2月11日(火) 12:16
慌ただしく電車を降りたホームに、人の流れが出来る。階段を上らないと改札もないし、乗り換えも出来ないみたいだ。
降りた電車は発車のベルを響かせたあと、ホームから滑るように走り出して行ってしまった。そして、次にやって来る電車を案内するアナウンスが流れる。
鼻にかかったおじさんの声が聴こえてきたと思ったら、ふいに手が引っ張られた。
「こら、ぼーっとすんなって」
そう言った彼は、人の波に乗って階段を上り始める。
もちろん私はなるべく人にぶつからないように体を小さくして、小野寺くんの背中を追いかけた。……といっても、どさくさに紛れて手は繋がれてるから、はぐれようもないんだけど。
乗り換えるために降り立ったホームは、閑散としていた。
ついさっきの、この駅に到着した時のホームは短い間隔で電車が入っては出て行って、それなりに混み合っていたけど……。
視界が急にのどかな雰囲気に包まれて、私は辺りを見回した。今のところ、私達以外に電車を待っている人はいないみたいだ。
電光掲示板に浮かぶ数字を確認した小野寺くんが、小さく息をつく。次の電車まで、このまま少し待つみたいだ。
……それにしても。
変な夢の気味悪さから抜けだしたものの、今度は勢いで繋がれたままになってる手が落ち着かなくて。握り返すのもなんだか違う気がする。でもだからって、振りほどくのも良い気分はしないし……。
悶々と考えながら繋がれた手を見つめていたら、ふいに息を漏らす気配がして、私は顔を上げた。
「あ、ゴメン」
そう言って歪な笑みを口の端にのせた小野寺くんが、そっと手を離す。
ごめん、って……それはそれで、なんか寂しい。でも疑似だから、そう思っちゃう私の方が間違ってるんだろうな。
「あ、ううん」
首を振った私は空いてしまった手で、くるくるの髪のひと房に触れる。整えるフリでもしてないと、これはこれで落ち着かなくて。
きっと変なカオになってる自覚があるから、私は自分の爪先の少し先を見つめる。なんだろう、すごく気まずい。
すると、小野寺くんが抑えた声で言った。
「さっきの続き、なんだけど……」
「うん」
きっと乗って来た電車を降りる間際に言いかけたことだと、すぐに分かった私は頷く。
遠くで、階段を下りてくる人の気配がした。
「雷が落ちた日……倒れた田部さんの近くに、猫がいたんだ。
暗くてハッキリ見えたわけじゃないけど、白とか、灰色だったと思う」
私はあの日のことを思い出していた。
たしかに、灰色の仔猫が木の下で雨宿りしてて。いつもと違う雰囲気が気味悪くて速足で歩いてた私は、その仔が見えてほっとして……。そして、私が差し出した手に仔猫が鼻先を寄せたんだ。
……覚えてるのは、そのあたりまでだけど……。
「仔猫はふらふらしてるし、田部さんも全然動かないし。
ヤバいと思って駆け寄って……そしたら、仔猫が俺に気がついて。
目が合ったと思ったら、あいつ、田部さんの中に飛び込んだんだ」
「飛び込んだ?」
表現に引っかかりを感じて、私は思わず顔を上げる。
すると小野寺くんが、首を捻った私を見て頷いた。
「おかしいよな? 俺だって信じられなかったよ。
でも、見たんだ。この目で」
日陰になってるホームは、少し寒い。だけど私は、吹きさらして冷えた手を擦り合わせることも忘れて、小野寺くんの顔を見つめた。
彼の真剣な目が、私に“信じて”って訴えてる。
強い眼差しの彼は、黙って頷いた私を見て口を開いた。
「――――そのネコミミ、たしか灰色だよな。
俺が見た仔猫も、そんな色だった」
硬い声で、少し早口になって。小野寺くんは黒縁メガネを指先で直す。
「それにさっき田部さんが言ってた、夢に出てきた子どもの髪の色も」
ネコミミが何かを主張するみたいに、ぴるる、と震える。
その動きを感じたのと、いろいろが繋がった感覚に、私は声を漏らした。
「あ……」
