第9話 セインの恋愛講座
その日の夕食後、俺は自室で翌日に備えてセインの恋愛講座を受けていた。
有り体に言えば、ただダベっていたとも言う。
ローズと侍女のエレナは隣の部屋で明日の支度をしている。男同士の話があると言って部屋を追い出したのだ。
母親にも等しいローズに女の子とのデートプランを聞かれるのはなんだか気恥ずかしかったからだ。
ユーリは部屋の隅で正座。
あの後、ユーリは護衛対象である俺から離れて劇に参加したのをセインにこっぴどく叱られた。
もちろん、腕立て、腹筋、背筋、スクワットの罰はアレクと一緒にもう済ましている。
アレクはモリスについていたので罰はそれだけで済んだ。巻き込まれて可哀想な気もしたが、先輩として監督不行き届きと言う事らしい。
先輩って言ってもセインとアレクは、ユーリと一歳しか違わないのにな。だが、騎士団に入ったのはユーリの方がかなり後らしい。
セインは騎士団長のザイデル家。アレクは副団長のバロッズ家。二人は長男ではないが生まれた時から騎士団への入団は決定事項だったのだ。
今の俺の年齢の頃から、それはもう過酷な訓練を受けてきたはずだ。
そのわりにアレクはセインと違って、けっこう性格緩いけどな。三男だからあまり厳しく躾けられなかったのかも知れないし、お家柄もあると思う。
鬼のザイデル騎士団長と違って、バロッズ副団長は気苦労が多そうな中年の男性だ。騎士団の中では飴と鞭の、飴の方の人だな。末っ子のアレクには甘かったんだろう。
アレクもルッツもセインを説得できなかったので、未だにユーリは部屋の隅でプルプル震えていた。
この世界の人って言うか、西洋人体型がって言うか、足が長くて股関節が硬いので正座はけっこうきついようだ。
そろそろ許してあげてもいいと思うんだけど。
見上げてもセインはどこ吹く風。ユーリには目も向けない。そう言うところ、お父さんの団長とそっくりだよ。
「明日の手筈は分かっていらっしゃいますね?」
セインは静かに怒っていても俺に対する礼節を失わなかった。ユーリに冷気を向けながらも、俺には微笑むと言う器用な態度を見せている。
ここにも怒らせてはいけない人がいたようだ。
「分かってるよ。まずは約束の時間に四半時(十五分)くらい遅れて到着すればいいんでしょ。約束の時間ぴったりに行ったらいけないとかおかしいけど」
「女性には色々と支度があるのですよ」
優しく、セインが俺に言い聞かせる。日本人気質の俺としては五分前にはついておきたいものだけど。これも、ところ変わればって事なんだろう。
「家についたらバルド子爵、アイリーンのお父さん、お母さんの順に挨拶。お土産を渡す。アイリーンを遅くない時間に帰すのを約束してから、やっと初めてアイリーンと挨拶とか……なんかややこしいなぁ」
自分で口にして、俺はしみじみとため息をついた。
どこかで待ち合わせて、「待った?」「ううん、今来たとこ」みたいなやり取りはできないんだな。けっこう憧れてたんだけどな。
「そのややこしい手順を踏んでもお誘いしたいくらい、アイリーン様に魅力があると言う証明になるのですよ」
「セインも、ちゃんと誘ったの?」
なんの気なしに聞いてみたが、セインは謎の微笑み。
この腐れ騎士め! あそこが腐り落ちてしまえばいい!!
