5月10日(土) 11:30
いささか俺様気質な小野寺くんと順調にお付き合いを重ねている私は、大型連休も勉強三昧だった。もちろん彼からはお出かけの打診もあったけど、それは1日だけ。
だって私達、受験生なわけです。親友のなっちゃんみたいな予備校組に比べたら、勉強漬けという状態には程遠いんだけど。
そして連休が終わって、やってくる母の日。
私の家では、この日は父と子ども達が夕飯を作る、というのが定番の過ごし方。だから特にプレゼントは用意しないんだ。
そんな話をしてた、金曜日の放課後のこと。
参考書なんかでパンパンに膨らんだ鞄を自転車のカゴに入れた小野寺くんが、勉強で疲れたのか肩を回しながら私を見た。
「……綾乃、提案があるんだけど」
「なあに?」
提案だなんて、ずいぶんと他人行儀な言い回しだ。
ようやく芝生程度まで髪が伸びた彼は、小首を傾げた私に言った。ちょっとだけ、言いづらそうに視線を彷徨わせて。
「明日、買い物付き合ってくんないかな」
「買い物……?」
言いながら、私も自分の鞄を自転車のカゴに入れる。
……それは提案というか、お願いだよね小野寺くん。
心の中で呟いて、私は彼を見つめた。
「いいけど、何の?」
私の質問に、彼が溜息混じりに呟いた。ぼそっと。
「母の日のプレゼント選び」
「あー……」
なるほど、と思った私が声を漏らした瞬間に、彼が口を尖らせた。
「うるせー」
「……まだ何も言ってないよ」
苦笑混じりに返せば、彼の頬がほんのり赤くなって。これはきっと、傾いたお日さまのせいじゃない。
「あーもー!」
そっぽを向いた彼は、私の頭をぐりぐり撫で回した。
もうネコミミを卒業したから、やりたい放題。
最近こんなふうに、私にじゃれてくるんだ。こういうとこ、小野寺くんの方が断然ネコっぽいと思う。気分屋さんだし。まあでも、基本的に優しいからいいんだけど。ぶつぶつ。
「……うぅぅ……」
「もう、さ」
ぼさぼさにされた髪のせいで前も見えない私が唸ったら、小野寺くんの手が乱れた髪をそっと梳いてくれて。
……嬉しいんだけど、でもこういう感じ、やけに手慣れてると思っちゃう私は捻くれてるんでしょうか。
そんな私の心の声なんて聞こえない彼は、溜息混じりに言った。
「何あげたらいいのか分かんねーし。
久しぶりに母の日に家にいるからさ、ちゃんとしようと思うんだけど」
小野寺くんは、中学にあがるちょっと前にお父さんを事故で亡くしてる。だから、それからずっとお母さんとふたり暮らし。
中学に入ってからしばらく荒れに荒れて、大変だったと自己申告してくれた。家庭内暴力こそなかったみたいだけど、やっぱり年頃の男の子だし、お母さんとはいろいろあったらしくて。
そういう話を聞いてたから、今回の“ちゃんと母の日をしたい”発言は、私も嬉しい。出来ることは協力してあげたいな。
乱れた髪がすっかり元に戻ったところで、私は小野寺くんを見上げて微笑んだ。
「いいもの見つかるといいね」
「ん」
まだ少し赤い頬を緩めた彼は、いつもよりも少しだけ幼く見えた。
私も、何かちょっとしたものでもプレゼント用意しようかな。どうせ今年も、私は食べ終わったあとの食器洗い係だろうし。
……小野寺くんに教わって、キュウリの輪切りは出来るようになったんだけどな。
改札のそばにあるコンビニの前に、黒縁メガネをかけた小野寺くんが立っていた。
「おはよ」
そう声をかけながら近づくと、彼がぶっきらぼうに「おう」なんて返事をする。
私はいつも5分前には待ち合わせ場所に行くようにしてるんだけど、その5分前には彼が着くみたいで。だから毎回、小野寺くんが待ってる。
「お待たせしました」
「ん、へーき」
今日もいつも通りの言葉をかければ、彼の手が私の頭をぽふぽふ叩く。
こうやって勉強以外の用事で出かけるのは、すごく久しぶり。だから、なんだか気持ちがふわふわしちゃう。嬉しいのが顔に出てないか心配だ。
「じゃ、行くか」
「うん」
にやけてしまいそうなのを堪えた私は、差し出された手を握った。
土曜日だし、どこかでイベントがあるんだろうか。車内はすごく混み合ってて、私達はふたりして肩をくっつけ合って吊革に掴まった。
ぷしゅ、と空気の抜ける音と共にドアが閉まって、滑るようにして電車が動き出す。車内は少し暑いけど、ところどころ大きく開けられた窓から風が吹き込んで気持ちいい。
流れる景色を眺めていたら、ふいに小野寺くんが口を開いた。吊革に掴まった腕に顎を乗せて、ものすごく気だるそうに。
「そういえば進路調査、綾乃はどうすんの?」
「指定校推薦狙ってるけど……って、言ってなかったっけ?」
いきなりどうしたんだろう。進路の話は、別に初めてじゃないはずなのに。
私は小首を傾げて、黒縁メガネの向こうにある瞳を覗き込んだ。
すると彼の視線が、ちょっとだけ私からずれていく。
「……や、それは聞いてたけど。
大学はどこにすんのかな、と」
「えっと、S大が第一志望なんだけど……。
でも今年も枠があるか分からないし、K大でもいいかも、とは思ってるんだ」
「そっか」
どこかほっとしたような言い方が気になって、私は思わず尋ねていた。
「うん。
……でも、なんで?」
「んー……S大って女子大だったよなぁ、って。それだけ」
その言葉を聞いただけじゃ、よく分からない。
私は内心首を捻りながら、彼の目を見つめた。
それだけで私の考えてることが分かったのか、彼は溜息まじりに口を開いた。少し身を屈めて、耳打ちするようにして。
「いやだから……。
女子大なら余計な心配しなくて済むって話だろ、そこは」
「余計な心配……?
