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第3話 約束

 

 しばらく俺たちは無言で馬を駆けさせていた。

 俺は一人で馬に乗ることを許して貰えず、相変わらずセインの前に乗せられていた。


 風光明美な観光国家レート。

 この辺りに土地勘はないが、俺は家庭教師であるエラムに大陸の大まかな地図を全て叩き込まれていた。

 もちろん前世の地図のように詳細なものではないが、位置関係が分かるだけでもありがたい。


 ここはレートでも山岳連合寄りの北西の地方。馬を駆けさせれば今日の内には隣国であり、山岳連合の玄関口であるレキストに辿り着ける。

 問題は関所だ。関所を通る通行証がない。

 こんな軍馬で子連れなんてどう考えても見咎められる。

 目立てば敵に勘づかれる。レートやレキストの関所が敵の手に染まっていない保証はない。


 当初は俺の誘拐を計画していたらしき敵さんだが、今もそうとは限らない。

 手段を選ばず襲われたら、たった五人ではひとたまりもない。関所の別室で闇に葬り去られるなんて真っ平ごめんだ。

 だが、森を抜けるのも不安が残る。土地勘もなく迷えば無駄に時間を浪費するだけだ。


 敵がどれくらいの数か分からないが、一分隊を全滅させたんだ。少なくともそれ以上はいるだろう。

 子爵の別荘への道、レートの首都へと同じように、俺たちがひとまず目指しているレキスト国への道も押さえられているに違いない。

 こちらに有利なのは俺がどこにいるか悟られていない事くらいだ。恐らく敵の戦力は分散されているだろう。


 敵は俺がいないと知った時に、どう考え、どう行動したたのだろう。

 屋敷の人間を殺して、取り返しのつかない事態になった後に、俺がいない事が判明したのだとしたら。

 それでも騎士たちや母の抵抗に合い、当初の目的通り皆殺しにした。

 夜を経ても俺が帰って来ない事に業を煮やして火をつけた?


 それだとおかしいな。全てを炎の中に消し去るつもりなら、複数の場所に火をつけただろうし、油も撒いて、もっと火の手は強かったはずだ。

 もともとは俺を浚ってから火事を起こすつもりだったのかも知れないが、想定外の出来事に命令系統が混乱したか、何か偶発的な出来事が起こったのだろう。

 何が起こったかまでは想像の範囲外だ。


 俺たちが屋敷に戻った時に敵の姿がなかったのは幸いだった。炎が人目を引く前に撤退したんだろう。

 相手は相当、手馴れた玄人だ。それが一番のターゲットである俺を逃したんだ。依頼主には顔向けできないし、面目丸潰れだろう。全力で俺を探しているはずだ。


 そんな奴らの目をかいくぐるにはどうしたらいい?

 考えろ、考えるんだ。

 前世の記憶が戻ってからの俺の四年間は机上の勉強だけで、実戦経験はない。所詮、平和ボケした元日本人だ。

 こんな事態になるまで、世界が楽しくて明るいものだと信じて疑っていなかった。


 俺が唇を噛み締めて考え込んでいる間、皆はどんな事を思っていたのだろう。

 しばらくは気遣うように、誰も俺に話しかけてこなかった。


「少し休憩を取りましょう」


 考え込んで、ずっと黙ったままの俺の肩にセインが手をかけて伝えてくる。その掌の暖かさに縋りつきたくなるけれど、俺はどうしても彼らと対等でありたかった。

 守られるだけなんて願い下げだ。


「僕なら大丈夫だ」

「いいえ。馬が持ちません」


 ゆっくりと首を横に振られる。その言葉が嘘か本当か、俺には判別できなかった。セインが言うならそうなんだろうと思うしかない。

 仕方なく俺は近くで休む事を渋々了承した。

 馬から降ろされ、久しぶりに地面を踏みしめた俺の足はよろけた。


「ぐ……ぅ……」


 腹痛のせいか、心労か。言いようのない吐き気がせり上がってくる。やっとの思いで近くの木の幹に手をついて身体を支える。


「やはりお加減が……」

「大丈夫だっつってんだろッ!」


 木の幹にガンッと拳を打ちつけて怒鳴っても、セインは怯まなかった。

 それ以上、何も言わず、根気よく俺の背中を擦ってくれる。

 その間に他の奴らは荷物の整理をしたり、馬に下草を食べさせたりと、テキパキ動いていた。


 木の幹に背をもたれて座らされ、俺は手足を投げ出した。

 六歳の身体ってのはこう言う時、きついな。

 体力がない。

 休みたくない。休んでいると考えたくない事を考えてしまいそうになるから。


 俺は少しうとうととしていたんだと思う。

 誰かが、金属のコップにお茶の残りを入れて差し出してくれた。


「あぁ、ありがとう、ロー……」


 俺が何気なく漏らしかけた言葉に、コップを差し出す手がビクリと動揺した。

 まずい、ぼんやりしていて失言した。


「悪い、アレク」

「いえ……」


 俺のせいでその場は重苦しい雰囲気に包まれた。

 コップを受け取って口に運ぶ。水分を口に含んで、俺は初めて自分の喉が渇いていた事に気づいた。

 本当はがぶ飲みしたかったが、大切に喉を潤すようにチビチビと飲む。


 ローズはもういない。その現実に慣れるしかない。

 もう彼女が俺のためにお茶を入れてくれる事も、服を用意してくれる事もない。

 鬼のような形相で怒られる事も、くどくどとお小言を言われる事も、険しくも優しいあの顔を見る事はないんだ。


 ローズ、ローズ。

 不意に思い出した面影は俺を打ちのめした。

 考えないようにしていた悲しみが目の前を真っ暗にする。


 コップを持って俯いたまま固まってしまった俺の横に、アレクが腰を下ろす。二人で黙って地面を見下ろす。

 生い茂る草は冬も近いと言うのに、やけに鮮やかに見えた。葉っぱの裏に芋虫がついていたりして。

 葉脈の一筋一筋や、地面から盛り上がった土くれの形なんて……今、そんなものは俺にとってどうでもいいはずなのに。こう言う時ってどうして、そんなどうでもいい事ばっかり目につくんだろうね。


「泣いてもいいんすよ」


 ポツリとアレクが伝えてくる。

 俺が泣いたって、この場に笑う人間なんていない。

 俺には泣くべき理由もたくさんある。

 でも、だからってそれを免罪符にしたら俺は前に進めない。


「馬鹿言え。泣かないよ」


 俺は弱い人間だから。六歳の振りをして泣いてしまったら、こいつらに頼り切って自分の足では進めなくなる。

 ねぇ、ローズ、そうでしょう。俺はお前に、そんな風には育てられてない。


「いいんすか」

「じゃぁ、とりあえず父様に会うまでね」


 俺はアレクを見上げてどんな顔をしたのかな。ちゃんと笑えていたのかな。アレクも泣き出しそうな笑ってるような微妙な顔をしていた。



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