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第21話 長い一夜③


 黒き魔物は明かりの中では形を保てない。二日連続で証明されたので、それは確かだ。敵が手抜きをする必要性もないしな。

 無理をすれば光の中でも動けるようだが、やはり明かりの源に近づけば近づくほど弱くなって霧散する。

 俺たちは焚き火の側にいれば安全だ。

 この実体のない黒い闇に関しては。


 だが、こいつらは生き物に乗り移る事ができる。

 なぜ昨日、明け方まで待ったのか。たくさん生き物がいるはずの森でなぜムカデだったのか。

 たった一度の逢瀬ではパターンが読めないが、今夜もいずれは実体を伴って現れるに違いない。

 その前にこの闇自体を直接、叩く事ができればいいんだけど。


 剣で切っても、槍で突いても、その瞬間だけ立ち消えるが、なにせ実体がないので暖簾に腕押しだ。

 こちらの攻撃は効いていないのに、向こうは俺たちに触れられるとか反則もいいところだ。

 しかし、それも俺たちが暗がりに近づき過ぎた時だけの話だ。

 俺たちと闇は互いに膠着状態で、焚き火の放つおぼろげな光の端を挟んで向かい合っていた。

 このまま朝を迎えさせてくれたら有難いが、そうはいかないんだろうな。


「火矢を射かけてみよう」


 俺の言葉に周囲の大人たちが頷きを返す。

 こちらから刺激するのは危険かも知れないが、無駄だとしても出来る事は試しておきたい。

 なにせデータが少なすぎる。

 どんな反応でも相手から引き出しておきたかった。


 昨日は森の中なので無理だったが、今日は村に延焼しないよう場所も考えて位置取りしている。

 迎え撃つ準備をする時間があったのは、こちらに有利な材料のひとつだ。

 俺の指示を受けてセインとアレクが弓を手に取った。他にも数人、腕に自信のある村人も二人に倣う。

 焚き火から炎を矢の先に移す。


「撃て!」


 号令にあわせて一斉に数本の火矢が黒き魔物を目掛けて飛ぶ。後ろに火の粉を躍らせながら矢はオレンジ色の軌跡を描いて、そのまま地面に落ちた。

 ひとしきり地面に数本の明かりが見えていたが、風が強いのでその内に立ち消えてしまう。

 想定はしていたが、あまり火矢は効果がないな。


 明かりが通るその時だけ闇は退くが、それだけだ。ダメージを受けている様子はない。

 この調子では松明も期待できそうにないな。焚火のような、かなり大きな明かりじゃないと闇を退けるのは難しそうだ。

 それが分かっただけでも良しとするか。


「やはり火矢は効果が薄いな。矢ももったいないし、これ以上はやめとくか」

「そうですね……」


 俺たちが話している時だった。

 この広場以外には誰もいないはずの村の中から、バキッ、ボキッと何かが壊されるような音が聞こえてきた。


「な、なんだ……?」


 嫌な予感しかせず、俺たちは青白い顔を見合わせた。様子を見に行きたいが、明かりの外に出るのは危険過ぎる。

 いや、待て。黒き魔物は家よりも大きく、何階建てもあるビルのように見えていたが、本当にそうなのだろうか?

 何かを足場にしているとしたら。

 奴らは今、何の上に乗っている?


「まずい、散開しろ!」


 俺の短い言葉に反応できた人は少なかった。なにしろ、焚火の近くにいたら安全と思い込んでいたのだ。

 誰も暗がりの方には動きたくない。


 出現した時のように、闇がまた俺たちの上に広がる。だがそれは以前のように見掛け倒しではなかった。

 バラバラと俺たちの上に何かが降って来る。


 それは、引き剥がされた家の屋根や建材の一部だった。

 無理やりに壊されているので先が尖り、それだけでも脅威だが、木材が落ちる部分には影ができる!

 火矢を射かけられたお返しとでも言わんばかりに、破片に混ざって、細く矢のように鋭利な闇が降り注ぐ。


「ハァーッ!」


 アレクが大車輪のように槍を回して、俺の上に降る破片を闇ごと弾き飛ばした。

 セインも落下物が少ないところに難なく位置して、細かい木切れは腕の盾で防いでいる。

 だが、他の人は?


「ぐっ……う!」

「うわぁぁぁ!」


 焚火の近くに集まり過ぎていたせいで避け切れず、木材が当たった人や、闇に貫かれた人もいた。


「皆、大丈夫か!?」

「神子様……!」

「も、問題ありませんっ!」


 皆、額や腕から血を流しながらも、力強い答えを返してくれた。幸い、木材に紛れていたとは言え、明かりの近くではそれほどの威力はなかったようだ。

 それでも矢のようなもので射貫かれて痛くないはずはないのに。


 俺は下唇を噛みしめた。

 この人たちは俺が巻き込むと決めた。全員が無傷で夜を越えられると思ったわけじゃない。

 それよりも早く対処しないと第二弾、第三弾がやってくる。


 黒き魔物が俺たちを脅かして終わりなわけがない。

 奴が狙っているのは中央の焚火だ。

 これが崩されれば、俺たちには成す術がない。


 ここが日本なら。光を放つものなど、いくらでも用意できるのに!

 夜の暗がりを不夜城に変えていた街が懐かしい。

 部屋の中を昼間のような明かりで満たしていた電気の力が、いかに有難かったか身に染みる。

 俺は自覚なしにどれだけ幸せな前世を生きてきたんだ。

 ここでは夜を越えるだけがこれほどに難しい。


 だが、ないものねだりをしたって仕方がない。他に見つけるんだ。今、焚火の代わりになるものを。

 広場の櫓が切り崩されても、俺たちを守ってくれる光を。


 辺りに散らばっている、元は屋根だった木材と、それにくっついている藁くずを見るとはなしに見下ろす。

 ちょっと待て。この村の屋根は藁葺なのか?

