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2月11日(火) 11:15









顔を洗って化粧水をつけて、ビューラーでまつげをカールさせて。らくだの大野さんほどじゃないけど、休みの日だから。

それからトリートメント代わりのオイルを手に取って、髪になじませて。スイッチを入れて温めておいたコテで、髪をくるくる巻いていく。どうせニット帽を被っちゃうんだけど、それでもいいんだ。いつもと気持ちが変われば、それで十分。こんなの自己満足。それで上等。

たくさん歩いてもいいように靴箱からスニーカーを取り出して、テレビで日中は小春日和だって言ってたから、渋いオレンジ色のダッフルコートに袖を通す。

最後に携帯の充電を確認。うん、大丈夫そうだ。


門を閉めて深呼吸した私は、自転車のペダルに足をかける。

今日は建国記念日で、学校も仕事も休みだ。だけど珍しく家族にそれぞれ用事があったおかげで、いろいろ詮索されないで済んだ。もしかしたら、母親あたりは何か勘付いてるのかも知れないけど……。






駅前の駐輪場に自転車を停めて、鍵をかける。自分の停めた場所のナンバーを口の中で呟いてから駐車券を財布の中にしまって、携帯で時間を確認。約束の11時半まで、あと15分ある。

ほっと息をついた私は、駅の改札に通じる階段に向かう。少し行けばエスカレーターがあるけど、タイミングが悪いと行列が出来るんだ。

ゆっくり上って心の準備を、と思いながら階段を上りきったところで、呼吸を整えて。そして、待ち合わせの目印にした改札横のコンビニの前に視線を走らせる。そして、佇む人影を見つけて固まった。


――――も、もう来てるとか……!


何かに負けた気がしたのと同時に、心臓がおかしなリズムを刻みだす。

約束の時間にはまだ早いのに、どうしてもうスタンバイしてるんだ。学校はサボりまくってるクセに。待ってる側の方が気が楽だから、ちょっと早目に家を出てきたっていうのに。

全然悪くない相手を心の中で詰って、私は誰にも気づかれないように深呼吸を繰り返す。

待ち合わせの相手、小野寺くんはエスカレーターの方を見てるみたいだ。私の家の方から来たらそっちを利用する人の方が多いから、当然といえば当然なんだけど。

心臓のあたりを手のひらで軽く叩く。

……落ち着け落ち着け。

動揺していた鼓動が落ち着きを取り戻してきたのを感じて、私は一歩踏み出した。


すると、ちょうど電車が到着したばかりなんだろう。人の波が、私の方に向かって押し寄せてくる。小走りの人、歩くのが速い人遅い人、何人かでのんびり歩く人達……その流れに飲まれないように、私は通路の端を伝うように歩いていく。

そして、どっと押し寄せていた大波がさざ波に変わった頃合いを見計らった私は、ようやく通路を横切って、コンビニの前に立っている小野寺くんの前に出た。


「……あ」

声をかけようと口を開いた私よりも早く、小野寺くんが気づいて声を漏らす。でも彼は目が合った途端に何を思ったのか、黒縁メガネの向こうで視線を泳がせるだけだった。

「あ、えと、お待たせしちゃったみたいで、ごめんなさい……」

他に何て言えばいいのか分からない私は、ひとまずお決まりの挨拶をした。

すると小野寺くんは小さく頭を下げた私を見て我に返ったのか、咳払いをひとつ。

「ご、ごめん。早く来すぎた」

私がふるふると首を振ったのを見て、彼は改札を指差した。



普段はしない身支度をしたのには、わけがある。

今日は、小野寺くんと通称“猫返し神社”なるものに行くのだ。








電車に乗り込んで、ドアの傍のスペースに2人で立つ。こっちはしばらく開かないはずだからと、私はドアを背にして小野寺くんに向き合った。

「座れなかったな」

分かってたけど、と前置いた彼に、私も頷く。

すると彼が、おもむろに私の頭上に目を遣った。

私もそれに倣って、頭上を仰ぎ見る。

「……準急だから、乗り変えの駅まで40分くらいか」

木の枝のように分岐する路線図を目で辿って、小野寺くんが呟いてるのが聴こえる。それくらい近くに立ってるんだと思うと、ちょっと緊張するかも……。

「そっか」

別のことを考えて曖昧に頷いた私は、俯き加減になりながら再びドアを背にした。

目に入るのは小野寺くんの爪先。スニーカーが、電車に合わせて揺れてる。

「――――なんか、いろいろ違うよな」

唐突に主語も何もなく言われて、私は顔を上げた。ネコミミが、ぴる、と動く。

小首を傾げて先を促せば、小野寺くんが人差し指をくるくるさせた。

「髪、くるくるしてる」

そう言った彼の落ち着かない様子を見た私は、カールさせた髪のひと房を摘まんで呟いた。

「やっぱり変かな」

地味な私には似合わない髪型かな、とは思ってたんだけど。なんとなく気分が良くなるから、ひそかに土日を楽しみにしてて。最終的には自己満足だと思ってたけど、小野寺くんの反応がイマイチなのはちょっと悲しいかも……。

