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2月5日(水) 20:20








家の小さな門の前に立って、携帯のボタンを押す。

液晶に、デジタル時計が表示された。まだ、17時を過ぎたばかりだ。


「ただいまー」

玄関を開けて、靴を脱ぐ。

すると私の声を聞きつけた母が、リビングのドアを開けて顔を覗かせた。

「おかえり、早かったね。

 夕飯、あと30分待ってちょうだい」

母は近所のタバコ屋の手伝いをしている。

老夫婦で営んでる小さな商店の店番だから、営業時間はそんなに長くない。客層も地域の喫煙家と駄菓子を買いに来る子ども達だ。

だからまあ、稼ぎたい、というよりは、空いている時間を誰かの役に立って過ごしたい、っていう気持ちで続けてるらしい。

「ん、わかったー」

私は冷えた手を擦り合わせながら、こっくり頷いた。

正直、食欲はあんまりない。頭の中がいっぱいで、それどころじゃない。



手洗いうがいをした私は自分の部屋に入って、姿見の前に座り込んだ。

そしてすぐに、手を伸ばしてヒーターのスイッチを入れる。

私はその前で暖をとりながら、ニット帽を脱いだ。家を出てから、トイレの個室以外では帽子を被ったままだから、すごく気持ちがいい。

「はぁぁぁ~……」

秘密と一緒に溜息を吐き出して、私はやっと肩から力を抜いた。

ふるふる、と頭を振れば、灰色のネコミミも、ぴるる、と動く。

ネコミミの付け根を掻いた私は疲れて重くなった腕を持ち上げて、制服から部屋着に着替えたのだった。



夕飯の支度が終わるまで明日の予習でもすることにした私は、教科書を何冊かとペンケースを抱えて階段を下りる。

曇りガラスのドアの向こうから何かの焼ける音が聴こえてきて、ネコミミが音のする方を探して、ひくひく動く。

ドアを開け、漂ってきた匂いを吸い込んだ私は、台所に立つ母親に向かって声をかけた。

「片付けは私がやるから、ごはんの前に予習させて」

すると、母は手を止めることなく頷く。

「はいはい、じゃあ出来たら呼ぶね」

「うん」

集中しているらしい母に短い返事だけをしてコタツに入った私は、テレビの音を小さくして教科書を開いた。


小野寺くんが「へー」なんて感心してた書き込みだけど、今日彼と一緒に見ることになったページには、まだアンダーラインも引いてない。綺麗なものだ。

……う、全然授業に集中してなかったんだな、私。窓の外眺めちゃったりして。

そんなことを思いながら、ペンケースの中から赤ペンや蛍光ペンを取り出す。

そして、緊張と眠気に挟まれて大変だった今日の授業を思い出しながら、重要だと思われる部分にラインを引いていく。

「んー……こんなもん、かなぁ……」

いまいち自信がないけど、ちゃんとノートもとったし大丈夫だろう。

そう自分に言い聞かせた私は小さく息をついて、顔を上げた。


壁際に置かれた水槽が目に入る。朱色やまだら模様の金魚は、どれも神社の夏祭りで金魚すくいをした時のものだ。

ゆらゆらと尾ひれが揺れる様子に、なんだか「こっちおいで」と誘われてるような、そんな気分にさせられる。

……なんか、変だ。

私は両手を握り込んだ。

視線が、縫い付けられたみたいに金魚の動きを追ってしまう。

じっとしていられない、というか、金魚を見てると体がムズムズする。

今すぐ水槽に駆け寄って、上から手を突っ込んでみたい。そんな気持ちになる。

……まさか、これもネコミミ効果ってやつだったりして。

はっ、と我に返った私は、なんとか水槽から視線を剥がした。

落雷で気を失って、目が覚めたら奇行に走って。

そんなことになったら、即病院送りになるじゃないか。

そんでもってネコミミなんてものが見つかろうものなら、いよいよ恐ろしい目に遭うに決まってる。

……やだもう勘弁して。

私はその最悪な未来予想図を打ち消そうと、小さく首を振った。









「ありがとうございました」

いつもと同じマニュアル通りの台詞に、練習して染みついた角度のお辞儀。

たとえネコミミが生えても、私のレジ業務のクオリティは下がったりしなかった。

頭を上げて、無意識に腕時計を確認する。20時10分……閉店までは、あと少しだ。

16時から働いている私は、何事もなくバイトが終了する気配に、ほっと胸を撫で下ろした。


……おばちゃん連中に根掘り葉掘り聞かれなくて、ほんとに良かった。

怪我の治療のために髪を剃られたから、という理由で、白い三角巾の下には無理やりニット帽を被らせてもらったし。

これでなんとか、バイトも急に辞めなくて済みそう。


いろいろ思い出して、ほっとしていた私の所に店長がやって来た。

もうすぐ閉店だからか、なんだか顔つきがいつにも増して穏やかに見える。

「お疲れさま。

 このレジ、あとは僕がしめて事務所に持ってくよ。

 田部ちゃんは、バレンタインコーナーの商品補充してきてくれるかな」

私は笑みを浮かべて頷いた。

「分かりました。

 じゃあ、お願いします」

「うん」

店長と入れ替わった私は、売り場に向かって礼をしてからバックヤードの扉を開ける。

売り場とは室温が違うそこは、剥き出しのコンクリートが寒々しい場所だ。節電対策で照明の数も減らされてるから、1人で入るのはちょっと怖かったりする。

ネコミミがぺたんと倒れた。

……その気持ちは、よく分かるけど。

握りこぶしに力を入れて奥へと進んで行くと“季節もの”と札の下げられた棚が見えてきて、私は詰めていた息を吐きだした。



運搬用のカートから段ボールを下ろして、可愛らしいパッケージのチョコレートを積み上げる。

