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2月14日(金) 16:30









「付き合って。

 俺、田部さんの彼氏になりたい」

おんなじフレーズが、何回も頭の中を行ったり来たりしてる。

爪先から頭のてっぺんまで熱くて、立っていられなくなりそう。



「どうなの……?」

ぼんやりと小野寺くんの顔を見つめていた私は、ふわふわした気持ちで何度も瞬きをして、ようやく現実に引き戻された。

こういう時、どんなふうに返事をしたらいいんだろう。

私は少し考えてみたものの、結局素直に言葉を選ぶことにした。

「――――ん……その……、お願いします」

言いながら猛烈な恥ずかしさが襲ってきて、つい視線を落とす。

すると彼がひとつ息を吐き出して、私の頬から両手を離した。

……なんか上手く言えないけど、ちょっと寂しい。気持ちを突き返されなかっただけで、十分嬉しかったのに。自分がすごく欲張りになったみたいで、なんだか恥ずかしい。

エレベーターは目的の階で止まって、ドアが開いたままだ。いつ誰が来るとも分からない状態に、ハラハラしてしまう。


その時だ。

困ったような笑みを浮かべた小野寺くんの腕が、私の背中に回された。

ぎゅ、とも、ふわり、とも違う。

息苦しくない。

頼りなくも、ない。優しくて温かい腕だ。

思わず、私も小野寺くんを抱きしめ返す。

ラグビー部の部室で隠れた時とはまた違う雰囲気が心地よくて、私は目を閉じた。こんなに密着してるのに、あの時みたいに意識しすぎて頭がおかしくなりそうな感じがない。

ほぅ、と息を吐き出せば、それが布地に吸い込まれていく。

「よかった……」

そう囁いた小野寺くんの声が、胸のあたりから響いてきた。

鼓動の音と混じって、なんだか不思議。

私はもっとちゃんと聞きたくて、自分の耳をぴったりと彼の胸にくっつける。

すると、ぴと、と私が体を寄せた途端に、小野寺くんの息を飲む気配がした。


「ん……?」

腕の中でもぞもぞと顔を上げた私に、彼が苦笑混じりに首を振る。

背中に回った手の片方が、そろそろと場所を変えて私の髪で遊び始めた。

「このくるくる、似合ってる」

「あ、ありがと……」

小野寺くんの仕草と言葉が、なんだかくすぐったくて。私は思わず顔を上げた。

すると柔らかく目を細めた彼は、私の頬に貼りついた髪を丁寧に避けてくれて。

「あのさ、田部さん」

最後の一本を避けた指先が、少し迷ってから唇をなぞる。

「ん……?」

ふいに触れられて口を開けない私は、鼻から声を抜いて答えた。

びっくりした次の瞬間から、心臓が大騒ぎを始める。

私の唇を軽く押したり撫でたりした小野寺くんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。

最初からずっと近かったけど、今度は特別だ。

吐息が鼻先にかかるんじゃないか、ってくらいの距離に、彼氏になったばかりの小野寺くんがいる。

「ごめん、家まで我慢出来ないっぽい」

何が、なんて分かり切ってる。

したことないけど、この雰囲気でこの距離でそう思わない方がおかしい。

私は小野寺くんのまつげを数えながら、ぼんやりとそんなことを思っていた。

すると何も言わない私を訝しんだのか、彼がほんの少しだけ眉根を寄せる。

「え、いいの……?」

……だって家まで、ってことは、家に着いたらどっちみち、なんだよね。

心の中で小野寺くんに言葉をかけた私は、ゆっくりと瞼を下ろす。

それがどんなことを意味してるのかなんて、ちゃんと分かってるつもりだ。

これから自分に起こることを想像して、無言を貫く。口なんか開けたら、心臓が飛び出してきちゃいそう。

閉じた瞼に力がこもって震えてるのを見られたのか、小野寺くんが間近で笑みを零すのが聴こえる。

そして、いつ彼の唇がやってくるのかとドキドキして待っていたら。


「綾乃」

ふいに名前を呼ばれて、私は思わず目を開けた。ぱち、と。

その瞬間に、してやったり顔の小野寺くんと至近距離で目が合って。

しまった、と思った時には遅かった。

ぐわっ、と小野寺くんの顔が迫ってきて、私は思わず頭を後ろに引く。だけど後ろは壁だ。悲しいかな、ガコン、という音が響いて後頭部に痛みが広がる。

その瞬間、掠め取るように私の唇に触れた彼のそれが、気配も残さずに離れていった。


あとに残ったのは、じんじんと広がる後頭部の痛みだ。

初めての彼氏と初めてキスをしたのに、味も何もなかったなんて。

「お、小野寺くんのばか。なんでこんなふうにするの」

キスした口で詰ったら、小野寺くんがちょっと笑って私に手を伸ばした。その手は膨れた頬を軽く抓って、少し尖らせた唇をなぞって、そして痛む後頭部を撫でる。

「……だって、全然動じてねーんだもん」

