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2月10日(月) 10:07









小野寺くんの馬鹿。ばかばかばか!


同じ言葉がずーっと、頭の中をぐるぐる回ってる。








まつげの大野さんは、あのあと絶句したまま席についた。そしたら早速、仲良し女子が慰めに集まってきて。それを見てた小野寺くんは、絶望の色濃く俯いた大野さんにこう尋ねた。

「……で、それが何?」と。

その時の教室の雰囲気たるや、とてもじゃないけど言葉に出来ない。

……なんかもう、すごかったとだけ言っておこう。

おのでらくーん、空気読んでー!……なんて、一体誰が言えただろう。そんなツワモノ、見たことない。


それからは普通に授業が始まった。先生は教室に漂うおかしな雰囲気を察知してたみたいだけど、特に気にする素振りもなく。

もちろんその前には、くっついた2人の机を離そうとしたんだけど。こっそりやったつもりが、小野寺くんに目聡く見つけられて睨まれて……。くいっ、と顎でジェスチャーされた私は、すごすごと机を再びくっつけたわけだ。

で、授業中に小野寺くんがゴソゴソと財布から長いレシートを取り出して、ボールペンを手に取った。そして意味ありげな笑みを浮かべた彼は、つらつらと書き連ねた。


要約すると、こうだ。

金曜日、私をおんぶして連れて帰る途中でいろんな人に目撃された。私をマンションに置いて、自転車を取りに学校に戻った時に、数人に“田部綾乃と付き合ってるのか”と尋ねられて、曖昧に言葉を濁してかわした。で、今朝学校に来たらこんなことに。ごめん話すの忘れてた。事後承諾下さい。


……たぶんだけど、これは事後承諾で済む事案じゃないと思うよ小野寺くん。








私は校舎裏をゆっくり駆けながら、心の中で呪詛に似た呟きを続けていた。


持久走は苦手だし大嫌いだけど、今日ばかりは助かったかも。

グラウンドから校舎裏に抜けて、校門からグラウンドに戻って1周。こんな日にチーム組みが必要な授業なんかされたら、居た堪れなかった。


「なるほどねぇ……っ」

隣を走るなっちゃんが、苦笑混じりに呟きを零した。

最近は予備校通いだとはいえ、彼女は運動部だから持久走なんて日常の一部だ。多少息が切れてるものの、その表情には余裕が見える。

一方の私、息も絶え絶えだ。ネコミミも、へにょっと元気がない。

それもそうだ。お昼休みまで待てなくて、朝の出来事を走りながら話したから。

ところが息を切らせながら必死に理不尽さを訴えたのに、なっちゃんは私と同じ気持ちにはなってくれなかったみたいだ。

浮かべたのが同情でもなく、苦笑、ってなんで。

「も……っ、ひと、ごと、だとっ……おもっ、て……っ」

声を振り絞った私は呼吸が苦しくなって、走る速度を落とした。

喉をひゅうひゅう鳴らして、ほとんど歩きになった私の横で、なっちゃんが息を吐く。

「もー……苦手なクセに無理するから~……」

呆れたように言って、彼女は背中を擦ってくれる。

その間に、後ろから走ってきていた女子生徒達が私達を抜いて行った。追い抜きざまに、私の顔をチェックするかのように一瞥して。

彼女達の好奇の視線を撥ねつけるだけの勇気も度胸も根性もない私は、少し俯くくらいの抵抗しか出来なかった。ものすごく不快で嫌なのに、それを顔に出すことすら躊躇われて。

こんな時、相手を睨むくらいの気持ちで構えていられたらな。


……小野寺くんみたいに。


無意識に茶髪でピアスが3つの彼を脳裏に呼び出してしまった私は、思わず息を飲んで咽返った。なっちゃんの「ちょっと大丈夫?!」という声を聞き流しながら、私は必死で頭の中で不敵に笑う小野寺くんを打ち消す。

「だ、だいじょぶ……」

心配そうに私の顔を覗きこむ彼女に、私はこくこく頷いた。

ネコミミが、ニット帽の中でふにゃふにゃしてる。





後ろを振り返れば、結構な人数の生徒が歩いているのが見えた。体育は男女別、クラスをまたいで合同授業をするから、普段話せない友達同士で盛り上がっちゃうこともあったりして。だからまあ、持久走中の校舎裏なんて、こんなものだ。

そんな空気に甘えることにした私も、息を整えがてら歩いているんだけど。歩いたら喋る元気が出てきちゃって、言葉が止まらなくなってしまっていた。


「そもそもね、なんで否定しなかったんですか、ってハナシですよ」

小声で切々と訴え続ける私の横で、なっちゃんが苦笑してる。いや、そろそろ爆笑しそうな雰囲気だ。口元がひくひく震えてる。

「まあでもさ、小野寺が綾乃を真面目に好きで、ってことも――――」

「ないっ、あるわけない!」

噴き出しそうなのを堪えながら言うなっちゃんを遮るようにして、私は否定した。あの小野寺くんが私を好きだなんて、そんなことあるか。ないだろ。あるわけない。

必死さゆえに声が大きくなってしまったことに気づいて、私は慌てて口を噤んだ。

するとなっちゃんが、沈痛な面持ちで額を押さえる。

「おのでらー」

「なっちゃんは私に同情してよ……」

私は溜息混じりに呟いて、肩を落とした。


その時、ふいにホイッスルの音が聴こえて、私は視線を巡らせた。

音のした方を探して見つけたのは、校舎裏に張り巡らされたフェンスの向こう。男子達がボールを追いかけて行ったり来たりしてる。

「男子はサッカーか、いいなぁ」

私の視線を辿ったのか、なっちゃんが隣で言った。

「大学行ったら、女子のフットサルチームにでも入ろうかなぁ」

そんなことを呟いている親友の横で私の目は、白と黒のボールを誰かから掠め取った彼の姿を捉えて追いかける。

……小野寺くん、意外と運動神経もいいんだなぁ……。

男子の体育の授業は、どの競技をしていても展開が割と早い。体でぶつかっていくこともあるし、動きがダイナミックで見ていて面白いと思う。だから、つい足を止めて見入ってしまう。

