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第11話 白鳥と狼


 辻馬車の手配に行った執事さんを待つ間に、近寄って来たセインがアイリーンへ聞こえないよう囁いてくる。


「いかなシアーズでも郊外はあまり治安が良くありません。ましてやサーカスなど……我々二人だけでは護衛が心許ないですよ」


 セインだけでなく、隣のユーリも同意するように小さく頷いている。

 ただサーカスに行って帰ってくるだけなのに大げさな。

 と思うが、俺の昨日のトラブルメーカーぶりを考えると、あながち杞憂と言うわけでもないのか?


「アレクたちを拾う時間があると思う?」

「今も闘技場にいるとすれば、あるいは」


 アレクとルッツには自由時間を与えたからな。一緒にいるかも分からないし、闘技場にいなければこの広い都で出会える可能性は低い。

 アイリーンは、どうかしました?と言う表情で、小首を傾げてこちらを眺めている。

 俺たちが懸念を口にすれば、アイリーンだって気を使ってサーカスへ行くのを諦めるだろう。その顔が失望で曇るのを見たくないと言うのは、ただの俺の我がままだ。


 俺はいつも腰に()いている剣の柄に手をかけた。

 五歳の誕生日に父がプレゼントしてくれた、俺の体格に合わせられた子供用の剣だ。与えられた当初は少し大きかったが、最近は手に馴染んでいる。

 ええい。俺だって男の子ですよ。

 俺も戦力に加えれば三人……執事さんを入れれば四人だ。アレクたちと合流するまでもないだろう。


「いざと言う時はアイリーンだけを守れ」

「ルーカス様は」

「二人が体勢を立て直すくらいは持たせるさ」


 ポンッと腰の剣を叩いて示したら、二人は微妙な顔をした。本当に失礼な。俺だって父様やヒューゴ先生の教えを受けてるし、お前らとずっと一緒に訓練してるだろ。

 大体、いざと言う時なんてないよ。


「御意に」


 俺が頑として譲らなかったものだから、最終的にセインは渋々と引き下がった。

 俺とアイリーン、執事さんは馬車に乗り込み、セインとユーリは馬でその前後につく。

 ガタゴトと振動を立てて馬車は進む。


 俺たちは狭い馬車の中で向かい合って、しばらく黙り込んでいた。こう言う時にセインがいないのは痛い。執事さんは控えめな人のようで、初々しい俺たちを見守って微笑んでいるだけだ。

 俺から話題を振らないといけないんだろう。


「しかし、恋占いですか」


 それって俺との事だよね。ここまで来といて他の人ってわけはないよな。俺の気持ちなら変わらないから占う必要ないんだけど。

 アイリーンはもじもじと、言いづらそうにスカートをつまんだ。


「私、自分に自信がないんですの」


 消え入るような小さな呟きが聞こえる。

 なんだって? こんなに可愛くって、元気はつらつなアイリーンに自信がないとかありえないだろ。


「私、こんな肌の色でしょう? もっと南の方では珍しくないと聞きますけれど、小さい頃はからかわれたりもして……それなのに、こんなに背も大きくて、三つも年上で」


 そうか。そうだったのか。

 俺はアイリーンの褐色の肌は健康的でいいと思うが、周りが白色人種ばっかりだったら悩んだりもするよな。

 それに俺がアイリーンより背が低くて年下だって気にしているのと、まったく同じ事をアイリーンも思っていたのか。

 この年頃の女の子にはそれが人生の一大事と言うようにアイリーンは悲痛な声を上げた。


「私、ルーカス様から見たらおばあちゃんですわ!」


 アイリーンが大げさな事を真剣な顔で言うものだから、俺はついプッと吹き出してしまった。

 途端にアイリーンは眉を寄せた。


「酷いですわ」

「ごめん、ごめんなさい」


 すぐに謝ったが、あんまりにも可愛くって頬が緩んでしまう。気持ちの悪いニヤニヤ笑いが見えないように口元を手で隠す。

 むっとしながらもアイリーンは言葉を続けた。


「ルーカス様が十五歳の時に、私は十八歳です。その頃に、年下の可愛い子がルーカス様の前に現れないとは限りませんもの」


 アイリーンは眉尻を震わせながら、ぎゅっとスカートを握りしめた。

 どんなに可愛い子でもアイリーンとは違うのだと。

 俺の心を今、暖かくしてくれているのはアイリーンなのだと、どう言えば伝わるのだろう。


 おじいさまたちに決められたからじゃない。君が俺を見つけてくれた。そして俺もアイリーンを……舞踏会の日、大広間で感じた不思議な引力のような感覚が、今でもずっとお互いの間に通じているような気がする。

