5月10日(土) 14:00
「おー……」
小野寺くんが、思わず感嘆の声を漏らして。
私が、苦笑混じりにそれに頷いた。
「……すごいねぇ」
電車を降りたホームに、真っ赤な広告がずらりと並んでて。そのひとつひとつが大きな英字で、母の日を主張してる。
しばらく出歩いてなかったから、こんなことになってるなんて思わなかった。
これ、来月の父の日になったら、真っ青か真っ白にでもなるんだろうか。で、クリスマスは赤と緑とか。
……そんなことを思って、私はこっそり苦笑してしまったわけなんだけど。
「行くか」
そう言った小野寺くんが、真っ赤な広告に目を奪われてた私の手を握る。
私は急に触れた体温に我に返って、もうすでに一歩踏み出した彼に送れないように、とたたっ、と足音を立てた。
改札を抜けた私達は、お店がたくさん並ぶ連絡通路を通り抜けて百貨店に入った。
なんでも大型連休の終わりの朝刊に、母の日特集の広告が入っていたみたいで。それを見て、小野寺くんは私を誘ったんだそうな。
「なるほどー……」
手を引かれて混み合う化粧品とジュエリーの売り場を縫うように歩きながら、私は相槌を打った。そして、ふと疑問が。
「ちなみに、予算はいくら?」
お金のことは大事だ。予算によっては、百貨店では選べないかも知れないし。
彼は、私の問いかけに目を前に向けたまま口を開いた。
「今まで誕生日とかも適当だったからなぁ……。
1万まで、かな。出来れば、その半分くらい。
……あんまり金かけすぎても怒る気がすんだよな」
「分かった」
ほとんど独り言みたいに呟いた彼に、私は頷く。
「じゃあ、ひとまず5千円までで探せばいいかな。
あ、それでプレゼントしたい物はあるの?」
「それが全然思い浮かばなくて困ってんの。
とりあえず花はナシ。
鉢植えでも切り花でも、月曜から世話すんの俺だし」
肩越しに振り返った彼が、鼻で笑う。というか、どこか自嘲めいてる気がする。
やっぱりお母さんが海外出張してるの、寂しいと思ってるんじゃないかな……なんて。そんな気がしてしまう。
どう返せばいいのか考えて黙っていたら、彼がにやりと笑んだ。もうすっかり基本装備として定着した黒縁メガネの向こうで、ものすごく意地悪に。
「ま、綾乃が毎日ウチに来て世話してくれるんなら、花でもいいかもな」
そんな上から目線の発言に、私は頬を膨らませた。もう眼鏡男子を前にしても、そんなに簡単に怯んだりしないんだから。
「……あのね小野寺くん。
そんなこと言って、私は家政婦さんにはなりませんよ?」
すると彼は、ぽかんとして。その次の瞬間には、苦そうなカオをして私を見た。
いいから前見て歩いてね、小野寺くん。
そんなやり取りをしながら、女性だらけの煌びやかなフロアを横切って辿り着いたのは、エスカレーターの横にあるフロアガイドの前。
私がそれと睨めっこしていると、隣の小野寺くんが溜息をついた。
その気配を感じて仰ぎ見れば、彼の顔には早くも疲れの色が浮かんでて。
「だいじょぶ?」
彼は、人に酔ったのかと心配になって覗き込もうとした私の肩に、顎を乗せてきた。
「化粧品の匂い、嫌いなんだよ」
その格好のまま喋るものだから、耳元で声がして背中がぞわぞわしてくる。
「……う、うん。
私も、あの匂いはちょっと苦手」
思わず息を詰めた私に気づいたのか、彼はすぐに離れていった。なんかちょっと、困ったような笑みを浮かべながら。
なんだろう今の間は……なんて思いながらも、私は隣に立つ小野寺くんを見上げた。
まだ背中がそわそわするけど、今はとにかく母の日のプレゼントをどうにかしなくちゃ。そのために来たんだし。
「海外出張してるってことは、キッチン雑貨とかはあんまり……だよね?」
「……だな。
家で使うような物は、今は必要ないと思う」
頷いた彼が見ているのは、たぶん私と同じ“6階 生活雑貨”の部分。
「うん、分かった。
じゃあ、えっと……“服飾雑貨”はどう?」
