第13話 迷路を抜けて
「いっ、たたた……」
何かにぶつかる衝撃とともに俺は地面へ放り出された。したたかにぶつけたおでこに手で触れる。血は出ていないようだが、たんこぶにはなっているかも知れない。
辺りは真っ暗で、急に明るい場所から飛び込んで来たものだから、まだ目が慣れない。
おっかなびっくり手を伸ばすと木の板で作られているらしき壁に行き当たった。サスサスと壁を探って思案する。
反対側にも腕を伸ばすと、人が一人、通れるくらいの幅があって、そこにも壁。
「なんだ、ここ……?」
隠し通路なのだろうか。やけに狭い空間に俺と豚が一頭だけ。他の豚は散り散りになってしまったのか見当たらなかった。
俺を乗せて来た豚は思い切り頭を壁にぶつけたらしく床で伸びている。
「チッ」
思わず舌打ちもしたくなるさ。俺はその場で地団駄を踏んだ。
まさかアイリーンの前で、あんなみっともない姿を見せるはめになるなんて。シアーズに来てからの俺は呪われてるのか!?
それとも昨日、豚の丸焼きを食べた祟りか?
ばかな。豚を食べたくらいでこうなるなら、大陸中が呪われてる。
「セイーン! ユーリー!」
大声で呼ぶが返答はない。俺の呼び声は分厚いテントの布地に吸い込まれて消えた。天幕の中もやけに静かだ。見世物をしているなら、人がたくさんいるはずなのに。
奇妙に思うが、ここで考え込んでいても仕方ない。
ひとまず豚が走ってきた方向に向かえばテントからは出られるはずだ。
そう考えて、壁に手をついて慎重に足を進める。
「ぶっ……!」
しかし順調に歩けたのは数歩だけ。突如、進行方向を塞ぐ壁にぶつかって、俺はまたもや顔を打ちつけてしまった。
「いったぁー……」
ゆっくり歩いていたのが不幸中の幸いだった。
なんでこんな通路の真正面に壁があるんだ。
俺は通路の壁に触れていた右手を正面の障害物へ向けた。さわさわと探ってみるが、これもただの壁のようだ。扉ではない。
左手を伸ばしてみるとそこに壁はなく……ここで、この細い通路は左に曲がっていた。
「やばい……ここ、もしかして迷路か」
暗闇の中で途方にくれて呟く。こっちが来た方向だと思って歩き出したんだが、相当、方向感覚がおかしくなっているのかも知れない。
「セインー! ユーリー! アイリーン!!」
もう何度か呼んでみるが、誰からもまったく返答がない。おかしいな。あいつらなら、何を置いても真っ先に飛んで来てくれるはずなのに。
そうでもないのか。今はもう一人の護衛対象であるアイリーンがいる。ひとまず彼女を馬車まで帰すにしても、一人はついて行かざるを得ない。
でも、あのアイリーンが大人しく馬車で待ってくれるだろうか。私もついて行きますとか言いだして二人を困らす姿は容易に想像できる。
じゃぁ、執事さんも含めて四人で一緒に俺を探していると仮定しよう。豚がばらけてしまった結果、俺が大テントの中にいる事に気づいていなかったら?
まずいな。あまり時間がかかるとアイリーンを家に帰す約束の時間に間に合わなくなる。
「すみませんー! 誰かいませんかー!」
さっきから俺の声に答える人は一人もいない。なんでここ、こんなに人気が少ないんだ。
こうなったら俺にできる事はあまりない。このままここで待つか、前に進むか、後ろに戻るか。
「くそっ」
苛立って目の前の壁を蹴ると、木の壁がたゆんと揺れた。
あれ、これ、もしかしてあんまり厚くない?
