第14話 ルッツの容態
太陽の光の下で見る戦いの跡は凄惨だった。
ムカデが通ったところは木々がなぎ倒され道ができている。
焚火は大きく崩れて、もはやプスプスと細い煙を上げているだけだ。
辺りに散らばる千切れた足と体液。それと、顎を外されて地面に横たわる巨大な本体。
足に生えた毛とかがあまりにもリアルで気持ち悪すぎて、俺はできるだけ距離を取って木の陰から様子を伺っていた。
アレクが剣でツンツンッとムカデをつついている。よくあんなものに近づけるな。尊敬するわ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと死んでますよ」
奴は大きく手を振ってアピールしてくるが、そう言う問題ではない。近寄りたくないのだ。
セインは俺の横でルッツの手当てをしている。
「内臓までは達していないな?」
「多分、大丈夫です」
ルッツは大丈夫しか言わないので若干、不安だが、明るい中で見たらほんとに大丈夫そうだった。腹を左右から刺されているだけで、既に血も止まっている。装甲車並みの筋肉だ。
カッコいいなー。どうやったらあんな風に鍛えられるのかな。
ムカデの様子を見に行っていたアレクが戻って来る。
「あれ、どうします? 世の中には蠍を食べる国もあるそうですよ。あれだけ大きかったら食いでがありそうだ」
俺たち三人はアレクを信じられないものを見る目で見つめた。
「うっわ……」
「なんでも道に落ちているものを拾って食おうとするな!」
「あんなもの食べたら絶交だからね! 絶対、僕には近寄らないでよね!!」
皆、ドン引きだ。ルッツまで可哀想な人を見る目でアレクを眺めている。
「ちょっと言ってみただけじゃないっすかー」
最終的には俺の言葉が決定打となったようで、アレクはムカデを食べるとか言う馬鹿な考えは手放した。
だが、冗談めかして言っていたわりに、あとで「勿体ないなー」とかボソッと呟いているのを俺は聞いた。
ほんとにこっぇーな、こいつ。割と本気だったよ。
虫嫌いと言うのを除いても俺は、あんな得体のしれない黒い闇が入っていたものを食べる気にはなれない。
「ならせめて、素材剥ぎ取って装備とかに使えないですかね? 黒い鎧とかカッコよくないです?」
「そんな時間はない。あんなもの打ち捨てておけ。行くぞ」
「痛い痛い痛い、セイン、放せって」
セインが耳を引っ張って、あほの子を連れて来てくれた。
ともかくこれで、俺には少なくとも二種類の敵がいる事が判明した。イグニセムらしき人間の集団と、神と対峙している黒き魔物だ。
根っこは同じなのかも知れないが、今はそこまで判別できない。
もしお互いに連携しているなら、人間側にも俺たちの居場所がバレた。
急いでここを出立した方がいい。事態は常に最悪を想定して動くべきだ。
ルッツの手当てが終わるとすぐに、俺たちは朝食も摂らずに旅立った。今度はアレクが俺を乗せてくれる。
途中、川があったので行けるところまで川の中を進んだ。足跡や匂いの痕跡を消すためだ。
岩の多い場所で慎重に足跡が残らないように川から上がり、また森を走る。
「追いかけられているのか、先行されているのか、どちらか分からないのはやっかいですね」
伝えてくるセインにも疲労の色が見える。野外で過ごしたのは二晩。その内、昨日はほとんど馬で駆け通しの、敵に追われる一日だった。
二日目となるといつも身綺麗にしていたセインですら髪の毛がほつれて、無精ひげが目立ち始めている。
アレクは俺のせいで右手を負傷。ムカデとの闘いでは擦り傷程度だったようだが、服には鉤裂きができて、あちこちがムカデの体液で変な色に染まっている。セインも同じような状態だ。
ルッツはシャツの下半分がほとんど破れてしまって、その下に包帯が覗いているのが痛々しい。
傷口が痛むのか、時折、腹に手を当てていた。
昼近くになる頃には徐々にルッツが遅れ始めて、俺は顔を曇らせて後方を伺った。
「アレク」
声をかけるとアレクも頷いて急いで馬首を返し、ルッツと馬を並べた。
「ルッツ、どうした。傷が痛むのか」
肩に手をかけようとしてアレクはその手を止めた。俯き加減のルッツは額に玉のような汗を大量に浮かべていた。
「だ、大丈夫、です」
青白い顔で言われても、まったく大丈夫そうじゃなかった。アレクはルッツの肩に触れて眉を寄せた。
「凄い熱だ。どうして早く言わない!」
気がかりそうに足を止めてこちらの様子を伺っていたセインも呼び寄せる。