なんでセインは他の事は自分を厳しく律しているように見えるのに、女性関係だけはこうなんだろうね。
「それで、お洒落なカフェでお茶をして、アイリーンの行きたいところを聞く。なければお店巡りと観劇……って、この劇ってのやめない? さすがに明日は気まずいよ」
セインの考案したデートプランを口にして俺は顔を曇らせた。
カフェについてはセインがいい雰囲気の店を予約してくれているらしい。何もかも任せて申し訳ないが、俺プロデュースではアイリーンに愛想をつかされる可能性がある。
問題はその後だ。
正直、当分、劇には関わりたくない。できれば一生。
「おや、ルーカス様は観劇をやめて、ご自身でアイリーン様をおもてなしする自信があると?」
「すみません、ありません」
その場で土下座。
ちょっとセインが慌てたので楽しかった。セインはあたふたと俺に顔を上げさせた。
俺がちゃんとソファに座り直したのを見て、やっと人心地ついたようだ。はぁと、わざとらしく息を吐き出している。
視線が若干、刺々しい。お茶目な冗談じゃないか。
「旧市街の劇場なので庶民は参りませんし、劇の内容も違うので問題ないと思われます。観劇はデート初心者にはぴったりなのです。話す事がなくなって気まずくなる事もなく長時間、隣にいられますし、なにより終わってからも共通の話題ができます」
セインの話を聞いて、ふむふむと頷く。日本だって最初のデートは映画とか多いみたいだしな。
さすが愛の化身。ちゃんと考え尽くされてる。
俺が我慢すればいいだけの話か。
「でもプラン通りにいかずに、アイリーンが別のところに行きたいって言ったらどうするんだよ」
「そのために私がついて行くのでしょう?」
その時のセインは光り輝いて見えた。思わず拝みたくなる。頼りにしてるぜっ、セイン神!
「さて、そこで明日の護衛ですが」
「うえぇっ!?」
セインが切り出した時、部屋の隅から変な呻き声が聞こえた。ユーリがプルプルと正座に耐えながら、俺に向かって小さく首を振っている。セインにとりなして欲しいらしい。
俺が言っても聞いてくれるか分かんないけどなー。未だにユーリを完全無視しているセインを見上げながら仕方なく口を開く。
「セインー、もう許してやってよ。ユーリは本当に今日、頑張ってくれたんだよ。人助けしただけじゃないか」
「こいつを甘やかしすぎじゃないですか?」
セインは冷ややかな視線でユーリを見下ろす。
反対にセインはいつも後輩に厳しすぎやしないだろうか。アレクが面倒見いいから釣り合いは取れてるのかな?
「別にユーリだけ甘やかしてるつもりはないよ。もし同じ状況なら、セインだってアレクだってルッツだって庇うさ。だって、四人は僕のお兄ちゃんみたいなものだからね?」
こう言うのを面と向かって言うのは気恥ずかしいな。ちょっと他所を向きながら伝える。
最近、俺は自分がどれだけ恵まれてるんだろうと、この世界に転生できた事や、皆に出会えた幸運を噛みしめていた。
セインたちだけじゃない。父や母、ローズ、おじいさま、マルやアイリーン。その他、俺の周囲の人たちは皆、お人好しばかりだ。誰もが個性的なのは否めないけど。
俺は前世で生きてる間に、両親に感謝の言葉を伝えただろうか。友達に、同僚に、いつも助けてくれてありがとうと、言葉に出さなくてもせめて態度で伝えられていただろうか。
今となってはもう伝える術はないのだ。だけどその事を悔いるなら、この世界で出来る事があるだろうと思う。
今度は間違えなきゃいいんだ。
そのための大人の知識と、子供の身体だろ。
大人になってからじゃこっ恥ずかしい事も、今なら純真な子供の振りをして伝えられるんじゃないかって。
そう思って思い切って言ってみたんだが。
四人は無言。なんの反応もない。
せっかく伝えたのに張り合いないな。
こう言うのじゃなくて、もっとストレートにいつもありがとうとか言えば良かったのかな。
そう思いながらチラリと横目で様子を伺うと奴らはなんだか大変な事になっていた。
ルッツはにこにこ顔。ユーリは正座のまま顔を両手で覆っちゃってるし、アレクに至っては後頭部に手を当ててそっぽを向いて、耳まで真っ赤になっている。こいつは顔に出やすいから分かりやすいな。
反対にセインはいつまでも無表情に黙り込んでいた。わずかに眉を寄せて、いつもより厳しい表情に見えるけど、もしかしてこれがセインの照れた顔なのかも知れなかった。
延々と沈黙が部屋を支配して、俺はぐぬぬっと口をへの字に曲げた。自分で言っといて物凄く恥ずかしくなってきたじゃないか!
