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第74話 シンベエと短い空の旅


 JOXAの宇宙エレベーターの隣には、実験、訓練用の園庭があった。

 十一月二一日、午前六時。気候がズレてしまって正確な計算は出来ていないらしいが、AEWとは、約三ヶ月と半日の時差があるらしい。正午前にワームホール”さくら”を潜ったから、やっぱり違和感がある。

 冷たく鋭い空気があたりを満たしていた。シンベエが防寒着に身を包んだ花太郎たちと、JOXA職員に見守られながらターさんの手を放れ、トテトテと距離をとった。天気は快晴で、雲がまばらに見える。

 二、三度翼を羽ばたくと、青白く輝きだした。


 青白い光のシルエットは、天を仰いで翼を広げたまま静止し、輝きが大きくなってゆく。そして突然消えた。

「さあ、いくぞ」


 巨大化したシンベエの青い鱗が太陽の光を弾いて、まるで、太陽が空に浸食されているかのように、その表面が僅かに青く光っていた。美しいと思った。


 前からターさん、アキラ、花太郎の順番で乗り込んで、僕はその後ろに何となく追随した。


 各々がJOXA職員に挨拶を交わし、シンベエは、翼を閉じて身を屈めると、高く飛び上がった。


 整備された木々を越え、権威を司るJOXAの高い建造物を越え、雲を越えた。

 上を見れば太陽と青空と、宇宙エレベーターの巨大な柱しか見えなくなった頃、シンベエはようやく翼を大きく広げて風に乗った。


「すげぇな、シンベエすげえぇな! ハナ、見えてんか? 見えてんか?」

「騒ぐなよ、うるさいよ、よけいに見えにくくなるよ」

「ほほほほほ」

「高度をあげるぞ」


 シンベエは翼を二、三度羽ばたかせると、高度を上げた。ぐんぐん周囲の建物は小さくなってゆく。

「ところでシンベエは、大島の場所わかるんか?」

「ああ、ここの地形はすでに覚えている。三原山みはらやまを目指せばいいのだろ?」

「すごいなぁ、シンベエは何でもできるんやなぁ」

「ほほほほほほ」

 ターさんがなぜ微笑んでいるのか、理由がわかった。花太郎もなんか苦笑している。


「シンベエ、そっち富士山やで?」

「ほほほほほほ」

「……すまぬ」


 アキラの指示で、シンベエは九〇度左に旋回した。やっぱり方向音痴だった。


 調布から飛行機に乗って大島に行くこともできる。離陸して一〇分後に着陸態勢にはいる。僅か三〇分程度の空の旅だ。シンベエのスピードはかなりのものだから、ルートを間違えて遠回りしたとはいえ、飛行機よりも早くに到着するだろう。


 疑問が生まれた。


「ねぇ、シンベエ」

「なんだ?」

「僕、初めて乗ったときはもの凄く寒くて、風が強くて、耳がキーンってした記憶があるんだけど、今はぜんぜん平気なんだよな」

 花太郎の言った通りだ。防寒具を身につけているとはいえ、みんな大して寒そうに見えないし、衣服のハタ付き具合から見るに、すさまじいスピードが出ているにも関わらず、風当たりは穏やかで非科学的だ。シンベエがAEWで飛んでいたときに、大気を操りながら飛んでいた様子と大差がない。


「ハナタロウを乗せた頃よりも、ここの空気は大分軽くなったぞ」

「……ハナ。ハナのオバサン、”リスナー”なんやってな」

「うん、らしいね」

「”静かな爆発”があってから、少しずつやけど、地球上からマイナシウムが自然発生するようになってん」


「……うん、ユリハから聞いたことあったし、講義でも習ったよ」

「今、ハナが覚えた違和感は、前にはなかったマイナシウムが、大気中に混ざり始めて、シンベエがそれを使って大気を操れるようになったからや」


 アキラはユリハの研究室ラボに缶詰状態で作成したレポートの一部を花太郎にやたらと丁寧に話していた。きちんと声も届いているから、シンベエが大気をしっかりと操っているのだろう。