 君は俺を選んでくれた。

 どこかの格好いい王子様とか、勇ましい英雄ではなくて。

 口だけ達者で、利口ぶってはいるけど大人の記憶を持っているだけの、本当は小心者で臆病な俺を。


 俺は決して忘れない。

 俺の前に跪いてくれた騎士たちを。

 俺と一緒に戦ってくれた友人(マル)たちを。

 そして、俺の手を取ってくれた君を――……どれだけ時が経ったって俺にとって大事な女の子はアイリーン、君だけだ。


「アイリーンが九十九歳の時に、僕は九十六歳ですね」

「え?」


 何を言われたか分からない様子でアイリーンが顔を上げる。手を伸ばし、強く握りしめているスカートからゆっくりとアイリーンの指を外させて、少し冷たくなっている指先を握る。


「年を取れば年齢の差なんて大した事じゃなくなりますよ。僕は百歳までもアイリーンと一緒にいたいです」


 ちょっと臭かったかな。

 でも、それは俺の偽らざる気持ちだった。

 年を気にしているのは俺の方だ。俺の前世の年齢をアイリーンは知らない。目の前の少年が、ほんとはおっさんだって知った時の反応が怖い。


 せめて十八歳になったら。そして、二十歳、二十五歳と年を重ねていけば。精神年齢の差なんてほとんどなくなっていくだろう。

 平均寿命が短いこの世界。さすがに百歳までは無理かも知れないが、今度こそ前世の年齢くらいは軽く超えたいものだな。

 今までの憂いを取り払って、アイリーンは顔いっぱいに笑った。


「約束ですよ」

「もちろん」


 恥ずかしくなってきたので手を離して、自分の席に座り直す。


「それはそれとして恋占いは致します」


 あ、するんですか。俺、あんまり信用ないのかな。

 やっぱりこれは父様に二人も妻がいる事を気にしているのかな。

 おじいさまや叔父さん、バルド子爵の妻は一人だけだし、シアーズでは一夫一婦制が普通なのかも知れない。


 父様や他国の王族と違って、俺は二人も三人も妻を娶ったりはしないですよ。

 アイリーン一人でも手いっぱいなのに、二人も相手にできるわけがない。

 俺は第二王子だし、別に何人も娶らなくていい。

 その点、アルトゥールに比べれば気楽だな。

 そりゃ、前世では俺だってハーレムものに憧れなかったわけじゃない。でも実際に父様が西棟と東棟を行ったり来たりしておたおたしているのを見ていると、あまりいいもんでもないなと思った。


 結局、俺は自分の家なのに城の西側には足を踏み入れた事もない。

 血の繋がらない父の奥さんがいるって言うのは、かなり気まずいもんですよ。

 アルトゥールだって本人があれだけ優しくなかったら、腹違いの兄さんなんてどう接していいか分からなかっただろう。


 少しの間、二人黙って馬車の窓から外を眺める。

 郊外へ向かう道は家々も少なくなり、遠くにエメラルド色に輝く湖が見えていた。もうすぐ冬を迎える湖は、そろそろ渡り鳥たちが姿を現し始めている。

 そんな光景を見ながら、ポツリとアイリーンが呟いた。


「私、白鳥が好きなのです」


 青い水面に白い翼を大きく広げる白鳥。

 この国では少数派の自分の黒い肌を見下ろしながら、小さいアイリーンは何を思って白い鳥を見つめたのだろう。

 それでも白い鳥が好きだと微笑んだアイリーンは力強く、美しかった。


「知っておられますか、ルーカス様」


 内緒の話を伝えるようにアイリーンが声を潜める。


「白鳥は一度、(つが)いになった相手と一生を添い遂げるのですって。私もそうありたいと願っております」


 湖と同じくらい深い緑の瞳が俺を見つめる。

 真摯に、少女らしい憧れを込めてアイリーンは囁いた。

 もちろん元日本人の俺にも異論はない。


「実は狼もそうなんですよ」

「まぁ、本当ですの?」

「狼は本来、群れで行動する動物です。人前に現れる一匹狼って言うのは群れから追い出された若い個体が多いから誤解されているんでしょうね。本当の狼は家族を大事にする、心優しい生き物なんですよ」


 俺の話をアイリーンは嬉しそうに聞いてくれた。

 それから俺たちは、馬車が止まるまでとりとめのない話をつらつらと続けた。アイリーンは母と兄に次いで、俺の説明口調の喋り方につまらなそうな顔をしない三人目の人だった。


2つ目の約束。

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