第12話 忠誠の理由
眠る前も思ったが、俺にはこいつらがいれば大丈夫だ。
ユーリの方は問題ないだろう。この闇は俺しか狙っていない。
夢で見た少年が言った通り、この世界の者ではない『俺』が気にいらないのだろう。
あの夢の場所も気になる。あれは妙にはっきりした夢だった。
しかもこんな中世ファンタジーな世界に似つかわしくない、どちらかと言うと近未来SFチックな夢だったぞ。
少年は古き神々と言っていた。
彼こそ、神々が姿を消した原因なのだろうか?
それにしてはあまり邪悪な感じはしなかったけどな。あれはむしろ、おもちゃを取り上げられて苛立っている子供のような──……。
考え込んでいると、さらにセインに話しかけられた。
「ルーカス様。眠る事は難しいかも知れませんが、少しでも身体をお休め下さい」
「あ、うん」
言われるまで気づいていなかったが、俺はルッツの肩を借りて仁王立ちのままだった。ちょっとは緊張がほぐれたかと思ってたけど、ぜんぜんじゃないか。
地面に腰を下ろそうとしたら、セインに直に座るなんてとんでもないと制された。
「ルッツ、膝を貸して差し上げろ」
セインに言われて、ルッツがこっくりと頷く。
えー、ここまで来といて抱っこですかー。そりゃ俺、外見はこんな子供だけどさ。精神年齢は違うんだよ。
十六歳の子に抱っこされる三十代半ばのおっさんってどうなのよ。
なんなら今世も足したら俺、四十歳よ!
と言う俺の気持ちが彼らに伝わるわけがない。
有無を言わさぬセインの視線に気圧されて、俺は反論もできずルッツの膝に腰を下ろすしかなかった。
「ルッツ、ごめんね?」
「軽いので大丈夫ですよ」
そう言う問題じゃないんだ。
でも、ルッツが気を使って言ってくれたのは分かったので、それ以上主張もできず、もごもごっと言葉を濁す。
まぁ、ビジュアル的にはでっかいお兄さんに抱っこされる弟って感じだからいっか。
俺も自分の事でなければ微笑ましく眺めただろう。
気後れする気持ちとは裏腹に、ルッツの頑丈な身体は暖かく、守られている感じがして心地よかった。
この際だから遠慮なく背中をもたれさせて貰う。
それから二人が何も喋らなくなったので、しばらくザワザワとした闇の囁きだけが周囲に響いた。
ひとまずこの距離を保っていたら闇は近寄って来ないようだ。
近くから落ち着きのない馬のいななきも聞こえてくる。そう言えば馬の事を忘れていたが、無事で良かった。
この蠢く闇たちは単純な行動しかできないようだ。俺を浚ってくるように指示された、その命令だけを実行しているのだろう。
馬には興味も向けず、ただひたすらに俺たちを取り囲んでいる。
沈黙は嫌いだ。特に得体の知れないものに名前を呼ばれまくっている今は。
この世界に転生して、自分の名前をこんなに呼ばれるのは初めてだ。
しかもアエリウスってミドルネーム、それただの昔の偉人の名前だからね。父様や母様にだって数えるくらいしか呼ばれた事がない。
母様の事を思い出すと、胸にピシリとヒビが入ったような感覚がした。
あぁ、母様はどんな最期を迎えたのだろう。
こんな奴らに襲われたのだとしたら堪らない。
どう切り出したらいいか分からず、俺は焚火の炎越しにセインの背中をじっと見つめた。
俺たちの中で屋敷を見に行ったのはセインだけだ。様子を知りたかったらセインに聞くしかない。
油断なく周囲に目を光らせながら、セインは気配だけで俺の視線に気づいたようだった。
「どうかなさいましたか?」
自ら俺に話しかけてくる。後ろに目があるのかよと思う。なんて言おうか迷いながら口を開く。
「いや……さっき、セインは分かってたって言ってたよね。俺がこんな奴らに襲われるかも知れないって考えてたってこと?」
「いえ、さすがに神話時代の魔物が蘇るとまでは……しかし、貴方の人生が過酷なものになるだろうと予想はしていました」
いつか父様が城の高台で俺に伝えた。
神子としての人生は試練に満ちていると。
神に選ばれるのは、それほど途方もない事だったのだ。
あの時の俺は自分が本当に神子なのかも疑っていたし、ただのジンクスだと思っていたから笑い飛ばした。
だけど、これが試練だと言うなら転生なんてしたくなかった!
俺がこの世界に生まれなければ良かったのか?
そしたら、あの人たちは今でも国で笑っていられたのか?