よくよく調べてみるとベニヤ板ほどの厚さの板が木枠にはめられているだけみたいだ。
壊したら怒られるかな。非常事態だからいいかな。最悪、後で弁償すればいいよね。
外から見た時は大きなテントに思えたけど、中で幾つも催しをやっているのだから、この迷路らしき構造物の面積はさほど大きくないはずだ。
それに突進する豚が曲がりくねった道を通れたはずはない。ここが迷路の外周部である可能性は高かった。
「よし」
意を決すると、俺は足に力を込めて目の前の壁を蹴った。二、三度、打ちつけている内にブーツが木の壁を打ち抜いて向こうにすっぽ抜ける。
身体が通り抜けられるほど穴を大きくして、ニジニジとそこを潜り抜ける。
背中でビリッと上着が破ける音がした。あーぁ、ローズに怒られる。
だけど思った通り、穴の先には壁がなかった。
まだテントの中ではあるようだが、やたら暗かった迷路よりは明るくて周囲が見える。どうやらここは本当の通路のようだ。
左右を見回すと左手にぼんやりと光が見えた。陽光ではない。ユラユラと揺れる蝋燭の灯りだ。
真っ昼間から分厚いテントで覆った中で蝋燭を灯すとか、けっこう雰囲気作りに凝ってるんだなと思う。
とにかくそちらに行けば誰かいるだろう。俺は灯りが見える方向に歩き出した。
光は小部屋のような場所から漏れていた。
天蓋のように天井から緩く布が幾重にも垂れている入り口を通り抜ける。
数人も入ればいっぱいになりそうな手狭な部屋に足を踏み入れて、息を飲んだ。
テントの中なのに星が瞬いている?
いや、違う。
暗闇に慣れてきた目で天井を見上げる。
藍色の空を模した天井に、星を模したクリスタルがいくつも吊り下げられている。それが蝋燭の灯りを受けてキラキラと輝いているのだ。
からくりが分かっても、目を見張るほど美しい仕掛けだ。
部屋の中は不思議なお香の匂いに満ちていた。地球で言うなら中東のような、アラビックなイメージの香りだ。
「ようやく戻ってきたんだね。お帰り、ルーク」
どこからともなく囁くような声が聞こえた。聞き間違いかと、俺は首を捻りながら部屋の中をグルリと見回した。
部屋の隅に小さな老婆が座していた。
床にはエキゾチックな紋様の絨毯が敷いてある。その上に幾つも置かれた、手の込んだ刺繍のクッションの間に埋もれるように、その老婆はちょこんと座り込んでいた。
この人が喋ったんだろうか?
おばあさんはこの世界では珍しいほど皺だらけの顔に、真っ白な髪をしていた。俺の家庭教師であるエラムよりお年寄りなんじゃないかと思う。
あんまりにも皺くちゃな顔なので表情が読み取りづらいが、老婆は俺を見て微笑んだようだった。
彼女の背丈に合わせて作ってあるらしき小さな座卓に片手を置いて、静かに俺を見上げている。
こんなお年寄りに会った覚えはない。誰かと間違えているんだろうか。
彼女の前まで近寄ると、身を屈めて大きめの声で話しかける。
「おばあちゃん、こんにちは。ここは他に誰かいないんですか?」
まだ耳はしっかり聞こえるようで、俺の質問にもはっきり受け答えしてくれる。
「今は私一人だね。でも、もうすぐあんたの探してる人たちがここに来るから、待っていたらいいよ」
「えっ?」
「どれ。その間にお茶でも入れてあげようかね」
そう言いながら老婆は、どこからともなく鉄瓶を取り出した。さっきまで何も置かれていなかったはずの座卓にいつの間にか、おままごとみたいに小さなコップが置かれている。
老婆は戸惑う俺に構わず、鉄瓶の中身をコップに注いだ。
雰囲気に飲まれてしまっているが、ただ単に鉄瓶は座卓の横に置いていただけ、コップも引き出しから取り出しただけだ。多分。
「さぁ、お飲み。甘くって気分が落ち着くよ。遠くから来たんなら喉も渇いてるだろ」
座卓の上にコトンとコップを置いて差し出される。
俺の困惑をどこか面白がっているような、いたずらめいたお茶目な視線。
なんだか、俺はこの人が誰なのか分かるような気がしてきた。
放浪の一族出身の、旅する占い師。
「貴女がイルナリーゼ師でいらっしゃいますね」
俺が居住まいを正して語りかけると、彼女は皺くちゃな顔の真ん中の、落ちくぼんだ目を細めた。
「確かにあたしがイルナリーゼだけどさ。師なんて呼ばれるような大した人間じゃぁないよ。ただ長生きしてるだけのおばばさね。さっきみたいに、おばあちゃんと呼ばれる方がいいねぇ」
イルナリーゼさんは、ニコニコと人好きのする顔で告げた。




