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第17話 村長との交渉

 

 村長は台所で奥さんと一緒に椅子に座っていた。彼は、不意に別室へ自分を訪ねて来た俺を見てまごついた。

 何か不足でもあったのかと気を揉むように椅子から立ち上がる。


「いえ、急に来てすみません。そのままで話を聞いていただければ」


 俺に制されて、村長は中腰の恰好で固まった。それもそうか。貴族を前に着席したままの平民なんてあり得ない。

 と言うかこの人は知らないが、俺は小国とは言え王子なのだ。自分でも忘れがちだけど。

 正体ばらしたら卒倒しないかな。大丈夫かな、このおじいさん。


 俺たちは未だにフードを目深に被り、村人に顔を見せていなかった。

 それでもお忍びだと伝えたので、彼らは俺たちをあまり不審に思っていないようだった。どこの誰なのかすら追求もされていない。

 辺境の村の純朴な人々。

 俺に促されて仕方なく椅子に座り直し、村長と奥さんは困ったように顔を見合わせた。


「実は貴方がたにお伝えしないといけない事があるのです」


 自分が稀代のペテン師になったような気分がする。

 今からこの人たちを説得して、自分と一緒に危険に身を投じてくれと頼むのか。この村にはなんの関係もない話なのに。

 せいぜい俺にできるのは、自分に正直である事だけだ。


「僕の家臣が狩りで怪我をしたと言うのは嘘です。申し訳ありません。僕は神子で、神と敵対するものに追われているのです」


 するりと頭からフードを取る。セインは驚いてやめさせようとしたが、もう遅い。

 だが、老夫婦は俺の赤毛を見ても反応が薄かった。

 今、子供で、赤毛の神子なんて俺しかいないはずなんだけどな。

 赤毛ってだけじゃ分かりづらかったのか。


「僕の名前はルーカス・アエリウスです」


 駄目押しで名前も伝えてみるが、やはりきょとんとしている。レキストは山岳連合に参加している国とは言え、ここまで辺鄙な場所だと俺の名前までは伝わっていないのだろうか。

 他にこの人たちが知ってそうな話と言えば、あれしかない。


「あの、赤き狼と金糸の姫の息子って言ったら分かります?」


 なんか親の二つ名なんて恥ずかしいから口にしたくなかったのだが、これでやっと彼らにも合点がいったようだった。


「おぉ、それでは貴方様が暁の王子でいらっしゃるのですか」


 え、なにその、厨二的な二つ名。

 狼国の神童でもよっぽどだと思ってたのに、いつの間にそんな呼び名がついてたの、俺。

 村長夫婦はガタンと椅子を立ち上がって俺の前に両膝をつくと、まるで神に祈るように手を組んで拝み始めた。

 神子の威力って凄い……って言うか怖い。


 城では胡散臭そうな目で見られていただけだし、今まで出会った神子が全員、気さくな感じだったので知らなかったが、一般人にとってやっぱり神子って信仰の対象なんだな。

 神子など訪れる事のない、下手したら一生見る事もない辺境の地だからだろうか。

 彼らは俺の後ろに今はなき神の姿を見ているのだった。


「あの、すみません、暁の王子って一体……?」

「このような小さき村にも、その御威光は伝わってきております。未だ神の戻られぬ、薄暗き黎明のようなこの世界に光をもたらすお方だと」


 村長の返答に俺は黙り込んだ。かなり質問の意図からずれた答えだったので、どう受け止めたらいいのか分からなかったからだ。

 俺はひたすらに困惑していたが、後ろの二人の様子は違う。そうだろうそうだろう!とばかりにドヤ顔で胸を張っている。

 いやお前ら。俺、こんな風に賞賛されるような事、ひとつもやってないからね?


 そうだ。なぜこんな噂が流れているんだ?