思わず目を伏せそうになったところで、小野寺くんがぽつりと言った。

「や、全然。ちょっと意外でびっくりしただけ」

「そ、そぉ……?」

……やだな、ちょっと嬉しいじゃないか。

にやけそうになるのを必死に堪えて、私は顔を上げる。

すると目が合った小野寺くんは、時折ドアの向こうに見える景色を気にしながら言った。

「全体的に、意外とカジュアルだよな。

 ……おとなしい性格してるから、なんか、ギャップある」

「そんなに意外だって言われると……それ、褒めてる?」

最初は嬉しかったけど、2回目になると複雑だ。そういう社交辞令みたいに聴こえる。

眉根を寄せそうになった私に、彼はちょっと笑って答えた。

「どうだろ」

……うん。そんなこと言う小野寺くんのお腹に、軽く一発いれておこうと思う。


ぽす、とお腹を叩かれた小野寺くんが笑うから、私は口を開いた。

「小野寺くん、休みの日は眼鏡なの?」

頭のどこかにあった緊張は、いつの間にか消えて無くなってる。格好も状況も、学校にいる時とは違う。でも、目の前にいるのは同じ人なんだと気がついて。

車内には、混み合っているというほど乗客はいない。少なくともこの車両の座席は埋まってしまってるけど、立っている人は私達の他にちらほら見えるくらいにしかいない。

「……ん」

こっくり頷いた彼は、おもむろに口を開いた。

「コンタクトはあんまり好きじゃない。

 でも学校だと体育あるし、せんせーにどつかれた時に眼鏡は危ないし」

先生にどつかれるって……あのね……。

相槌に困って一瞬言葉を失った私を見て、小野寺くんは小首を傾げた。自分では、おかしなことを口走ってる自覚はないらしい。

「……あ、うん。そっか。

 体育はコンタクトの方が動きやすそうだもんね!」

理由の後半部分には触れずに済ませることにして。私は何気なく、ふと思い出したことを尋ねてみることにした。

「そういえば小野寺くん、お母さんとは連絡取ってるの?」

口にして、はっとした。家庭のことに踏みこんだりして、小野寺くんは気分を害しないだろうかと。

けれど咄嗟に謝って、今の質問をなかったことにしてもらおうと私が口を開くより早く、彼が言葉を紡いだ。

「あー、うん……」

レンズ越しの小野寺くんの瞳が、右に左に行ったり来たりしてる。ちょっと耳が赤いのは、どうしてなんだろう。

「3日に1回くらい。パソコンで、テレビ電話してる……けど」

「けど……?」

何か事情でもあるんだろうか。

踏みこんだらいけない場所だったかと心配する気持ちよりも、小野寺くんのことを知りたい気持ちが勝ってしまう。

私は彼の顔を覗きこんで、先を促した。

すると彼は、何かを吐きだすように溜息をついて口を開く。

「や、なんか……。

 もうすぐ高3の男子が母親とマメに連絡取ってるとか、キモくないか?

 かーちゃんは彼女じゃねぇだろ、みたいな」

……てゆうか、高3になるつもりはあるんだね……。

あさっての方向へ注意が逸れそうになって、私は慌てて手を振る。

「全然っ!」

そう言ったのに小野寺くんが訝しげに見つめてくるから、私は一歩前に出た。

「お母さんに向かって“クソババア”なんて言っちゃう方がダメだよ。

 うちの弟なんか、今まさに反抗期でさー……」

中学生の弟の言葉遣いを思い出して、内心げんなりしてしまう。

すると小野寺くんの顔に、ほっとしたような笑みが浮かんだ。

「そっか」

零れた言葉に私も頬を緩めて。

そしてふと、ほんとに思わず、私は言った。

「……私、小野寺くんはたまに学校に来る怖い人なんだと思ってた」


電車がカーブに差し掛かり、体が傾いでいく。私は掴まれそうな所を探して手を伸ばした。

小野寺くんは何も言わない。だけど、その目はちゃんと私を見てる。

……怒ってるわけじゃない、と信じたい。

ネコミミが、ニット帽の下でふるふる震えてる。

こんなこと大きな声で言えないから、彼の耳に届いてるのかどうか自信はないけど。

掴んだ手すりを、ぎゅっと握った。

「でもほんとは、家のこと自分でちゃんとやってたりして。

 私のことも、たくさん助けてくれて……。

 その……ごめんね、勘違いして勝手に怖がってた」

言葉を選びながらようやく伝えたら、小野寺くんの目が柔らかく細められて。私は思わず息を飲んで、そのカオに見入ってしまう。


その時だ。

鈍い音を立てていた電車が止まって、同時に大勢の人が動く気配がした。


どうやら乗り換えのために、たくさんの乗客が降りるらしい。車内にアナウンスが流れて、何番線がどうとか、そんな内容が聴こえてくる。

その光景をどこかぼんやりと見ていたら、突然小野寺くんが私の手を掴んだ。

「こっち」

人の気配に掻き消されそうな囁きと一緒に、手が引っ張られる。すると体が動かないように手すりを掴んでいたはずの手が、呆気なく引き剥がされた。





小野寺くんに手を引かれて運よく座ることが出来た私は、腰を落ち着けて息をついた。もこもこのリュックは邪魔だから、お腹に抱えて。

すると日差しが背中にあたって、ぽかぽか陽気に瞼が落ちてきた。再び発車した電車の揺れが、どうしようもなく心地いい。

ネコミミがひくひくしながらも、少しずつ力を失っていく。

……ひさびさのネコミミ効果が……。

あまりの眠気に白目になりそうな自分を叱咤していると、頭をぐいっと横に押し倒された。そして、こめかみに直接声が伝わってくる。

「前に倒れたらあぶねーだろ。

 ……あと半分くらいあるし、ちょっと寝とけば」

ぶっきらぼうな言葉と一緒に、頭をぽふぽふ叩かれた。


……ちゃんとネコミミを避けてくれるあたりが、小野寺くんだよね……。睨んだりもするけど、結局優しいんだもん……ほんとずるい……。


「……ん」

現実から剥がれそうな意識の中でごにょごにょ呟いてみたけど、結局頷くのがやっとで。

私は静かに、息を吐きだした。


うたた寝がこんなに気持ちいいなんて。

猫も捨てたもんじゃないかも……。








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