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第12話 サーカスへ行こう!

 

 八街区の端まで来ると民家はほとんどなくなり、田園風景が広がり始める。

 山の中腹に位置する土地柄のせいで、シアーズ公国に大規模な畑はない。

 せいぜい上流階級に新鮮な野菜を届けるための農家が郊外にポツポツとあるだけだ。ほとんどの食料は隣国レキストからの輸入に頼っている。


 街の外に広がる丘や、湖の近くで盛んに行われているのは酪農だ。羊や牛が草を食む、のどかな光景が道程を彩っている。

 穏やかな秋の牧草地を左右に、馬車はガタゴトと進んだ。


「やっと着いたんですね!」


 セインとユーリの先導で馬車はサーカス近くの空き地に停止した。アイリーンが胸の前で手を打ち鳴らしてワクワクとした笑顔を見せる。その頃までは俺も微笑ましく彼女の様子を見守っていた。

 だが。


「ルーカス様、どうぞ」


 執事さんが開いてくれた馬車の扉から顔を覗かせて、俺はポカーンと動きを止めた。

 なんか想像していたものと違う。

 足を踏み出すのもためらって、うじうじとその場に留まってしまう。


「ルーカス様、どうかなされました?」


 アイリーンが不思議そうに声をかけてくる。

 郊外の一角を埋め尽くすサーカスのテントは、どこぞのお屋敷かと思うほど大きかった。年期の入った古びたテントが存在感を放っている。


 サーカスの周囲にはお祭りの屋台が所狭しと軒を連ねていた。

 市街地の屋台は多分、許可を得て出店しているのでそれなりに整然としていたが、こちらは来た人から好き勝手にサーカスに近い場所から店を出しているようだ。

 ごちゃごちゃとしていて道らしい道も見えず、どう通り抜けたらいいのか分からないほどだ。


 祭りの最終日の午後と言う時間帯、人々の興奮は最高潮に達し、それはもう喧騒と言えるレベルではなかった。

 異国風の身なりの人や、怪しげな服装をした人が行き交っている。


 そして、肝心のサーカステントの胡散臭さと言ったら。地球で想像するような赤や青のポップな色合いではない。薄茶色に煤けた重厚な天幕は地面まで垂れて日の光を遮っていた。

 文字の読めない庶民にも催しが分かるようにだろう。天幕の周囲にはかなり精巧なイラストが織り込まれたタペストリーが掲げられている。


 内容はなんて言うか、グロテスクなものが多い。

 生き血を啜る男とか、メデューサみたいなヘビ女とか、双頭の動物とか……それがまた、かつては色鮮やかなタペストリーだったんだろうけど、時を経て古びた結果、汚れや傷みのせいでさらに気味悪さを増している。


 ひょっとしてサーカスって、アクロバットとか動物ショーを見るところじゃなくて、見世物小屋の事だったの?

 ただ単に珍しい動物や、剣劇、大道芸などもあるようだが、アイリーンには見せられない怪しげな代物が満載のようだ。

 どうも貴族の淑女を連れて来るような場所じゃなかったみたいだな。バルド子爵が反対するはずだ。

 俺は旅の間、安全な国ばかり通って、治安の悪いところは見せられてなかったんだなと思い知る。


 だから言ったでしょう、と言う顔で、地上で待つセインとユーリに見上げられる。

 うっさいな。彼らの視線にムッとして俺は眉を寄せた。

 地球のサーカスのイメージが強かったんだよ。こんなに怪しげな場所とは思ってなかった。足取りも重く、のろのろと馬車のはしごを降りる。


 対照的に、アイリーンは物怖じもせずぴょんと馬車から飛び降りた。

 あちこちから聞こえてくる怒鳴り声や馬鹿騒ぎを意にも介さず、周囲を珍しそうに眺めている。

 俺たちの容姿は凄く目立つので、アイリーンと俺は頭からフードつきのマントを被っていた。


 後ろに続く執事さんは顔を曇らせていた。

 ごめんなさい。子爵やお父さん、お母さんには告げ口しないで下さい。俺が縋るような視線を向けると、執事さんは心得たように頷いてくれた。

 彼としてもお嬢様をこんなところに連れて来たと知られれば体裁が悪いわけか。


 アイリーンを除く俺たちは、まるで迷路のように出店が連なる向こう、サーカスの大テントを見上げてゴクリと唾を飲んだ。

 恐らく距離としてはさほどもないはずだが、やけに遠くに思える。


「本当に行くんですか?」


 占いなんてしなくても俺とアイリーンの相性は百点満点ですよ。俺が保証しますよ。

 けれどアイリーンはキラキラと瞳を輝かせて、満面の笑みを俺に向けた。

 うっ、眩しい。


「もちろん! せっかくここまで来たんですもの!」


 セインとユーリは諦めモード。もうすでに俺がこんなアイリーンに弱い事を察している。幼い頃からアイリーンを見ているだろう執事さんは、はなから割り切っていたようだ。


「私、こう見えても少しは腕に自信がございます」


 執事さんは真剣な顔でセインたちに申し出た。セインが重々しく執事さんに頭を下げる。


「いざと言う時はよろしくお願いします」


 おい、セイン! いざと言う時なんてないって言ってるだろ!

