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第7話 アンバランスな感情

 

 護衛たちを後ろの馬車に、商人の一家を前の馬車に分断した後、セインは俺を彼らから見えない物陰へ連れて行った。


「まったく、さっきは悪役のようでしたよ」

「無駄に争ったら時間がもったいなかっただろ」


 うそぶく俺にもセインは怒らなかった。優し気に微笑んで、俺に向かって手を差し出してくる。


「無駄に争って彼らを傷つけたくなかった、と言うべきですね……さ、手を開いてください」


 俺の正体を知らない商人たちと違って、こいつには俺の大根演技はお見通しだったってわけか。

 少し面白くなくて口を尖らせながら、強く握り締めたままだった左手をセインの掌の上に乗せる。


「そう言うのはお前らが分かってくれてるからいいんだよ」

「また無茶をなされて……」

「いった……もっとゆっくりやってよ」


 痛みに硬く閉ざされた俺の指をセインがひとつずつ開かせる。そこに溜まっていた赤い血が地面にポタリポタリと零れ落ちた。

 そう。口ではなんとでも言えるが、俺にだって小さな女の子を傷つけられるわけがない。


 剣を引き抜く時、左手を傷つけて刃に血を擦りつけていたのだ。

 少女の首についた赤い筋は俺の血だ。今頃、彼女の手当てをしようとした商人たちは気づいているかも知れない。


「筋は傷ついていないようですね。指が落ちたらどうするつもりだったんですか」

「痛い、痛いって!」


 セインはやっぱり、ちょっと怒っているようだった。傷の様子を見ながら水筒の水で傷口を洗ってくれる、その動作が少し乱暴だ。


「刀傷はどんなに小さくても腕が腐り落ちたり、死に至る危険性がある。それはご存知でしょう?」


 セインは静かに微笑みながら俺の傷に薬を塗って、包帯を巻いてくれた。

 その顔、怖いからやめようよ。


「丸く収まったんだからいいだろ」

「あぁ言うのはペテンと言うんです。貴方ならもっと上手くやれるでしょう? 次に期待してますよ」

「いったぁ!」


 最後にキュッと結んだ包帯の上からペシリと手を叩かれた。

 たまにこいつ、怒ると容赦ないよな。


 今では俺を叱ってくれるのはセインだけだ。

 今回、俺は誰も失わずに済んだ。だけど次なんて。

 父様に会えるまで、こんな思いが続くのか。


 俺は本当に甘やかされた子供だった。

 誰もが真綿にくるむように俺を争いから遠ざけてくれた。

 今もセインたちは俺を巻き込むのにいい顔をしない。今回だって一人残すより、目の届くところにいた方がいいと言う理由で渋々、ついて来るのに同意しただけだ。


 いつか俺にも、こいつらと肩を並べて隣に立たせて貰える日がくるんだろうか。

 早くその日がきて欲しいと言う思いと、いつまでも守って貰いたいような気持が交差する。


 何度、心に決めても俺はまだ迷う。

 誰かに守られるのは簡単だからだ。

 縋りつきたくなる、無事な方の右手をギュッと握り込む。


「さ、いつまでも街道に留まっていると人目につきます。早く行きましょう」


 セインに促されて、俺は頷きを返すと一緒に馬車へと戻った。

 周囲を警戒しながら馬車を見張っていた三人は、足早に戻って来た俺の包帯を見ても何も言わなかった。

 こいつらにも気づかれてたとなると俺の演技力もたかが知れてるな。

 絶対、もう一生、演劇なんてやらないからな。


 先頭の馬車の前にいたユーリだけは、俺が近づくとピシリと気をつけをして四十五度の角度で頭を下げてきた。

 例の騎士団恒例の謝罪か。


「申し訳ありませんでした!」

「まったくだ。ユーリ、お前がすぐに指示に従わないから、ルー……」


 慌ててセインの足を踏みつける。


「スリーだから、こいつはナンバースリー! 僕はナンバーワンで、お前はファイブな!!」


 指を突きつけて怒鳴る。ったく、セイン、今が隠密行動中だって忘れてただろ。以前、ユーリがセインの事を意外とドジとか言ってたのが頷けるな。


「も、申し訳ありませんっ」


 セインがユーリと一緒になって頭を下げてくる。

 もういいよ。

 こいつらと一緒にいると、すぐに悲壮感なんて吹っ飛んじゃうな。

 俺が微かな笑いを顔に浮かべたものだから、セインとユーリも顔を見合わせてちょっとだけ口の端を上げた。


「二人とも顔を上げてよ。ユ……スリーも気にしなくていいから」


 名前で呼べないのはこう言う時に不便だな。


「ですが、俺のせいで……」


 ユーリはチラチラと俺の左手を見てくる。


「いいよ。お前がああ言う事に向いてないのは知ってたんだから、僕の落ち度だ。傷は深くないから安心して」


 俺はユーリに近寄ると、わざと包帯の巻かれた左手で彼の手を取った。痛みが走るが顔には出さない。

 セインがピクリと片眉を上げてまた何か言いたげに俺を見てきたが、サクッと無視しとく。


「……畏まりました」


 ユーリはそれ以上、反論しても俺が受け入れる事はないと理解して、深々とため息をついた。決まり悪そうに後ろ髪に手を当てている。

 俺はユーリの腕をポンポンッと叩いてから、その背後へと視線を向けた。


 馭者台の上では、商人の男が不安そうに身を竦めて俺たちの様子を伺っていた。

 彼も傷のない娘の首と、俺の手に巻かれた包帯を見て、おおよそのからくりは推察したのだろう。


 だが俺のような小さい子供が自分でそれを思いついて実行に移したと言う事実が、彼の混乱に拍車をかけているようだった。

