第93話 イカロスは墜ちない
これを天使と呼ばずして、なんと形容すればいいのだろうか。僕の語彙力では他に例えようがない。
天空へと飛び立った咲良は、急発進、急停止を繰り返し、東西南北を直線的に何往復も移動した。
遠くで練習に励んでいたアキラも空を見上げてた。地上を見渡している僕以外は、みんな空を見ていて、縦横無尽に駆け回る白翼の天使に釘付けだった。
悠里が上空でゆっくり前進しながらカメラを回している。咲良があまりにも素早く動くので、腕を動かしているだけの悠里が、一瞬バランスを崩していた。
諸手を挙げて大喜びで叫んでいる二人の子供を抱えながら、咲良は大空に円を描き始めた。羽状になった高密度の白いマイナシウムの破片が後方に伸びて拡散し、白く透き通った飛行機雲を創る。
最初に大きな楕円、次に真円を描き三周ほどすると、咲良は描く円の直径を狭め始めた。螺旋軌道だ。
中心点へと到達し、翼を大きく広げて静止した。
静止した一呼吸分の間は、僕たちに息を呑ませた。
咲良が翼を一度、大きく羽ばたかせて、垂直に、急上昇を始めた。
咲良と子供たちの姿は、すっかり遠くなってしまって見えなくなたけれど、マイナシウムの翼が、ゆっくりと回転していて、キリモミしながら上昇しているのがわかった。
あっという間に見えなくなった。
「う、う、うおっ、うおぅ、……う、うおっ」
花太郎、男泣き。
[鼻水までたらしてんじゃねーよ。みんなの注目集めてんじゃねーよ。アキラ以外みんなてめぇを見てるぞ]
「うおっ、ウオッ」
花太郎が男泣きしながら僕の顔を指した。
「二人とも、いい顔してるわね」
ユリハに冷やかされた。
「バーティカル・クライム・ロール。マナコンドリア保有者といえども、あの速度で急上昇したら、普通なら気絶するわ」
「うおっ、うおっ……ぶうぇ?!」
花太郎が泣きながらびっくりしてた。涙は一瞬で引っ込んでた。だけどしゃっくりが止まっていない。
「ヒッ……ヒッ。ユ、ユリハ、咲良は特別に大丈夫な、ヒッ。身体してるのか? じゃぁ一緒に行った子どもたヒッ、子どもたちは大丈夫なの?!」
咲良を見失った悠里がいつの間にか降りてきていて、花太郎の取り乱しっぷりをカメラの動画機能で撮影してた。
「大丈夫よ。特別なのは、FUの方だから」
アズラが足を踏みならした。
大きな音がしたけれど、アズラが踏んだ場所の芝生に全く変化はなかった。地竜の魔法だろうか。
「シャックリ止まったかい?」
「……うん、ありがとう、アズラ」
びっくりした花太郎のシャックリが止まってた。
「FUで実戦に耐えられる規格は、アキラ君が今、修得している”アキレウス”か、もう1ランク上のFUー09”ヘラクレス”が実用的なの。レベル3、4の飛行タイプのFUは、装備できる武防具も限られているし、ちょっと身体を動かすだけでバランスを崩してしまうから、実戦には不向き。だけど、レベル5、メルクリウスだけは別格よ」
開発者であるユリハが、メルクリウスのスペックについて自慢気に語りだした。
メルクリウスには、私が開発した”魔法”が備わっている、と。
「シンベエが飛行時に大気を操る魔法をヒントに設計した装置が搭載されているの。私はこれを”魔法障壁”と名付けたわ」
シンベエは飛行時、マイナシウムを体内に取り込むと、マナの反重力を利用して自身の周囲に大気の膜をつくる。これにより、自分の身体や、彼の乗客を空気抵抗から守り、気圧の調整を行うことで、到達できる限界高度が格段に上昇するらしい。
「私は最初にシンベエの魔法を再現したの。それがFUのレベル4シリーズ。その魔法をさらに強化したのがメルクリウスよ。私が設計した魔法障壁は大気だけじゃなく、ライフルの弾丸だって弾くわ!」
