第8話 あやとり
先頭の馬車を操るのは商人の男性。中には俺とルッツと、商人の妻子。
後方は馭者だけ縄を解いて馬車を操作させ、車内からアレクが見張っている。
外の馬にはセインとユーリ。
俺たちの乗ってきた軍馬は装備を解いた後、一列に繋いで馬車の後ろを歩かせている。
出発前に念には念を入れて、俺はあらかじめ森で摘んでおいた薬湯を商隊の護衛たちに飲ませておいた。
「おかしなものなんて何も入ってないよ。ちょーっと気持ちよくなってる間に関所を越えるだけさ」
俺が邪悪な笑みを浮かべて薬草茶を手に彼らに迫ったものだから、誰も手をつけようとしてくれなくて困った。
またセインに拳骨を食らってしまった。
たまには手加減しろっての。
「ただの睡眠薬だ。お前たちに選択の余地はない。早く飲め」
セインにギロリと睨みつけられて、彼らは慌てて俺の作った薬湯を飲み干した。
オレイン先生直伝の睡眠薬だ。今頃彼らは後ろの馬車で荷物に隠されて、うとうとと夢に誘われているだろう。
アレクは縛られた護衛と、かなり縮み上がっている馭者を見張っているだけだから一人でも心配ない。
いざとなったら、アレクは逡巡しないだろう。
普段はお気楽なアレクだが、セインと一緒に騎士団長や副団長の厳しい教えを直々に受けてきたのだ。
俺の身に危険が及ぶと判断したら、一般人相手でもためらう事はないと知っている。
問題はこっちの馬車だ。
ルッツは抜き身の剣を手に、険しい顔をして商人の奥さんと娘を見張っているが、内心は凄く困っているのが俺にはありありと分かった。
ルッツはこんなヤクザじみた外見で巨体だが、本来は動物や子供が大好きな、心優しい十六歳の青年だ。軍人とかまったく向いてない。
今も緊張からか、顔が鬼か魔物かと言うほど厳めしい形相になってしまっている。
近くにいる女の子は終始ビクビクしていて、今にも泣き出しそうだ。
だが、ルッツを表に出すわけにはいかない。体格が目立ち過ぎるし、もし関所で話しかけられでもしたら上手く受け答えできないだろう。
俺がフォローできるこの場所がベストだ。
まぁ、ルッツだって今はこんなだが、肝心な時にはできる子なので大丈夫だ。のんびりしているように見えて本番に強いタイプだ。
それよりも気がかりなのは女の子の様子だった。
不安や緊張を押し隠す事のできる大人と違って、子供の行動は読みづらい。関所で泣き叫ばれたらやっかいだ。
ルッツをこちらの馬車に乗せたのは失敗だったかな。比べたら悪いが、アレクだったらきっと、緊迫感など微塵も感じさせずに軽口のひとつやふたつ叩いてくれただろう。
四人はそれぞれに長所と短所があって上下をつけるつもりはないが、その優しい心とは裏腹に、ルッツは致命的なほど子守りに向いていなかった。
どうしたもんかなと思案しながら、ガタゴトと揺れる馬車の中を見回す。
道中、編み物をしていたのか、毛糸が入った籠があったので一玉、手に取る。俺が腰のベルトから小刀を抜いたのを見て、奥さんがビクリと女の子を抱き寄せた。
彼女たちの様子には構わず、適当な長さに毛糸を切って、端と端を繋いで輪っかにする。
こちらの世界の毛糸はごわごわしていて少し太めだが、まぁこのくらいならいけるだろう。ちゃんと覚えてるかな。
輪にした毛糸を両手の親指と小指にかけて、それぞれの中指でも糸をすくい上げる。
急にあやとりを始めた俺を、馬車の中の三人は怪訝そうに眺めた。ルッツは困惑、奥さんは得体の知れないものを見るように。
そして女の子はまだ母親にしがみついてはいるが、顔だけジーッとこちらに向けている。
お母さんにしっかりと肩を抱かれている俺くらいの背丈の子供。
直視してしまえば在りし日の光景がフラッシュバックしてきそうになって、俺は手の中の糸だけに集中した。
きっと、これからも五~六歳の子を連れた母親を見るたびに、ずっと思い出すんだろう。
俺は泣かない。
アレクと約束したから。
あやとりなんて前世で子供の頃にしたっきりだから、余計な事を考えていたら手順が思い出せない。
俺はせっせと指だけを動かした。
遊んだのは何十年も前でも、意外と思い出せるものなんだな。
一番オーソドックスなあやとりを手の中に作り出して、女の子に見えるように掲げる。
「はしごだよ」
俺の手の間にかかる糸のはしごを見て、女の子はわーっと口を小さく開いた。
俺が小学校一、二年生くらいの時かな。あの頃はあやとりが凄く流行っていて、毎日のように遊んでいたから三段ばしごなんてお手のものだ。
小さい頃からぼっちだったんだな、なんて勝手に察しないように。
女の子の反応が悪くなかったので、もうひとつ、手早く形を作ってみる。
「これはお星さまだよ。分かる?」
けれど女の子はキョトンと首を傾げるばかりだった。五芒星はこっちの世界にもあるんだけどな。庶民にはあまり一般的じゃないのかも知れない。
えーい、こうなったら連続技といきますか。糸を指ですくったり、外したり。忙しなく動かす。
最終的にピンと四方に張った真ん中に、ぶらりと長く糸を垂らして、それを前後に動かす。
「ブランコだよー」
ゆらりゆらーりとゆっくり揺れる糸を見て、女の子はわずかに顔をほころばせた。
それから勢いをつけてその長い糸を、中央に三重くらいにクルクルっと巻く。
「これは糸巻き」
「変なのー」
おっ、初めて喋った。いい感じだな。
「そう?」
俺は女の子にウィンクして、中央に巻きつけた糸の端を歯で挟むと、一気に引っ張りながら四方の指にかけた糸もピンと張って形を綺麗に整えた。
「とんぼだよ」
糸を口に咥えたままなのでくぐもった声で伝える頃には、女の子は俺に剣を突きつけられた事も忘れて目を輝かせた。
あやとりの連続技なんて見た事がなかったんだろう。ルッツと奥さんも驚きに目をまん丸くしている。
ちょっとルートヴィヒくん、任務忘れてないよね? 大丈夫だよね?
「すごい、すごーい! 今のどうやったの!?」
女の子は手を叩いて大喜びだ。
なんか勝手に同い年くらいだと思ってたけど、この子、俺より年下かも知れないな。もしかして四~五歳くらいなんだろうか。
こっちの世界の子って発育いいよね。なんで俺の背は伸びないのかな。
「もう一回やってみせよっか?」
「うん!」
女の子はもはや身を乗り出さんばかりに俺に近づいている。気が紛れたようで良かった。
奥さんは本当は娘が俺に近づくのを止めたそうだったが、害がなさそうなのでその内に諦めたようだった。
「こことここに糸をかけてね……」
そんな風に和気あいあいと女の子にあやとりを教え始めた頃に、いよいよ馬車は関所へと乗り込んでいった。




