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5月10日(土) 18:15








頭がぼーっとするのは、酸素が足りないせい。酸素が足りないのは、小野寺くんが満足に息継ぎをさせてくれないから。

目を閉じた私に分かるのは、体のあちこちが熱くて仕方ないということだけ。

明かりもつけず、静まり返った部屋の中。合わせては離れをくり返す唇の隙間から、吐息の零れる音だけが聴こえてくる。

いつの間にかどこかに吹き飛んでしまった羞恥心と理性をそのままに、私は息切れをなんとかやり過ごしながら必死に小野寺くんにしがみついていた。




小野寺くんの唇が、ふいに離れた。ほんの数センチだけど。

「――――ふ、ぁ……」

出来た隙間に声を零した私を見て、彼が目を細めた。全然余裕のない私とは対照的に、小野寺くんは楽しそうだ。それもすごく。

「そんなカオすんなよ」

掠れた声で、彼が囁いた。

その甘い響きが耳の中でこだまして、腰のあたりがむず痒い。間近で鈍く光るドクロのピアスが、意地悪に微笑んでるように見えて仕方ない。

「なっ……」

反論しようとしたけど麻痺したみたいに唇が動かなくて、言葉が中途半端に宙に浮く。

それすら面白かったのか、彼が喉の奥で笑い声を噛み殺した。だけど、その目元が全然笑ってない。


なんだか怖くなった私は、つい、と目を逸らしてしまう。

すると小野寺くんが、私の頬を摘んだ。むにに、と余計なお肉が横に引っ張られていくのが分かる。

「猫が目を逸らす時って、降参です、って意味なんだよな」

低い声が呟いて、私は思わず視線を元に戻した。

彼の何かを灯した瞳とばっちり視線がぶつかるけど、それをお腹に力を入れて受け止める。

「ね、猫じゃないよね?」

……これが少し前だったら、話は違うかも知れないけど。

そんな気持ちで言い返したら、案の定彼の口の端が持ち上がった。

「うるせぇ。

 例え話だろーが」

そう言い放った彼の手が、私の頬をさする。

もしかして、赤くなっちゃったんだろうか。これから彼のお母さんに会うというのに、これ以上救いようのない顔になってしまうのは避けたいところだ。取り繕うつもりはないけど、第一印象って大事だと思う。

「お――――」

尋ねようとして口を開いた瞬間、優しかった大きな手が私の肩を押した。


とん、とドミノの最初の1つを倒すみたいな力加減なのに、背中が引っ張られるみたいに倒れていくのが分かる。

突然のことにびっくりして息を飲んでいたら、あっという間に視界から小野寺くんが消えた。それからすぐに、壁と天井が入れ替わりに飛び込んできて。ぽすん、と頭がベッドに着地した。

