第98話 二人の大切な時間 テレポート成功の舞台裏 後編
悠里が持っていたシラノの翻訳文は歯切れがよくて、声に出してセリフを掛け合うと……なんか、乗ってくる。悠里も声が聞こえないはずの僕に、よく合わせてくれたと思う。
特に配役を決めるでもなく、ストーリーはお互い大体わかっているからト書きは飛ばして、セリフを交互に掛け合った。楽しかった。
第一幕、騒がしい劇場内。なかなか登場しなかったシラノが颯爽と現れ、毒を吐き、貴族に決闘を申し込まれると「吟じながら相手を致そう」と剣を抜き、即興でバラッドを吟じながら結びの句で決着をつける場面。
僕にシラノのバラッドを吟ずるセリフが回ってきた瞬間。
「タイム~ 配役変更!」
と言って、悠里がシラノのバラッドを朗々と語りだした。
一幕の最後。大酒飲みの詩人、リニエールが町娘にご執心の貴族をバカにした詩を唄ったせいで、彼の家へと続く道の門前に、百人の刺客が放たれ、待ち伏せていることを劇場で知ったシラノ。
シラノは「立ち回りをするぞ! 囃せ」と言って劇場にいた役者や楽士、踊り手を呼び集めて、楽器をうちならしながら門へと向かう、第一幕の〆の決めセリフ! 僕の手番が回ってきた。
「配役変更~ エアっちお囃子さんね」
僕がモブ達のセリフを言って、悠里が一幕をしめた。
【モブ太郎】[それにしても、なんで百人もかかるのかね、へっぽこ詩人一人にさ?]
【シラノ・ド・ユウリ】「たったの一人に百人とは? あいつが俺の友人だと、みんなが知っているからさ!!」
第一幕 幕。
……ふざけ半分の朗読とはいえ、悠里がめちゃめちゃカッコ良く見えてしまって、それが表情に出てしまった。心を読んできた悠里がニヤニヤしながら頭を撫でてきたので、撫で返してやった。
「第二幕はずっとシラノやらせてあげるよ~」
と言って始めた第二幕は、クリスチャンに恋慕するロクサーヌにシラノが一喜一憂するちょっと可愛らしい一面を見せる場面で、終幕後にまた頭を撫でられた。
第三幕は、件のテラス。悠里は僕にクリスチャンとロクサーヌを配役し、ロクサーヌがクリスチャンを振る場面を一人で演じた。
その後、クリスチャンのフリをしたシラノがロクサーヌを口説く場面。悠里は最初ロクサーヌのセリフを語る僕をニヤニヤ見つめてて、僕も結構楽しんでいたのだけど。……シラノ・ド・ユウリが突然、真に迫る演技を始めた。
本気でロクサーヌ(僕)を口説いてきた。
「……エアっち、キスしたい?」
「……うん」
訊いただけだった。悠里は僕の返答を聞くと、テラスの下で自身に言い聞かせるようなシラノのモノローグを浪々と詠み上げ始めた。
僕はテラスの上で、一人二役で熱く包容しあい、ブチュブチュとディープキスを交わすロクサーヌとクリスチャンの様子を、特にセリフがなかったので、ベッドの上で激しく体を動かして演じることにした。
悠里が必死に笑いを堪えながら言い切ったシラノのモノローグ、声が震えてた。勝った!
第四幕でクリスチャンが戦死した。
ロクサーヌは彼の胸ポケットに入った遺書を見つけた。それはシラノが書いたものだった。
第五幕。修道女になったロクサーヌの元へ、シラノは友人として、毎週土曜の決まった時刻に、事件から下世話な話題まで、彼が新聞の代わりとなり、週報を伝えるために通うようになって十四年が経過した。
シラノはその性格から、多くの人々を敵に回し、そして深く少ない友人を得た。シラノに深く関わった者、一四年通い続けた修道院の修道女達や、かつて彼を憎んでいた伯爵でさえも、彼の生き方を尊敬していた。
「アタシはこの前やったからさ。ここからは、エアっちがやりなよ」
悠里が僕にシラノ役を譲った。
劇中、シラノは自身が望む死に様を語っている場面があった。
「討たれるならば、名誉の剣、胸に受けるは、英雄の切っ先」
しかしシラノを討ったのは、小僧が振るう薪の切れ端だった。
彼はロクサーヌに会う為、毎週土曜の決まった時間に家を出る。
シラノは修道院へ向かう途中、背後から材木で後頭部を殴られ、倒れた。
近くにいた友人に助け起こされ、家まで運ばれたシラノは、医者や友人の目を盗み、包帯を巻き付けられた頭を目深に被った帽子で隠して、修道院に向かった。
「十四年! 初めての遅刻でしてよ」
ロクサーヌには遅刻の理由を「家を出る頃合いに、婦人の来訪者が現れて遅れた。一時間後にまた来るように言ってある」と伝えた。
「ならば、そのご婦人をしばらく待たせることになるわ。だってワタシ、あなたを日が暮れるまで帰すつもりはありませんよ」
「いや、日が暮れる少し前には、去らねばならないな」
シラノが長椅子に腰掛けて、ロクサーヌは彼に背を向けて、刺繍をしながら、彼の週報を聞いた。
シラノは、クリスチャンを愛し続けるロクサーヌが好きだった。ロクサーヌはこの日、クリスチャンの血と、書きながらシラノが流した涙のシミがついた遺書を、シラノに読ませた。
あたりは、日が暮れていた。
薄暗闇の中で聞こえる声。
……ロクサーヌは知ってしまった。
振り返ると、シラノは手紙を読んでいなかった。ロクサーヌが近づいてもシラノは気づかない。シラノの感覚はすっかり頓馬になっていた。十四年以上前に書いた遺書の内容をシラノは覚えていて、目を閉じたまま朗じていたのだ。
ロクサーヌは知ってしまった。自分が愛している魂の本当の持ち主を。
「この暗がりの中で、手紙の文字が読めますか」
秘密を隠し通そうとするシラノだったが、ロクサーヌは自分の記憶を疑わなかった、テラスで吟じた声の主が誰であるかを。
シラノの友人達が駆けつける。
[そうだ、まだ、新聞を終えてなかったな]
そしてシラノは、週報の最後、今日の事件を語り始めた。
”土曜、二十六日、晩餐に先立つこと一時間、シラノ・ド・ベルジュラック、暗殺に倒る。”
[哲学者たり、理学者、詩人、剣客、音楽家、天空を行く旅行者。打って響くはその毒舌と! 恋をしては……私心なき愛の男 エルキュール=サヴィニャン・シラノ・ド・ベルジュラック、ここに眠る。 ……もう行こう、失礼する、待たしてはおけない。見てくれ、月輪が迎えに来た!]
