第19話 夕焼けの向こうへ
俺たちが止める間もなく、長身の背中はドアの向こうにふいっと消えた。何が起こったか俺が理解する前にパタンと扉が閉まる音が響く。
「セイン!」
慌てて後を追いかけようと足を踏み出すと、アレクが、ユーリが、ルッツが、大きく頷いてくれた。
「行ってやってください。あいつはこれを乗り越えないと、先には進めない」
アレクの言葉にも背を押されて、俺は部屋を飛び出した。
足の速いセインは、もう城の廊下をかなり先まで進んでいた。置いて行かれないよう必死で後を追う。
追いついて何を言うのか。
まだ何も思いつかないが、あいつらの信頼に応えられないなら、俺が前世を通して生きてきた意味なんてないだろう。
無駄に年だけ食ってるなんて、そんな事はないはずだ。
「セイン!」
俺の声は聞こえているはずなのに、セインは振り返らない。
あーもう、お前がそんな態度なら、こっちにだって考えがあるんだからな。
これは痛そうだからやりたくなかったが仕方ない。
「ぐっ……」
足がもつれた振りをして思いっ切り床に倒れ込む。
受け身が下手なので両膝をモロにぶつけてしまった。振りとかじゃなくて相当、痛い。
「いったぁ……」
演技じゃなくて本当に涙声になってしまった。
絶対、青痣になってるわ、これ。身体中、満身創痍でローズが見たら卒倒しそうだな。
物音に驚いて振り向いたセインは、慌てて駆け戻って来た。
ほらな、セイン。何があったってお前は俺を無視できないんだよ。そのくらい優しい奴だって、もう知ってるから。
「無茶な事を……」
俺がわざとこけたと分かったからか、嘆息しながらもセインは手を差し伸べてくれた。
「お前が戻って来るなら安いもんさ」
その手を握って立ち上がっても、俺は手を離さなかった。
セインの腕をグイグイ引っ張って先に進む。部屋には戻らない。
「セイン、休憩なら庭に行こう。たまにはお前がさぼったって誰もなんにも言わないよ」
セインは俺に手を引かれて、困ったように眉を下げた。たった六歳の主君に気を使われているのが決まり悪いんだろう。
思えばセインだけは最初から俺を馬鹿にしたりせず、礼儀正しい態度だった。見下されたように感じていたのは完全に俺の被害妄想だ。
いつでも礼節を失わない、騎士らしい騎士。
そんな奴、よく考えたら気持ち悪いよな。だってこいつまだ十八歳だぜ。心が揺れたり、悩んだり、絶対にしているはずだ。
俺が十八歳の時って……高校三年生か。あの頃は教室ではぼっちに近かったな。
幸い、他のクラスや後輩にアニ研の部活仲間がいたから登校拒否にもならず、そこそこ楽しく学校に通っていた。
毎日、休憩時間や放課後が待ち遠しかった。
大学受験もなんのその。夏が終わるくらいまでアニ研の部室に入り浸って、夜遅くまで馬鹿話に花を咲かせてたっけ。
十八歳なんてそのくらい気楽でいいんだよ。
俺はこいつらに手足のように働いて貰いたいなんて思わない。
命を懸けて欲しいとも思わない。
ただ一緒にいたいと言ってくれた、その言葉だけで嬉しかったのに。
頭がいいように見えて、馬鹿だな、セイン。まだそんな事も分かってなかったのかよ。所詮、こいつも脳筋だからな。
俺はセインをほとんど無理やり庭に連れ出して、生垣の側のベンチに座らせた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
まだセインは堅苦しく、そんな事を言っている。
「そうじゃないだろ……!」
声を荒げかけて口を閉じた。これじゃユーリの二の舞だ。
セインだってあの三人の気持ちを分かってないわけじゃないけど、言葉で何を言われたって一歩を踏み出せないんだろう。
団長と何があったのか知らないが、それくらい根深い問題って事か。
俺は上司として、しっかり者の振りをしているセインに脆いところがある事くらい、とっくに気づいていないといけなかったんだ。相変わらず鈍くて自分が嫌になる。
セインの隣に俺も腰を下ろす。
すでに時刻は夕方で、斜陽は空を赤く染め始めていた。
本来ならとっくに夕食を食べ終わって、寝る用意をしている頃だ。けど、今日はお祭りだしいいだろ。ローズだって大目に見てくれるさ。
城で誰かが言っていた。
暁のルーカス殿下と、黄昏のアルトゥール殿下、と。
夕焼けはいつも兄様の髪の色を思わせる。
アルトゥールならこう言う時、どうするんだろうな。あの人、部下には厳しそうだからな。多分、こんな馴れ合った環境になった事なんてないだろう。