「え……?」

ぱちぱち瞬きをくり返していると、また彼の顔が視界いっぱいに映り込んできた。

明かりのない部屋の中でも分かるくらい、そのカオは真剣さに満ちてる。というよりも、それを通り越してなんだか怖い。

私が学校で着てる彼のカーディガンが盗難未遂に遭った時とはまた違う、熱のこもった視線。初めて見るカオ。

「……あ、あのっ」

堪らなくなった私は、とっさに声を上げていた。

だけど、彼は何も言わない。代わりに、ずっと私の背中に貼りついていた大きな手が、もぞもぞと動き始めた。

素肌を撫でられてる間は少し熱いくらいで慌てたりしなかったんだけど、今は違う。何かしようとして動いてるのが分かるから。

「ちょ……っ?!」

戸惑った私は慌てて彼の腕に手をかける。

すると彼が、ようやく口を開いた。残念ながらその間にも、大きな手は私の背中で何やら蠢いてる。

「綾乃」

「んっ……?」

大きな手が蠢くたびに、背中から耳元まで電気が走るみたいで。くすぐったさに似た甘い何かと掠れた声に気をとられた私は、返事もおろそかに彼の目を見つめた。

……だって、目を逸らしたら“降参”だなんて言ったのは小野寺くんだもの。

だけど頑張って見つめ返した私に、彼は何も言わずにキスを落とした。唇じゃなくて、おでこに。

思わず息を飲んで身構えた私を小さく笑った彼が、背中を這う手を止める。そして、私の目を見つめて囁いた。鼻先がくっつきそうな距離で。

「好きだ」


掠れた声で、最初の“す”なんてほとんど聞こえなかったのに。

そのひと言はものすごく甘くて優しい響きで、体中が熱くなって鳥肌が立って、怖いと思うくらいの威力があった。

なんだかもう、体の内側が爆発したんじゃないかと思うくらいに熱い。恥ずかしいとか、そんな単純な感情じゃない。頭の中がグルグルする。静まれ心臓。

「わ、わたしっ」

小野寺くんの目が催促してるように見えて、私は思わず口を開いていた。

「……も、好き……です」

だけど、いざ同じ言葉を返すとなると尻すぼみ。好きだなんて、こんな至近距離で囁く機会、今までなかったもの。

言い訳がましく心の中で呟いていたら、彼の目が大きく見開いて。息を飲んだあとに、唇が綻んだ。ものすごく嬉しそうに。

「知ってる」

あんまり嬉しそうにするから、つい自分の置かれた状況を忘れて見惚れていたら。唐突に、ぱっと体が楽になった。正確にいうと、胸のあたりが。

……小野寺くん、それは外しちゃいけないやつだ。


ぷちっ、と外されたホックが、離れ離れになってしまってる。胸のあたりが開放感を超えて、すーすーして頼りない。

私は大きく息を吸い込んだ。

「――――きっ……」

ふむぅぅぅっ、と鼻から声が抜けていく。

力まかせに、お腹の底から声を出したはずなのに。小学校の頃、夏休み前の暴漢対策の講習で教えてもらった通りに叫んだはずだったのに。

私の口を大きな手で塞いだ小野寺くんが、悪戯っ子の顔をしてる。さっき見せてくれた砂糖漬けみたいな眼差しはどこ行ったの、小野寺くん。


頭の中でぐるぐる考えていたら、小野寺くんの手が離れていく。

「でかい声出すなよ」

そう言った彼は、自分の唇に人差し指を当てて「しーっ」なんて。

まるで私が勝手に騒いだみたいな言い方をされたら、さすがに言い返したくなる。だけど、その気持ちはあるのに口が動かない。

ぐ、と言葉に詰まった私を見た彼は、口の端を持ち上げた。背中で悪戯してくれた手が、いつの間にか私の頬を撫でてる。

その手の感触に安心して、思わず目を細めて吐息を漏らした時だ。彼が、かぷ、と私の首筋に噛みついた。

かと思ったら、つー、と舌でなぞられた。


「んっ……あっ」

悲鳴とは違う声が、口から零れ落ちる。

「なっ……?!」

慌てて口を押さえたけど、もう遅かった。

顔を上げた小野寺くんが私の手をどけて、熱のこもった目を向けてくる。

「その声は我慢すんな」

「……声出すな、って言ったのに」

何度目になるか分からない理不尽さに、私はついに反論した。

「もうっ。

 どいて、な、直したいから……っ」

なんとなく恥ずかしくなって言葉の最後を濁していると、彼がおもむろに手を伸ばした。下の方に。

「やだ」

「……え、ちょっ」

脇腹のあたりから、するりと手が入ってくる。その手はゆっくりと上に向かって、肌の上を滑るように移動してきた。

それと同時に、また首筋に噛みつかれて。

「まっ、ひゃっ、おにょれらくんっ」

くすぐったいような変な感じに慌て過ぎて、呂律がおかしなことになってる。

すると彼は、私の耳元で囁いた。

「無理。待てない。発狂しそう」

私は頭の芯が痺れそうになるのを堪えながら、喉の奥で声を堰き止めた。

発狂とは穏やかじゃない。

そんなことを考えている一瞬の隙に、彼の手がみぞおちを越えようとしていることに気づいて、私は慌てて服の上からその手を掴んだ。

両手で思いっきり、がしっと。


「……んだよ」

案の定、小野寺くんは眉根を寄せた。

お腹を空かせた獣が唸ってるみたいに見える。その台詞が「やんのかコラ」に聴こえてしまった私は、もう負け寸前なんだと思う。

だけど、さすがにここまでされたら私でも分かる。これは絶対に譲っちゃいけない一線だ、ってことくらい。なし崩し、なんて言葉が頭に浮かぶ。

ところが、力の限り首を振った私の両手は、くいっと持ち上げられてしまった。彼の大きな手ひとつで、簡単に。

「あ、え……?!」

そして私が間抜けな声を漏らしている間に、あっさり両手が頭の上に固定される。私が思い切りじたばたしても、びくともしない。この力は、一体どこからくるんだろう。

「か、帰ってきちゃうよ、お母さん……!」

純粋な力で彼を止めるのは無理だと悟った私は、方向転換をすることにした。

ふたりきりでいられる時間は、もうすぐ終わるはずなんだ。携帯も持たずに出かけた彼のお母さんが、きっと戻ってくる。夕食を一緒に、という約束があるんだから。そのことを思い出したら、発狂しそうな彼だって冷静になるはず……。