メルクリウスには、魔法障壁の造りだす反重力を使って、急上昇、急降下、急発進、急停止などなど、常人が気絶するレベルのGから操者や荷物を守っているのだそうだ。
操者の体を守る機能が充実したメルクリウスは、空を自在に動き回れるようになった反面、各種装置を起動、制御するために描かなければならない操作イメージが複雑かつ、膨大になってしまった。未だに技能修得に成功したのが、咲良一人しかいないのはこのためらしい。
「ねぇ、すごいでしょ?」
「……ユリハ」
「何? 何でも聞いてくれて構わないわ」
……僕もね、きっと花太郎と同じ疑問を持ったよ。
「ユリハさ。いつかFUを動かしたいんだよね?」
「そうね! 早く私の操作に耐えられるFUを開発したいわぁ」
完成には途方もない年月を費やしそうだけどさ。それよりもさ。
「あんな激しい動作してるけど、ユリハ大丈夫なの? 跳躍移動で酔って、アズラの背中でウェロウェロ吐いてたじゃん」
「……大丈夫じゃない? 自分で動かすし。私、航空機は普通に操縦できるのよ」
「え? ほんとに?」
「ええ。宇宙飛行士に必須の技術なの」
それを聞いた悠里が苦笑した。
「航空機って、二人まで乗れるんだよね。計器確認&通信する人と、操縦する人。ユリっちはいつも操縦する人だったよね」
「ええ、そうね。……そうね」
……吐くからか。宇宙エレベーターできてよかったねユリハ。ロケットで宇宙行ってる時代だったら、どうなってたかわからなかったね。
「必ず開発してみせるわ、私が使っても壊れないFUを! 魔導障壁で体当たりして、強敵からみんなを守ってみせるわ!」
発想がユリハらしい。悠里もサイアも笑ってた。
「魔法障壁で体当たりって……そんなことできるのはユリっちか咲リンだけだよ」
何気なく悠里が言った事が気になった。
[悠里、悠里]
「なんぞや? エアっちよ」
[咲良って、敵に体当たりしたことあるの?]
「ん? アタシは実際に見たことないけどサ。映像でならあるよ。地質調査任務に就いてる時の咲リンはしょっちゅうやってるみたいだネ」
「体当たりはロマンよね!?」
「言いたいことはわかるけどサ、ユリっち。あれには度胸がいるよ」
花太郎が涙ぐみだした、「咲良ちゃんはすごいんだねぇ」となぜか子ども語りかけるような口調の独り言を発しながら。サイアが花太郎にハンカチを渡してた。
「……咲リン、帰ってきたね」
悠里がカメラを構える。
見上げると、白い翼が急降下してくるのが見えた。
「FUー23Cはね、最初はみんな”イカロス”って呼んでたの」
ユリハが誰に語るでもなくつぶやいた。
翼がグングン大きくなって、茫洋と見えていた形状がくっきりしてきた。
咲良と、彼女に抱えられた子供たちの姿がはっきりと見えても、減速する様子はない。
「だけど、やめさせたわ。父親と作った翼で空を飛んで、太陽目指して落っこちてしまう物語なんて、縁起が悪いじゃない?」
メルクリウスが減速をかけないまま地面に激突すると思った瞬間。咲良は頭の向きを反転させて、急停止した。
「……自分で止めたか。さすが咲良ちゃんだわ」
「おかえりぃ~、咲リン」
「ただいま」
「ひどいじゃないか咲リン、アタシが昇れない所まで行っちゃって」
「すいません、つい」
悠里が子供たちにカメラを向けた。
「ちびっ子達よ~、楽しかったか?」
咲良が子ども達を解放すると、二人は口々にその心境を語った。
「すごいの! すごかったぁ!」
「あのね、お昼なのにねぇ。お星様見てきたの?」
それを聞いたユリハが目を見開く。
「咲良ちゃん、もしかして……」
咲良が少し目を伏せて、頬を赤らめた。
「……成層圏まで」
「すごいわ! すごいわ! 咲良ちゃん。こんな短時間で成層圏まで行ってきたっていうの!?」
ユリハ、ありがとう、いい笑顔を魅させてもらった!
