第22話 長い一夜④
一時的に闇が消えた村は静寂に包まれた。先程まであれほど煩かったのが嘘のようだ。
月明かりがないので分かりづらいが、頭上の空では月を隠した雲がなんとかその場に留まろうとしているようだった。
所詮、自然現象なのでジワジワと動いてはいる。
だが、確かに神もそこで戦っていると信じられた。
俺たちの目に見えなくなったからと言って、どうして神がいなくなってしまったと思い込んでいたのか。
神々もまた、三千年と言う長き時を人知れず戦っていたのだろうか。
「アレク、様子を見張っていてくれ」
空の高み、月があるだろう場所を指で示す。
「りよーかいです」
奴はおちゃらけて額に手を当てて了承の意を伝えてきたが、槍の石突きを地面に立てて空を見上げる横顔は真剣そのものだった。
他の人たちにも指示を出す。
「この間に傷の手当てをするんだ。休める人は休んで。ちゃんと水分も摂ってる?」
セインと村長さんを伴って皆の様子を見て回る。幸い、致命傷を受けた人はいなかった。
戦いに興奮しているからか、神々の力を間近に感じた衝撃か、怪我をした人たちもあまり痛がっている様子はない。こう言うとおかしいが、どこか元気に手当てを受けている。
ぬるいお茶が配られて、ホッと一息つく。
「皆、お腹減ってない? もうちょっとお肉食べる?」
「いや、神子様……」
「ちょっとそれは……」
俺の気づかいは的外れだったようで、皆に遠慮がちながら呆れた視線を向けられた。動き回ったからお腹が減ったんじゃないかと思っただけだったのに。
普通の人は戦闘中に物を食べたり、眠ったりしないものか。アレクたちがおかしいんだな。俺も相当、毒されてしまっているのかも知れない。
時折、皆もチラチラと空を見上げているが、まだ雲は広く、月が覗く様子はなかった。
月に何があるんだろうな。
考えられるとしたら反射板としての役割か。もともと月は太陽の光を反射して光っているように見えるだけだ。それと同じように、敵も月を利用して力を送り込んでいるのかも知れない。
そうだとしたら、ただ雲が覆って地上に光が届かないだけで月がなくなったわけじゃないのに黒き魔物が消えた理由に説明がつく。
何もかも現時点では憶測に過ぎないけどな。
俺たちが束の間の休息を味わっていると村の方でガタンと扉が開く音がした。村の人たちは驚きにビクッと身体を震わしたが、俺にはそれが誰か分かるような気がした。
さっき村の家の中には誰もいないと言ったが、一人だけ村長の家で寝てるはずの奴がいる。
セインと顔を見合わせる。
俺は口を開かなかったが、言いたい事は分かってくれたようだ。まだ明々と近くの家が燃えているので危険は少ないと思ったのか、嘆息した後、渋々とだが松明を手についてきてくれる。
「ルッツ、寝てないと駄目じゃないか」
「ルーカス様……」
そこには案の定、家の壁に手をついてルッツが巨体を佇ませていた。近寄って軽く手を握る。
うん、昼間より熱は下がってるみたいかな。悪くなっていないようで良かった。それでもまだ本調子とはいかないようで、少し歩いただけで息が上がっている。
咎めるような俺たちの視線にルッツが首を横に振った。何かを伝えようと、たどたどしく口を開く。
「違うんです、その、動物が……」
口下手な彼のボソボソとした話を纏めると、一人だけ静かな村の中に寝ていたので夢うつつに家畜たちが騒ぐ音が聞こえていたらしい。
最初は魔物が現れて落ち着かないだけかとぼんやり思っていたが、戦闘音が途切れた後も物騒がしいままだったので様子を見に行こうと出て来たと言う事だった。
心優しいルッツらしいと言えばらしいが、この暗闇の中、一人でなんて無茶だよ。
「嫌な予感がしますね」
またそれか、セイン。昨日から三度目だぞ。いい加減、口には気をつけろ。
「様子を見に行ってきます。ルートヴィヒ、お前はルーカス様を連れて戻れ」
「なんでだよ、僕も行くに決まってんだろ」
「それなら俺も……」
セインは指示に従わない俺たちに氷のような視線を向けた。兜の切れ目から見えている目が真顔でスッと細められて怖い。
ここでビビっていつも引き下がるから、こいつらが言う事を聞かなくなるんだ。
俺は怪我してない方の右手だけグッと拳を握りしめた。
「セイン、グズグズしている暇はない! これは僕の戦いなんだ。状況も分からず一人、後方で手をこまねくつもりはないぞ! 僕をこれ以上、傍観者にさせるな!」