長椅子にもたれ掛かっていたシラノが「ここではない!」と、立ち上がった。「自分の死に場所はここではない」と。よろめくシラノに駆け寄るロクサーヌと友人達を「手出しは無用」と止めて、木にもたれ掛かり、剣を抜いた。
シラノには、生涯の宿敵達が見えていた。剣を交えて切り結び、毒を吐く。
[見ていやがるな死霊ども、俺の鼻を。凹みっ鼻の亡者ども! 好きなだけ見やがれ!]
虚偽、妥協、偏見、愚鈍、痴愚、卑怯未練……シラノが見る千の亡者達が和解を持ちかけても尚、シラノは「真っ平御免だ!」と切り続けた。「最後に倒れるのは、承知の上だ」と。
剣を振るう力も失せて、シラノはそれでも声高らかに毒を吐き続けた。「月桂樹の冠に薔薇の蕾、貴様らは俺から全てを奪うつもりだな、好きなだけ持って行け!」
しかし、シラノは宣言した「貴様達がいくら騒いでも、俺があの世へ持って行くものが一つある」と。
「エアっち見せ場だ! 決めてよね! ヨシヨシ」
気分が乗ってたというのに、最後のセリフの手前で、悠里が囃しを入れるフリをして茶々を入れて頭を撫でてきたけれど、気合いで無視した。
[あの世へ旅立つ道すがら、青空の門を広々と掃き清め、憚りながらシミ一つ、皺一つつけずにあの世へ持って行く! 貴様らがなんと言おうともだ! それはな、わたしの……]
「わたしの?」
[わたしの……羽根飾りだ]
幕。
「エアッち、ワンモア! もう一回、最後の決めてよね!」
悠里は三幕でお預けした接吻を行い、僕に〆のセリフを要求した。
肺に空気を注入され、準備万端だ。
「わたしの?」
じっと見つめながら、悠里は僕のセリフを待った。
言うぞ! 大好きなセリフだからな!!
「ここ、ゴフッ! ゲろフッ! いギだ!!」
……悠里に笑われました。
「ワタシの、”羽根飾り”だ」
結局最後は悠里が決めた。二人で笑った。
悠里は一度も舌を噛まなかった。僕は声が聞こえないのを良いことに、噛んだ時はうまく隠したつもりだったけど、全部ばれてた。
「もう寝るね、エアっち。明日っから忙しくなるからサ」
[うん。おやすみ、悠里]
「おやすみなさい」
肺に空気を送らない軽いキスをして、悠里は眠りについた。
悠里出立の日。彼女はユリハに”実施試験”を提案した。悠里がムーン・グラードにエアっちボールを持っていって、僕の瞬間移動の訓練を行おう、と。
「うまくいけば、これから二週間と待つことなく、今晩中にも会えるね」
二人きりなったタイミングで、悠里は僕に耳打ちしてきた。
悠里、ペティ、リズ達を見送った後、彼女たちが到着した頃合いを見て、僕は念じた。
そして、瞬間移動に成功した。
「おお! エアっちうまくいったじゃん! これで、通信士やれるね!!」
着いた先、ムーン・グラードの拠点では、慎ましやかではあるものの、ちょうど悠里達の歓迎会を行っていた。悠里経由で、予定より早くみんなに自己紹介をさせてもらった。
「時間、どんくらいかかったの?」
[一時間半くらいかな?]
「ほ~ん。これから安定してくるといいね」
……嘘つきました、ごめんなさい。本当は、この時初めて、瞬間移動が発動した時間、十分を切りました。それを言うと、悠里にからかわれそうだったので、妥当な時間を告げたわけで。
長居するのも、ちょっと気まずいから、早く戻ることにした。悠里経由で別れを告げると「今度来ても、ちゃんとお前の歓迎会やってやるからな」とAEWの戦士達が言ってくれた。
僕は念じた。
十分で帰れた。
……悠里に勘ぐられるといけないから、また、ムーン・グラードへ向かうことにした。
五分で到着した。
「エアっち、どうしても帰るのぉ?」
[うん。せっかくだから、シラノ写し終わってから、こっちに来たいな]
「うむうむ。夜は空いてるから、また来るのだぞ」
[わかったよ]
「おやすみ、エアっち」
[おやすみ、悠里]
悠里が眠りにつくまで、僕はエアっちボールの前で念じ続けるフリをして”ボケら~”と過ごした。次に念じた時は、三分で戻れた。
おかげで習字に使う時間が増え、出立前にシラノを写し終えることができた。
……字は綺麗になっただろうか。こっちの方はもう少し続ける必要がありそうだ。
次回は5月18日投稿予定です