アズラの傍でよい子で待っていた子供達が「次は私ー!」「僕ー!」と、自分の手番を主張する。ロマン飛行を体験した二人まで「もう一回してー!」と咲良にすがってきた。
「順番な、順番だからな。カガリさん、次はサロメの限界高度までに止めます」
咲良が次の二人の子を抱えると
「おねぇちゃん、げんかいこーどってなに?」
「ん? 次はそんなに高くは昇らないってことだ」
「ええ~!! やだ~! 私もお星様みたーいー!!」
抱えられた子供たちがわがままを言うと、悠里が「いいよいいよ、行ってきなよ」と言って、譲った。
順番待ちの二人がグズりだしてアズラに縋った。それをみたロマン飛行を終えた二人もぐずりだした。
「……しょうがないねぇ。ちょっと離れてな」
アズラがそう言って子供たちを自分から引き離すと、ひとまわり巨大化して、四人の子どもを両腕に抱えた。
「あたしが面倒見てるよ。とっとと行ってきな」
「ありがとな、アズラ」
アズラが身を屈めて、跳躍した。久々に見る跳躍だった。
彼女に抱えられた子供達が歓喜の声を上げ、その声が遠ざかっていく。JOXA支部の屋上に着地すると、今度はアズラは空高く、真上に向かって跳ねた。
「さあ、行こうか」
「「はーい」」
咲良の呼びかけに元気答える子供達を抱え、咲良は再び翼を大きく広げた。
悠里がFUサロメで浮上して、上空でカメラを構える。
「あ、あ、あ、あの!」
花太郎がドモりながら咲良を呼び止める。
「咲良……い、いってらっしゃい」
「……い、行ってきます」
……いや、負けらんねぇ!
ジェスチャーで咲良を呼び止める。
「何?」
僕は筆記具を顕現させて、ボールペンを走らせた。
【行ってらっしゃい!】
「……あ、ああ」
咲良の面前にメモ帳を掲げてさらに主張する。
「い、行ってきます」
僕たちは咲良の”恥じらい”の表情を共有した。
咲良と子供たちが再び、天空へと飛び立った。
先ほどと同じように、悠里が待機している高さまで上昇すると、見えないレーンの上を走っているジェットコースターのような曲乗りを披露する。
……どこからともなくシンベエがやってきた。ほんとにどこから来たんだよ。街とは反対側の、山岳地帯からやってきたよ。
ゆったりと飛んでいたシンベエが加速をつけて咲良に追随する。
彼の姿を認めたのだろう。咲良がシンベエとランデブーを始めた。
仲良く螺旋を描き始め、中心点に到達すると……。
バーティカル・クライム・ロール。咲良達がゴマ粒みたいに小さくなってゆく。
「さっき咲良ちゃん、着地する時、自力で急停止したけれど、飛行タイプのFUには、制御中枢部に安全装置が着いてるの。どんな高度から落下しても、地面に接触する直前に反重力を発生させて不時着できるわ。」
ユリハが空を見上げながら、ぽつぽつ語りだした。
「私は、誰にもイカロスを演じさせない」
静かに燃える青い炎のような情熱をその瞳に宿していた。
「今はまだ、マイナシウムで満たされた成層圏までしか到達できないけれど。いつかは太陽線の問題も克服して、月にだって到達できるFUを開発してみせるわ。必ず」
……ユリハは言ってることが冗談なのか、本気なのかわからなくなるときが、ままある。
それでも、今言い放った言葉は、ユリハの決意は、本気なのだと確信できた。
あっという間に咲良達が見えなくなった。なんとなく花太郎と目が合った。
なんとなく二人同時に右手を挙げた。
なんとなくハイタッチしてみた。勿論、音はならないし、すり抜けた。
「エア太郎、もう一回だ」
「ええ?」
花太郎が右手を挙げたので、もう一度つき合った。
パシィン!!
勿論すり抜けたけど、手と手が接触する瞬間、花太郎が自分の尻を叩いて音を鳴らしてた。
まるで小動物を慈しむような愛しさに満ちたまなざしで、サイアが花太郎を見つめてた。それをみたユリハは勿論ニヤついていて、僕と花太郎は何となく恥ずかしくなって、照れ隠しをするように、JOXA園庭の遠くの方を見わたした。
そして、尻を天に向かって高く突き出しながら、奇妙な体制で突っ伏しているアキラを発見した。
駆け寄ってみる。
この態勢で地に伏しているということは、おそらく一人でアキレウスの練習を再開していたのだろう。FUはすでに停止していたけれど、アキラも停止してた。ピクリともしない。気絶してた。
……とりあえず息はしていたから、大丈夫だと思う。
次回は5月8日投稿予定です