ようやっとの事で表情を引き締めたセインが口を開く。
「勿体ないお言葉ですが、アルトゥール殿下に申し訳がないので、そのような事はあまり仰らないように」
「兄上がこんな事で気を悪くするわけないじゃないか。お兄ちゃんなんて何人いたっていいだろ」
ええい。こうなったらやけだ。
俺は少しでも皆と視線が同じになるように、行儀悪いが靴を脱いでソファに立ち上がった。
こう言うのは口で伝えてなんぼだろ!
伝えもしないで分かって欲しいなんて、それは怠慢だ。
忘れがちだけど俺はこいつらの上司なんだから。一緒に遊んでばっかりじゃなくて、たまには部下を労おう。
待遇面は今のところ変えてあげられないから、少しでもいい雰囲気の職場にしないとね。
「セイン……いや、セインだけじゃなくて、アレクもユーリもルッツも、いつもありがとう。僕はお前らが家臣で良かったと思ってるよ。これからも迷惑かけると思うけど僕を助けてね」
言ってやったぜ!
俺は早口でベラベラとまくし立てると、鼻息も荒くフーッと大きな息をついた。
皆の顔を見渡す。
セインとユーリは何を考えているか読み取れない無表情。ルッツだけが笑顔。結局、アレクは最後まで視線を合わそうとしなかった。
「なんの役にも立てておりませんのに、勿体ないお言葉でございます」
セインが低く言葉を絞り出す。俺は湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすように笑った。
「セインが役立たずだったら、誰が今まで僕を助けてくれたんだよ。明日も頼りにしてるよっ!」
間近にある逞しい腕をバンバンッと叩く。
そこでようやくセインはいつもの微笑みを見せてくれた。ゆっくりとその首が縦に振られる。
和やかな雰囲気になりかけた時、部屋の隅から大声が飛んできた。
「セイン先輩、お願いします! 俺を明日の護衛から外さないで下さい!」
ユーリは正座をしたまま、自分の両腿に手を置いてピシリと頭を下げていた。
そんな格好で屈んだら苦しいだろうに。
深々と頭を下げて、やめる気配もない。
あのユーリが。
いつも飄々としていて、面倒くさがりで、やらなくていい事なんて絶対しそうになかったのに。
俺に対する態度も一番おちゃらけていて、本当に家臣になる気あんの?って思ったりもしてた。他の奴の意見に乗っかってるだけじゃないのかって。
短いつき合いの俺だけじゃなく、他の三人もこんなユーリを見たのは初めてだったのだろう。お互いに顔を見合わせている。
アレクがセインに近寄って、ポンと肩を叩いた。
仕方なくセインも愁眉を緩める。
「次はないぞ」
セインの言葉に、ユーリは分かっていますと言うように、また深々と頭を下げた。
その内に、コンコンッと隣の部屋から扉が叩かれる。
「そろそろお休みの時間ですよ」
ローズの嗜めるような声が聞こえてくる。
「はーい、もう入って来てもいいよ」
俺が声をかけるとドアが開いた。セインに顎で促されてユーリも立ち上がる。
俺が寝室に向かうのについて来たのはユーリだった。うっわ、明日も護衛があるのに、寝ずの番かよ。セインって鬼だな。
「ユーリ、大丈夫?」
「ちゃんと仮眠は取りますよ。ご心配なさらず」
ユーリはさほど気にした様子はなく肩を竦めた。
そこにいたのは昼間までの人を食ったような青年ではなかった。急に大人びた、頼りになるお兄ちゃんと言った雰囲気でユーリは俺を寝室まで送ってくれた。
人が変われないなんて嘘だ。
俺だってこの世界に来てずいぶん前向きになった。誰だって変わりたいと思ったその時にもう、一歩を踏み出しているのだろう。
けれど、ユーリはやっぱりユーリだったよ。
お休みなさいと、ドアが閉まるその直前に、俺に向かってこっそりとウィンクしてくる。
「明日も期待してますよ、ルーカス様」
そうそう。ユーリはそうやって余裕ぶって笑ってた方が似合ってるよ。
俺もドアが閉まる前にお休みと笑って手を振った。
きっと、夜中にアレクが内緒で交代してくれるんだろう。それすらもセインの手の内かも知れないけどね。
四人にはもう心配する事なんて何もないな。全部セインに任せよう。
俺は大きな欠伸を漏らしながらベッドへ向かった。
カウント20




