第80話 僕のエゴ
エレベーターの頂上”きのこ傘”から、無重力ステーション”地球ゴマ”にポッドで向かう。運転は咲良が行った。
「すごいねぇ……こんなこともできるんだ」
微睡んでいるシンベエを抱えながら思わず口に出した花太郎の言葉を、咲良は無視した。
「ほほほほほほ」
「あは、ははは、かっこええなぁ」
ターさんは親子の再会を素直に喜んでいるように思えたけど、アキラの笑顔には無理があった。
花太郎たちがつま先に磁石を装着した頃、悠里が宇宙遊泳から帰還した。
三重の扉が開いた先には、宇宙服から顔だけをピョコンと出して、無重力空間でじたばたしている悠里がいた。職員が二人がかりで悠里を引っ張り、地面に足をつけさせた。
作業の邪魔をしてはならない、と、操作版が立ち並ぶ管制室のガラス越しに見ていた花太郎たちに、悠里は「ただいま~」と手を振った。
僕だけが悠里に近づいた。
「おかえり、エアっち」
[ただいま。おかえり、悠里]
「ただいま」
僕の姿が見えず、いぶかしむ職員に「気にしないで~」と言って介助してもらいながら、悠里は宇宙服を脱ぎ始める。
「……咲リン、一緒にいたよね?」
[うん。壮絶なスキンシップで再会の衝撃を分かち合ってたよ]
「壮絶なスキンシップって……。ハナザブロウが頭に包帯まいているのは、そのせいなんだね」
悠里は僕の言い回しに「ぷっ」と吹き出した。
悠里が職員にお礼を言って、脱いだ宇宙服を渡すと、奥の部屋へと移動した。更衣室だ。
「みんな、待たせちゃってるからね。急がなきゃ」
僕は、悠里に追随した。
「……アタシの身体、見たいの?」
三畳程度の狭い更衣室に入ると、悠里が宇宙服のインナーを脱ぎながら、いたずらっぽく微笑む。
[いや、そんなことはなきにしもあらずだけどさ]
「えちぃねぇ、君は。実にえちぃ」
いつもキャミソールとショートパンツでボン、キュ、ボンなスタイルを見せびらかしながら部屋内うろついているし、密着して寝ているしで、悠里のさらす霰もない姿は見慣れたものだとお互い認識しているのだけど、僕はわざとドギマギしたり、ウブなフリをしたりで悪ふざけをして、戯れることが多かった。
でも、今日はちょっと違った。違ったのは僕の方なんだけどね。
「アタシはよかったと思うよ。どんな形であれ、消極的な再会じゃなくてさ」
[僕も、そう思う]
「ハナザブロウの顔の包帯は、その代償だよね? 彼は何をしたのかね?」
[出会い頭、咲良に”たかーいたかーい”したせいで、ノされた]
「なんじゃそりゃ?」
悠里は笑った。僕も笑った。無関心、無干渉でいられるよりかは、よっぽどいい再会だったと、僕は思う。
「咲リンは、ハナザブロウにどんな技をかけたの?」
[両肘固めと、こめかみに回し蹴り]
「アタシが教えた技だ」
[咲良にも教えてたの?]
「そだよ~。AEWでトーカーの運動能力に対応できるJOXA職員はいないからね、リスナーは結構いるけれどサ。JOXAが抱えてるトーカーはアタシとハナザブロウと咲リンだけ。……あとは香夜ポコだね」
[うん]
「君は、どうだったのかな? 甘ったれエアっち君?」
[……うん]
悠里は下着姿のまま腰に手を置いて、僕を見つめた。
「アタシが霰もない姿を晒しているのに、随分奥手じゃではないかね?」
[もう、見慣れているよ]
「アタシの身体、飽きた?」
[全然。表現が生々しいからやめて]
「エアっち童貞説がアタシの中でながれてるんだけど?」
[この身体になってからは、そうだね]
「残念だなぁ。ロマンティックな無重力空間でせっかくの二人っきりなのに、みんなを待たせているから時間がない」
悠里は着替え始めた。
[どれくらい、宇宙空間にいたの?]
「昨日と今日で、六時間。写真も撮ったから、帰ったら見せてしんぜよう」
[よかった?]
「オフコース! AEWの空も見てみたいって、尚更思ったよ。必ずみんなで、ロケットを飛ばすんだ」
[うん]
「エアっちはどうだった?」
[実家?]