彼の視線を目で追いながら聞いていた私は、相槌を打ってフロアガイドに目を向けた。
「靴下とか、ハンカチとか……。
あとはお財布に鞄……あ、ポーチとかもあるみたいだね」
取り扱いブランドの一覧を眺めて、なんとなく置いてあるものを予想してみたけど、小物なら予算内で選ぶことが出来そう。
私がガイドのショップ欄を見ながら言うと、彼が頷いた。
「じゃあ、そこ見てみるか」
エスカレーターに乗って服飾雑貨のフロアにやって来た私達は、まずはぐるっと1周、どんなものが置いてあるのかを見て回ることにした。
まず目についたのは鞄、靴、お財布。それから、ストール。ベルト、靴下、ポーチと続いて、ハンカチのコーナーが広がってる。それから特設コーナーみたいなところには、今の時期だからなのか、晴雨兼用の日傘が置いてあったり。
そうやってとりあえずフロア全体を見て回った私達は、最初に見た場所に戻って来たところで足を止めたんだけど……。
「――――ハンカチが無難だよなぁ。
なんかそれだけじゃ物足りない気もするけど……。
かといって他は、好みじゃないと使わなさそうだし」
そんなことを言う小野寺くんの顔が、だんだんとしかめ面になっていく。
きっと真剣に考えてるから、余計に何を贈ればいいのか分からなくなっちゃうんだろうな。小野寺くん、根はすごく真面目だから。
「うーん……」
唸った私は、ふと思いついたことがあって、彼の顔を見上げた。
すると彼が、ぱっと顔を上げた私を見て、小首を傾げて。
「ん?」
私は、不思議そうにこちらを見つめてくる彼に言った。
「ええと、それなら、ハンカチとポーチにしたらどうかな。
たぶん予算内には収まると思うんだけど……ちょっと欲張りすぎかな。
2種類にしたら、どっちかは好みに合いそうかと思ったんだけど」
「……ん、そうしてみる。
ポーチ、どのあたりにあったっけ?」
「えっと……」
すんなり頷いた彼に言われて、私は視線を走らせた。
結局プレゼントは、綺麗なチェック柄のハンカチ2枚と、小花柄のがまくちポーチになった。柄を選んだのはもちろん小野寺くん。
何やらぶつぶつ言いながら選んでる彼の横顔は、言ったら絶対怒るから言わないけど、可愛かった。だって真剣な目をしてるくせに、その耳にはドクロのピアスがついてるんだもの。
小野寺くんがお札を出してお釣りを受け取っている間に、レジの奥にいるお姉さん達が手際良く商品をラッピングしていく。
母の日前日というだけあって、レジの奥がラッピング要員でひしめいているのが見てとれた。まるで戦場みたい。プレゼントのはずなのに、鬼気迫る勢いで包装紙と格闘してるし。
とはいえ、その表情の割にとっても綺麗なラッピングを施されたプレゼントには、小さなカーネーションの造花がリボンの代わりに貼り付けられてる。
そして、それが入った紙袋を受け取って本日の目標は達成……なんだけど。
私は、あることを思いついて小野寺くんの手を引っ張った。
「……で?」
何も言わずに連れてきたせいか、小野寺くんのご機嫌が斜めだ。
紙袋を受け取ったあとに「ありがとな」と言って、手をぎゅっと握ってくれたのは気のせいだったんでしょうか。
むっすりしてる彼の手を引いた私が、「いいからいいから」とやって来たのは、5階にある文具売り場。
ここまで来ると、さすがに母の日のプレゼント目当てのお客さんは他のフロアに比べて、それほど多くないみたいだ。
あたりを見回した私は、探していたものを見つけて再び彼の手を引いた。
「こっち。こっち来て」
「あ?」
聞き返したその声が、思い切り低い。
でも、そんなのとっくに慣れたもの。いきなり頭を鷲掴みにされるのも、腰をぐいっと引き寄せられて凄まれるのも、もうたいして怖くないんだから。
そんなことを考えながら彼の声を聞かなかったことにした私は、平然と手を引いて、ある場所の前に辿り着いた。
そこには綺麗に陳列された、よりどりみどりのカード達。
「なんだよこれ」
「ん?