バレンタイン用だからハート型のチョコを銀紙で包んだものから、メッセージを書き込めるような、工夫がされたものなんかもあるみたいだ。

それにしても、今の時期から補充が必要なくらいバレンタイン用のチョコが売れてるなんて。

……駅の周りに企業のビルがいくつか建ってるから、そこの女性社員が会社で配るとか。でもそう考えると、社会人の付き合いって面倒そう……。

そんな想像をして、眉根を寄せる。

「私だったら、コレかなぁ……」

呟いて、商品を1つ手に取った。ひと口サイズのチョコレートタルトだ。

閉店間際でお客様がほとんどいないのをいいことに、物色しながら手を動かす。

だって14日の夕方になったら、ここにある商品も残っていれば半値まで安くなるんだ。だから、今から食べたいチョコの目星を……。

そんなことを考えながらも、一応ちゃんと手は動いていて。私は閉店の音楽が流れ出す前には、すでに必要な分の補充を終えることが出来たのだった。


残った商品は、またバックヤードに戻さなくちゃいけない。

空になった段ボール箱を重ねて、カートを180度回転させる。

「よい、しょ…っ」

タイヤが上手く回らなくて、方向転換が難しい。ぎちぎち、固い。

そして、私が力いっぱい押した、その瞬間。

「あ……っ」

積んでいた段ボールが、こてん、と倒れた。

すると、少しだけ残っていた商品がいくつか、箱から飛び出す。


すささーっ


掃除係のおばちゃんが綺麗にしてくれた床の上を、リボンのついた小さな箱が滑っていく。

「うわわわわ」

たいした衝撃じゃないはずなのに、滑る滑る。

おばちゃん、今度から床はそんなに磨かなくてもいいですよ。と言いたいくらいだ。

私は慌てて散らばった商品を追いかけて、駆け寄った。

1つ、2つと回収して、床に触れた部分を軽くはたく。幸い汚れてはいないし、傷もついてないみたいだ。

そっと息を吐きだして、残りの商品も拾い上げていく。

そして、4つ目を手に取った時だった。

突然、私の視界にスニーカーが。

同時に、男の人の声が降ってきた。


「あの」


驚いて一瞬固まった私は、はっと我に返って顔を上げる。

そして、また固まった。

「あ」

びっくりして、頭の中が真っ白になる。

だって、小野寺くんが。今日は英語がないからなのか学校に来なかった小野寺くんが、私の目の前に立っていたのだ。

茶髪にピアスが3つ……それに、黒いエプロン。小野寺くんだ。分かってたけど、風邪なんかじゃなかった。やっぱりサボりだったんだ。

まるで、びっくりして動きを止めた猫みたいに声が出なくなった私に、彼はその手にあった物を差し出して言った。

「これ」

超絶に短い台詞。

彼の手にあったのは、私が拾っていた商品と同じ物だ。

「あ……」

ぎしぎしに固まった唇から、声が零れる。

そして、こわごわ手を伸ばして商品を受け取った私は頭を下げた。

「え、っと……あの、恐れ入ります」

「や、別に」

まさかの返事。返事そのものが返ってくるなんて、まさかの出来事だ。教科書見せたって、何も言わなかったのに。

私はびっくりして、穴が開くんじゃないかというくらいに小野寺くんの顔を見つめた。覗き込むように、まじまじと。

すると何を思ったのか、小野寺くんがゆっくりと口を開いた。

「それ、」

こんなに長いこと小野寺くんと向き合うのは、初めてかも。

今までにない展開に、私の鼓動が速くなる。

閉店の音楽が流れてきたけど、彼の顔色は変わらない。買い物があるなら、早いとこ済ませた方がいいと思うんですけど。

そんな心の声なんて聴こえない小野寺くんは、私の手の中を指差して言った。

「ほどけてる」

「え?」

咄嗟に、自分の手の中にある箱に視線を落とす。

「――――あっ」

箱にかかっていたリボンの形が不格好になってることに気づいて、私は声を上げた。

「あ~……」

がっくり肩を落として、ため息混じりに息を吐く。

……こりゃお買い上げだ。

すると小野寺くんの手が、私の方へと伸びてきた。


しゅる


布の擦れる音と一緒に、声が降ってくる。

「買うよ、それ」

ほどいたリボンが、私の目の前でひらひら踊って。

「俺がほどいた、ってことで」


私は彼の顔と目の前のリボンを交互に見て、言葉を失った。

こんなに長いこと、小野寺くんの声を聞いたことがなかったから。

ごく稀にプリンやヨーグルトを買った時、マニュアル通りに「スプーン付けますか」と尋ねた私に「お願いします」って、ぼそっと零す台詞が最長だったのに。

思わぬ展開で、記録が更新された。


あんぐり口を開けた私を見ながら、小野寺くんがリボンをひらひらさせる。

閉店の音楽がなる最中、こんなにコミカルな店員とお客がいるだろうか。いや、いない。


ああ、ダメだ。

ひらひらリボンが、私から考えることを奪っていくのが分かる。

そんな目の前で誘われたら、ネコミミが、手が、むずむずするのに……。


「あれ、聞いてる?」

面白がってるのか何なのか、小野寺くんが小首を傾げた。

そして、私は――――――。


はしっ


思いっきり、ひらひらリボンを掴んでいた。


その瞬間に、むずむずが体から逃げていく。

そして手の中に収まったリボンの端が目に入った私は、やっと我に返った。

……まずい。不審者過ぎる。

背中を、ひと筋の汗が伝う。


「……田部さんて、」

小野寺くんが、小さく笑う。

目を細めて、私の目を覗き込んだ。





「猫みたいだね」

そのひと言を被弾して、思わず「そんにゃことないです!」と口走った私は、明日学校を休もうと思います。








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