「それは、帰ったあとに聞きたいな。今、聞きたいのは咲リンのことだよ」
……悠里が聞きたいんじゃない。僕が悠里に聞いてほしいんだ。でも、なんて切り出せばいいのか、正直わからなくて。
「ハナザブロウさ、あの様子だと多分出血してたよね。君は咲リンに再会できたのかね?」
「幽魔と間違えられたよ。その後は、花太郎治療したり、エレベーターに乗り込んだりで、コミュニケーションはとれていない」
「ソコがエアっちの”もやぁ”っとしているところか」
[……うん]
「ちょっとごめんよ」
僕の唇を見続けなければ悠里はコミュニケーションできない。着替え終わるまでの間、悠里は衣服に視線を落としていた。
着替え終えて、履き物に磁石を装着しながら悠里が言った。
「もっかい改めて挨拶だね。どうせ帰れば、ハナザブロウはユリっちに血を抜かれるんだし、そん時にさ。同僚として挨拶すればいいんじゃない?」
社会人として当たり前の行動を、悠里は提案した。
[ありがとう、悠里]
「うむうむ、皆をまたせてしまったな。これより帰還じゃ、ついて参れ」
[ははぁ]
咲良と向き合う勇気は、両親からもらった。そして、咲良との接し方は、この短い時間の中で、悠里が道を示してくれた。
父親としてでなく、まずは職場の同僚として、彼女と接しよう。頭の片隅にあった、なんとなくまごついてた感情が、払拭された気分だ。
”……オレには親父がいる。それはあんたじゃないよ、オッサン”
咲良が花太郎に伝えた言葉は、逃げることなく、花太郎と対峙して主張した意志だった。花太郎は、この言葉をきいて、咲良との接し方を理解したはずだ。
僕はまだ、咲良と対峙していない。いままでの僕は、花太郎が遭遇した状況に自分の気持ちを重ねて、思索していた傍観者だった。だけど、これだけはわがままを貫きたい。
僕にも直接言ってほしいんだ”あんたは父親じゃない”と。
そんなこと言われる以前に、僕はまだまともに挨拶すら交わしていないのだ。
僕と咲良は”再会”を果たさなければならないんだ。
決意を固め、部屋をすり抜けようとしたとき、悠里が僕の肩を掴んで引き戻した。
そしてキスされた。
[ん? なに? いきなり]
「……君の目つきが、ちょっとかカッコよかったからサ」
[考えていることは、しょうもないことだと思うけど]
「うん、わかってるよ。エアっちだもん」
悠里に冷やかされながら、僕たちは部屋を出た。
「カガリさん、お疲れさまです」
「お久~、咲リン。任務お疲れさま。入れ違いで会えなかったね」
「今回の任務で、カガリさんがすごい成果をあげたって、JOXAでは噂ですよ」
「アタシだけの力じゃないさ」
「カガリさん、苦しいです」
悠里が咲良をギュギュウしながら、二人は再会の喜びを分かち合った。
パチン、パチン、と、スリッパとはちょっと違う軽快な音を立てながら、ワームホール”さくら”へと向かっていく一行。通路のボックスに磁石のつま先を格納すると、悠里は”さくら”へと続く、扉を開けた。
「こっからね、一人ずつ、ゆっくりとワームホールに飛び込むんだけど、誰がいいかな? 一番手」
「俺や」
予想通り、アキラが立候補する。
「アキノシンよ、出入口でこけたら、君は後からくる連中の下敷きなるぞ? 覚悟はいいか?」
「……ふ、そんなのが怖くて、無重力空間で遊べるかい!」
「いや、この老いぼれが参りましょう」
なぜか、ターさんが立候補した。
「この老いぼれの後は、是非とも女性陣二人に来てもらいたい。下敷きになって待っております故」
「このエロジジィ!」
咲良は悠里には敬語だけど、ターさんには容赦しない。しかしターさんも心得ていて「ほほほほほ」と笑うだけだった。
「じゃ、僕いくよ」
花太郎が立候補した。
「肉体強化の身体なら、下敷きになっても大丈夫だし、後続のアキラを救出できるしね」
「俺は失敗する前提なんか!!」
「そうだよ」
アキラがみんなに笑われた。
「全く、人間と言う者は―」
「はいはい、モフモフですね、シンベエどの」
シンベエが悠里にモフられて気持ちよさそうだ。それを見てシンベエのお腹を咲良はツンツンしてた。
「かわいいなぁ……」
花太郎がついぞ漏らした一言は、シンベエに当てたものでない事は、咲良以外の全員が気づいていた。
花太郎、アキラ、咲良とシンベエ、ターさん、悠里と僕の順番で突入する。
「エアっち、なんかあったら支えてね。大丈夫だと思うけど」
悠里はステーション”きのこ傘”と”地球ゴマ”を行き来していたとはいえ、花太郎たちに比べて、無重力空間での滞在時間が格段に長い。重力下で身体に及ぼす影響が一番大きいと判断して殿になった。僕も同伴するけど、彼女を支えきれるか、わからない。今後のことも考えて、悠里の身体をどこまで支えきれるか、今度検証してみよう。
咲良が壁横のスイッチ版を操作すると、僕たちから見て上方からワームホール”さくら”まで続く手すりが左右に降りてきた。
一行は手すりを使って”さくら”の眼前まで近づく。アキラとターさんは酸素マスクを着用した。
一人ずつワームホールに飛び込み、無事、着地ができたら、手だけをワームホールにつっこんで「OK」サインを返す。誰かの下敷きなることを予防するためだ。
さっきターさんが主張した「女性の下敷きになりたい」の一連のやりとりは冗談だったけど、油断は禁物。ここで注意すべき点は、何かの拍子でアキラとターさんの酸素マスクが外れてしまわないように、と、注意事項の再確認を行った。
そして、先鋒、花太郎が突入した。程なくして、ワームホールから花太郎の腕だけが伸びて「OK」サインを作った。
花太郎が腕を引っ込めた後、三秒数えてアキラが突入する。しばらくして、花太郎の腕がでてきて「OK」サインを作った。アキラは酸素マスクをしているので事故防止の為に、ワームホールから離れた場所で待機しているはずだ。
ターさんが突入する。花太郎の腕が再度延びてきて、咲良と、咲良の肩に捕まったシンベエが突入した。
「二人っきりになったから、ちょっとイチャつこう思ったでしょ?」
[いや、ぜんぜん。だってカメラから管制室に丸見えでしょ?]
