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第19話 長い一夜①

後書きに原初の七神のイメージイラストを挿入しています。

 

 夕刻。俺は浮かない顔で夕焼け空を眺めていた。

 時刻的には月はすでに山の端に姿を現しているはずだが、まだ空が明るいので俺たちの目には映っていない。

 昼間から強く吹いていた風は湿った雲を伴っていた。

 これは明日には雨になりそうだ。


 薄い雲が空に広がり始めているのは凶兆なのか、吉兆なのか。

 雨を司る龍神グレイースはもっとも古き神の一柱だ。これが俺たちへの天祐なのかどうかは祈るしかない。

 この大陸には地方も合わせると数えきれないほどの神がいるが、おおまかに分けると七柱の大神が信仰されている。


 商人たちに信者が多い、愛の女神セレスティン。

 北の賢者会に所属する医師たちが奉る、学問の神ウレイキス。

 放浪の民に崇められる時の神リシュケー。

 山岳連合から南、主に船乗りに信奉される、楽神エントール。

 広く大陸全土の農民に信仰されている水神グレイース。

 狩人など山の民の守り神、草木神アーレイディア。

 そして、大国イグニセムを中心に幅広い支持を集める戦女神、炎のシャルーカ。


 この七神が、いわゆるこの世界を作ったと言われる原初の神々だ。

 俺たちの国の主神であるマーナガルム神は元が神獣なので、神々の中では下っ端も下っ端ーだ。他の国では信仰の対象にすらなっていない。


 俺の夢に出て来た少年が黒き魔物を使役する者であるのは疑いようがない。その彼が古き神々と言っていたのだから、俺を転生させたのはこの七神の内の誰かか、もしくは全員だ。

 空を覆う雨雲はただの自然現象なのか。神からの援護射撃なのか。


 いい加減、俺にやらせたい事があるならお告げでもなんでもいいから知らせろよと思うが、神には神の都合があるんだろう。

 地上で生きる者としては奇跡など待たずに自分の力で戦うしかない。


「ルーカス様」


 セインに呼びかけられて、俺は頷きを返した。そろそろ山の稜線に太陽が消える。この世界で光を司るのは愛の女神セレスティンだ。彼女の力が及ばない夜がやってくる。

 広場の中心に大きく組んだ櫓に村人が火を入れる。強風に煽られて最初はなかなかつきづらかった火は、その内に櫓の薪に燃え移ると大きな炎を揺らめかせた。

 太い木の幹を井形に組んだ櫓は、炎が立ち上がりさえすればちょっとやそっとの風や雨で消えたりはしない。


「おおー!」


 薄暗くなりつつある屋外に炎が躍ると、村の男たちはどよめきを上げてパチパチと手を打ち鳴らした。その手に持った木のコップには、今年できたばかりの葡萄酒が入っている。

 秋に仕込んだばかりだから、アルコール度数も低い。いわゆるヌーヴォーってやつだな。

 俺はそれを一樽、買い上げて村人たちに振舞っていた。

 ……父様が来てからの後払いだけど。


 その他にも周囲には肉の焼けるいい匂いが充満していた。鶏を数羽締めて、冬支度として備えていたハムやベーコン、ソーセージなんかも提供して貰ったからだ。さながら広場はBBQパーティの様相を呈している。

 タダで食べ放題と言う大盤振る舞いに、数日分の食い溜めとばかりにガツガツと食べまくる人もいたくらいだ。

 何もかも後払いなのが心苦しいが、ここは信用して貰うしかない。


「ルーカス様、あれ、いいんすか?」


 アレクが肩越しに親指で、やんややんやと騒いでいる村人たちを指差す。

 いいも悪いも、少しでも英気を養って貰うために俺が指示したんだ。腹が減っては戦もできぬ、って言うからな。酩酊しない程度に飲酒も許可しておいた。


「だからー、言ったでしょ、お祭りだって。アレクとセインも、もうちょっと食べてきたら? お肉好きでしょ?」


 内心の不安は押し隠して、わざと普段通りに聞こえるように陽気な声を出す。用意された椅子は大人用だったので俺にはちょっと大きく、足をぶらぶらさせて櫓の炎を見つめる。

 パチッと火花を散らしながら徐々に大きくなる炎は、夕暮れよりも明るく俺たちの顔を照らしていた。


「いえ、あまり腹に入れすぎると眠くなりかねませんし」

「ルーカス様こそ、何も手をつけられていないんじゃないすか? 飲み物だけでも貰ってきましょうか」


 二人は俺の左右に油断なく立って、気遣うように見下ろしてきた。


 村の人たちは戦える男性だけ残して、老人や女性、子供は近隣の村に避難して貰った。

 彼らは古臭い鎧を着込んで、槍を手に、数人ごとに固まって俺たちの近くに散会していた。

 昼間、アレクが簡単に戦い方を彼らに仕込んでいた。絶対に一人にならず、数人で固まって槍を差し出す、それだけだが。色々教えるより、単純に一つの事だけに特化した方が、素人でもまだしも戦えるらしい。


