第6話 ボヤ騒ぎ
皆を見送って、俺もユーリと一緒に自分の割り当ての方向に歩き出す。
俺の持つ紙には山岳連合付近で広く使われているウィリル語で五を現す数字が書き込まれていた。向かうは五街区だ。
こっちの方角は初めてだな。
見慣れぬ街並みに緊張するような、高揚するような矛盾した気持ちで人混みをかき分け、進む。
俺とユーリはシアーズの街並みに疎いが、ちょうどいいハンデになるだろう。
子供相手に本気出すのも大人げないしな。
「とにかく最初の看板を見つけないと話にならないな」
俺とユーリは羊皮紙を覗き込んだ。羊皮紙にはどこかに隠された看板へのヒントのみが書いてあって、そこから先は更に看板の謎を解いて進むと言う工程になっている。
難易度一のゲームで探す看板は四つ。羊皮紙も含めて全部で五つ謎を解けば終わりだ。
所要時間、三~四十分程の設定だ。歩く時間も含めてなので、謎自体は大した事がないようだ。
およそ一問にかけられる時間は六~八分てとこか。一番でゴールしたければ、それよりも短い時間で回答を導き出さないといけないだろう。
羊皮紙には短い詩のような言葉が四行、書き込まれていた。文面を声に出して読み上げる。
『夜も明けやらぬ暁の
雄鶏が時を刻む頃
其は一番に火を焼べて
彼の食卓に朝を呼ぶ』
羊皮紙を手に握りしめて歩きながら、万一にも看板を見逃さないようにキョロキョロと辺りを見回す。
「食卓とか書いてあるから、お店だと思うんだよね。それも広場からスタートする事を想定してるなら、街の端までは行かないはずだ。この辺りにあると思うんだけど」
「なるほど」
ユーリは一緒に考えてくれる気はないのか、俺の説明に関心しきりだ。
くっそー、こう言う事はやっぱりセインだぜ。マルの御つきは家庭教師なんだろ。なんか不利のような気がしてきた。
鶏とか書いてあるから卵かなぁとも思ったんだけど、この世界、別に卵屋とかないもんな。卵は農家の人が市場に売りに来るもんだ。
朝……食卓……火を使うもの。マーナガルムでは俺の朝食は大抵、オートミールだった。俺が硬い黒パンより茹でた麦が好きだから……。
その時、どこからともなくフワリと小麦の焼けるいい匂いが漂ってきて、俺たちは顔を見合わせた。
まさか、シアーズにはあれがあるのか。
「「パン屋だ!」」
二人で同時に叫ぶ。
マーナガルムでは粉曳きは週に一度。その粉が王宮にも届けられ、調理場では皆が汗だくになって一週間分のパンを焼く。
日持ちするように良く焼しめられたパンはガチガチで硬い。
その日や翌日はまだ食べられない事もないが、俺は日を置いたパンが嫌いであまり食べていなかったのだ。
それが、毎日、パンを焼くのを専門にしているお店があるなんて。
俺たちは匂いを辿って、人混みの中を駆けた。
「ルーカス様、シアーズやばいっすよ。こんな柔らかそうなパンが普通に売ってるなんて」
「あぁ、僕も王宮が特別なのかと思ってたよ……」
祭りの最中だと言うのにパン屋は客がひっきりなしに訪れ、奥の調理場ではせっせとパンを焼いているようだった。モクモクと白い煙が煙突から噴き出ている。
俺たちは店に並ぶパンを目の当たりにして、ゴクリと唾を飲んだ。
フランスパンだ。いや、オシャレに言うならバゲットだ。
地球で食べられているものよりはまだ硬いようだが、それでも黒パンには比べるべくもない。
「俺、このままシアーズに永住したっていいですけど」
「馬鹿言え。いつかマーナガルムにもパン屋くらい作ってやるから、今日はこれで我慢しろ」
アホな事を言いだすユーリの手に、地球のパリで言うところのクッペくらいの大きさのパンを乗せてやる。
「約束ですよ」
ユーリの言葉に俺は大きく頷いた。こんなものを見せつけられたらやるしかないだろう。
それはともかく俺たちは宝探しゲームの看板を探しに来たんだった。
ナゾナゾの答えはここで正解じゃないのかな。
店内には看板らしきものは見当たらない。
パンを買いがてら、お店の人に聞いてみようとした時だった。
奥の焼き場が騒々しくなって、見習いらしき若い職人が一人、飛び出して来る。
「大変だ! 竈が火を噴いて……石炭に質が悪いものが混じってたみたいだ。あんたらすまないが、水を汲むのを手伝ってくれないか!」
店にいたお客さんたちは皆、それは大変だと血相を変えて裏口から出て行った。そちらに井戸があるのだろう。
