第26話 夜明け
それから闇が舞い戻ってくる事はなく、無事、朝を迎えたが被害は甚大だった。かろうじて死人は出なかったが、村人の中には腕や足が曲がったり、血を流し過ぎて絶対安静の人もいた。
この人たちは村の中でも働き盛りの若い男の人なのに。
春までにはちゃんと怪我が治るだろうか。やるせない思いで手当てを受けている皆を見回す。
俺たちの中で一番、怪我が酷いのはセインだった。
鎧はへしゃげ、脱がすのに苦労した。腕とか背中とか、あちこちが細い棘のようなもので貫かれたみたいで、えぐれた傷跡が痛々しい。
そして顔には額から頬まで大きな傷が走り、その左目はもう見えていないようだった。
「セ、セイン……顔が……」
「あぁ、この程度。命が助かった代償としては軽いものですね」
震える声の俺を安心させるためにか、セインは口の右端だけで微笑んだ。左を動かすと痛いからだろう。
片目とは言え、失明なんて。俺は返答もできなかった。そりゃ、誰も死ななかったのは奇跡的だが、なんでそんな平然としているんだ。
やれやれと大きく嘆息して、アレクがセインの手当てをしている。
自分もいくつか怪我をしているが、セインの方が重症だったからだ。
「お前はたまに俺より無茶をするな」
「フン。たまにはお前の尻拭いばかりしている私の身にもなってみろ」
「ひっでーな。そんなに迷惑かけてねーだろ。多分……ちょっとしか?」
軽口を叩きながらアレクが手早く顔に包帯を巻いていくが、じわじわと血が滲んですぐに赤く染まっている。相当、傷が深いようだ。
ごめんと謝るのはきっと違うのだろう。誰もが自分に出来る事をして、自分で選択した。そのギリギリの攻防が神を呼び寄せる奇跡に繋がったのだろうから。
でも俺はどうしても、素直にありがとうと伝える事ができなかった。俺も大抵、頑固だな。
もっと別の方法があったんじゃないか。俺を守るために皆が傷つかなくても良かったんじゃないかって、そんな事ばかり考えてしまう。
俺の見た目が六歳の子供だから庇護の対象になるって言うんなら、いっそ前世の事を打ち明けてしまえば……それも駄目だな。俺はもう、皆の前で神の力を使ってしまった。
この世界に魔法使いはいない。どうして使えたのかよく分からないが、神の力を行使してしまった俺はもはや信仰の対象に等しい。
一緒に戦っている間は暖かい視線を向けてくれていた村人たちだったが、今や俺を崇めんばかりに遠巻きに眺めてくるだけだ。話しかけてくれる人すらいない。
こうなってしまっては俺の精神が六歳だろうが、三十代だろうが関係ない。神の力を宿す神子など、これほど命を懸けるのにふさわしい存在はいないだろう。人も神も巻き込んで、俺の周りはきな臭くなるばっかりだ。
もうマーナガルムとか、イグニセムとか、国同士の範疇の話でも収まりそうになかった。早急に神殿に保護を求めた方がいいくらいだ。
今晩の出来事を村の人が証言すれば、俺は光の神子に認定されるだろう。セレスティン様を祀る黄金神殿の本殿が隣国サラクレートにある。父様と合流でき次第、シアーズには戻らず、そちらに行った方がいいんだろうか。
俺はあの不思議な、神との邂逅を思い出していた。
母様に近しい慈愛に満ちた眼差しで俺を見つめてくれたセレスティン様。
彼女が触れて溶けるように消えて行った、額にそっと触れてみる。
神の姿を見たのは俺だけだ。この三千年の間、どの神子も、どんな神殿だろうと神に会うどころかお告げのひとつも受けていないのだ。
なぜ俺なんだ。
俺に何があるんだ。
自答しておいて、答えはひとつしかない。俺は異世界……地球から転生してきた。俺の魂だけが、この世界で異質なんだ。
なんで俺は前世で死んだ時の事をはっきりと覚えていないんだ。覚えていたら、もう少し詳しい事が分かったかも知れないのに。
駅のホームで倒れて意識を失ってから、一歳半で記憶を取り戻すまでの間はプッツリと途切れてしまっている。
セレスティン様。俺は貴女に導かれてこの世界に来たのか?
俺の大好きな人たちが住まう、祝福された大地。
俺はこの世界が好きだ。
酷い事や、心が砕けそうな事もあったけれど、それでも転生してきたのを後悔していないのは今、一緒にいてくれる彼らのおかげだ。
俺はぐるりと三人を見回した。
セインが俺の視線に気づいて右目を細めて優しい眼差しを向けてくれる。左半分は包帯に覆われいて、長い間見ていられず、俺はすっと視線を逸らした。
アレクは自分の怪我も気にせず元気に動き回って、村人の怪我の手当てをしたり、家の中に運ぶのを手伝っている。あいつ自身も、かなり痛そうな怪我してるんだけど。ほんとに大丈夫なのかな。
ルッツは完治していないのに動いたせいで毒がまた身体に回ったのか、地面にへたり込んでしまっている。
「ルッツは他に怪我してない? 頭とか打たなかった?」
「ちゃんと受け身を取ったので頭は打ってないす」
あれで咄嗟に受け身を取れるとか、こいつらの身体能力、どうなってるんだ。でも大事がないみたいで本当に良かった。
重症の人から村の家々に収容して、休んで貰う。後で医師も呼ばないとな。今は応急手当てしか出来ていない。
ウチの城はオレイン先生に頼りきりだったから、父様も別の医者なんて連れて来てないだろう。近隣にいいお医者さんがいるといいんだけど。
アレクがルッツに肩を貸して、皆で村長の家へと向かう。
「ルッツとセインはとりあえず寝てろ。ひとまず俺が見張ってるから」
「すまないな」
「いや。俺、昨日けっこう寝たし」
セインは二人の後ろを平気な顔をして歩いているように見せかけていたが、少し足を引きずっているのを目撃してしまった。
「できれば今日の早い内に陛下やユーリたちと合流できればいいんだが」
このメンバーだけではもう一晩は持たない。それは俺たちの共通認識だった。誰もが満身創痍すぎる。
ユーリ、ちゃんと父様と会えたのか? どの辺りまで来てくれているんだ?
比較的、元気そうな村人に頼んで街道を見張って貰っている。そろそろ誰か状況を伝えに戻ってくるかも知れなかった。
村長の家にはすぐについたが、寝室にはベッドが二つしかないので、誰が最初に寝るかでちょっと揉めた。
「ルーカス様もほとんどお休みになっていないのに……」
とか言って、二人がやたらと遠慮してきたからだ。
「僕はまだ大丈夫だから、先に二人が寝なよ」
「しかし……」
「これは命令です。アレク」
アレクに指示して二人を無理やりベッドに押し込む。アレクはほとんど背負い投げみたいにセインをベッドに投げ飛ばした。
ぐぅ、とカエルが潰れたような声を上げて、セインはベッドの上で腹を折ってうずくまった。
いや、確かに俺が言いつけたけどさ。
アレク……怪我人にはもうちょっと優しくしようよ。傷が開いたらどうするんだ。
それを見て、ルッツは恐々と自分から靴を脱いで布団の中に入り込んだ。自分も投げ飛ばされたら堪らないと思ったようだ。
ま、二人とも大人しくなったからいいか。
さすがアレクだな。効果抜群だ。
悶絶して、声も上げられない様子のセインの身体に毛布をかけてやる。
「二人とも、少なくとも昼くらいまでちゃんと寝てるんだよ」
よくよく言い聞かせてからアレクと二人、部屋を後にする。