ネコミミが音を拾おうとして、勝手にぴるぴる動いてる。

「――――小野寺、いた?」

フェンスに手をついてボールの行方を目で追いかけていた私は、なっちゃんのひと言で、はたと我に返った。

そして、慌てて視線を戻す。

「お、小野寺くん?」

なっちゃんは、私の視線が誰に向けられていたか分かったんだろうか。なんだか含みのある言い方に、嫌な予感がする。

若干言い淀んだ私を見て、彼女は目を細めた。

「もしかして綾乃……」

いつもと違う声色で囁いた彼女が、私に向かって一歩踏み出す。

親友に追い詰められるなんて、どういう状況だ。

内心呟いていたら、なっちゃんが言葉を続けた。

「小野寺のこと、意識しちゃってる?」

にやにやと意地悪な目が、私を捉える。

「――――し……っ、してにゃい……っ」

ぶんぶん首を振って否定したけど、勝手に顔が熱くなってしまう。大事なとこで噛んだ恥ずかしさのせいだと思い込もうとしてもダメみたいだ。

今さっき見たばっかりの、普段の姿からは想像出来ないくらいサッカーに夢中になってる小野寺くんの様子が、頭から離れない。

なんかもうすごく恥ずかしい。居た堪れない。逃げ出したい。頭の中身までなっちゃんに見られてるわけがないのに。

渦を巻いた感情が湯気になって、頭のてっぺんから出ちゃいそうだ。

そんな気持ちになった時、ふいにホイッスルの音が。それをキッカケにして、私はなっちゃんの腕を掴んだ。

「も……っ、もう行くよっ」

赤くなった顔を風に晒している私を見たなっちゃんは、満足そうな笑みを浮かべて鼻唄混じりに「はいはい」と頷いた。



校舎裏を歩いて校門が見えてきたところで、私達はどちらからともなく走り始めた。ここからは歩いてると先生に注意されちゃうからだ。

「速かったら言ってね」

なっちゃんの言葉に、私は息を弾ませて頷く。

すると、男子達がボールやゼッケンを持ってうろうろしているのが見えた。どうやらサッカーはひとまず終わりらしい。

勝手に小野寺くんを探そうとしている自分の目に気づいて、私は溜息をついた。思っているよりも、今朝のことに動揺してるみたいだ。

そんなことを考えながら校門を通過しようとした、その時。

足が、何かに躓いた。

あ、と思った時には、もう遅かった。


ガッ、ざざーっ……と、そんな音と一緒に、膝に痛みが広がっていく。

「――――ったぁ……」

「綾乃!」

痛みに顔をしかめるのと、なっちゃんが駆け寄ってくるのとは同時で、その瞬間に私は自分が転んだのだと理解した。

起き上がって、痛む場所に視線を走らせる。

赤く血が滲んだそこを見たなっちゃんが、顔をしかめた。私にじゃなくて、グラウンドの方に向かって。

「ちょっと!」

何があったのか分からなかった私は、半ば呆然と大声を上げた彼女を見つめる。彼女の目は、変わらずにグラウンドに向けられているけど、何かを睨むようでちょっと怖い。

「な……」

ワケがわからないまま、私はなっちゃんを呼ぼうと声を上げかけて。

「おい」

ほとんど同時に、どこかから声をかけられた。


この声には、聞き覚えがある。でも、今はちょっと……。

振り返るのを躊躇った瞬間、私は顔を無理やり上げさせられた。小野寺くんがその手で、ぐいいい、と持ち上げたのだ。

「なんだよそれ」

「ぐぇ」

これじゃどこを負傷したんだか分からない。膝も首も痛いです小野寺くん。

声にならない声を漏らす私を一瞥した彼は、なっちゃんを見た。

憤りが収まらないらしい彼女は、大声を上げた勢いそのままに小野寺くんに言う。

「足かけられて転んだの!

 ……ったく、いくら羨ましいからって小学生じゃあるまいし……!」

ぐぬぬ、と怒りに震えるなっちゃんには触れずに、小野寺くんは頷いて口を開いた。

「誰?」

「大野とその他。

 ああ、ダメだからね。こういうのは現行犯でおさえるのが鉄則。

 それに女子の問題に男子が首突っ込んで、ややこしくなると困る」

地を這うような声に負けなかった親友は、勇敢にも小野寺くんの睨みを見なかった振りで釘を刺す。きっと私が放つ尊敬の眼差しにも気づいてないだろうけど、それは置いておこう。

そんなふうにして、痛みから逃げるようにして2人のやり取りを見守っていた私に、なっちゃんが視線を寄越す。

「綾乃、保健室行こう。

 小野寺、あんたは反省しなさいよね」

ばしっと言い放たれた言葉に、小野寺くんは私から手を離した。





なっちゃんに付き添われて保健室で消毒をしてもらった私が着替えて教室に戻ると、なんだか朝と雰囲気が変わっていた。漠然としか分からないし、言葉には出来ないんだけど。

何があったのかと次の授業中、レシートの裏に書いて小野寺くんに訊いたら、「反省だけなら猿でも出来るから」という言葉が返ってきたけど……。

具体的にどんな反省をして、そのあと何をしたのかは怖くて聞けなかった。


でもそれ、何かが違うと思うよ小野寺くん……。









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