10月31日(金) 16:00
10月25日、土曜日。現在の時刻、7時30分。
いつもと様変わりした教室の黒板に、小野寺くんとクラスメイトの数人が白やピンクのチョークで何かを描いている。1年前までの彼らの姿が記憶に焼き付いている私としては、その背中がこぞって悪戯描きをしているようにしか見えないのが残念だ。
私は、ちょっと意地悪だけど優しくて動物好きで彼女よりも女子力の高い彼氏――――小野寺くんに、勇気を出して声をかけた。
「……えっと、小野寺くん?」
「――――お、おう」
それが英語でいうところの“Oh!”じゃないことは、なんとなく分かる。だけど振り返った彼の表情が、何かを我慢するように強張ってる。
……緊張しながらも勇気を出して見せに来たんだけどな。
なんだか残念な気持ちになった私は、そっと目を伏せた。なんか、あれだ。一緒になって黒板に向かってた男子が、私を見つめて口をあんぐり開けてるのが辛い。
何この沈黙。
なっちゃんは似合うって言ってくれたけど、やっぱり浮いてるんだ。ここに来るまでの間だって、視線が痛かった。思わず駆け抜けたくらい。
目の前のクラスメイトだって、きっと可笑しくて噴き出しそうなのを我慢してくれてるんだ。なんて美しい同級愛だろう。
私だってその同級愛を発揮して、どうしても来られなくなったクラスメイトの代打としてクラスのお役に立とうと奮起したんだけどな。その結果がこれって……。
穴があったら入りたい気持ちになった私は、ひらひらしたワンピースの裾をぎゅっと握りしめた。いつもの制服よりもずっと丈が短いのも気になるし、生まれて初めて履いたニーハイソックスなんて代物も落ち着かない。
……良く考えたら、私のどこにも似合う要素なんてなかったかも。ちょっとだけ浮かれてた自分が恥ずかしくて爆発しそうだ。
世紀の大失態をやらかしたと自覚した私は、内心で天を仰いだ。
事の始まりは1か月ほど前。
3年生である私達が、文化祭をどう過ごすかという話し合いがなされた日だ。
たいていの場合、学校行事の話し合いをする時に場を動かしていくのはクラスの中心人物で。私のクラスだと、まつげの大野さんみたいな女子集団がそれに当てはまる。ちなみに私は、彼女達を“キラキラグループ”と呼んだりしてる。
そのキラキラグループの人達が言ったんだ。「仮装したい!」と。ちょうど文化祭の頃はハロウィンが近いとか、衣装は買えば準備要らずで楽だとか。
……個人的には、大野さんが1年生のカワイイ彼と文化祭を楽しみたい、っていうのが一番の理由なんじゃないかと私は思ってる。
そもそも3年生はカタチだけ参加するっていうのが例年の暗黙の了解で。だから私のクラスも例に漏れず、何か適当な展示をするもんだと思ってたんだ。
ところがどっこい、話し合いは妙な流れになってしまった。仮装をすることは決定事項になり。それなら写真も撮りたい、そういえばウチにポラロイドカメラがあったはず……なんて、トントン拍子にクラスの出し物が決定。
名付けて“仮装プリクラ”だそうで。
そんなわけで着々と計画は練られ、準備が始まり、あっという間に今日という日がやってきたというわけだ。
私が、時が止まった教室から逃げ出したい衝動と戦っていると。ふと、小野寺くんが動いた。
彼は溜息をつくと、手にしていたチョークを元の場所に戻した。そして、その手で私の手を掴んで――――
「あっ、えぇっ?」
思わず飛び出た素っ頓狂な声に、小野寺くんの返事はない。彼は無言で、私を教室の外に連れ出したのだった。
ぐいぐい引っ張られて連れてこられた、廊下の突き当たり。小野寺くんは、ものすごく沈痛な面持ちで私の頬をぎゅうぎゅうに挟み潰した。
……いひゃいれす。
胸の中で呟く私を見て、小野寺くんは言った。
「そんな格好するなんて聞いてないんですけど」
「ごみぇんらはい」
私は知ってる。彼が敬語の時は、お腹の中に言いたいことが雪のように積もり積もっている時なんだってことを。その証拠に、ものすごくおブスな顔になってるはずの私を見ても全然笑わない。それどころか、頬を引き攣らせてる。
3年生のフロアに、人通りは少ない。それもそのはず、私達のクラス以外は展示をして形だけの参加を選択したからだ。だからなのか、小野寺くんはものすごく至近距離で私を見下ろして口を開く。
……ドクロのピアスに磨きがかかってるように見えるのは、気のせいでしょうか。
「あの、ええと、武田さんが急に欠席するって連絡がきて――――」
解放された頬を擦りながら、私は一生懸命に説明した。ちらちらと小野寺くんを見上げ、その顔色を窺ってしまうのが情けないけど。
「準備とかあんまり協力出来なかったから、せめて……と思ったの。
ごめんね、びっくりさせちゃって」
そこまで話したところで、小野寺くんが溜息混じりに呟いた。
「そういうことか。
綾乃のことだから、頼まれて断りづらかったんだろ?