「ムカデの牙には毒があった……ような気がする」
どうしてその事にもっと早く思い至らなかったのか。虫にはあまり詳しくないんだ。こんな時、どう対処したらいいかも知らない。俺は顔を俯けた。
「そうだとしても、普通、ちょっと腫れるくらいでしょう?」
「だが、あの大きさだからな……」
セインとアレクは肩を貸して、ルッツを馬から降ろすと木の幹にもたれかけるように座らせた。
「すみません」
「謝んないでよ! ルッツは悪くないから! 僕のせいだから!」
「ルーカス様……俺がもっと上手く、戦えてたら……」
ルッツは熱で朦朧としているだろうに、苦しい息の中、それでも俺を気遣ってくれた。伸びてきた熱い手が、気にしないで下さいと言うように俺の手をギュッと握る。
俺は俯くばかりで下唇を噛んだ。
こうなったら俺にできるのは虫刺されに効く薬草を潰して患部に貼るとか、熱さましの薬を作る事くらいだった。
マーナガルムは北国だから、あまりムカデは出ないからな。対処法まで習っていなかった。
「苦いかも知れないけど、全部飲んで?」
ルッツの口にコップをあてがって薬湯を飲ませる。
「二人は大丈夫?」
「ちょっとヒリヒリするくらいですかねー?」
「爪にも毒があるかも知れないから、よく洗って薬草を貼っておいて」
日本だったら病院に行けばすぐに検査してくれて、薬も出してくれるのに。こっちの世界じゃ薬はあっても薬草くらいで、あとは本人の体力次第だ。
オレイン先生がいたら、もう少し的確な診断をしてくれたのにな。
そう言えばオレイン先生に何も伝えられなかった。今日には屋敷に帰る予定だったはずだ。
でも先生は神子だから、どこの国でも丁重に扱われるだろう。今頃はレートかシアーズのどちらかに保護されていると思う。
先生にはもう、マーナガルムに帰る理由がない。薬草について楽しく学んだ日々や、母様の前で騒いで怒られた時の事を思い出して淋しい気持ちになる。
それでも先生は一緒に帰ると言ってくれるだろうか。
しばらく休んでいると解熱薬が効いたのか、ルッツの呼吸が少し落ち着いてきた。
「このまま野外に置いておくわけにもいきません。早ければユリアンは明日にも陛下をお連れして戻って来るはずです。どこかの村で宿を取りましょう」
セインの言葉に、俺はゴクリと息を飲んだ。人目につくのはリスクがあるが、確かにルッツをこのままにしておけない。
「いけません……俺だったら一晩か二晩くらいは大丈夫です」
ルッツは虚勢を張って立ち上がろうとしたが、木の幹に手を当ててようやっと立っている状態だ。顔色は良くない。
「馬鹿者! 足手纏いのお前を連れて防げるような敵ではないぞ!」
俺が何かを言う前にセインが怒ってくれたが、ちょっと言葉の選び方を間違えてるな。そこは、気にせず休めとか言うべきなんじゃないの。
お父さんを嫌ってるくせに、同じような事を言ってちゃ駄目でしょうよー。
俺はセインのマントをクイクイッと引っ張って、首を振った。セインも俺の言いたい事は分かったようだ。バツの悪そうな顔をしている。
「あー……そう言うわけでちゃんと身体を休めるんだ。陛下と合流しても仕事は沢山あるのだからな!」
「はい」
ルッツにもセインの不器用な優しさは伝わったようで、苦しい吐息の中ながらも少し嬉しそうな顔を見せた。
セインとアレクがまた肩を貸して、なんとかルッツを馬に乗せる。
「きついだろうが、少し我慢しろ。俺は近くの村を探して交渉してくる」
アレクはルッツにそう声をかけて馬に飛び乗った。セインは戦力の分散にいい顔をしなかったが、現状、少ない手札でやっていくしかない。
後輩思いのアレクらしく、彼の馬は一目散に森の外へと向かって行った。
こうなるともう急ぎ旅ではないので、俺も自分の馬に乗り直す。
「いい村が近くに見つかるといいけど」
俺たちはルッツを気遣いながらアレクの後を追った。森の中なので蹄の跡は追いやすく、一定距離ごとに目印もついている。
「どうやらあの村に向かったようです。ここで少し待ちましょう」
斜面の下に耕された畑や、寄り集まるようにポツポツと建っている小さな家々が見える。総勢十数軒くらいの村のようだ。
石造りの壁に、藁ぶき屋根の家が立ち並ぶ小さな村だ。
この程度の村なら、まだ昨日の騒動は伝わっていないだろう。
しばらく待つと視界にアレクが姿を現して、問題ないとハンドサインを送って来る。
俺たちは馬上で身を折っているルッツを伴って村への道を下って行った。




