あぁ、ありがとうございます」
アレクが俺の渡すものに疑問を持つ事はない。よっぽど喉が渇いていたのだろう。温めのそれを仰いですぐに飲み干した。
俺もアレクの向かいに腰かける。お茶を飲んでいる振りをして、口はつけない。ただコップを手に持っているだけだ。
「大変な二日間だったね」
「そうすね……」
中身のなくなった自分のコップを見下ろして、アレクは言葉を途切らせた。
アレクは小隊の他の奴らとも仲が良かったからな。殉職してしまった友人たちを思い出しているのかも知れなかった。
「俺にもっと力があったら……」
それは俺も一昨日から何度も考えたよ、アレク。
俺が今、六歳でなければ。
皆のように力があれば。
最初から神の力が使えていれば。
俺は、もっともっとたくさんの人を守れたはずなのに。
「俺、あの力をもっと使えるようになりたいです……ルーカス様……」
残念だがアレク、それは許可できない。
俺には少し高いスツールのような木の椅子を静かに降りて、机に突っ伏したアレクの横にそっと立った。
「お疲れさま、アレク」
これ以上、お前たちを巻き込めないよ。
父様だって俺を助けるのは無理だと分かった。
俺は森に行こう。
たったひとつの望みであるかのように俺はそれだけを考えていた。
以前、父様に言われた。森に行けばマーナガルム神が力を貸して下さる、と。父が俺に嘘をつく事はない。
神に会って俺は聞かなければならない。
俺がこの世界に来た理由と、なすべき事を。
これは別れじゃない。
だから俺は、さよならは言わないよ。
「いってきます」
最後に部屋の中をもう一度、振り返ると、俺はマントのフードを深くかぶって台所の勝手口からそろりと外に出た。
急がないと。
アレクに飲ませた眠り薬がいつまで効くか分からない。
彼らは勘が鋭いから、俺がいなくなった事にすぐに気づくだろう。
俺の乗馬の腕なんてたかが知れている。追っ手を誤魔化す術も知らない。見つかる前に森まで駆け通すしかない。
裏口を出たら馬が繋がれているところはすぐに分かった。
「しー、静かにしてね」
俺を認めてブルブルとはしゃぐ馬たちを宥めて、愛馬ルナの繋がれている縄をほどく。
馬たちは鞍も銜も外されている。俺にこんな背の高い馬に鞍をつける力もないし、そんな時間もない。このまま乗るしかないだろう。
ルナを柵の側に立たせると、柵をよじ登って、なんとかその背に跨る。大人しくしてくれて助かった。
「さぁ、ルナ、行こう」
俺の言葉が分かったかのように、ルナは速足で走り出し、村はすぐさま後方へと過ぎ去った。
目指すは今も神が住まうと伝説の残るノレツァヴァルト。帰らずの森。
行きは皆で通って来た森への道を、俺はたった一人で馬を走らせた。