らくだまつげに言われたのか?」
……らくだまつげって……たぶん年下彼氏と文化祭デートを夢見る大野さんのことだろうな。だけど今は彼氏さんの希望で、つけまつげは封印したらしいですよ。女子は好きな人のために自分を変えるのです。
今告げる必要のなさそうなことを胸の中で呟いた私は、小野寺くんの言葉に首を振った。
「たまたまサイズがぴったりなのが、私だっただけだよ。
さっきも言ったけど、私、ほとんど準備に協力してなかったし」
そこまで話して、私は俯いた。すごくまっとうな理由を並べてみたけど、一番の理由を言わなきゃいけない気がして。
「大野さんは関係ないんだ。彼氏さんのことで頭がいっぱいだもん。
……着てみたいな、と思ったの。この衣装、可愛いんだもん……」
「まあたしかに、そこは同意するけど」
「うん、大野さん幸せそうで良かったよね」
思わぬ同意にこくこく頷けば、ほんのり耳を赤くした小野寺くんがきょとん、と私を見つめて。
そして、なんだか知らないけどデコピンされた。地味に痛い。
「そうじゃねぇよ」
でも大野さんの幸せは喜んであげようよ、小野寺くん。素直じゃないんだから。
「それにしても、なんでメイド服なんだよ……。
いっそのこと修道女とかにでも変えてもらえねーの?」
ぶちぶち呟く小野寺くんに、私は言った。これは聞いた話だけど。
「でも他のはもうないんだよねぇ……。
あ、武田さん、大学入ったらメイド喫茶でバイトしたいんだって」
「いやそれはどうでもいいけど。
そんなことより綾乃、階段の上り下り気をつけろよ」
上から下までじろじろ見て、スカートの丈のチェック。ダテメガネは必要ないんじゃないか、とか。ワンピースの胸元が開き過ぎてるんじゃないか、とか。
……なんかもう、小野寺くんがお父さんみたいだ。
「大丈夫だよ!」
私はそんな彼に、こぶしを握って言った。
「下にショートパンツ履いてるもん!」
男のロマンが、とか呪詛のようなものを呟く小野寺くんを見て、私は小首を傾げたのでした。
そのあとも小野寺くんが壁に向かってぶちぶち言ってるもんだから、私はつい耐えかねて口走ってしまった。
「あの、ごめんね。
小野寺くん、メイドさんは好きじゃなかったんだね」
“可愛い”とか“似合ってる”とか、そういう言葉を期待しちゃってたんだ。だから舞い上がって、現実を見てちょっと気落ちしてる自分がいる。
情けないやら悲しいやら、歪な笑みを浮かべるしかなかった。
すると小野寺くんが、大きな溜息をひとつ。彼は頭をくしゃくしゃと掻きむしって……掻きむしることで出来るくらいに髪が伸びたんだ……私に向き直った。
「メイドは好きじゃない。
てゆうか、コスプレ自体に興味はない」
ずきゅん、と弾丸が撃ち込まれるような衝撃が走る。息が出来ない。
好きじゃない、なんて言葉がこんなに痛いなんて思わなかった。
何も言えない私を見て、彼はまた口を開く。
「けど、メイド服の綾乃は好きだ」
またしても弾丸が。というか、砲弾が!
爆発しちゃったんじゃないか、というくらいの熱を感じて、私は頬を押さえる。深呼吸しようにも、酸素が肺に流れ込む感覚がなくて。
だからもう、池の鯉みたいに口をぱくぱくするしかなかった。
顔を真っ赤にした小野寺くんが、怒り狂ったような表情で私を睨みつけてる。
「……っとに、むかつくー」
明らかに照れ隠しな彼に、私は思わず抱きついた。
いいんだ、今日だけ特別。メイド衣装で変身してる、今日だけ。
「私も、小野寺くんが大好き!」
メイドな私と、そんな私を後ろからギュっとした小野寺くんのツーショットは、高校3年間の一番の宝物になりそうです。
ちなみにハロウィン本番の今日、私は小野寺くんのお家でネコミミカチューシャをつける約束をさせられてて。コスプレに興味ない、なんて。まったくもう。
嘘をつく悪い子には、悪戯しちゃう予定です。
++++++++++++++++++++++++++++++
お読み下さいまして、ありがとうございます。
拍手、新しくしました。短いですが、よろしかったらどうぞ^^
※携帯の方も見ることが出来るよう、FC2小説に拍手まとめを用意しています。お手数ですが【http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=183713】で検索して下さい。




