2月6日(木) 17:35
あのぅ、小野寺くん。
やたらと眉根を寄せて難しいカオをしてるけど、それは私のせいなんでしょうか。
依然として耳が真っ赤な小野寺くんは、こほん、と咳払いをした。
不機嫌なのか何なのか……とにかく顔をしかめて、口元を覆っていた手を外す。
だけど、それでもまだ、彼は何も言わない。それとも、何も言えなくなっちゃったのか……。
ちらちらこっちを見て、なのに目が合うたびに視線を逸らされて、さすがの私もちょっと嫌な気持ちになる。
いくら私の頭におかしなモノが生えてるからって、そこまで気まずそうにすることないと思うんだけど。“力になる”って言ってくれたの、簡単に信じちゃダメだったかな……。
なんだか少し悲しくなって、私は目を伏せる。
ネコミミも、ぺたん、と倒れた。
「……そ、だよね」
私はぽつりと呟いて、膝の上に置いたニット帽を握り締めた。
「こんなの見せちゃって、ごめんね」
……やっぱり、小野寺くんが悪いわけじゃない、と思おう。こんなの見たら、何も言えなくて当然だ。
席は隣だし、3年生になるまでまだしばらくある。せっかく教科書を見せてあげてもいいと思えるようになったのに、こんなことで気まずくなるのはイヤだ。
そう思い直して、私はゆるゆると溜息をついた。
「あ、ちがっ……」
私が帰ろうとしてるのが伝わったんだろうか、小野寺くんが腰を浮かせる気配が。
思わず視線を上げれば、真っ赤な耳はそのままに口を開いた彼の姿が目に入る。
その必死そうな顔つきに気圧されて、私はニット帽を膝の上で握り締めた。
「その、なんていうか、だな」
一度言葉を切った彼は、呼吸を整えてから思い切ったように話し始めた。
「……ごめん、ちょっと衝撃的過ぎて。
こう、心の準備を遥かに上回る感じだったから」
「やっぱり、気持ち悪いよね……」
衝撃的、のひと言が突き刺さって、思わず自嘲気味に言う。
すると小野寺くんは私の呟きに、きょとん、とした。
「待てって。びっくりしただけ。
田部さんのネコミミ姿が俺の想像を超えてた、ってだけ」
……そんなこと言われても意味が分かりませんけど。
小首を傾げた私を見て、彼が手をぱたぱたさせる。その口元に浮かんだ苦笑に、なんだか自分が小馬鹿にされてるような気がしてならない。
私は、む、と口を尖らせる。
そんな私を見て、小野寺くんはなおも言い募ろうとして。
「いやその、だからな……」
彼の言葉の途中でネコミミが、ひょこ、と起き上がった。
その途端に小野寺くんの視線が、瞬時に私の頭の上に流れていったのが分かる。
……あなたは一体誰と話してるんですか。小野寺くん。
半目になって話しの続きを待つ私に気づいた彼は、慌てたように口を開いた。
「とにかく褒めてるつもりだから機嫌直して、田部さん」
勢いよく捲し立てて何を必死になってるんだか知らないけど、黒縁メガネが若干ずれてるのには気づいてないらしい。
握りこぶしまで作って、どうした。
「……えと、」
ぴるる、と震えるネコミミから視線を剥がした小野寺くんが、私の目を見る。
眼鏡越しの視線にもいくらか慣れた私は、座卓の上に置かれたままの古い本を指差した。
「その本、もうちょっと見てもいい?」
「お、おう」
普通に尋ねたはずなのに、瞬きをした途端に小野寺くんが視線を逸らす。
……やっぱり私、直視出来ない姿しちゃってるのか。
心の中で呟いた私は、隠すのもマナーだな、とニット帽を被る。
頭が暖かくなって、私は小さく息を吐いた。ぽふぽふ、と感触を確かめるように軽く叩いて、髪を整えた。
すると一度被ったはずの帽子が、すぽんっ、と抜ける。
「……あっ」
何が起きたのかと視線を巡らせて、私は思わず声を零した。
小野寺くんの手に、私のニット帽が。
「あの、小野寺くん?」
小首を傾げて手を伸ばす。
ところが掴もうとした私のニット帽は、するっ、と逃げていった。
あと少しのところで、小野寺くんが、ひょい、とかわしたからだ。
そして私がまた手を伸ばし、彼が避ける。
………………。
「いやあの、」
思わずイラっとして、語気を強める。
……おちょくられてる気がしますが。言っておくけど、それは私のです。
そんな気持ちで小野寺くんを見上げれば、彼は手にしたニット帽を自分の頭に――――。
って、何してるの小野寺くん!
「お、あったけー」
私が心の中で絶叫している間にも、小野寺くんは被ったニット帽をぽふぽふ叩いて、にまにましてる。
「田部さんて頭ちっちぇーのな」
だからそれ、私のだっつうの!