そうだ。俺はもう二度と、セインに一人で屋敷を見に行かせた時のような悲しい真似をさせるわけにはいかない。
危険に立ち向かうのに一人で行かせたりするもんか。
喜びや楽しみを分かち合ってくれるつもりなら、悲しみや苦しみも一緒に背負わせて欲しい。
それが仲間ってもんじゃないのか。
一歩も退こうとしない俺はわがままな子供に見えただろうか。その内にセインはふっと身体から力を抜いた。
「本当に貴方は……陛下そっくりだ」
仕方ないですねと言うようにセインの口の端が心なしか上向く。
それって多分、いい方の意味じゃないよね。
とは言え、ここはセインの気が変わらない内に強行するしかない。俺はルッツを振り返った。
「ルッツ、ほんとに大丈夫?」
「もうほとんど熱も下がりました」
寄りかかっていた家の壁から手を放してルッツは力強い頷きを見せた。昼間、俺が熱が下がったら参戦していいと言った言葉を頑なに信じているようだ。
防具もつけていないので不安はあるが、どうせ村にルッツに合うサイズなんてない。むしろルッツは身軽な方が真価を発揮する。
よし。この三人で行こう。村人はしばらくアレクに任せて問題ないだろう。
セインが先頭、真ん中に俺、後方にルッツと言う配置で、ここから一番近い家畜小屋らしき建物へ向かう。
この辺りはもう焚火や燃える家の明かりの範囲外だ。グルルルと唸り声が聞こえる小屋は、暗がりに同化するように黒っぽく沈んで見えた。
三人で顔を見合わせる。俺が頷きを返すと、セインが小屋の扉に手をかけた。
ギィと錆びついた音を立てて扉が開く。セインが松明を掲げて小屋の中を照らすと、突然の明かりに驚いて手前にいた数頭の豚が右往左往した。
もともと村の喧騒に落ち着かない様子の動物たちだったが、この豚とかは問題ないな。ただ単に怯えているだけだ。
おかしいのは奥に繋がれている農耕用らしき黒い牛の一頭だった。口から泡を吐いて唸りながら、何かを嫌がるように何度も首を振り回している。
それを病気かも知れないと考えるほど、今となってはもう、俺はのん気になれなかった。
松明の明かりだけだし牛は黒目がちなので分かりづらいが、よく見れば炎の揺れとは違って、フッフッと目の色が濃くなったり薄くなったりしている。
これは……黒き魔物に乗っ取られかけているのか?
家の屋根を燃やしただけでやけに静かになったと思ったら、魔物は既に次の手を打ち始めていたのか。
そんな時に月からの力が届かなくなったので牛の身体を乗っ取るのが間に合わなかったのだろう。
暴れまわっている牛は黒牛と言っても濃いこげ茶のような色で、今朝の巨大ムカデのような禍々しい黒い色とは違った。角の色もそのままだ。大きさも周りの牛とさほど変わらない。
まさに月が隠れたのは間一髪だったようだ。
牛の中に残った魔物の一部は、本体が消えた事にも気づかず、牛の頭を乗っ取ろうとしているのだろうか。状況判断は出来ず、与えられた命令を単純にこなすほどの知能しかないのだろう。
反面、牛はあらん限りの力で魔物に抵抗していた。棒にくくりつけられた縄を千切らんばかりに頭を振り、いなないている。
恐らく昨日、黒き魔物が近くにいた馬ではなく、ムカデに狙いを定めた理由はこれだ。生きている動物、しかも哺乳類のような構造が複雑で知能を持った生物は乗っ取るのに時間がかかるのだろう。
ましてや本体が消えた今、魔物は完全には牛の脳を掌握出来ていない。
だが、また月明かりが地上に届いたら?
暴走する家畜の群れを脳裏に思い描いて、俺はゾッと顔を青くした。
腰の剣に手を伸ばしかけたセインを制す。
「駄目だ……多分、ここだけじゃない。一頭ずつ殺して行ったらキリがない。一旦、戻って皆に相談しよう」
家畜は農村の生活の糧だ。家を燃やされ、家畜まで皆殺しにされたらこの村の人は本当に冬を越せなくなるぞ。
お金で補填すればいいってもんじゃない。
それに父様がそこまでお金を持って来てるかも不安だな。なんのかんの言って、ウチは貧乏国なんだ。村を丸々一個補填するのは財政的に厳しいだろう。
俺の顔と牛の様子を交互に眺めて、セインは最終的には首を縦に振った。
この調子だったら、ここの牛はまだ大丈夫と思ったのだろう。
家畜を刺激しないようにそーっと扉を閉めて、足早に小屋から去る。
だが、俺たちの行動は一歩遅かった。