小野寺くんは、分かりやすく舌打ちして私の手を放した。

なんだかもう、泣きたくなるくらいに悪人面だ。この人は本当に私の彼氏か。

すると彼は、絞り出すようにして呟いた。まさに苦悶の表情で。

「……分かってる。最後まではしない」

私は溜息をついた。もちろん、ほっとして。

だけど次の瞬間、口から声にならない声が飛び出した。彼が何を思ったのか、突然服の中に手を突っ込んできたから。


すーすーしていた胸が大きな手のひらに包まれた衝撃で、私は心の底から取り乱した。だって、自分以外の誰かに体を触られるなんて、初めてだ。

「ひぁぁっ」

変な声が、抑えようとしたそばから零れ落ちる。

小野寺くんは、そんな私を見つめて呟いた。

「……綾乃って、着痩せするタイプなんだな。

 服の上からじゃ、全然分からなかった」

「え?」

思わぬひと言に、私の目が点になる。一体何の話だろう。

すると彼は小さく笑って、手のひらに力を入れた。スライムみたいに、ぐにょん、と形が変わるのが分かる。

「ほら、俺の手にちょうどいいサイズ。

 もっと小さいかと思ってた」

その言葉の意味を少し遅れて理解した私は、顔に熱が集まってくるのが分かって息を詰めた。咄嗟に、両手で顔を覆う。恥ずかしいのが抑えきれなくて、体がぷるぷる震えてしまう。

「も、もうやめて。

 こういうのは、もうちょっと……」

ごにょごにょと言葉を濁したら、顔を覆う両手に柔らかいものが触れた。ちゅ、と音を立てて。

それが彼の唇だと分かったのは、おそるおそる手をどけた私の目の前に、それがあったから。

「もうちょっと?」

先を催促するように、彼が言った。その瞳からは、さっきまでのギラギラした感じが抜けているように見える。

私は、そっと息を吸い込んだ。

「もうちょっと、ゆっくりお願いします……初めてなので……」

なんとなく敬語になってしまったけど、気持ちは伝わったんだろうか。目の前にいる彼が、困ったように微笑んだ。




「ごめんね、小野寺くん」

乱れに乱れた服を整えながら、私は小野寺くんの背中に向かって囁いた。

下着を直してるところなんて見られたくないから、うしろを向いてもらってるのだ。彼は見たがってたけど。

「……いや、なんか、俺もごめん」

後ろ姿ではあるけど、彼が頬を掻いたのが分かる。

私は思わず笑みを浮かべて、首を振った。彼からは見えないんだけど。


いつもと違う小野寺くんは怖かったけど、それも小野寺くんなんだよね。本当に嫌がったら、ちゃんと止めてくれるし。なんだかんだ言いつつも、最後はちゃんと優しいんだ。

……それに振り回されてる感は否めないけど、仕方ない。惚れた弱みだ。


少しだけ伸びた坊主頭に、ピアスが3つ。その後ろ姿をじっと見つめていた私は、気がついたら両手を広げていた。

ぼふっ、と体当たり同然に抱きつく。

「お、わっ、あ……綾乃?!」

珍しく慌てた様子の彼に、思わず笑ってしまった。その背中に額をくっつけて。

「なんだよ、なんか言ってからにしろよ。びっくりすんだろ」

「うん、ごめん」

ぶっきらぼうな口調だけど、全然怖くない。

彼はお腹に回した私の手に、自分の手を絡めた。そして、小さく息を吐いた。

「あー……柔らかかったなー……」

「えー……」


心の声がダダ漏れだよ小野寺くん。

どうせなら、好き、とかそういうのを希望します。


今度なっちゃんに買い物に付き合ってもらおう。買う物は決まってる。小野寺くんに見られても恥ずかしくないものを、一緒に選んでもらおう。

……お付き合いするって、いろいろお金がかかるものなんだなぁ……。





なんて思っていた私は、後日なっちゃんにお願いをした結果、見事にこの日に起きたことを根掘り葉掘り聞き出されて赤面したのでした。









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