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第15話 神話

 

 村では村長らしき初老の男性が丁寧に俺たちを出迎えてくれた。

 アレクは俺たちの事を、お忍びで狩りに出かけたいいとこの坊々と、その護衛と言う設定で話したようだ。

 一人が足を滑らせて怪我をしてしまい、そのせいで熱が出て困っていると言う感じだ。


「仲間の一人が父君に知らせに行っておりますので、一晩か、長くとも二晩ほど軒先をお借りできれば」


 セインの説明に、村長はうんうんと納得したように頷いている。

 なにしろ俺たちの服は少し破れてはいるが見るからに身なりがいいし、立派な馬を連れているので身分が高いと言うのは疑いようがなかったのだろう。


 そんな高貴な人の要請を断って罰せられるより、少し不審に思っても受け流す方がいいと思ったのだろうか。俺たちが、父が来たらきちんとお金を払うと伝えたのも好印象だったようだ。

 子連れの盗賊ってのも考えづらいしな。


 辺境付近の村はこぢんまりとしていて宿などなかったので、村長が自分の家の一室を貸してくれた。ここはもしかして村長自身の寝室なのかも知れない。少し悪いな。


 馬から降りたルッツの巨体に、村の人たちは目を丸くしていた。

 馬も村長の家の裏で預かってくれる事になったのだが、ルッツは大柄なので、その愛馬もかなりでかい。おっかなびっくり手綱を引っ張っていた。


 予期せぬ客が村に来る事は珍しいのだろう。村長にいくら追い払われても、村の人々は家の影に隠れるように俺たちを見ていた。特に子供たちは好奇心旺盛だ。


「すみません。何分、教養のない小さな村でして」


 村長さんはやたら恐縮していたが、俺は慌てて手を振った。


「とんでもない。僕たちの方が急に押しかけたわけですから」


 まだ小さな子供に見える俺の礼儀正しさや物言いに、村長は驚いたように目を見張った。

 セインが咎めるような視線を俺に向けてくる。村の人とは私たちが喋ります、と言わんばかりだ。自分で気さくに話しかけない方がいいのかなー?