「ちょっと!」
思わず小声で叫んだ私は、膝立ちになって手を伸ばした。
だけど彼に、ぱしっと防がれる。
「なんだよ」
言い放った眼鏡の奥に、不敵な笑みが浮かぶ。
いじめっ子のカオだ。ザ・小野寺くんだ。
力関係を意識した私は、はた、と我に返った。猫がライオンに立ち向かってどうする。
苛立ちが一瞬にして吹き飛んで、動悸が激しくなった。
なんだか、自分が後戻り出来ない場所にいる気が。
そして捕まった手のひらが、知らないうちに小野寺くんに絡め取られて動けなくなってることに、今さら気がついた。
「はにゃしてー!」
慌てて手をぶんぶん振る。
いや、正確には振ろうとしたけど、びくともしない。
そんな私を見て、小野寺くんが楽しそうに笑った。
「うっわ、そこで噛むとか!」
「……っ」
笑われたことに関しては、私の過失だから仕方ない。噛んだ自分を恨もう。でもニット帽は返してほしい!猫だって、ライオンに一太刀浴びせることがあるかも知れないし!
「ええいっ」
思い切って空いてる方の手を伸ばすけど、そのつど小野寺くんに軽やかに避けられる。ネコミミが生えて猫っぽい能力が身についたのかと思いきや、全然そんなことないらしい。
そんなことを繰り返して、この攻防が不毛に思えた私は手を伸ばすのを止めた。
無駄な抵抗をしなくなったのが面白くないのか、小野寺くんが手を放した。ひとしきり笑って、今度は苦笑を浮かべて私を見下ろしてる。
その意味が分からなくて、私は仏頂面でそっぽを向いた。いじめっ子は無視するに限る。
ネコミミがひくひく動いてるけど、それすら無視して私はストーブの炎を見つめた。
「隠すなよ」
横っ面に、静かな声が向かってくる。
その声に今までにない真剣さが含まれてるような気がして、私はのろのろと視線を送った。
「でも……」
「俺の前では、隠すなよ」
黒縁メガネの奥から真っ直ぐに見つめてくる瞳に、絶句する。
いじめっ子のカオじゃなくなった小野寺くんが、言葉を飲み込んだ私から視線を剥がした。
そして、座卓の上で出番を待ち続けていた古い本に手をかける。
「別に、田部さんのネコミミが気味悪いなんて思ってないし。
むしろすっげぇか……」
「か?」
前半は聞き取れたけど、後半が。すごい“か”って何。
思いっきり顔をしかめた私を見て、小野寺くんが視線を逸らす。
「ああああ違う、今のナシ。
間違えた。舌噛んだ」
「はい?」
とてもじゃないけど、舌噛んだ人の滑舌じゃないですよね今の。
訝しげに顔を覗き込んだ私の視線から慌てて逃げるようにして、小野寺くんはバシバシ古い本を叩いた。
「ほら、読むんだろコレ!」
扱いがぞんざいだ。
……高橋さんに怒られるんじゃないだろうか。
あんまり食い下がって睨まれたら、またネコミミが倒れてしまう。それが分かるから、私は大人しくバシバシ叩かれて可哀相な本のページを捲った。
そして薄くなってる文字に指を添えて追いかけていたら、ふいに小野寺くんが口を開いた。
「……他にいんの?」
「えっ?」
ぽつりと零れた台詞に、思わず振り返る。
すると隣で一緒になって本を覗き込んでいた彼は、ずり下がった眼鏡を直しながら囁いた。
「ネコミミの件、他に誰か知ってんの?」
学校で慣れたこの距離感に、大した抵抗も感じることなく首を振る。
息遣いが分かるくらい近くに小野寺くんがいるけど、これにはもう慣れたんだ。さすが、私の高い順応性。
「ううん、小野寺くんだけ」
言葉だけを返した私は、薄れた文字を再び追い始めた。
……化け猫についての伝承、的なことが書かれているのは分かるんだけど。やっぱり難しいな。理解するには時間がかかるかも……。
胸の内で呟きながら、私と同じネコミミ姿の挿絵を眺める。
「もう一回言って」
完全に意識が本の中に向いているのに、ネコミミはちゃんと小野寺くんの声に、ひくひく反応してる。
文字を追いかけることに集中し始めていた私は、本から意識を剥がした。
「ん……」
私は何度か瞬きをして、小野寺くんを見つめ返す。
「だから、小野寺くんだけだよ」
ようやく聞き取れたのか、彼はそれからしばらくの間、にまにましていた。
……せっかく眼鏡かけたのに。もったいない。
結局その日は、時間を忘れるくらいに本に没頭して。帰りは小野寺くんが私の自転車を押して、送ってくれたのだった。
「また明日」って言ってたけど……煮干し、持ってくるかな。




