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2月12日(水) 15:32









板チョコの最後の1枚を割って、溜息をひとつ。

火にかけた小鍋の生クリームに小さな泡がふつふつ出てきたのを見つけて、割ったチョコを入れてゆっくり溶かしていく。


あのあと、最寄り駅まで戻ってきた私達は改札を出たところで別れた。

小野寺くんは「家まで送る」って言ってくれたけど、それは丁重にお断りしておいた。自転車を置いてあったし、買い物もしたかったし。



スーパーで散々迷ったあげくに買った、ラッピング材が目に入る。

なっちゃんには、可愛いハートの取っ手がついた箱。父と弟には、一番安くて義理感に満ちた簡素な箱を用意した。

それから……念のためのギフト箱も。張り切った感が出ても恥ずかしいから、なるべく何でもないようなものを選んだつもりだけど……。


私はまた溜息をついて、視線を戻した。

ぷつぷつ、ぷくぷく。次から次へと弾ける気泡に慌てて、鍋を火から浮かす。息を詰めて様子をみてから、少し熱が逃げたのを見計らって再び火にかける。

「……あげても、いいのかな」

生クリームが沸騰しないように注意しながら、ゴムベラでかき混ぜる。チョコレートが溶けて、さらっとしていたものが、てろんとした感触に変わっていく。

呟きは、チョコの甘い匂いに紛れて換気扇に吸い込まれていった。









「あーやーのっ」

ロッカーにコートを取りに行っていた私は、唐突に呼ばれて振り返った。

教室には、1日の授業が終わって緩んだ空気が流れている。小野寺くんも席が近い男子達と、なんだか楽しそうに話をしてるみたいだ。

ちなみに、今日も私と小野寺くんの机はくっついてる。誰も何も言わないから、私ももう騒ぐのを諦めた。

「どしたの、なっちゃん」

ドアに寄りかかる親友の姿を見つけて駆け寄る。

すると彼女は、ぱちん、と勢いよく手を合わせた。

「ごめん、今日一緒に帰れなくなっちゃった」

「……そっかぁ」

帰り道で相談にのってもらおうと思っていた私は、肩を落として呟いた。

今日は予備校の授業がいつもより1時間半遅く始まるっていうから、久しぶりになっちゃんとたくさん話せると思ってたんだけどな……。

「ほんっとにごめん」

しょんぼりする私に向かって、彼女はもう一度謝ってくれる。

私は慌てて手を振った。

だって私の方こそ、ネコミミのことで小野寺くんと行動してばっかりで。なっちゃんを誘ったのも、今日のお昼休みになっちゃったし。

「ううん、私が言うのも急だったから。ごめんね。

 ……ちょっと、聞いてもらいたいことがあったんだ」

すると私の言葉を聞いたなっちゃんの頬が、みるみるうちに緩んできた。目じりなんか、垂れてきてる気すらする。

そんな変なカオになった彼女が、人差し指で私の肩をつつく。

「な、なに……?」

不思議な行動をする親友の顔を覗き込めば、にやにや笑いが返ってくる。

「聞いてほしいことって、小野寺のことでしょ~」

「にゃっちゃん……っ」

なっちゃんは、投げられた台詞にびっくりして噛んだ私の肩を鼻唄混じりに叩く。ばしばしと。やっぱり力が強い。

そして、何かを含んだ眼差しを教室の中に向けた。

……なんだなんだ。なっちゃんがちょっと怖い。

「まさか昨日、何かあった?

 まあ、ヒドイことするような奴じゃないとは思うけど」

昨日?