 年表の様に引き出したアキラの脳情報データベースには、旧地球のこれからの四百年間のちょっと暗い歴史が綴られていた。


 AEWの住人達は、成熟が早いにも関わらず、寿命がやたらと長い。エルフのペティとリズは八十歳を越えても水々しい肌を保っているし、カイドとシドも老け顔で年は四十五、六だけど、ドワーフの中では、若年だ。これは、彼らの体内に存在する”マナコンドリア”の力によるものだった。


 今でこそ、旧地球では大気中に微弱なマナ(マイナシウム)が検出されている程度で、シンベエは自在に活用できている。花太郎は供給が足りず、”ただの人”になっているけれど、これからどんどん、マナが締める大気の割合が大きくなっていく。


 そして”静かな爆発”以降、マナコンドリアを内在させた”リスナー”や”トーカー”の出生率が格段に高くなった。


 ここで問題となったのが、遺伝子差別である。

 マナコンドリアを内在した人間と、ミトコンドリアしか持たぬ人間との間で、筋力、寿命ともに、大きな差が現れ始めた。


 しかし、政治体制がすっかり成熟し始めていた各国の政府は、ミトコンドリアを持つ人間も平等に暮らせるような、法整備を整え始めた。

 結果的にそれが差別につながった。


 マナコンドリア内在者は、肉体労働を主とする仕事に就くことを余儀なくされ、ミトコンドリア内在者は管理職に優遇された。


 年金制度にも差がつけられた。正当防衛と、過剰防衛の解釈も区分けがなされた。


 結婚制度こそ差別化はされなかったが、寿命の問題から、同じ内在者同士で籍を入れるのが暗黙の掟となっていた。

 

「今のところは、大丈夫や。これから一〇〇年後くらいに起こることやから」


 アキラが最初に、僕の母が"リスナー"であることを尋ねた理由がわかった。こいつにしては、花太郎相手に酔ってもいないのに随分と詳細に話すものだから、花太郎を慮っての話だということは、察しがついたし、花太郎も理解しただろう。


「うん。ありがとな、アキラ」

「なんや? 俺は暇つぶしに、暗ーい話をしてやっただけやで。ハナが景色に見とれてアホな面しとったから、あや入れよう思っただけや」

「はい、はい」


 ……AEWの住人が長命な話は、座学で既に学んでいた。それがマナコンドリアが原因であることも。サイアは最初、旧地球の幼稚園に通っていたけれど、あっちに戻ったのはそれが理由なのかもしれない。ユリハはきっと、シドやサイアと末永く一緒に暮らすことを選んだんだ。


 ターさんもアキラも、花太郎よりもずっと短い生涯を過ごすだろう。花太郎は選ぶことができる。AEWで永い生涯を過ごすか、旧地球で人並みの一生を終えるか。

 父さんと母さんのことを思うと、長生きはもちろんしてほしいけれど、でも、”リスナー”である母さんがずっと独りぼっちになるのは、いやだと思った。あの人も望んでいないだろう。


 マイナシウムがトーカーやリスナーの肉体に影響を及ぼし始めるのが、あと一〇〇年先というアキラの言葉は、僕たちにとっては救いだった。だからこそ、今の時間を大切にせねばと改めて思った。


「すまん、シンベエ。行き過ぎや」

「なに?」

「話しに夢中になっとったら、小笠原諸島まで来てもうた。伊豆諸島は遙か手前や。すんまへん」

「わかった、引き返そう」

「ほほほほほ」


 シンベエは一八〇度旋回した。早速時間を無駄にした。



 伊豆大島の中央に三原山と呼ばれる、標高七〇〇メートル程度の活火山があって、いまでも、そこかしこで煙を上げている。山の周囲は固まった溶岩が粉々に砕けて、細かい石粒になり、日本で唯一の”裏砂漠”と呼ばれる黒い砂漠をつくっている。