「ちゃちゃちゃ、わかっていたか」
[なに、ちゃちゃちゃって。僕の姿は見えてないし、悠里がエアチュウしているシーンをカメラに録画してもらってもいいんじゃない?]
「ちょっち、うっかりしてたね。恥をかくのはアタシだけってのは、盲点だった」
[気づかないフリして、イチャついておけばよかった]
「悪いヒト」
[いえいえ、日頃のお代官さまほどでは]
ワームホールから腕が伸びてくる。今度は咲良の腕が「OK」サインを作った。なぜかシンベエの腕も伸びてきていて、かわいかった。
「ちょいとシンベエ、笑わせないでよ」
悠里が手を伸ばして、シンベエの四本指の手のひらをつっついた。
二人の腕がワームホールに入って、僕たちは三秒数えた。
「では、わしをしっかりと守るのじゃぞ? 越後屋」
「ははぁ」
悠里は管制室へとつながるカメラに向かって、敬礼のポーズをとった。僕も、どうせ見えていないけれど、敬礼してみた。
”よい旅を”
管制室から放送が聞こえる。
「旅するんじゃない。帰るんだよ!」
いいながら悠里は手を振った。スピーカーから笑い声が漏れた。
「よろしくね、エアっち」
[うん]
手すりを持っている悠里の両腕の肘が曲がって、身を屈めたような姿勢になる。
「せ~のっ」
悠里と僕は、ワームホールに突入した。
出口には一瞬で到達した。来たときと同じだった。
あたりを見渡すと、AEWの古の住人達が意匠をこらして造ったであろう、美しい彫刻が並ぶ開けた場所に出て、酸素マスクをつけたアキラとターさんは、その壁の近くにいた。
さらに人間大サイズのコンテナと、その周りに酸素マスクをつけたJOXA職員が四人。先行して花太郎の荷物とJOXA支部に届ける資材を搬入してくれたのだ。
ワームホールの傍、僕たちの左右には咲良と花太郎、足下にはシンベエがいた。
悠里は多少よろけはしたものの、問題なく自立できた。
それを確認した一行は、JOXA職員から資材を引き継ぐと、ターさんを先頭に、地上へと続くワームホールへ向かった。
花太郎は自分の荷物で手いっぱい。アキラは「おにゃのこに持たせちゃあかん」と勇んで資材を持とうとしたけど、資材が重すぎて断念。結局肉体強化された悠里と咲良が分割して持った。
美しい彫刻が立ち並ぶ廊下を抜けると、ワームホール”さくら”が鎮座していた空間よりも、若干こじんまりとした部屋に地上神殿へ続くワームホールが鎮座していた。
僕たちはワームホールをくぐった。花太郎とアキラは二人で「せーの」といいながら、ピョンと小さく跳ねてくぐっていた。
ワームホールの先は、以前、僕と悠里が記念撮影で花太郎とサイアを囃した場所で、時間は早朝だった。
咲良もJOXAの社宅に住んでいる。
一行はJOXA支部へと続く道をぞろぞろと歩いた。早起きの住人たちが、花太郎達をみつけると手を振って「おかえり」と言ってくれた。
そして、JOXA支部の園庭が見えるほどの距離にさしかかったころ、異変に気づいた。
庭を埋め尽くす、人々。等間隔で距離をとり、整列している。
やがて、JOXAの有線スピーカーから、音が聞こえ始めた。
……ラジオ体操だった。