笑い声の混じった言葉に、思わず私は小野寺くんの胸をげんこつで叩いた。ぽふ、とやたら軽い音がする。

「そんなわけ……大体、こんなの初めてだし」

「ん、ごめん」

聴こえるかどうかの囁きに、彼の声が返ってきて。後頭部を撫で続けてた手が、緩やかに巻かれた髪で遊び始める。

痛みの消えた私が視線を向けたら、小野寺くんは髪から手を離して笑みを浮かべた。ずいぶんとご機嫌みたいだ。

……そんなに嬉しそうにされたら、これ以上詰れないじゃないですか。


「――――じゃあ」

小野寺くんが柔らかな瞳をしたまま、もう一度私に顔を近づけてくる。彼は、思わず足の裏に力を入れた私の頭の後ろに手を差し入れて、小さく笑った。

「これは、後ろ対策な。

 さっきみたいにすんなよ、痛いから」

そして彼はおもむろに、自分のおでこを私のそれにくっ付ける。それは肌と肌が吸いつくみたいで、言いようのない感覚が湧いてきた。

私が言葉を失っていたら、眼前に覆い被さるような距離で小野寺くんが言葉を紡ぐ。

「……やり直しな」

「何の……?」

お互いの唇が触れそうな近さで動いてる。

ドキドキする。こんなエレベーターの乗り方、ほんとはダメなのに。

小野寺くんは思わず聞き返した私の鼻に、自分の鼻を擦り合わせた。

息が出来ない。近過ぎて、焦点が合わない。

「俺らの、初めてのキス」

囁きが甘くて、私は彼の胸元をぎゅっと掴んだ。


そんなことを言われるんだろうと思っていたのに。あらかじめ構えていた以上の衝撃を受けた自分がいる。

鼻先同士を擦り合わせた小野寺くんは、言葉を失って息を飲んだ私を見て、また笑って。そして私の下の唇を、はむ、と食んだ。

彼の唇は、温かくて柔らかくて、しっとりしてる。リップクリームなんか塗ってるのを見たことがないから、きっと元々だ。羨ましい。

心臓を貫かれたのかと思うくらいの衝撃を受けていた私は、いつの間にか小野寺くんの唇の感触に心を奪われていた。

すると、ふいに唇が離れる。

「……やばい」

苦笑混じりの言葉に、私は彼の胸元を掴んでいた手を緩めた。

「何が……?」

「綾乃の唇、おいしすぎる」

……美味しいってなんだ。

失笑してしまったじゃないか。まったくもう、変な小野寺くん。

「……うっさい」

むっすりと息を吐き出した小野寺くんは、再び私の唇にかぷりと食いつく。

「な、……んむ」

反論しようとした私の声が、彼の唇に吸い込まれていった。


それからは何回も何回も角度を変えて啄まれて、唇が溶けるんじゃないかってくらい。

出来心で小野寺くんの唇を咥え返した私のこと、気に入らなかったんだろうか。


だけどしばらくしたら、どこからか男の子がやって来て。「ママ、エレベーターにかばんが落ちてる!」なんて大きな声を上げてくれて。

慌てて離れた小野寺くんが私の手を掴んで。私達はそそくさと、エレベーターから降りたのだった。








「ここに座って、ちょっと待ってて」

纏わりついてる犬のリクの相手もそこそこに、小野寺くんがダイニングテーブルの椅子を引いて言った。そしてすぐにキッチンに引っ込んでしまう。

私は言われるがままに引かれた椅子に腰かけて、キッチンの壁がくり抜かれた部分を見た。黒縁メガネを指で直す姿が、その枠の中、私の目の前を横切っていく。


エレベーターの中でしていたことの恥ずかしさに思い至った私達は、2人して耳まで真っ赤になりながらクスクス笑い合って、小野寺家のドアを開けた。

中に入った私は洗面所に連れて行ってもらって、手洗いうがいを済ませて。背後にいたはずの小野寺くんを探してリビングのドアを開けた。


そして、さっきの台詞である。

いつの間にか黒縁メガネのインテリ小野寺に変身した彼は、不思議そうにキッチンの窓枠を覗き込む私を見て笑う。

ジャー、という水音が響いた。

「言っただろ、ガトーショコラ作ってあんの。

 志乃さんが来た時に出すつもりで、昨日焼いたんだ」

「えっ」

そこまで聞いて思わず声を上げた私に、小野寺くんが首を振った。

「――――っていう言い訳を用意してたんだけど。

 今日、綾乃からチョコもらえたら渡すつもりだったんだ。

 ダメだったら、志乃さんとネコミミくんに消費してもらおうと思って……」

窓枠の中を行ったり来たりしてた彼が、どこかで作業してるのか見えなくなる。

チョコもらえたら渡すつもりだった……それって、どういう意味なんだろう。

私は小野寺くんの言葉の意味を考えて、首を捻っていた。

キッチンからは、カチャカチャと食器のぶつかる音が聴こえてくる。



それから少しして、彼がトレーにいろいろな物をのせて戻ってきた。

コト、とかすかな音を立てたお皿には、小野寺くんが作ったんだというケーキがお行儀よく鎮座している。粉砂糖で白く雪が降ったように飾られていて、カフェにでも来たみたいだ。