 溶岩は磁気を帯びていて、富士の樹海のように方位磁石が機能しないのも特徴だ。でも、そんなに広くないから、適当にまっすぐ歩いていれば、どっかの道にでる。小学校の遠足コースになっているくらい安全。


「ほほほほほ、これは見事なものですなぁ」

 ターさんは驚嘆の声を上げていたけれど、花太郎とアキラも感動していた。こんな間近まで接近したことがなかったからだ。


 今、シンベエは三原山の巨大な噴火口のカルデラの真上をグルグルと旋回していた。こんな景色は、きっとヘリコプターにでも乗らない限り拝めなかっただろう。


「どこで降ろせばよいのだ?」

「ターさん。シンベエは人目に着いても大丈夫なのかな」

「特に問題はありませんね」


「じゃぁ、港の近くがええんちゃう? あそこなら、民宿も多いし。どこに泊まるか決まっとるんですよね」


「ええ。忘れないように、名前を控えたメモがあります。概要を知ったときから楽しみにしていたんですよ。たしか、宿屋のご主人が源氏の末裔とか」

「剛腕、剛弓のみなもとの八郎為朝はちろうためともや、あそこなら元町港の近くやで、ちょうどええわ。シンベエ、ちょっと上に昇ってくれや」


「わかった」

「……あれや、あれ。赤い屋根のお社や、あそこの傍に宿があるんよ」

「では向かうぞ」

「頼みましたぞ」


 宿に到着すると、シンベエが”抱っこおねだりサイズ”に小さくなって、ターさんの真横にトテトテと並んで、手を振ってきた。


「ありがとう、シンベエ」

「おおきにな」

「ゆっくりするといい」

「未次飼さん、甘田さん方。いってらっしゃい」

「「行ってきます」」


 大島に限らず、伊豆諸島は島全体が、山を切り崩して住居建てている。平地はなく、山を背にして坂を下りきると、例外なく海にでる。僕たちは港に近い宿から、坂道を登り(僕は浮遊し)始めた。


 ついさっきまで、アキラと花太郎、とくにアキラはターさんとシンベエに観光ガイドさん顔負けの解説を披露して饒舌だったけれど、二人の会話は、少なかった。「あんま変わっとらへんな」「いやぁ、大分寂れてきてるでしょ」「せやな」程度、二、三言話すだけだった。


 そのまま、坂を登り、島に六基ある信号機のうち、三基が密集する島の中では一番栄えている、寂れたエリアの西の端に到着した。アキラとはここで別れる。


「じゃあな、アキラ」

「おう、また明日、夕方。な」

「おう!」


 花太郎は一人になると、ユリハから借りてきたシャーレの上に唾を吐いた。

[いよいよだな、花太郎]


「今、七時だね」


 花太郎は滞在用にJOXAが用意してくれたスマートフォンで時刻を確認する。AEWとここでは、半日以上の時差があった。


[先に会えるのは、父さんかな]

「うん。お墓参りしてこよう」


 僕が離婚して、こっちに戻ってきて職を探したのは、理由があった。もちろん両親の老後の介護も考えてのことだけど、子育てとか、結婚生活でお金を稼ぐ必要がなくなり、養育費を払えばいいだけの生活になった僕が、二十九歳にもなって将来について考えた時、真っ先に思い浮かんだことがあった。


 それは、僕がここに住んでいた頃、父が雨天中止で朝の散歩のあと、欠かさず毎日やっていたことだった。


 祖父母の墓守。


 無気力になった僕の中で、唯一浮かんだ将来のビジョンが先祖の墓守をすることだった。お墓の掃除、除草、貰ったり適当に摘んできた花を添えたり、お隣さん(お墓)を掃除したりと。……墓守をする父の姿がとても穏やかだった。


 当時の僕が、もっとも渇望していた感情がそこにあった。……理由はどうあれ、大島には職がないからと、東京本土で仕事を探す基準にとらえたのが、これだった。仕事を探す原動力になったのは、間違いない。


 あの人なら、この時間、お墓にいるはずだ。僕たちは霊園に向かった。


 そして、再会した。

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