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第9話 関所越え

 

 そろそろ気分もだれてくる昼下がり。

 暦は冬に入っているが、よく晴れた午後のこと。陽光はポカポカと熱を届けて、関所内の広場は眠気を誘う暖かさに満ちていた。


 連なる馬車や人々に対応する二人の兵士たちは時折、欠伸を漏らして、いかにもやる気がなさそうだ。


「次」


 俺たちの馬車が呼ばれる。

 ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。俺はフードを深く被り直した。

 ここで商人が密告すれば俺たちは一貫の終わりだ。


 いや、そうなったら身分を明かせばいいだけか。

 父様とは合流が遅れてしまうし、敵に見つかる確率が高まるが、その時は運を天に任せるしかない。


 兵士は馭者台に座る商人に話しかけ、無造作に通行証を受け取るとチェックを始めた。

 今のところ商人が裏切る様子はない。

 この商人さん、けっこういい人って言うかお人好しだよな。


 脅しているからって言うのもあるが、俺たちがのっぴきならない状況にいる事を察して助けようとしてくれている節がある。

 自分の娘と同じくらいの俺を放っとけなかったんだろう。

 ひょっとして俺、六歳だと思われていないのかもな。


 馬車の中を改めるために前方から軽く兵士が中を覗き込む。

 その時、退屈になった女の子が俺の背中にぴょんと抱きついてきた。


「おにーちゃん、さっきのもっと教えてよ」


 旅慣れた子は人見知りもせず俺にまとわりついてくる。俺は緊張を押し隠して、そっと兵士から視線を外した。


「いいよ。今度は違うのを作ろうか」

「じゃぁね、じゃぁね、うさぎさん!」

「うさぎはさすがに知らないなぁ」


 中年くらいの兵士は俺たちのやり取りを目を細めて眺めた。


「兄妹かい? 可愛い盛りだな」

「えぇ、まぁ……」


 商人の引きつった愛想笑いを目にしても、兵士が気にした様子はない。こんなやり取りを毎日、繰り返しているからだろう。

 少し中を確かめただけで兵士はすぐに顔を引っ込めた。


 後ろの馬車を確かめに行った別の兵士が、のんびりと戻って来る。荷物の間に隠した護衛の男たちは見つからなかったようだ。

 気持ち悪いくらいに心臓が早い。まったく、あやとりに集中できない。女の子は手を止めてしまった俺をつまらなそうに見ていた。


「目録にない馬を連れているな。あれはなんだ」


 きた。

 俺は息をするのも忘れて、全神経を馬車の外のやり取りに集中させた。


 ルッツも真剣な顔をして様子を伺っている。その手がそろりと腰の剣へ伸ばされた。

 何気ない様子を装って、商人が肩を竦める。


「レートに来ているお客人から、出発直前にレキストに戻すように依頼を受けましてね。あ、ちゃんと委任状もあります」


 商人はゴソゴソと書類の束の中を探す振りをした。

 兵士たちが軽く手を振る。


「あぁ、いいいい。そう言う理由だったら向こうで申請書を書いてくれ。農耕馬以外は一頭につき銀貨一枚だ」

「分かりました」


 兵士が荷改めの場所より少し先の、受付のような場所を指差す。あそこで通行料、いわゆる関税を支払うのだろう。


 終わった。

 こんなにあっけなく。

 まだ息が苦しいくらいだ。


「おにーちゃん、続きはー?」


 女の子が焦れて、俺を急かしてくる。


「あぁ、ごめんね……」


 きっと俺は血の気の引いた青白い顔をしていたのだろう。ルッツが気がかりそうにこちらを見つめていた。

 ほっと息をつく暇もなく、馬に鞭を当てようとした商人を兵士が呼び止める。


「あぁ、そうだ」


 ゴソッとポケットを探ると、彼は商人に向かって何かをひょいと投げてきた。


「良かったら、その子らに食べさせてやってくれ。じゃぁな、よい旅を」


 兵士が渡してきたのはお菓子のようだった。

 なんだよ、びっくりさせやがって。ただのいい人かよ。


「ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げて、商人はゆるゆるっと馬車を動かし始めた。遅れて後ろの馬車と、俺たちの馬も後をついて来る。