もしかして私、何か変……?」
彼のひと言に、私は俯いた。久しぶりに履いたヒールのある靴が、電車の揺れに合わせて揺れてるのが見える。
心配されるってことは、何かが良くないってことなんだよね。今まで言わなかっただけで、何か変なことしちゃってたのか、私。だから最近、なっちゃんが何か言いかけて意味ありげなカオをするのか。
そんなことが、頭の中をぐるぐるする。
「は……?」
訝しげな声が聴こえるけど、きっと不快そうに眉根を寄せてるんだろうから、小野寺くんの顔なんか見れるわけがなくて。
そして溜息がついて出てしまった、その時。ぽふん、と私の頭に彼の手が。
はっと我に返って顔を上げようとしたけど、それよりも早く彼が言った。
「そういうんじゃなくて。ほら、あれだ。
女子大なら、男がいないから心配の種が減るってことだよ。
そんくらい分かれよ、説明するの恥ずかしいだろうが!」
低い声で、ものすごく早口。耳に直接言葉を流し込むみたいにされて、しかも言いながら、その手がぐわんぐわん私の頭を揺らしてくる。
ああでも、小野寺くんの手が支えてくれてるみたいだから、私が倒れる心配はしなくて大丈夫みたいだ。
……でもそんなに揺らしたら、せっかく聞いた言葉が耳から出ていっちゃう!
「――――あ」
胸の中だけで呟きながら、にやにやした笑みを抑えきれなくなっていた私は、あることを思い出して声を漏らした。
すると恥ずかしいのを誤魔化すようにして私の頭を揺さぶっていた彼の動きが、一瞬でぴたりと止まった。私の体は、まだふらふら揺れてるけど。
眩暈に似た浮遊感を振り払うように頭を軽く振った私は、訝しげな彼を見て言った。
「そういえばS大、来年度から共学になるって」
「な……っ?!」
何を思ったのか言葉を失った彼は、我に返った途端に私の頭を鷲掴みにした。その目が、半分笑ってて半分怒ってる。
「なんで綾乃が入る年から共学になんだよ」
「……ま、まだ入るかどうか分からないです。
それに共学になるのは私のせいじゃないです……!」
地を這うような声に頑張って言い返したら、「んなことは分かってんだよ」とかなんとか。でもすぐに何かを思いついたのか、彼の眉間からしわが消えた。
そして、憑き物でも落ちたかのように、ぽつりと呟いた。
「あ、そっか。共学なら俺も通える……」
「え、通うの……?!
ダメだよ、指定校推薦の枠は渡さないからね!
いくら小野寺くんが、その、か、彼氏だとしても!」
言い淀みながらも宣言すれば、彼が天を仰いだ。額に手を当てて、溜息混じりに。
「だから、そうじゃねぇよ……」
……そうじゃないのか。
その前に、私が言うのもなんだけど……。
進路はちゃんと考えた方がいいんじゃないかな、小野寺くん。
そんなやり取りをしているうちに、電車は百貨店が何軒があるような駅に到着した。
進路の話なんてしてたから忘れそうになったけど、今日は小野寺くんの母の日プレゼントを買うために来たんだ。
彼のお母さんは月曜日からまた海外出張に出かけるみたいだし、せっかくだから喜んでもらえるようなものを見つけなくちゃ。
うん、なんかやる気出てきた。