その場に取り残された俺たちは、ぽつねんと立ち尽くしていた。
「ルーカス様……」
「言うなよ、ユーリ。人助けの方が大事だろ」
浮かない顔で俺を見下ろしてくるユーリの太ももをバシリと打ちつける。
「なーに、まだ始まって数分しか経ってないんだ。ボヤ騒ぎくらい収まってからでも十分、間に合うさ」
俺が発破をかけると、ユーリも納得したように大きく首を縦に振った。急いで俺たちも裏へ回る。そこでは井戸から水を汲み上げた人たちがバケツリレーを始めていた。
「俺の方が力がある。代わります」
店主なのか、必死で井戸から水を汲み上げている白帽の男性からユーリは釣る瓶の縄を受け取った。
さすが若いし力持ちなので、どんどん水を汲み上げて、他の人が持ってきたバケツに水を入れている。
俺は子供でまったく力がないので、何もできないのがもどかしい。だが護衛のユーリから離れるわけにはいかない。
俺にできるのは邪魔にならないように横に避けて、ちゃんとユーリの視界内にいる事だけだ。
皆が力を合わせたからだろう。数分もしない内に煙突から立ち上っていた黒煙はなりを潜めた。
焼き場から職人らしき人たちがドヤドヤと数人、出て来る。
「もう大丈夫だ。あんたら悪かったな」
パン職人たちがその場にいる人たちに頭を下げる。
「なーに、いいって事よ。困った時はお互い様だろ」
「かたじけない。礼と言っちゃなんだが、ウチのパンでよければいくらでも持って行ってくれ。今日はもう店仕舞いするしかないからな」
人々は興奮した様子で、口々に驚いたとか、互いの行動を称えたりしながら表へ向かった。
「兄ちゃんもありがとうな。お城の人かい? 凄く力があるんだな。おかげで被害が大きくならずに済んだよ」
先程の店主らしき人がユーリの肩を強く叩く。
「どういたしまして。この制服は借りているだけで、私たちはこの国の者ではありません。礼であれば私ではなく、どうぞ我が主へ」
ユーリはパン職人たちの感謝の言葉を微笑みで受け止めて、その場にただ立っていただけの俺へと掌を向けた。
視線を誘導されたパン職人たちが俺の赤毛を見て、ハッと顔色を変える。
彼らは一斉に帽子を取って、その場に片膝をついた。
「こ、これは気づきませんで、失礼いたしました。ご家来の方のご尽力に感謝致します」
「ちょっと、ユーリ! 僕は見てただけで、何もしてないんだからね! 皆さんも今日はお祭りでしょう。畏まる事はないですよ。さぁ、立ってください。大事がなくて良かったです」
俺に促されて、彼らは恐る恐る立ち上がった。俺に不機嫌な視線を向けられてもユーリはどこ吹く風。俺が叱れないのを分かってやっているのだ。
店主は俺の持っている羊皮紙に気づいたらしく、申し訳なさそうに後ろ頭を掻いた。
「殿下はゲーム中でいらっしゃいましたかー。それは悪い事を致しました。他の方は来られていないんですか?」
「マルティスたちは別の街区で宝探し中ですよ。競争しているんです」
それはそれはと、パン職人たちは大慌てで俺たちを解放してくれた。店主が俺の耳にこっそり囁く。
「次の店は八百屋です」
けっこう大幅に時間もロスしているし、これくらいならズルにはならないだろう。
大きな袋にいっぱいパンを詰めて貰って、俺たちはパン屋の人や街の人に大きく手を振って駆け出した。
「頑張って下さいねー!」
暖かい声援に見送られる。
「ルーカス様に来店されるなんて、パン屋も可哀想に」
「僕を疫病神みたいに言うな! ただの偶然だよ!」
俺はけっこう本気で走っているが、足の長いユーリはちょっと速足くらいだ。ニヤニヤと俺を見下ろして軽口を叩いてくる。
はいはい、お前の大好きな騒動が目の前で見られて良かったですね。
俺はむっすーと口を尖らせて、走りながらビシリと眼前を指差した。
「ユリアン、先導しろ! 八百屋まで駆け抜ける!」
「アイアイ、サー!」
ふざけてユーリが敬礼で答える。
近づく喧騒に何事かと振り向いた前方の人々は、全速力で疾走して来る姿を見ると、驚いた顔で道を開けて俺たちを通してくれた。
次のナゾナゾです。今回もカンタンですよ!
『其は英傑を呼び覚まし
先人の知恵を述べ
独り向かえぬ人生の
道程照らす燈火なり』
答えを思いついた方は次話へどうぞ!




