2月11日(火) 12:45
「12時半か……」
小野寺くんが呟いた。
それを聞いて、私も降り立ったホームの時計を見る。
12時36分。最寄りの駅から、大体1時間くらい経ったわけだけど。そんなに長くない時間のはずなのに、もうずいぶん小野寺くんと一緒にいる気がする。
「とりあえず、出るか」
「うん」
私は、まばらな人の流れを目で追いながら頷いた。
楕円形のマークに、カードの入ったお財布を軽く乗せる。ピ、という電子音と同時に開いた改札を通り抜けて、少し先で振り返って待っている小野寺くんに駆け寄った。
駅の前にはコンビニが一軒、それから住宅街にそぐわない華やかさのパチンコ屋。さほど大きくないスーパーもある。電車に1時間乗っただけなのに、こんなに街の雰囲気って変わるのか。
そんなふうに感心していたら小野寺くんの声がして、私は隣を見上げた。
街路樹の並ぶ歩道を歩いて、神社を目指す。
片側2車線のバス通りを、車やバイク、大型トラックがびゅんびゅん走っている。大きなエンジン音が向かいから近づいて、擦れ違っては遠のいていく。そのたびにネコミミがひくひく、落ち着きなく反応する。
その頭皮が引っ張られる感覚に、私は耐えられなくなった。
「小野寺くん……ネコミミが、ずっとビクビクしてる……」
「んー……?」
彼は眉根を寄せて携帯を見つつ、目印になるものを探して道の隅々に視線を走らせていた。
その間にもトラックが轟音を立てて、ネコミミがふるふる震える。私は思わずニット帽の上から軽く、ネコミミに触れてみた。
「怖いんじゃないか?」
頭に手をやった私を見て、小野寺くんが言う。
「うちのリクも仔犬の頃、こういう大通りは怖がって来れなかったし」
「そうなんだ……」
理科準備室の一件があった金曜日に会った、小野寺くんの家族。真っ黒で艶やかな毛並みが綺麗な、ボール遊びの好きな犬のリク。小野寺くん曰く“可愛い弟”だ。私は犬は苦手だけど、リクだったらまた会いたい。
そんなことを思い出して頷いていたら、彼が続けた。
「だから、ネコミミの仔猫もでっかい車の音とか怖いんだろーな、って。
あの夜も雷で動けないところに俺が来て……。
で、逃げようと思って咄嗟に田部さんに憑いたんだろうし」
「そっか……」
相槌を打って、雷の落ちた夜を振り返る。
あの日は、小雨が夜中に雪になるんじゃないか、ってくらいの寒さで。人気のない寂しい通りの、街路樹の下に灰色の仔猫は佇んでいた。
……あそこで、お母さんが迎えに来るのを待ってたのかな。だから、今も母猫を探して泣いてるのかも知れない……。
なんとなく寂しい気持ちになって下を見ていたら、小野寺くんが突然噴き出した。
「よく考えたら田部にゃんも、小心者なとこあるよな。
仔猫もきっと憑きやすかったんだろうなぁ」
もうちょっと、せめて形だけでも笑うの我慢しようよ。小野寺くん。ぷぷー、ってそれ完全に小馬鹿にしてるでしょ。
……せっかくひとが、真剣に考えてたのに。
私は心の中で小野寺くんを詰って、彼の腕を叩いた。
そんな私が可笑しかったのか、彼がまた笑う。今度は声を上げて、楽しそうに。
「そんな怒んなって……」
そっぽを向いた私の背中を、小野寺くんがぽふぽふ叩く。
「ほんとに小心者だったら、俺のことなんか叩けないだろ」
「なんかもう、フォローされてるのか貶されてるのか分かんない……」
口を尖らせて言葉をぶつければ、彼がうんうん頷いた。「いーねぇ」なんて言ってるけど、何をどう評価したんだか。
これ以上笑われるのも癪だからと、私は話題を元に戻すことにした。といっても、全然楽しい話にはならないのが申し訳ないんだけど……。
「お祓い、するんだよね……。
小野寺くん……私、酷いことしようとしてるの……?」
「あー……のな……」
車道の轟音に消えそうな声を発した私の頭を、小野寺くんがぽふぽふ叩く。ちょっと雑な仕草で、でもちゃんとネコミミを避けて。
へにょ、と元気のなくなったネコミミが可哀相になって、私は彼の顔を覗き込んだ。「でも」と、自分の気持ちを口に出す。
「私だって、ネコミミがついたままじゃ困るんだもん……」
そう、困るんだ。
ニット帽被ったまま過ごす高校生活は、冬の間に終わりにしたい。夏になったら水泳だってある。成績も単位も、いろいろ困る。大学受験の面接でも、きっと疑問をぶつけられるに決まってるし。
それだけじゃない。その先だって、私の人生は繋がってくんだから……。