「夢の中で泣いてた子どもは、あの仔猫なのかもな」
言われて腑に落ちる。
会話の隙間に、電車がホームに入る予告アナウンスが流れてきた。気づかなかったけど、少し離れた所で電車を待つ人が増えてきてる。
私は頷いて、小野寺くんに囁いた。
「じゃあ、母猫を探してるんだよね……」
「だろうな」
その声は、まだ硬いままだ。少しの間視線を彷徨わせて何かを考える素振りをした彼は、溜息混じりに口を開いた。
「……なんか、子ども相手に可哀相な気がしてきた」
「え?」
聞き返した私に、彼の呆れ顔が返ってくる。
「ええ?」
なんでそんなカオするの、という意味を込めてもう1回聞き返したら、今度は小野寺くんの頬が引き攣った。
あれ、なんか怒ってますか。もしかして“子どもを気にかける小野寺くん、ちょっと意外”とか思っちゃったのバレて……。
「あのなぁ……田部綾乃」
黒縁メガネをかけたやんちゃ男子が、思いっきり私を睨む。風が吹いて、体感温度が一気に下がる。せめて黒髪だったら、まだ勝ち目があるような気もするのに。
ひゅおぉ……という風の音が聴こえてきそうな雰囲気に、私は思わず後ずさった。
小野寺くんが、追いかけるように一歩前に出る。
「俺ら、お祓いしに神社に行くんだぞ」
彼の歩幅は広い。たった一歩なのに、それだけで距離が詰められてしまう。
ぐいっ、とアップになったその顔から目を逸らして、私はかくかく頷いた。
「わ、分かってま」
「うそつけー」
必死の“怒らないでアピール”は、無情なひと言で呆気なく蹴散らされる。せめて最後まで言わせてくれたっていいじゃないか。ノート書いてあげたのに。差し入れにシュークリームまでつけたのに。
いろんな記憶を引っ張り出して、心の中で小野寺くんを詰る。
すると彼は、そんな私に人差し指を突き付けた。
「田部綾乃……お前、」
語気を強めた小野寺くんの指先がじわじわと、私のおでこに。
「昨日の俺の話ちゃんと聞いてなかったな」
……言えない。
昨日はドキドキしてあんまり話聞いてませんでした、なんて。
絶対、絶対言えるわけない……!
「おらっ」
ぴし、と痛みが走る。でこぴんされた。
その痛みと胸の中にある主張で顔をしかめた私を見て、小野寺くんが何か言いたそうに唇をひくつかせる。
ま、また怒られるんですね。
そう思って咄嗟に目をぎゅっと瞑った刹那、ホームに電車到着のアナウンスが流れた。
「――――んだよ、4両編成じゃんか」
小野寺くんが低い声で呟いたのが聴こえて、私はぱちっと目を開ける。ホームに滑り込んできた電車が、ずいぶん離れた場所に止まろうとしてるのが見えた。
……だから他の電車待ちの人達が遠かったのか……。
「あー……」
やっちゃった感を漂わせた小野寺くんを見て、ひらめいた。怒られる前に電車に乗れば、逃げ切れるかも。
そう思った瞬間に、体が勝手に動く。
「行こっ、おのでらくん!」
ぱしっ、と掴んだ彼の手を勢いよく引いて、私は駆けだした。
こういうのは勢いだ。タイミングだ。なんていうか、雰囲気だ。
「は?!」
電車のドアが開いて、乗っていた人達が降りてくるのが見える。それを待つ人達がドアの両側に寄って、ちょっと前のめりに車内を覗き込んでて。
動揺を含んだ声が聴こえて内心ガッツポーズをした私は、ちらりと小野寺くんを振り返って口を開いた。
「はーやーくっ!」
たたらを踏んだ彼は、引っ張るには重たいけど。
私が乗りこむ人の群れを見たのと同時に、乗車を急かすベルの音が鳴り響く。すると、小野寺くんの足も速くなった。舌打ちは、この際聞かなかったことにしておこう。
飛び乗った刹那、ぷしゅー、と気の抜ける音と一緒にドアが閉まる。
「ふぅ……」
肩で息をついた私の横で、小野寺くんがぼそっと呟いた。
なんか、ぷるぷるしてるけど……。
「……こいつ、人の気も知らないで……!」
ぎゃあ! まだ怒ってた!