 こうなったら恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。俺はアイリーンに片手を差し出した。

 重ねてくれた温もりをしっかりと握りしめる。


「絶対に僕から離れないように」


 さすがのアイリーンも文句なく頷いてくれた。

 手を繋いだのは俺たち二人が固まっていたら護衛しやすいと言うのもあるが、俺が小さ過ぎるからだ。

 人混みで離ればなれになったら再会は至難の業だ。背の高いアイリーンに目印になって貰おう。

 先頭にユーリ、後方にセイン。アイリーンの横を俺と執事さんで固めて、俺たちはいざ一歩を踏み出した。


 ユーリとセインが物々しい雰囲気を醸し出して進むと、面白いように人波が割れた。

 軍人らしくいかにも筋肉隆々な彼らに歯向かってくる命知らずはいない。

 俺は思った通り、すぐに群衆に埋もれてしまい、ほとんど前が見えなくなった。あっちにも背中、こっちにも背中だ。

 これじゃアイリーンの手を引いてんだか、引かれてんだか分かったものじゃない。


 はぐれないように背の高いユーリの後ろ姿だけ見て進む。

 法則もなく店と店が連なる間を、ユーリは器用に大テントの方へと俺たちを誘導してくれた。あの細目で良く見えてるなと思うが、多分、地形把握が上手いんだな。


「アイリーン、大丈夫ですか」

「ええ。凄い人ですね」


 アイリーンも周囲の大人たちと比べると頭一つ分くらい小さい。先も見渡せない人混みの中でキョロキョロと周囲を見回していた。


 やっとの事で俺たちは大テントの外周に辿り着いた。辺りは若干、獣臭く、なんの動物か分からない鳴き声がテントの幕を通してぼんやりと聞こえてくる。

 うう。中に何がいるんだよ。俺は情けないながらも身を縮めて、ほんのわずかにアイリーンの方に近寄った。


 それに、どこから入ればいいんだろうな。天幕は人を寄せつけない雰囲気で、重々しく周囲を威圧していた。

 あんまりにもタペストリーがおどろおどろしいからだろうか。大テントの周りはそれほど人がおらず、屋台の方より空いていた。

 ユーリがサーカスの団員らしき奇妙な恰好をした人に近寄り、声をかけてくれる。

 もう目的地に到着したも同然で、俺たちは油断していたのだと思う。


 なぜかその時、遠くに土煙が見えた。なんだろうな? 竜巻……とは違うみたいだ。

 俺はのん気にも、舞い上がる砂塵に気づいても、ぼんやりとそちらに視線を向けただけだった。

 モワモワと立ち上る土煙の中から地面を蹴る動物の足音と、ブヒブヒといきり立つ鳴き声が聞こえる。

 土埃の向こうにうっすらと見える、その動物を追う人が切れ切れに叫んだ。


「おい、あんたたち、危ない、避けてくれ……景品の豚が逃げて……っ!」


 な、なんだぁ!?

 ピンク色の集団がこちらに向かって走って来るのが見える。夢じゃない。本当に豚の集団だ。

 あまりの光景に俺はパチクリと目を瞬いて、対処が遅れた。

 豚はまだそこまで大きくなく、成長しきっていないように見えた。それでも、数頭が猛スピードで突撃して来るのは十分に脅威だ。


「アイリーン、下がって!」

「ルーカス様!」


 テントの方にアイリーンを押しやる。ユーリは飛ぶように戻って来て、そして二人は約束通りアイリーンを庇ってくれた。執事さんは言わずもがな。

 そして俺は……俺は、こんなの剣技関係ないじゃん!!


「うわああぁぁぁ!?」

「ル、ルーカス様ぁ!?」


 四人が見守る前で俺の身体は一瞬、ふわりとした浮遊感に包まれた。かと思うと、次の瞬間には暴れ馬のように暴走する豚の背中にまたがっていた。

 何を思ったのか一頭の豚が俺の股間を通り抜けようとして、ちょうど背丈がぴったりすぎて乗っかってしまったのだ。

 豚の進行方向とは反対向きにまたがってしまった俺は、振り落とされないようその背にしがみつくのが精いっぱいだった。


「ルーカス様ッ!!」


 驚きにもう一度、俺を呼んで駆け寄ろうとしたセインとユーリの助けは間に合わず、豚の一団はサーカスの大テントへと突っ込んで行く。

 そして俺と豚は暗がりへ消えた。



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