想像して口元を歪めた私の足が、自然と重たくなっていく。
なんでこんなことになったんだろ。
なんで私が、こんなことに。
鼻の先が、つん、と痛い。
「……うん。だよ、なぁ」
小野寺くんは、言葉を選びながら頷く。
「だからまあ、今日は話だけでも聞いてこよう。
お祓いで憑いたものが消えるのかどうかも、聞いてみないと……な?」
歩みが遅くなった私の横で、少し身を屈めた彼が囁いた。
ネコミミが、ぴくぴくしてる。
……きっと仔猫は、私達の会話の意味なんか分かってないんだろうけど。そもそも聴こえてるのかどうかも、確かめようがないんだけど。
俯いた私は、ちらりと視線を上げた。
小野寺くんの目が、私を静かに見てる。近寄りがたく思ってた茶髪が風にそよいで、怖い印象しかなかったピアスは、綺麗だとすら思えた。
「とにかく、今は深く考えなくていい。
俺が話を聞いとくし、文献も調べるし。心配すんな」
彼の手が、また私の頭を叩く。今度はちょっと乱暴に。それなのに、淀んだ気持ちがほどけていく気がするのは、どうしてだろう。
重たくなった空気を引き摺って歩いた私達の前に、大きな石で出来た鳥居が現れた。その向こうには、社殿が見えている。
「おっきい……!」
灰色の石で出来た鳥居に圧倒された私は、自分の中に淀んだままの気持ちを一瞬忘れて、思わず言葉を零した。
その隣では、小野寺くんも口を開けている。
「ホームページの写真より迫力あるな」
その言葉に、私は頷いた。
そして、神社の名前が彫られている石柱を近くに見つけて駆け寄る。
「小野寺くん、この神社が“猫返し神社”……?」
石柱にはそう彫られていなかったから、私は小首を傾げて彼に視線を投げた。
すると彼は、軽く手を振って口を開いた。
「それは通称。
……ある有名人の飼い猫が、ある日突然いなくなったんだって。
で、ここで神頼みしてしばらくしたら、無事に戻ってきたらしい。
それをブログに載せたら、猫返しで有名になった……って話だけど」
「ふぅん……」
どことなく胡散臭さを感じて、私は眉根を寄せる。荘厳な雰囲気すら漂っているような気がしてたのに、なんだか騙された気分だ。
「まあ、他にも猫返しのご利益があった、って証言があるみたいだし。
……ちょっとした神頼みだから、気楽にいこう。な?」
私の気持ちを見透かしたのか、小野寺くんが苦笑混じりに言った。
石の鳥居をくぐって、社殿の前に出る。砂利を敷き詰めた真ん中を、平たい石が繋がるようにして社殿や社務所に向かって伸びている。
私は小野寺くんが歩く後ろについて、境内を見渡していた。どうやら背の低い柵が囲う中に、梅や桜の木がたくさん植わっているみたいだ。
私の視線が動くたびに、ネコミミがひくひく動く。
そんなことをしていると、ふいに小野寺くんが振り返った。
「そっちの建物で、神主さんから話聞いてくる。
田部さん、そのへん適当に見てて」
「え、あ……」
言い放つや否や、彼の背中が結構な速さで遠ざかっていく。
ちょっと待って、と言おうにも、私が口を開いた時には、すでに彼は手近にいた巫女さんに話しかけようとしていて。
「ま、いっか……」
伸ばした手を引っ込めるしかなかった私は、独りごちて辺りを見回す。
すると少し離れた庭に、小さな社殿があるのが見えた。
ちらりと小野寺くんに視線を走らせる。彼は、頷いて小走りに駆けだした巫女さんを見送っているところだった。
……ちょっと見に行くだけだから、平気だよね……。
思いきって小さな社殿を見に行ってみることにした私は、そっと息を吐きだして一歩を踏み出した。
砂利から土に変わった地面を踏みしめて、芝生の間を延びる小道を行く。
そして、梅や椿の花が目を楽しませてくれて、ここが神社だということを忘れてしまいそうになった頃だ。ようやく、小さな社殿が近づいてきた。
松の木がいくつか、朱色の鳥居を隠すように枝を伸ばしている。
ほぅ、と息を吐きだした私は、秘密の場所に入るような気持ちになって思わず足を止めた。
……なんだろう、ちょっとドキドキする。
すると、松の木の影になっている場所から、1人の女の人が現れた。
唐突でびっくりしたけど、先客はどうやら社殿の脇に咲いていた椿を見ていたらしい。手には、鮮やかな赤い花がある。
その人は落ちついた色の和服を着ていて、少し俯き加減で。そして綺麗な所作で、社殿のお賽銭箱に小銭を投げ入れる。
静まり返った庭に、カラカラカラ、と木の箱の中に小銭の落ちていく音が響いた。