……何かが引っかかる。けど……。

彼女の眼差しに目を奪われていた私は、我に返って慌てた。わたわたと手を振る。

私が話したいのは、小野寺くんに何かされたとか、そんなんじゃないんだ。冤罪をふっかけてどうする。小野寺くんに嫌われたら困る。

「ちっ……違う違う、そういうんじゃなくてね!」

思わず大きな声を上げそうになったところを、ぐっ、と堪えた私は、小声でなっちゃんに詰め寄った。今の会話が本人に聴こえてたら、それこそ困る。

「とにかく、明日のお昼に話すから。ね?!」

私は、いつまでも小野寺くんに視線を投げ続ける彼女の腕を掴んだ。


なんかすごい疲れた……。

「はー……」

コートを手に椅子に腰を下ろした私は、脱力して溜息を漏らす。

そこへ、男子の輪から離れた小野寺くんが戻ってきた。

「どした、田部にゃん」

「にゃん、じゃないもん……」

私は思わず口を尖らせる。生チョコを作りながら頭を悩ませたのを思い出すと、なんだか癪でしょうがない。

すると頬杖をついてこっちを見ていた彼が、わざとらしく目を見開く。

「おぉぉ、否定するなんて珍しい」

昨日と違って、“先生にどつかれる事態を想定した”コンタクト仕様の小野寺くんだ。今日もばっちり茶髪でピアスが3つ。

「もー……」

うじうじチョコレートを溶かした昨日の夜のことなんか、彼はなんにも知らないんだけど。それが当たり前なんだけど。

……なんか、悔しい。

何を言い返せばいいのか分からなくなって、ちらりと視線を合わせた私に、彼は教室のざわめきに隠れるようにして囁いた。

「んだよ、何があったんだよ」

目が合った彼のカオが、心配そうに曇る。

言葉はぶっきらぼうなのに、どこか温かく聴こえるから私もつい本音を零してしまった。







「うーん……」

腑に落ちないものに唸りながら、自転車の鍵を外す。時間をずらしたから駐輪場は割合空いていて、溜息を拾う人もいない。


HRの前に、なっちゃんとの約束がなくなったと零したら、小野寺くんが“じゃあ仕方ない”とばかりに寄り道に誘ってくれたのだ。

これはもしや、あの有名な制服デートというやつなのか。そうなのか。でも生物のプリントがどうとか言ってたし。家庭教師的お誘いか。

……とか思ったところで、訊けるわけないし。


内心口を尖らせた私は、手袋を嵌めた手でハンドルを握った。そのまま自転車を押して校門に向かう。彼の自転車は別の駐輪場に停めてあるから、待ち合わせているのだ。

タイヤの回転する音と一緒に、自分の心臓の音が聴こえる気がする。昨日の待ち合わせと同じ。緊張する。教室から出ただけ、それだけのことなのに。

呼吸を整えながら歩いていくと、校門が見えてきた。

……そういえば、ここで大野さんに足かけられたんだっけ……。

持久走での出来事を思い出した私は、膝の擦り傷がまた新しいことに気づく。小野寺くんとの疑似お付き合いが始まったのは、おとといだ。

気持ちと時間が釣り合わない。でも、別に嫌なわけじゃない。人の気持ちは、良くも悪くも変わりやすい時があるみたいだ。

変に客観的になっていたら、小野寺くんがひと足先に校門のそばにやって来たのが見えた。

あ、と唇だけで呟いた私は、慌ててコンクリートを蹴ろうとして――――――。


「あ……」


ネコミミが、ぴくっと動いたのに気づいて、駆けだすのをやめた。

そして、視線を巡らせる。

校門の小野寺くんは携帯をいじってて、その横の校舎には誰もいない。反対側の花壇にも、人の気配はなかった。

視界には違和感の元はなさそうなのに、どうしても背中が気持ち悪い。ネコミミも、まだピンと尖ったままだ。

「なに……?」

思わず呟いて、私はグラウンドの方を振り返った。テスト前だから、部活をする生徒の姿もない。分かり切ってることだ。でも、何かが……。

首を捻りながら、なんとなく視線を巡らせる。ここから見えるのは教室と、職員室だ。教室の窓には人の気配はない。皆テスト前だから、さっさと帰ったんだろう。もしくは寄り道か。

