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第28話 最後の日

 

 母様の部屋のドアをノックすると、すぐに侍女が扉を開けて中へと通してくれた。

 俺の前世の記憶が戻ってから、もう何度も繰り返されているやり取りだ。

 俺は扉が開ききるのも待たず、母様の部屋へ飛び込んだ。部屋には母様づきの侍女や、ワルターと数人の騎士、オレイン先生の助手たちがいた。

 皆、元気よくベットへ駆け寄る俺を見て、目を細める。


 あれ? オレイン先生がいないな。そっか、レートの首都で行われる学会に行ったんだっけ。


「オレイン先生はもう出かけたの?」

「はい。朝方早くに。明後日には帰って来られる予定ですよ」


 助手の人が教えてくれる。


「母様、こんにちは!」

「いらっしゃい、ルーク」


 これも幾度も交わされたのと同じ挨拶を、ベッド脇に立って母様と交わす。

 薄く開かれた大きな窓から時折、入り込んでくる風が、ベッドに座る母様の白金の髪をサラサラと揺らしていた。


 陽光が優しく母様の顔を照らす。

 整った顔立ちに、霜が降りたように白い眉や睫毛。

 母様の顔は見飽きる事がない。

 三次元なんて二次元の劣化だと思ってる奴に教えてやりたい。たまには三次元だっていい仕事をする、と。


「今日はご機嫌なのね? 明日、アイリーンちゃんが来るからかしら?」


 そんなに顔に出てるかな。気をつけないと、他の人にも悟られちゃうな。

 こっそり顔を引き締める。


「母様、内緒ですよ」

「なぁに?」


 ヒソッと伝えて手で合図すると、母様はクスクスと笑いながら身を屈めてくれた。俺はベッド脇に膝をついて、母様の耳に手を当てて囁いた。


「実は僕、今から森に行ってアイリーンのために花を摘んでこようと思うんです。だから今夜、帰って来なくても心配しないで下さいね?」

「まぁ」


 母様は自分の口に手を当てて呟いた。それから慌ててワルターにチラリと視線を走らせる。

 ワルターは俺たちの会話などいつも通りと思って、注意を払っていなかった。ちょうどセインに話しかけられて、気を逸らされたようだ。

 セイン、ナイス。


 その隣に立つユーリが小さくウィンクしてくる。

 母様はそれを目に止めて、楽しそうにコロコロと笑い声を上げた。


「本当に貴方たちは仲がいいのね。いいお兄さんたちが見つかって良かったわ」

「そうですね。あいつらを選んでくれた父様には感謝してますよ」

「そうでしょう。フィル様はいつでも凄いのよ」


 どうだろうね。父がそこまで考えていたとは思えない。でもあの人、たまに超直感を働かせたりするからな。


 ベッドの端に腰かける俺の頭を、母様の指が滑るように撫でる。母様の指先はいつも人より冷たい。

 ひんやりとしたその指先が少しでも温まるように子供の体温で包み込む。

 透けるように白く、節くれ立って血管が浮かんでいる掌。


 オレイン先生はレートの学会で何か新しい治療法を仕入れてくるだろうか。対処療法だけじゃなくて、早く心臓そのものを治してあげたい。

 心配する気持ちは押し隠して、強いて笑顔で母様を見上げる。


「父様、今頃、サラクレートを通過中ですね」

「もうそんなところなのね」


 もう、と口では言いながら母様の表情はどう見ても、まだって言いたそうだった。

 父様の話をする時、母様の瞳はいつでも恋する少女になる。

 もちろんそんな母の表情を見せつけられて面白いわけがない。何回目か分からないが、俺は頭の中でクソ親父をまた爆発させておいた。


 母様の掌を包み込む手に、ぎゅっと力を込める。俺の事だけを見て欲しくて。

 あらあらなぁに?と言うように、遠くを見つめていた母様の視線が戻ってくる。

 時折、琥珀色にも見えるその優しい瞳を見返して、俺はエヘヘと、にやついた笑顔を返した。

 今世での初恋が母様だとか、アイリーンには内緒だ。

 俺は自他ともに認めるマザコンで。

 母様は俺の永遠のアイドルだ。


「それじゃ、用意があるのでそろそろ行きますね」

「ルーク、明日はちゃんとアイリーンちゃんを連れて来てね」

「分かってますとも」


 俺はベッドからピョンと飛び降りると、母様に軽く手を上げた。

 視線で合図する前に、セインとユーリが後ろにつき従う。

 ワルターたちが軽く頭を下げて俺たちを見送る。


「じゃぁ、母様、また明日!」

「えぇ、また明日」


 いつもの水色のスカーフを肩から羽織った母様が、ドアが閉まるまで笑顔で俺に手を振り続ける。

 俺は後から何度も何度も、この日の光景を思い出した。

 これが母様を見た、最後になったからだ。



 ◇



 まだ日も明けやらぬ薄暗がりの中、五頭の馬が森を駆けている。

 森と言っても湖近くの開けた土地まで村人が通っているのか獣道に近い細い道筋があったので、行きもそんなに困らなかった。


 ポロの試合の後、俺は以前より乗馬が苦痛ではなくなっていた。

 まだあの試合の最後ほどに手足のようにとはいかないが、国から連れて来た愛馬ルナに乗って颯爽と走るくらいはできるようになっている。

 あの時はアドレナリン全開で、ちょっと頭がぶっ飛んでたんだ。


 前方にユーリとルッツ。後ろにアレクとセイン。細い道を縦一列になって駆けているが、四人は油断なく周囲の気配を伺っていた。万が一にも何かあった時には散開して俺を取り囲めるようにだ。