 セインたちよりもむしろ俺の方へ、悪魔の化身でも目の当たりにしたように懐疑的な視線を向けてくる。

 フードを目深に被ったまま、俺は商人へと向き直った。


「それで、お話は聞いていただけたと思いますが、いかがですか?」

「関所を抜けられたいと?」


 ゆっくり頷く俺を見て、商人はゴクリと唾を飲んだ。犯罪の片棒を担ぐ事に抵抗があるのだろう。

 関所破りは鞭打ちの刑だ。大の大人でも根を上げる痛みなんだとか。酷い刑務官に当たれば傷が元で死ぬ人もいると言う。そりゃ、ビビるよな。


 だが、俺たちが今いるこのレートと言う小国は、表向き独立国家だが、その実態はほぼ山岳連合(ユヌ・モンターニュ)の一地方だ。

 レートから、同盟国であるレキストへの出入りは厳しくない。


 通行証さえあれば馬車の中までは改められないだろう。通り抜ける事は難しくないはずだ。

 関所なんて両国が争ってさえいなければ、基本的には通行料を取るだけの場所だ。金さえ貰えれば文句はないのだ。


「関所さえ抜ければ僕らは退散します。その後の貴方たちの身の安全は保証しますよ」


 ここまでは間違いなく先行できているが、この関所を越えられなければ敵に追いつかれる。

 この商人の返答次第だ。

 彼は返事を引き伸ばせば引き伸ばすほど有利になるのだ。もうそろそろこの辺りに誰か通りがからないとも限らない。


 拒絶されたら? 俺はこの人たちを傷つけられるのか? ただ、自分の身の安全のためだけに?

 だが、これが俺の選んだ道だ。

 こんな事で尻込みするわけにはいかない。

 商人は真剣に見上げる俺をしばらく見つめた後、根負けしたように深々とため息をついた。


「分かりましたよ。傷つけるつもりはないと言う言葉は信用しましょう。どちらにせよ、人質を取られている私たちには選択肢がない」


 ただ荷物を運んでいただけだろうに、巻き込んじゃって悪いね。父様に会えたらきちんと補填しますよ。

 商人は、後ろの馬車に一纏めに乗せられた護衛たちに大人しくしているよう、重々言い含めてくれた。


 その後で、ちょっとした一悶着が起こった。俺が、自分たちが乗ってきた馬を置いて行く事に難色を示したからだ。


「絶対、嫌だ! 冗談じゃない。大体、関所を越えた後はどうするんだ!」

「彼らに借りざるを得ないでしょうね」


 セインはチラリと商隊の馬に視線を向けた。

 そりゃ、非常時だから接収するとは言ったけど、四~五頭も取られたらこの人たちが困るだろ。

 それに馬たちだってマーナガルムから遥々ついてきてくれたんだ。旅の間、ずっと一緒だった。

 皆だって、愛馬を手放したい奴なんて一人もいないはずだろ!


「馬くらい連れて行ってもいいだろ!」

「我々の馬は目立ちます」

「それでも! 嫌だって言ったら、嫌なんだよ!!」


 俺はただただ、駄々をこねる子供のように言い張り続けた。

 常日頃にない俺の態度に騎士たちは戸惑っているようだった。

 俺は大人顔負けの頭脳を持っていて、たまに少しはっちゃける事はあるけれど、我が儘を言わない子供だと思われていたからだ。


 どうしてだか分からない。

 たったひとつの思いが俺の身を竦ませていた。

 俺はこれ以上、何かを失うのは嫌だ。


 もうこれは理屈じゃない。

 本当はユーリを一人旅立たせるのも不本意なのに、この上、馬まで置いて行くなんて耐えられない。


 こうして言い合っている間にも時間は刻、一刻と過ぎていく。一分、一秒経つごとに状況は悪化すると頭で分かっていても、俺はどうしても頷く事ができなかった。

 唇を噛んで俯く俺を、困ったようにセインとユーリが口々に宥めてくる。


「我々の馬は鍛えられていますから、数日くらい置いていってもどうと言う事もないですよ」

「そうそう、ちゃんと回収できますって」

「でも、運が悪かったら……?」

「この辺りは狼も生息していないようですし、危険は少ないと思いますが」

「でも少ないだけで、ないわけじゃないんだろ?」

「なんなんですか、もー! いいですか、野生動物だって馬鹿じゃないんです。こんな、でかくて群れている馬を狙ったりしないですよ!」

「でも~……」

「あ、あのー……」


 いつまでもグダグダグダグダと話し続ける俺たちを見かねたのか、商人さんがおずおずと馭者台の上から声をかけてくる。


「そこまで馬を連れて行かれたいなら、お力になれない事もないと思いますが……」

「本当ですかっ!?」


 途端に声を弾ませた俺に、商人さんは苦笑した。襲撃の時に見せた勇ましい俺と、今の本当に六歳の子供のような俺と、どちらが本性か計りかねたのだろう。


 どちらも俺だとしか言いようがないが。

 もともと三十歳過ぎのおっさんの記憶と、六歳の精神を持っている俺だが、今がさらに情緒不安定なのは自分でも自覚している。


 今の時刻は昼過ぎだ。あれから一日も経っていないのかと思うと、あまりにも遠い朝の記憶に目が眩みそうになった。

 俺はふらつきそうになる足を誰にも気づかれないよう、強く踏みしめた。


 まだたった半日だ。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。ふーっと大きく息をついて、呼吸を整える。

 商人の助言を聞いて、セインたちは手早く馬から鞍を取り外すと馬車の後ろに纏め始めた。



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