メッセージカードだよ」
脱力した彼の言葉に事もなげに答えた私は、小首を傾げて、ぽかんとしてるその顔を仰ぎ見た。そして、提案。
「“お母さんありがとう”の手紙をつけたらどうかな?」
「えぇぇ……」
案の定というかなんというか、彼は気まずそうに顔をしかめた。
気まずいというよりも、照れの方が大きいのかも。なんだか微妙なカオをして、私のことを見つめてくる。
「いやいや綾乃さん。
それはちょっとハードルが……もう高3なんですけど、俺。
こういうのって、若干照れるし……」
そんなことを訴えてきたから、私はちょっとだけ眉根を寄せて。おまけに、人差し指をぴっと立ててみせた。
「だって、久しぶりに母の日に一緒にいられるんでしょ?
お誕生日も、ちゃんとしてなかったんでしょ?
中学生の頃に、いろいろ迷惑かけたんでしょ?」
……小野寺くん、ちゃんとカード見てるかな。
最終的に「ん、まあ、そうだよなぁ……」なんて言いながら、ちらっとカードを見てたし。大丈夫だと信じよう。
「私も、ちょっと見たいものあるから」と言い残した私は、カードの売り場から少し離れたところにある、文房具のショーケースを見てるところだ。
長時間握っていても疲れにくいシャーペンが欲しいな、と思っていたから、この機会に見てみようと思って。
もちろんショーケースに入っているくらいだから、今見てるものは、私みたいな高校生が持つには高価に決まってるんだけど……。
そんなことを考えた私は、やっぱり300円くらいで買えるものを探そうかな、なんて思ってショーケースから目を離した。
その時だ。
「――――何かお探しですか?」
唐突にかけられた声に、私は視線を上げた。
ショーケースの向こうで微笑んでいたのは、白髪混じりの素敵なおじさま店員だった。
「綾乃」
突然呼ばれた私は、びっくりした小さな紙袋を落としそうになってしまった。おじさま店員の手から、買ったものを受け取るところだったから。
私を呼んだのは、もちろん小野寺くん。
その彼は、近づいてくるなり溜息混じりに私に言った。
「ここにいたのか」
私はその言葉を聞きながら、おじさま店員から紙袋を受け取って会釈する。そして、レジを離れたところで彼に謝った。
思ってたよりも、おじさま店員と話し込んでしまってたみたいだ。
「ごめんね。
もっと早く戻れると思ってたんだけど……」
「携帯繋がらないから、ちょっと探しただろ。
……ったく。心配させんなよ」
ぶっきらぼうな言い方だけど、そんな台詞を向けられたら頬が緩んでしまう。お小言をもらって顔がにやにやしちゃうだなんて、怒られるに決まってるんだけど。
私、自分でも思うよりも、俺様ちっくな小野寺くんが好きかも知れない。
「うん、あの、ごめんなさい」
もう一度、にこにこ謝った私を見て何かを諦めたらしい小野寺くんは、「とりあえず」と前置いてから言った。
「何食べたい?
付き合ってもらったし、何でもどーぞ」
苦笑混じりの彼の顔を見た途端に、私のお腹の虫が大きく鳴いた。
時計を見たら、もうお昼なんてとっくに過ぎていて。
混み合う時間を避けたのが良かったのか、私の希望したパスタ専門店には、待ち時間もなく席に案内してもらうことが出来た。
「小野寺くん、お先にどうぞ。
ここに来るの初めてじゃないから、私はあとでいいよ」
そう言って、私はメニュー表を小野寺くんの方に向けて開いた。
「……へー」
ところが適当な相槌を打った彼から、表情が消えた。
黙ってメニュー表を睨んでるし、黒縁メガネの向こうにある瞳が静かに怒ってることだけは分かるんだけど……。
いきなり何がどうして怒りだしたのか分からない私は、戸惑うばかりで何と言葉をかけたらいいのか、まったく分からなくなって黙り込んだ。
すると彼が、ちらりと私を一瞥して。
「……決まったから、どーぞ」
そして、つつ、とメニュー表を突き返してきた。
「え、と……」
押されるようにして返されたメニュー表を受け取ったものの、素直にそれに目を向けていいのかどうか、迷ってしまう。
そうやっておろおろしていたら、彼が低い声でぽつりと言った。頬杖をついて、ちくちくした視線を私に向けて。
「――――来たことあるって、誰と?」
聴こえてきた言葉に思わず目をぱちぱちさせて、私は普通に答えた。
「え?