 それから特になんの騒動も起こらず、通行料を払って俺たちは無事に関所を抜けた。


 しばらく進んで、もう関所の外壁も見えなくなってきた頃、俺の身体中からはドッと汗が噴き出した。

 いまさらながらにガタガタと震えが止まらない。


「ル……ナンバーワン」


 ボソッと呟いたルッツが俺を支えて、ゆっくりと背中を擦ってくれた。


「どうした?」


 セインが心配してフードを軽く持ち上げながら馬車の中を覗き込んでくる。


「大丈夫。ちょっと緊張が途切れただけ」


 胸で浅く息をつきながら、ルッツではなく俺は自分で答えた。胸元を掴んでいた手を放して、身体を起こすと深く息を吐き出す。

 大丈夫だ。俺はまだ大丈夫。


「もう少し先まで進みましょう」

「そうだね」


 セインに頷きを返す。

 これ以上、この商隊の人たちに迷惑をかけられない。レキストの都方面とサラクレートへの分かれ道まで馬車で連れて行って貰う。


 実はレキストとサラクレートの間には、はっきりした関所がない。帰らずの森が間に横たわっているからだ。

 サラクレート側から来た旅人は最初の街に入る際に入国税を払えばいいだけだ。サラクレートの方も同じようだ。


 その為、悪路や人家のなさにも関わらず、駆け出しの商人たちは通行料をケチるために帰らずの森の横を抜ける事も多いらしい。

 俺たちがシアーズに来る時に通って来た道だ。


「ファイブさぁ、お金って幾らくらい持ってんの?」

「銀貨数枚ほどは」

「一枚、貸してくれない? 後で返すからさ」


 俺たちは皆でお金を出しあって自分たちの馬の通行料を商人に払った。俺はお金を持っていなかったのでセインに借りた。


「返すなど滅相もない。どうぞお好きにお使いください」


 後で返すって言ったのにセインは頑なに拒んだ。

 親しき仲にも礼儀ありですよ。俺は借りた金はちゃんと返すタイプですよ。


 商人さんは一時は盗賊かと思った俺たちにお金を渡されて、凄く微妙な顔をしていた。

 ほんとは迷惑料としてもっとあげられればいいんだけど、路銀も少ないしな。俺は金目のものも持っていない。


 いや、そうだ。いつも肌身離さず身に着けているから忘れてたけど、ひとつだけあったか。

 腰の剣から柄飾りを外す。


 五歳の誕生日に兄アルトゥールから貰ったプレゼントだ。

 どのくらいの価値があるのかよく知らないが、宝石がついているのでそれなりの値段にはなるだろう。


「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。きちんと保障できるといいんですが、戻って来られるか分からないのでこれを」


 俺が差し出すものを見て、騎士たち四人の顔は蒼白になった。

 子供用に設えられた俺の剣についている柄飾りの逸話をマーナガルムで知らない人はいない。


「いけません、それは!」


 慌ててセインが叫ぶが、俺は四人を手で制した。


「いいんだ。それに僕はもう一度、ここに戻って来るつもりだ」


 受け取っていいのかまごついている商人の手に、無理やりに装飾品を押し込む。


「すみませんが、しばらく預かっていて貰えますか? 僕たちが戻って来なかったら売って構いません」

「いいのですか? 大切なもののようですが……?」


 宝石の色は深碧。商人の手の中で陽光を受けてキラリと光る。

 深い湖の色のような、新緑の森のような緑色。

 俺の誕生節である春をイメージして、アルトゥールが自ら選んで贈ってくれたものだ。


 兄なら、これを人の手に渡す事を怒ったりしないだろう。

 ルーカスの役に立って良かったと笑ってくれるはずだ。


 久しぶりに優しい兄の笑顔を思い出して、俺は切ない気持ちになった。

 アルトゥールは俺が今、こんな窮地にいるとは知らない。絶対に兄はこんな事には関わっていない。俺は信じている。


「僕の五歳の誕生節に兄さんがプレゼントしてくれたんです」

「それはそれは」


 商人は大事な商品を取り扱うように、宝石のついた柄飾りを握り込んだ。


「それでは、しばらくお預かりさせていただきますね。私の名前はオレールと言います。もし買い戻すおつもりがあるなら、我が商会にどうぞ」


 この商人、オレールさんは人を見る目がある人だ。非常時にも豪胆で、臆する事もなく頭が回る。

 もし機会があるなら、おじいさまに言って取り立ててあげたいものだな。


「正体を明かせなくてすみません。僕の名前はもう数日したら分かると思います。もし何か困った事があったら、それを持ってシアーズへ行って下さい」

「シアーズへ?」


 俺はシアーズのどこへとは言わなかった。数日もしない内に、この国にも母様の訃報は届くだろう。その時、彼は自分がどこに行くべきなのか気づくはずだ。

 言わなくてもオレールさんなら絶対に分かる。


「ありがとう。そして、ごめんなさい。お礼と謝罪しか言えない僕を許して下さい」

「お兄ちゃん、もう行っちゃうの?」

「うん、ごめんね」


 短い邂逅だったが、俺は名残り惜しく彼らとの別れを手短に済ませて再び馬に跨った。

 今度は近くにいたのでルッツが俺を乗せてくれる。


 振り返りもせず騎士たちは一気に馬を駆けさせた。いい人には見えたが、立場上、彼らは街につけば警備兵に俺たちの事を伝えるだろう。

 レキスト中に警戒網が敷かれる前にこの国を駆け抜けなければならない。


 太陽が山に近づきつつある。もうすぐ一日が終わる。俺の人生で一番長かった一日が。

 俺たちの乗った馬は街道を逸れて、また森の中へと姿を隠した。



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