俺は俺か。
年下の上司と部下って関係より、友達みたいな方が気楽だわ。
「あいつらはああ言ってたけどさ。言いたくない事、言わなくていいよ、セイン」
できるだけのん気に聞こえるように、真横の逞しい二の腕をポンと叩く。
「だってお前、誓ってくれただろ。命続く限りって。まだまだ俺たち、ずーっと一緒にいるんだからさ。そんなに急がなくていいんじゃないの」
俺は六歳。セインは十八歳。俺たちの前には無限にも思える未来が広がっていた。
そうだ。子供の頃って、大人になった時の事を考えて、こんな風にワクワクしたな。
多分、これからも俺たちはシアーズで馬鹿やって。いつか国に帰って。アイリーンを迎えに行って。俺は辺境に領地とか貰うのかな。
その頃には家臣ももう少し増えているだろう。セインには一の家臣として家臣団のまとめ役を頑張って貰わないといけないんだからな。
「だからいつかセインの話を聞かせてよ。僕もとっておきの恥ずかしい話を聞かせてあげるよ」
セインの知らなそうな恥ずかしい話ってなんだろうな。あれかな。母様が倒れた後に面会した時の事かな。
重苦しい雰囲気を吹き飛ばしたくて、俺は冗談にまぎらせようとした。
ふと隣を見ると、セインの精悍な横顔にポタッと光るものが零れ落ちるのが見えた。
慌てて服の袖で顔を拭っている。
「己を律する事もできない未熟者で申し訳ありません。本来なら私は、ルーカス様に忠誠を誓う価値もない人間です」
「僕が誰と一緒にいるかは僕が決める!」
カッとなって俺は思わず怒鳴った。
「僕はセインがいい! これからもアレクやユーリやルッツと一緒に笑って過ごして行きたい。そこにセインがいないなんて嫌だ!」
俺が何を言ってもセインには届かないのか? 俺にはなんの力もないのか?
悔しくて奥歯を噛みしめる。
セインは何も答えてくれない。唇を引き締めた青白い顔を見上げていると、沸々と怒りが湧き上がってきた。
セインを縛る、この呪いみたいなくびきはなんなんだ。
団長は一体、セインに何をしたんだ。
厳しそうな人だとは思ってたけれど、これは到底、まともな親子関係じゃない。ユーリたちが憂慮するはずだ。
「ねぇ、セイン。嫌な事は嫌だって言っていいんだよ。騎士だとか、男だとか、大人だからとか関係ないんだ。今まで言えなかったんなら、僕はいつまでも待つよ。だからそんな悲しい事、言わないでよ」
言っている間に自分まで泣きたくなってきて、俺は必死でセインの身体を揺さぶった。
真剣に顔を見上げる。
視線は逸らさない。
先に横を向いたのはセインの方だった。
「……私はずっと、父が苦手だったのです」
絞り出すような低い声。
堰を切るようにセインの口から言葉が続いた。
「騎士とは剣。剣が感情を出す必要はないと、幼い頃から厳しくしつけられました。家では笑い声ひとつ聞いた事がありません。私はずっと……ずっとアレクが羨ましかった……」
それはセインの魂からの慟哭だった。
なんて事だ。子供の頃から、弱音を吐く事も、笑う事も許されなかったなんて。俺は呆然とセインを見つめた。
それはもうほぼ虐待に近いじゃないか。感情を殺して生きられる人間なんていないだろ!
あんの騎士団長め、国に帰ったら絶対に折檻してやる。
前世でも今世でも俺の親は俺に甘かった。甘すぎるんじゃないかと思うくらいだ。だから親を嫌うって気持ちはよく分からない。
だけど、そんな父親を嫌いとも言えないくらい、セインは優し過ぎる奴だった。
旅の間、俺がセインを無視した時、セインはどんな気持ちだったんだろう。それでも俺を心配して、アレクを寄越してくれた。アレクなら自分と違って楽しい奴だとか言っていた。
ただ単に俺がセインじゃなくて、イケメンが嫌いなだけだって知った時の晴れやかな笑顔を思い出すと、浮かれていた以前の自分を殴りたくなってきた。
ワルターさん、ここまで考えて俺にセインたちをつけてくれたのか?
多分、あの人、狸だから。セインの事情だって分かってたに違いない。
問題児ばかり俺に押しつけて。これくらい軽く御してみろって思われてたんだろう。
もちろん俺は四人を手放す気なんか絶対にない。
俺はセインの腕に軽くコツンと頭を当てた。
「ユーリはいい奴だな……」
「はい」
「あとで皆にも謝っとけよ」
「分かっております」
そうして俺たちは、山の稜線に太陽が消えるまで黙ったままで夕焼け空を見上げた。
カウント10