なっちゃんだけど……?」
小首を傾げた私を見て、何を思ったのか小野寺くんは真っ赤になった。おまけに挙動が、ちょっとおかしくなって。
なんだか動揺してるみたいだったから、とりあえず「顔が真っ赤だから」って、お水を勧めてみたんだけど。お水を飲んだら派手に咽てたから、次はおしぼりで顔を冷やすように勧めてみようと思う。
ところで、怒ってたのは何に対してなんだろう。うやむやだけど、いいのかな。
小野寺くんはまだ、真っ赤な顔を手で扇いでる。
それを横目に、私はさっき買い物をした時の小さな紙袋を取り出した。そして貼ってある小さなシールを剥がして、中に2つ入っている小さな箱のうちの1つを、彼の前に置いた。
「綾乃、なにこれ?」
喉をぜーぜー鳴らしながら呼吸を整えていた彼の声が、ちょっと掠れてる。
咳のし過ぎなのか目尻には涙が浮かんでるけど、見なかったことにしてあげよう。
「小野寺くんにあげたいな、と思って。
……開けてみて」
一瞬ぽかん、とした彼が目を泳がせた。
「なんだよ、急に……」
私はただ笑みを浮かべて、何も言わずに頬杖をついた。
そのうちに、泳いでいた彼の視線が私に向けられて。それから、テーブルの上の箱に注がれた。
何も言わない私をちらっと、不審そうに一瞥した彼の手が、箱を開ける。かぽ、と小気味良い音が響いた。
箱の中身を見た彼は、ぽかんとしていて。やっぱり、驚いているみたいだ。
小野寺くんの反応を見た私は、思い切り肺に空気を送り込んで口を開いた。
「えっと、小野寺くんも勉強頑張ってるし、私も頑張りたいし……。
その……出来たら一緒に受験、頑張って欲しいなと思って……。
あ、違うの。一緒の大学行きたいとか、そういうんじゃないんだけど」
そこまで言ったところで、溜めておいた酸素が切れて。
彼は私の言葉を聞いているのかいないのか、おもむろに箱の中から取り出して握ったシャーペンで、ペン回しをしてる。
私はもう一度、息を吸い込んだ。
「私も買ったんだ。
小野寺くんもこれで勉強してる、って思えば、頑張れそうだったから……。
同じの使って頑張ったら、あんまり会えなくても寂しくなさそうだし……」
言いながら、不安が襲ってくる。
これじゃなんか、勉強を強要してるみたいかも。それに、白髪のおじさま店員のオススメだったけど、彼は気に入らないかも知れないし……。
そんなことを思っていたら、彼の視線がふいに私を射抜いた。
「え、と……」
思わずごにょごにょと声を零せば、彼の目が柔らかく細められて。
「ほんと変わってるよな」
笑顔でそんな台詞をぶつけられても、どうしたらいいか分からない。
戸惑って、口を開いた。
「ご、ごめん。
別に使ってもらえなくてもいいんだ。私の自己」
「行っちゃおうか、おんなじガッコ」
言おうとした言葉を遮られて、私は息を詰めた。
……今、なんと仰いましたか。
「俺、第一志望にS大って書くわ。学科はもちろん別になるだろうけど。
まあ指定校の推薦枠なんて取れるわけないから、一般受験?」
心の声は絶対に聞かれてないと断言出来るのに、彼は私が抱いた疑問に丁寧に答えてくれて。おかげで、私の頭の中は大混乱だ。
だけど彼には、そんな私の内部事情は関係ないらしく。口の端を持ち上げて、にやりと笑って言い放たれた。
「綾乃が焚きつけたんだからな。ちゃんと責任取れよ」
「えええええ?!
いやいや大学受験というのは人生の大きな岐路になるわけであって
そんな簡単かつ大胆に決めちゃうのはお母さんもきっと反対するし
もうちょっとちゃんと考えてから決めた方がいいよ思うよ絶対に!」
「うっせぇ。
……あ、お姉さん注文いいっすか」
おのでらー!