 こうしているといつものおちゃらけた雰囲気はどこへやら。

 こいつらもきちんと訓練を受けた騎士なんだなって感じがする。


 俺たちは前日、誰にも見咎められる事もなく屋敷を抜け出す事に成功していた。

 もともと俺に花の事を教えてくれた馬丁のサミュエルは計画を知っていて、見つかりにくい屋敷の裏手まで馬を連れて来てくれた。

 外で食べられるよう五人分の軽食を頼んだマルコはなんとなく事情を察したようだが、何も聞かずに用意してくれたとアレクが言っていた。


 後でマルコにもお礼がてら、成果を教えに行かないとな。

 ローズは今頃、お冠かな。一晩中、まんじりともせず苛々と待っていたかも知れない。ごめんね。でもローズに言ったら絶対、告げ口されたからな。

 まぁ多分、俺が出て行った後、母様がフォローしてくれているだろう。


 俺が乗るルナの脇につけられた籠の中には、問題なく濃い青紫色の花が詰まっていた。

 皆が手伝ってくれたので、花束にするよりたくさんの花を摘む事ができた。

 屋敷の部屋の一室を青い花一色で飾ったら綺麗なんじゃないだろうか。

 アイリーンは喜んでくれるかな。

 目をまん丸くして、飛び上がって喜ぶアイリーンの姿を思い浮かべると、今から顔がニヤニヤしてくる。


 俺は浮かれて、前しか見ていなかった。

 だからその異変に最初に気づいたのは、先頭のユーリだった。

 ユーリは凄く視野が広い。俺みたいに一点に集中するタイプではなく、いつも誰も気づかないような些細な相違を見つけ出す。


 ユーリが片手を上げて馬足を緩めたので、自然、後に続く俺たちも速度を落とした。

 振り返りもしないユーリにハンドサインだけで呼ばれて、セインが俺たちの横を突っ切って、二人並んだ。

 ピリピリと四人の雰囲気が一瞬で切り替わる。ユーリが、俺の身の安全についてふざける事は絶対にない。


 ユーリに指さされ、セインが空を見上げる。

 俺も遅れて上を向いた。

 木々の向こう、屋敷の方角に黒い煙が上がっているのが見えた。

 一瞬、朝食の準備じゃないかと、俺はのん気な事を考えたが、二人の意見は違った。振り向いたセインとユーリの表情は険しい。


「嫌な予感がします。全速力で戻りますが、ついて来られますか?」

「無理だな。アレクに乗せて貰った方が早い」


 セインに尋ねられて俺は即断した。彼らがそうと決めたなら、俺にできるのは足手まといにならない事だけだ。


 馬術で言う早駆け、いわゆる襲歩(しゅうほ)は、俺が身につける事のできなかった技術のひとつだった。

 疾走する馬から振り落とされそうなのが怖くて、全速力になる前にどうしても手綱を緩めてしまうのだ。

 俺はルナに乗ったままアレクの横に移動すると、伸ばして来た彼の腕を取ってひょいと馬の間を移動した。


 ルナの手綱はルッツが取ってくれる。

 俺がアレクの前に跨ったのを認めて、全員が前を向く。

 手綱を入れると一斉に馬がドドドッと駆け始めた。最初はわずかに緩やかに、しかし一気にトップスピードに乗った馬たちは暁闇(ぎょうあん)の中を疾走する。


 木々が、物凄い勢いで後ろに流れていく。

 前世のジェットコースターにも匹敵するような速度だが、誰も上半身がブレない。競馬で言うとゴール前の順位争いの走り方に近い。

 だが、比較的短い距離だけを走るように調整された地球のサラブレッドと違い、一回りも二回りも大きい軍馬はパワーが違う。

 飛ぶように森を突き抜けて、屋敷への道なき道を駆けた。


 全速力で走っているはずなのに、馬はちっとも前に進まないように感じた。

 嫌な予感がするとセインは言った。そんな予感、外れてしまえばいいと思うのに、誰も喋らないから不安だけが募る。

 振り落とされないように鞍を強く握っている掌が血の気を失っていく。

 何もない、何もないさ。高鳴る心臓を抑えて、前だけを向く。


 俺みたいなお荷物を乗せて早駆けをすると言う難しい芸当をしているのに、アレクが俺を落ち着かせるために冷たくなった掌を上から片手で包んでくれた。

 木々の向こうに、やっと屋敷が見えてきた。


 けれど、森から出ずセインとユーリは足を止めた。木々に隠れて屋敷の様子を伺っている。

 ここからじゃ、背の高い二人の身体に邪魔されて前が見えない。


 アレクの馬の上に立ち上がって、俺は絶句した。

 そこに待っていたのが考えもしなかった光景だったからだ。

 屋敷の西側から火の手が上がっている。


「どうして……何が……」


 混乱したまま呟くが、それ以上、言葉が続かず俺は声を途切らせた。


 火事自体はこの世界ではさほど珍しいものではない。電気が普及して火を使う事が少なくなった前世の日本と違って、この世界では調理の竈も、暖炉も全て薪や石炭などの火を扱う。明かりも蝋燭だ。

 気をつけていても、どうしても起こってしまう事はある。

 だけど、なんで誰も外に出て来ていないんだ?


 まだ薄暗いとは言え、どう考えても皆、起きている時間だろ。

 この世界の朝は早い。まだ日の昇らない内から誰もが起き出し、朝の支度をして、すっかり明るくなった頃にはもうすでに仕事に取りかかるのだ。

 なのに屋敷から物音ひとつしないのは異様な光景だった。


 火の手を上げる豪奢な屋敷を見つめながら、俺たちは誰も、それ以上の言葉を発する事ができなかった。



 To be continued...



カウント1

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