今でも父様と母様は城で……嫌だ。それじゃ、俺がどこにもいない。もう一度、生まれ変わったって、俺は父様と母様の子供でいたい。
何度生まれ変わっても、ローズが乳母じゃなきゃ嫌だ。セインやアレクやユーリやルッツと笑っていたい。マルティスと馬鹿やって。アイリーンに出会って恋をしたい。
いくつもの選択肢を通って、俺はどこかで間違えた。
それがどこだったか教えてくれたら、俺はもう失敗しないのに。
怒涛のような想いが身体を駆け巡る。今朝から見ないように意識を逸らしていた胸の激情の蓋が開きそうになる。
自分の思いに捕らわれて固まってしまった俺の耳に、セインの落ち着いた声が響く。
「あの日、貴方に忠誠を誓った日、我らは約したのです。何があっても貴方をお守りすると。ただそれだけの事です」
セインはなんでもない事のように言う。ただの日常の続きだと言わんばかりに。
何が起こっても迷わないと決めていたから、彼らは本当にそれが起こった時、逡巡しなかった。
屋敷のありさまを見た時も、黒き魔物に取り囲まれた時も。
俺に何があるって言うんだ。
勝手に期待されても、俺がそれに応えられるとは思えない。
「僕はなんの力もないただの子供だ」
「もちろん、貴方はそのままで良いのです。これは我らの独断です」
「僕に何ができるって言うんだ」
ルッツの足の上で身体を小さく縮こまる。森の中から聞こえてくる声がうるさくてわずらわしい。
不器用な太い腕が、後ろから俺をギュッと抱きしめてくれる。
拗ねた子供に言い聞かせるようにセインが辛抱強く話を続ける。
「我らと一緒に笑って下さいます」
あまりにも普通の事を言われて、俺はぽかんとセインを見返した。
「そんなこと、誰でもするだろ?」
「そうでしょうか。自分の事のように、誰とでも笑ったり、泣いたり、怒って下さる方など滅多にいません。ご存知ないのですか?」
そこで言葉を区切って、セインは俺を静かに見つめた。炎に照らされたセインの濃く青い瞳が踊る。
「貴方は陛下にそっくりだ」
そんな事を言われたのは初めてだった。
髪の色や目の色が似ているとはよく言われる。色だけは。
それ以外は、顔も母様似だし、背も低いし、剣の腕はないし。俺はどちらかと言うと身体を動かすより本を読んでいるのが好きな子供で。
散々言われてきた。性格は父にまるで似ていない、と。
「陛下のように、人を惹きつける何かがある。だから我々は期待してしまうのです。そこの男の言いぐさで気に入りませんがね。貴方と一緒に歩めば面白そうだ、と」
セインは、座ったまま器用に熟睡しているアレクにチラリと視線を向けた。
俺は思わず絶句してしまった。
本当に、たったそれっぽっちの理由でこいつらは命を懸けてくれたのか?
よくよく考えれば、最初から彼らにはそれしか言われていない。
待遇や給料を上げろとか、優遇しろとか言われた事はないし、それどころか俺の頭脳を気に留めるような素振りを見せた事もない。
どこからともなくおかしな気持ちが湧き上がってきて、俺はハハッと笑い声を上げてしまった。
俺の前世の記憶も、身分も、彼らが一緒にいてくれる理由じゃなかった。
神子としての力すら期待されてない。
母様と同じだ。母様やローズも、俺が賢いから愛してくれたわけじゃなかった。
ふと記憶の中に昔、エラムに伝えられた言葉が蘇ってくる。貴方はそのままで良い、と。変わらなくていいとエラムも言ってくれた。
そうだな。俺が皆と一緒にいたいと思った理由も同じだ。
強いから、守ってくれるから一緒にいたいなんて思ったわけじゃなかった。俺と一緒に笑ってくれたから、それだけだ。
俺は抱き留めてくれているルッツの太い腕に手をかけた。
ルッツは口下手だから言葉は発さなかったけれど、その腕の暖かさから同じ事を思ってくれているのは分かった。
俯いて、もそもそっと口を動かす。
「あ、ありがと」
「それはこちらの台詞です。私の為に怒って下さり、有難うございます」
セインは清々しい表情を見せた。
これは騎士団長の件か。もちろん怒るとも。次に騎士団長に会ったら優し過ぎて親に物申せないセインの代わりに、ガツンと言ってやる。
「我が父も、陛下と一緒に近くまで来ているでしょう」
「え、でも、騎士団長は国の警備で留守番の予定だったよね」
「いいえ。絶対に来ております」
苦笑するような微妙な顔をセインが見せた。そうかー。あの人、セインが断言するほど手に負えない人なのか。
父様の言う事には逆らわない人のように見えてたけどな。
でも自分に当てはめたら、俺が国外に出るのにセインたちが大人しく国で待ってるかな。無理だろうな。絶対ついて来るな。そう言う事か。
「性格はともかく、有事にこれほど頼りになる人はいません」
「そうだね」
壮年に入ってなお、最近の若い者は不甲斐なさ過ぎると、しごきの手を止める気配のないゲオルグ・イヴァン・ザイデル騎士団長。
今でも槍捌きに関しては父様も含めて彼の右に出る者はいない。
団長の指揮の元、一糸乱れぬ騎士団の動きは式典でも目を見張るほどだった。
その彼が近衛兵たちと一緒に来ていると言うなら心強い。
希望はある。
いつでも、明けない夜はないんだ。
夜が深く長いからと言って、絶望するにはまだ早すぎる。
よし、セインに直接、聞きたい事をちゃんと聞こう。俺たちの間に遠慮や誤魔化しなんていらないんだ。
俺は決意して口を開いた。
「セイン、屋敷はどうだったんだ? こんな魔物に襲われたような感じだったの?」
「まさか。あれは人間ですよ。隊長たちが切り捨てた賊の死体も残っていました」
そうか。どんな理由で後れを取ったのか分からないが、ワルターたちも戦ったんだな。
さぞや伝説に残ってもおかしくないような奮闘だったのだろう。
俺は自分の両足に腕を回して、拳を強く握りしめた
一番聞きたくて、聞きたくない事を口にするのは勇気がいった。
「その、母様は……苦しまなかったのだろうか」
自分で聞くと決めたのに、情けない事に俺の声は震えてしまった。セインはわずかに視線を逸らした。
「……恐らく」
嘘をつくのが下手くそなセイン。お前がついた優しい嘘は、俺とルッツだけの内緒にしておくよ。
これ以上は、今は無理だ。
詳しい様子は父様と一緒の時に聞こう。
それきり俺たちの会話は途切れた。