 実は俺は身分と言うものをきちんと理解できていなかった。

 知識としては分かる。

 王様が一番偉くて、その下が貴族で、更にその下に平民がいるわけだろ。通常は王族や貴族が平民に直接話かける事などほぼない。

 それに俺みたいに、護衛である騎士や侍女などの召使いと仲良くする人もあまりいないみたいだ。


 だが、ウチは王様であるはずの父様からしてあんな感じだからな。身分の壁なんて実感した事がない。

 まぁ、余所はよそ、ウチはウチだろう。

 俺は前世でも今世でも、ありがとうとごめんなさいは、ちゃんと自分の口で伝えなさいって習ったからな。


 ルッツをベッドに寝かせて、包帯を取り替える。着替えの服も貸して貰った。村で一番大きな服もルッツには少し小さいくらいだったが仕方がない。


「近くに医師もおらず、申し訳ございません」


 村長さんはずっと低姿勢で、こちらの方が悪いような気分になってくる。


「いえ、ここまでしていただいてありがたいです。さて、父様が来るまで僕たちはどうしてよっか? 外で待とうか?」

「と、とんでもない事でございます!」


 村長は俺たちが休憩する部屋としてもう一室、用意してくれた。なんか催促したみたいになって気が咎める。ほんとに外で良かったのにな。

 俺たちも服を貸して貰い、顔とかも洗ってさっぱりした。ついでに二人は髭も剃ったようだ。

 農家なので硬いが頑丈な木の椅子に片膝を立てて座り、俺は立ったままでいる二人を見上げた。


「どう思う、昨日の事?」


 立ち聞きなどされていないと思うが、念を入れてぼやかした表現に留める。


「どう、とは?」

「今夜も来ると思うか?」


 それだけが俺の懸念だった。人間の襲撃ならセインとアレクは必ず察知する。今のところはつけられていないと思っていいだろう。

 だが、あれだけは何を目印に、どんな原理でやってくるのか分からない。

 たった一度きりの遭遇では条件が絞り込めなかった。


「なんせ初めて尽くしですからねー」

「暗黒時代の事は文献も少ないと聞いております。申し訳ございませんが、我らよりルーカス様の方がお詳しいかと」


 そうなんだよ。この二人って言うか、四人ともだけど、頭脳面はあまり頼りにならないんだよな。セインですらこうなのだから、他の三人なんて聞くまでもない。

 いや、ユーリは弓の勇者が好きって言ってたな。意外とその当時の逸話をいくつか知っていたかも知れない。

 俺の知っている話も少ないが、簡単に纏めるとこんな伝承だ。


 神々がまだこの世界に御座(おわ)す頃、空には八つの月があった。

 そして、それが原因なのか不明だが、八番目の月マーナルが地上に落ちた時、神々は姿を消した。

 ここの時系列ははっきりしている。月が落ちた時、既に神はいなかった。なぜならその後の戦いに、神は一切、出てこないからだ。


 地上に落ちた邪悪な月は、この祝福された大地に災厄と魔物を撒き散らした。

 人々は地上に残っていた神獣の力を借り、八日八晩、落ちた月マーナルが吐き出した魔物と戦い続けた。


 そうしてついに一匹の大狼の姿をした神獣が、その巨大な身の内に月を飲み込んで災厄を退けた。

 しかし大狼は身の内を邪悪な炎で焼かれ、月とともに大地に没した。


 そこで人々は神獣ながら大狼を神と同列に祀り、敬意を込めて彼をこう呼んだ。月食みの狼マーナガルム、と。

 ここまでがウチの国名の由来であり、主神であるマーナガルム神の話だ。


 我が国マーナガルムが位置するエストナ山脈は、没したマーナガルム神の身体が山になったと言われているところでもあり、八番目の月が落ちた場所でもある。

 全て神話の時代の話なので、どこからどこまでが事実か不明だが。


 ここから世界は百年の暗黒時代に突入する。邪悪な月自体は滅する事ができたが、生み出された災厄と黒い悪魔は消えず、人々に受難を与えた。

 神の力は既になく、抗う力のない人間たちは簡単に蹂躙された。文明は崩壊し、人間の住める場所は少なくなった。

 わずかに残って力を貸してくれていた神獣たちも一匹、また一匹と倒されてしまった。


 もはや人間は滅びるしかないのかと思われた時、全身黒衣の魔女が現れて、人々に告げた。

 魔物の力は強いが、既にそれを生み出す月は滅した。今、地上に存在する魔物さえ討ち取れば増える事はないと。

 人々は希望を取り戻し、細々とだが少しずつ魔物を倒し、住める場所を取り戻していった。


 そして百年後。魔女の教えを受けた弓の勇者と五人の仲間たちは、各地を旅して魔物を次々に打ち倒して行った。

 彼らは、わずかではあるが神の力、いわゆる魔法が使えたと言う。


 大陸中の魔物を駆逐した彼らは、ついに最後の一団を大陸の南方、この山岳連合国が位置するリスティア山脈に追い詰めた。

 魔物たちは最後の抵抗とばかりに全てが寄り集まり、大陸中の空を覆い、太陽を隠した。

 あとは、俺とユーリが出演した件の劇の通り、弓の勇者が魔物を討ち取った後、エントールの神子が誕生して話は終わりだ。


 これがおおよそ三千年くらい前の話だと言われている。

 三千年前って言ったら、地球じゃ古代エジプト時代とか、日本で言うと縄文時代くらいか。

 遠いのか短いのかピンとこないが、それくらい前だと神がいたっておかしくないんだろうか?


 後日談だが、弓の勇者とエントールの神子は結ばれたらしい。よくある恋愛話だな。

 その神子の血を引くと言われる山岳連合の王族たちは白金の髪を持っている人が多い。茶色の髪が多いこの地方では珍しい髪色だ。

 だからこの辺りでは金髪は身分の高さを示し、とても目立つのだ。


 俺は胸ポケットに入れたハンカチをそっと服の上から押さえた。服を着替えても、もちろんこれだけは忘れるわけがない。肌身離さずしまってある。


 こうして考えると、昨晩襲ってきた闇と、暗黒時代の黒き魔物は共通点があまりないな。

 俺は顎に手を当て、うーんと眉を寄せて思案した。


 暗黒時代の魔物に、夜だけ出てくるとか、明かりが苦手とかそんな逸話は聞いた事がない。

 当時の文献が少ないので俺が知らないだけと言う可能性もあるが、ただの昔話だ。わざわざそんなエピソードだけ抜け落ちたりはしないだろう。


 わずかな伝承から想定するに、黒き魔物は実体を持っていたはずだ。どちらかと言うと後で出て来たムカデに近いのか。

 八番目の月と言う黒き闇を産み出す源がなくなった後、地上の生き物に乗り移ったと考えるべきか。


 となると、弓の勇者の最後の話も頷けるな。実体があるものが合体するとかおかしいけど、生き物の身体から出て黒い闇に戻ったのだとしたら分かりやすい。


 なぜ一時はいなくなった魔物が三千年の時を越えていきなり現れたんだ?

 原因は俺だろうが、唐突すぎるな。

 結局、八番目の月は魔物を産んだ元凶じゃなかったってわけか。

 元凶は別にいる。なんらかの理由で今まで魔物を産み出さなかったか、産み出せなかっただけで、力を失ったわけじゃないんだ。


 俺は昨晩の夢を思い出していた。

 あの少年は俺に苛立っていた。俺と、古き神々に。

 神を消すほどの力を持ちながら、いや、だからかも知れない。彼の力は制限されているのだ。

 でなければ俺を捕えるだけで、こんなまどろっこしい真似をするわけがない。


 こちらに幸いなのは、今のところ彼、もしくは彼らに俺を殺す気がない事だろう。

 あのムカデだって、俺たちに抵抗されたから暴れただけで、もともと俺を傷つける意図はなかったに違いない。敵はあくまで生きたまま俺を手に入れたいのだ。


 そして、もうひとつ推測できる事がある。

 俺は長々と思案して二人を待たせてしまったが、ようやく考えを纏めて重い口を開いた。


「僕は、奴らは今夜も来ると思う」

「なぜですか?」

「満月だ。昨日はエステルが満月の晩だった」


 四番目の月エステル。俺は二人には夢の内容を話さなかったが、少年の後ろにはピンク色の満月が煌々と輝いていた。

 落ちた八番目の月マーナルが邪悪だったのだとしたら、どうして他の月もそうじゃないと言い切れる?


 そしてまったくありがたくない話だが、この世界には月がまだあと七個もあるのだ。

 およそひと月の四分の一は夜空にいずれかの満月が輝く。


「それでは……」

「間の悪い事に、今夜はシャンタルの番だよ」


 俺はエラムに城での四年間、天文学も仕込まれていた。季節ごとの星の位置や、月の満ち欠けなど、あまり一般の人が詳しくない事象も把握している。

 五番目の月、青銅色のシャンタル。


 その青白い満月が夜空に輝く時、俺たちはまたあの黒き魔物と対峙する事態になるのだろうか?

 誰も答えられない問いながら、俺たちの中にそれを否定できる者はいなかった。



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