 訳が分からず、俺は顔を曇らせた。

 神子と言っても俺はまだ、どの神殿にも認定されていない仮免状態だ。シアーズに来てからも浮かれて遊んでばっかりで、情けないところしか見せていないと思うんだが。

 こんな風に噂される理由が分からない。

 戸惑う俺に気づかず、村長さんは話を続けている。


「貴方のお国では誰も飢えず、死ぬ者も少ないと聞き及んでおります。雪深き彼の国を、春のごとき暖かさで満した、と」


 そこ……そこからなのか……。

 思わず目眩がして、俺はよろけそうになった足を踏ん張った。

 それはもう、ほとんど最初からだ。

 俺は初めの一歩から間違えた。


 母様、ローズ。

 苦しくなってきた胸を押さえる。

 俯いた視界が暗くなる。


 やはりどんな些細なものでも前世の知識なんて、持ち込んではいけなかったのだ。

 そもそも記憶が蘇った時に喋らなければ良かった。

 何もかも隠して、素知らぬ顔で……いや、そんな事、俺に出来るはずがなかった。きっと何度やり直しても俺は母様の病気を治そうとするだろう。

 城や国の現状を見て見ぬ振りなんてできるわけがない。


 そうして無駄に知識を広めて、敵に目をつけられたのか。

 立ちくらみそうになる身体を、なんとか律して踏み留まる。


「ルーカス様っ!」

「だ、大丈夫だ……」


 俺を支えようと手を差し伸べてくるセインとアレクを制して、強いて顔を上げる。

 悪いのは敵だ! 自分を叱責するよう強く言い聞かせる。俺は知識を独り占めする気なんてなかった。聞きに来てくれれば良かったんだ。誰だろうと教えたのに。

 王位なんて興味もない。何度だって、そう言ったのに!


 そんな事、奴らには関係ない話なんだろう。大体の人間は自分の利益と都合しか考えない。

 俺が望んだのは、父様と母様と三人で笑って過ごしていける明日だけだった。

 その夢が絶たれた今は、ただ家に帰りたい。

 父様やアルトゥールや城のみんなに会いたい! 俺の今の望みはたったそれだけだ!


 俺は希望が零れ落ちてしまわないように、胸元を服ごと握りしめた。

 あと一日さえ凌げれば父様やユーリと会える。

 それだけを強く信じるしかない。


 目の前の老夫婦は床から不安そうに俺の様子を見つめていた。俺は真剣な眼差しを彼らに向けた。


「お願いします。僕に力を貸してください! 奴らは夜になれば、この村ごと襲って来ます。そうなってからでは遅いのです!」

「し、しかし、一体、何に追われていらっしゃるのです?」


 俺の様子を見守っていた村長は、怖々と問いかけてきた。

 何も隠さない。俺はこの人たちに助力を求めようと決意した時にそう決めた。

 頭がおかしい奴だと思われて信じて貰えなくても仕方ない。それより話を誤魔化して脅威を過小評価される方が危険だ。

 誰かの命を左右する場面で、嘘なんかつけない。


「黒き魔物です」


 ズバリと伝えられても、その言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったようで村長たちは茫然と黙り込んだ。


「信じられないかも知れませんが、暗黒時代の魔物が蘇ったのです。きっと夜になれば僕を追って、この村に来ます。けれど、こちらは三人で対抗する術がない……」


 俺は苦しい手の内を隠さず伝えた。

 三千年前に滅んだ魔物が蘇ったと言われても、すぐには意味が分からなかったのだろう。村長が俺を見てくる視線は懐疑的だった。


 あの時は反対したけれど、アレクの言う通り巨大ムカデの一部でも持って来ていたら信用して貰いやすかったかもな。

 俺だって自分の目で見たのでなければ、信じられない。

 前世でこんな事を言い始めたら気が触れたと思われるだけだったろう。


「どうか力を貸してください!」


 けれどここは細々とだが、まだ神の威光が根ざす世界。ましてや神子である俺の言葉を、純朴そうなこの村の人たちが疑う理由もない。

 じっと村長の答えを待って、俺はその顔を真剣に見つめ続けた。しばらく沈黙が流れた後、彼は逡巡しながらも俺の前に深々と首を垂れた。


「伝承の始まりの地として、この鄙びたミロークの村をお選びいただき光栄に存じます」

「では……」

「急ぎ、近隣の村にも知らせを出し、腕の立つ者を集めましょう」


 村長さんは俺に強い頷きを返し、決意に満ちた表情を見せてくれた。

 初対面に近い俺の言葉をそのまま信じたわけではないではないと思う。多分、"暁の王子"の噂が彼の決断を後押ししたんだろう。


 そうか。直接、この人たちに何かを与えたわけではないけれど、俺がやってきた事は敵を作りながらも、こうして味方も生んでくれたんだ。

 自分の進んで来た道を後悔するのはやめよう。

 俺が俯く事なんて、きっと誰も望んでいない。


 俺は二日ぶりの晴れやかな笑顔を見せて、村長さんの手を取ると床から立ち上がらせた。


「ありがとうございます。貴方がたにエントール神の御加護があらん事を」

「殿下の方にこそ、多くの加護が必要な状況のようですな」


 お、このおじいさん、意外と話の分かる人みたいだぞ。冗談めかして伝えてくる彼と肩を並べ、セインとアレクの二人を従えて家を出る。

 急に強くなってきた風が俺たちのマントを翻す。


 今や俺は赤々と目立つ髪の色を隠さず、村人たちの前に立った。

 好奇心を隠そうともせず、村の人々は遠巻きに俺たちの姿をジロジロと眺めていた。



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