対して職員室には活気がある。先生達は問題を作ったり、解答を用意したりと忙しいのだ。提出物のチェックもしなくちゃいけないだろうし。

窓辺には、知ってる先生達の姿もある。

……やっぱり、誰かに見られてる気がしたのは気のせいかな……。

そう胸の中で呟いて、校門に向かおうとした、その時だ。


「――――っ?!」


冷静に職員室の様子を眺めていた私は、息を飲んだ。

白衣姿……あの、春日先生と目が合ってしまったのだ。


次の瞬間、私は弾かれたように駆け出した。躓きそうになるのを、なんとか持ち直す。

向かうのは小野寺くんが待ってる校門だ。後ろは振り返らない。そうでなければ、あの視線に足首を絡め取られて、捕まってしまうような気がしたから。

射るような強い視線は、小野寺くんが走り寄る私に気づいてくれるまで背中に刺さっているような気がして怖かった。


「どした」

息を切らせて合流した私に、小野寺くんが小首を傾げる。

私は大きく首を振った。不安を振り払うように。








「そういえば、今日ぶち猫来なかったな」

校門を出てすぐ、思い出したように小野寺くんが言った。

「あ、そういえば」

自転車を押しながらの会話でも、私は息を切らすことなく頷く。初めて一緒に帰った時のしんどさなんて、嘘みたいだ。

幅の広い歩道を並んで歩いて、私達は高橋古書堂に向かっていた。

「まあノラ猫なんて、そんなもんだとは思うけど……」

どうやら小野寺くんは、昼休みに現れなかったぶち猫を心配してるらしい。

煮干し煮干しと煩いあのコが来ないなんて、私もちょっと気にはなっていた。どこかでゴハンをもらえるようになったんだろうか。

「明日も来なかったら、他のノラちゃんに訊いてみる?」

「ん、たのむな」

こういう時ばかりは、私のネコミミ能力も捨てたもんじゃないな。

そんな気持ちで頷いて、大通りから住宅街の細い道に入る。


やがてすぐに古民家風の古書店が見えてきた。引き戸の横に、店名の書かれた古い板が立てかけてあるのが目印だ。

自転車を店に沿って停めた私は、ひと足先に引き戸の前に立っていた小野寺くんの横に並ぶ。だけど彼は引き戸を開けることなく、ただ立ち尽くしていた。

「どしたの……?」

何かあったのかと、彼の視線を辿って、私も固まった。

なんと、引き戸の取っ手に“準備中”の札がかけられている。

「あれ、もしかして休み?」

この時間に開いてないなんて、なんだかおかしい。

そう思いつつ、実際に働いている小野寺くんに声をかける。

すると彼は彼で、私を見て首を捻った。

「や、そんなことないと思うんだけど……。

 風邪引いたなんて、諒さん言ってなかったしなぁ……」

そう言うと、彼はおもむろに取っ手に手をかける。そして、ゆっくりと引き戸を開けた。


すー、と戸が開いていく。

「鍵、かかってなかったね」

思わず小声で話しかけると、小野寺くんが頷く。そして彼は、開いた隙間から店の中を覗き込むようにして、様子を窺った。

「とりあえず、ここで勉強はやめにして文献取って来よう。

 田部さんも、中入ってて」

彼の言葉に、私は息を詰めて頷いた。泥棒にでも入るような心境で。


静かに中に入ると、音を立てないように踏みしめた床から、ひんやりした空気が上がってきた。

ちょっとの後ろめたさがスリルになって、ドキドキしてしまう。勝手に上がり込んでごめんなさい、と心の中で謝っておこう。

小野寺くんはカウンターの中によけてあったらしい文献を、ほとんど何も入ってない通学カバンに放り込んでいる。

いくら急いでるからって、商品はもうちょっと丁寧に……。

そう思って、咄嗟に口を開きかけた時だ。


「ん……っ!

 やっ……」


きょとん、と私は首を傾げた。

あれ、今、たしかに女の人の声がしたよね。外かな。お客さん?

ネコミミが、ひくひくする。

咄嗟に後ろを振り返ったけど、ほんの少し開いたままの引き戸からは、外の光が漏れ入っているだけだった。人の気配はない。

小野寺くんにも「聴こえたよね?」……と言おうとして、私は視線を投げて。だけど耳まで真っ赤になって固まっている彼を見つけて、もう一度小首を傾げた。






はっと我に返ったらしい小野寺くんは、さらに乱暴な手つきになって、通学カバンに文献らしき本を突っ込んで。そして、たまに聴こえてくる女の人の声に首を捻るばかりの私の手を掴んだ。


店を出てから、「女の人の声、聴こえたよね?」と尋ねたら、怒られた。

よく分からないまま謝って、「あれ、顔が赤いけど……大丈夫?」と顔を覗き込んだら、もっと怒られた。


なんか腑に落ちない。

……て、ゆうか。古書店を出てから小野寺くんが変だ。








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