 アレクはどこで見つけたのか、鍔の前部分が欠けた鉄製の兜を被っていた。頬当ては革製だし、鍔は割れているし、あまり役に立たないんじゃないかと思ったが、セインや村人が被っている頭全体を覆う形の兜は絶対に嫌だと言い張ったのだ。

 アレク以外の人が今、頭に被っているのは、かなり前時代的で目元と口の付近だけ開いていて鼻当てがある、なんか古代ローマの剣闘士みたいな兜だった。


 そんな代物を被っていてもセインは雄々しい騎士に見えたので、アレクにはお気の毒だが、これは身に着けるものより素材の問題なんじゃないかと思う。

 まぁ、本人が嫌って言うんならいいんだけどさ。

 もちろん全員、ちゃんと鎖帷子を着込んで、ちぐはぐながら鎧も身につけている。


 セインとアレクは全身を覆うタイプではなく、機動力を重視してサポーターのように要所要所だけにつける防具を選んでいた。

 手甲と、肩当てと胸当て、鉄靴に脛当てと言う格好だ。セインは主に剣で戦うつもりなのか右腕に小ぶりのラウンドシールドもつけている。


 昨日に比べたらルッツがいない分、戦力ダウンかも知れないが、その分は若干不安ながら村人で補うしかない。

 装備も充実しているし、何よりどんなものが襲ってくるか知っていると言うのは気構えが違う。


 実はルッツには、夕方前に薬と騙して例の睡眠薬を飲ませた。所詮、薬草なので一晩中持つかは怪しいが、しばらくは寝てるしかないだろ。

 考えつく限りは全部用意した。

 たった半日しかなかったのに、良くやった方だと思うべきだ。


 なのになんでいまさら、俺の身体は震えそうになっているんだよ。ゴクリと息を飲んで、両手を顔の前で組む。

 前世も今世も通して、俺は敵意と言うものを向けられた事がない。

 盗賊退治は安全な場所から眺めているだけだった。ポロの試合なんて、あんな子供の敵愾心、今なら可愛いものだったと分かる。


 怖い。誰かが俺を狙っていると言う事実が怖い。この中の誰かを失うかも知れない。他人の命を預かっている重荷が怖い。

 あぁ、もうすぐ完全に太陽の端が山の向こうに消える。

 夜なんか来なければいいのに。


「バカ言え……アルコールなんて口にしたらそれこそ眠くなっちゃうだろ」


 アレクに答える声が震えてなきゃいいのにと思う。これは俺が選んだ道。少ない選択肢の中ではあったけれど、自分で選んだ道なんだ。

 上に立つ者が弱音なんか吐いたら誰もついて来ない。


 そう思ったのに、アレクとセインは一歩、俺の座っている椅子の方へと近寄って来た。

 二人は無言で左右から俺の肩に手を置いた。カシャンと古臭い鎧が耳の横で音を立てる。俺は顔を上げて二人を見上げた。


 兜越しにいつも通りの頼もしい視線が俺を見下ろす。

 そうか。俺は一人じゃない。こんなにも頼りになる仲間が側にいるんだ。自分の事は信じられなくても、アレクとセインは心から信頼できる。

 二人を見上げている内にいつしか俺の震えは止まっていた。もう大丈夫だとばかりに二人に大きく頷いて、椅子から立ち上がる。


「皆、そろそろ注意してくれ。日が落ちる」


 俺が山の端を指差すと、広場はシンと静まり返った。

 ついさっきまで飲めや歌えの大騒ぎだったのに、村の人たちは半信半疑ながらも不安そうに空を見上げた。


 吹きつける強い風にも負けず、櫓の炎が夜の闇を照らす。

 来るなら、来い。

 俺たちは何度だって負けない。


挿絵(By みてみん)

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