 そんなところまでマジマジと観察していなかったが、確かそうだ。昼間、家々を見下ろした時に、田舎の村っぽいなと思った記憶がある。

 それならばきっと容易く燃える。


 ゴクリと唾を飲む。

 俺はここの人たちにとって残酷な事を考えているのかも知れない。


 急に、わずか二日前の朝の光景が、まるでたった今の出来事のように目の前に浮かび上がった。

 記憶力がいいのも考えものだ。燃え落ちる屋敷の細かなところまで覚えているなんて。


 右目ごと額を押さえてよろける俺を、慌ててアレクが支える。


「ルーカス様! どこかお怪我を!?」

「いや、大丈夫だ……何も当たっていない」


 バキバキと今や闇は俺たちに隠す事なく、どこかの家を解体している。次に降ってくるのはこんな破片じゃないぞ。

 このままじゃ、俺が燃やそうが、黒い魔物が壊そうが一緒だ。

 炎がいる!

 闇を照らす明かりが!


「火矢を用意しろ!!」


 俺は大声で指示したが、皆、すぐには動きださなかった。あまり効果のなかった火矢にもたもや頼るのかと疑問の視線を向けてくる。


「あの家を燃やせ! 早く!」


 俺は躊躇わず、ここから一番近い家をまっすぐに指差した。ユーリがいないのは痛いが、このくらいの距離なら普段、山で狩りをする事もある農民なら届くだろ。

 精密射撃を求めているわけじゃない。屋根に当たりさえすればいいんだ。

 俺の意図を汲み取った途端、誰もが一斉に動き始めた。俺に反対してくる人は一人もいなかった。


「村長、すみません」

「何を仰います。我らの誓いを聞いていらっしゃらなかったのですかな? 家などまた建てればいいのです。貴方がもたらす新しき時代に」


 俺たちの前で火矢が空を飛ぶ。幾筋も闇を切り裂いて。

 彼ら自身が建てたのか。先祖伝来のものなのか。慣れ親しんでいただろう家の屋根に小さな炎が上がる。

 それは吹きつけてくる風に煽られ、徐々に強さを増していった。

 その間も、炎が十分に大きくなるまで幾度も火矢を射かける。


『グオォォォォォ!』


 新たに立ち上る炎に闇は怒るような声を上げた。バキボキとあれほど煩く聞こえていた音が止む。

 明かりが近くなったので作業がしづらくなったのだろう。


 家の屋根を焼くなど禁じ手に思えたが、考えた以上の効果を発揮してくれてホッとする。

 問題はいつまで炎が持つかだな。薪をくべればいい焚火と違って、藁は早く燃え尽きてしまう。朝まで次々と家を焼いていたら、この人たちの住む場所がなくなるぞ。それは避けたい。


 俺は空に浮かぶ青白い月を忌々しく見上げた。

 雲に隠れそうで隠れず、月はほの明るい光を地上に投げかけている。あの月光が黒き魔物を連れて来るのか。確証はないが、いっそ雲が隠れてくれたらと思う。

 いつ雨が降ってくるかも心配だな。朝まで持ってくれればいいんだが。


 闇は一旦、家を壊すのをやめて遠巻きに俺たちの様子を伺っている。

 屋根の炎が消えるのを待っているのか。

 それとも何か別の手を企んでいるのか。

 誰もがかたずを飲んで闇の方を睨みつけていた。のん気に空なんか眺めていたのは俺だけだったろう。


 その時。

 ひときわ強い風が空の高いところで分厚い雲を月の方へと押しやった。

 青白い月が雲の向こうに隠れると同時に、あれほど威圧感を放っていた黒き魔物の気配がスッと消える。

 そしてその瞬間に、夕刻からずっと強く吹き荒れていた風もピタリと止まった。

 俺は唖然と、今まで月が出ていた場所を見上げた。


 急に姿を消した魔物を怪しんで、皆が俺の方を物言いたげに見つめてくる。

 夕方から薄々、そうではないかと思っていた疑問が頭の中で確信に変わる。

 こうなっては疑いようがない。

 俺たちの元には今、神が来ている。


 来ていると言うのは少し違うな。この世界に姿を現す事が出来なくなった神々は、なんとか俺たちにわずかな力を送ってきてくれているのだ。

 それは俺が考えていた魔法のような力じゃなかった。だけどその時、俺は初めて、神々が俺たちを見捨てていないと感じる事ができた。


「皆、見ろ! エントール様とグレイース様が来て下さっている!」


 俺が指さす空を皆、畏怖の念を込めて見上げた。

 楽神エントールは音楽や芸術を総べる神でもあるが、その本質は風の神だ。ここ、山岳連合で広く信仰されている。

 そして農民に親しみ深い、水の神、龍神グレイース。

 まさにこの村の二大神とも言うべき神々が俺たちに力を貸してくれているのは、ただの偶然なのだろうか。


 いや、きっと村の人たちが俺と一緒に戦うと決意してくれたからだ。

 人々の強い希望が、願いが届き、神々も俺たちを助けてくれる気になったのだろう。

 一人、また一人とその場にいる村人は全員が地面に膝をついた。


「神よ……」


 震える声が辺りを満たす。

 しかしこれで敵が引き下がるとは思えない。やはり姿を消した神の力は弱く、風や雨雲を送ってくるだけで精一杯だ。

 夜は長く、夜明けはまだ遥かに遠かった。



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