さすが小野寺くん。家事偏差値が高すぎる……。

私は気を取り直して、テーブルに置かれたマグカップに手を伸ばした。緑色の飲み物が入ってる。湯気と一緒に漂うその香りは、とても身近な……。

「緑茶?」

小首を傾げた私に頷いて、小野寺くんが向かいの席に座った。

「ん。チョコに合うらしいよ。

 ……ま、どーぞどーぞ」


「おいし……」

ひと口食べて、頬が緩む。緑茶との組み合わせも、なかなか。

蕩けそうなカオで呟いた私を見て、小野寺くんがテーブルに突っ伏した。

「よかったー……」

眼鏡がずれて、頬がべちゃっと潰れてる。

……えっと、写メしたら怒られるかな。撮りたいな。毎晩見たい。

そんなことを考えていた私は、さっき感じた疑問を思い出した。フォークをお皿に戻して、居住まいを正す。

「あのぅ……小野寺くん。

 チョコもらえたら、って……どういうこと?」

小首を傾げて尋ねれば、小野寺くんがテーブルから顔を上げた。彼は、ずれた眼鏡を直して頬杖をつく。

「そのまんま。

 綾乃がチョコくれる感じだったら、家に呼んでコレ食わして……。

 で、まあ……」

話しながら、彼の視線がテーブルの上を行ったり来たりして。全然落ち着かない。

私は手近にあったマグカップの縁をなんとなく指でなぞって、彼が続きを話してくれるのを待った。視線を落として、なるべく彼の顔を見ないようにして。

すると向かいで、吐息の零れる気配がした。

そっと顔を上げれば、そこには明後日の方を向いた小野寺くんが。

「俺だって、告白するつもりだったんですよー」


「……えっ、そうなの……?」

唐突なカミングアウトに、びっくりした私の口が勝手に声を上げた。

ふざけた言い方だったけど、たぶん本当のことなんだろう。ついさっきの出来事を思い出して、顔に熱が集まってくる。

その熱を逃がすように、私は両手で頬をぺちぺち叩く。

すると小野寺くんが言った。

「谷村に言われたんだよ」

「なっちゃん?」

仏頂面の理由はとりあえず置いといて、2人がどんなやり取りをしたのかが気になる。

私は、憮然とした様子で頬杖をついてる彼を見つめる。

「……えっと、高橋さんとなっちゃんが付き合ってるのは、もう聞いたんだけど」

小野寺くんの手のひらと顔が、ぱっと離れた。

「まじか。

 あー……じゃあ、まあ、いいか……」

驚きに目を見開いた彼は、視線を彷徨わせて呟く。そして、溜息混じりに話し始めた。


「谷村と偶然再会して、連絡先を交換して。

 諒さんと上手くいくように協力する交換条件に、綾乃のことを聞いたんだ。

 そしたら、あいつが親友だって言うから、びっくりして。

 ……で、じゃあ早速紹介して、って頼んだんだけどさー……

 “小野寺は、目が合った瞬間に逃げられると思う。”って言われた」

「あー……うん……」

そんなことないよ、とは言えなくて。私は曖昧に相槌を打ってみる。

最初の頃は、なるべく関わりたくない、って思ってた覚えがあるよ。なんかごめんね、小野寺くん。


がっくり肩を落とした彼は、沈痛な面持ちで俯いた。

「だから、最初は友達になろうと思ったんだよな。

 それで声をかけようとしてて……落雷が……」

「ん?」

つらつらと話を続けていた小野寺くんの口から聞き捨てならない台詞が飛び出した気がして、私は思わず眉根を寄せる。今、何と仰いましたか。

身を乗り出した私を見て、彼は口を手で覆った。すいぶんな慌てようだけど、もしかして言うつもりなかったのか。心なしか耳が赤い気がするけど……。

不審に思った私は。すっと目を細めた。

このグレー、白か黒かハッキリさせようじゃないか。小野寺くん。

「もしかして、あの落雷の日……小野寺くん、私のこと見てた……?」

窺うように囁けば、彼が観念したように息を吐き出した。うしろめたいのか、その目がこれ以上ないくらい泳いでる。

「……悪い」

……あれ?

小野寺くん、それってまさか。

「ストーカー……?」

「ちげーよ!」




「綾乃の作ったチョコ寄越せ!」とか。

チョコは強奪したり脅し取ったりするものじゃないと思うよ、小野寺くん。








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