第70話 アッ君が脚光を浴びている、世にも珍しい日々
最近、悠里はシイタケ料理ばかりを食べる。ペティとリズと三人で育てているシイタケが、収穫期を迎えたらしい。今日のオカズはシイタケの醤油バター炒めだ。酒のつまみにピッタリだけど、悠里は普段、お酒を飲まない。
モニターに付いている映像は「きのこドキュメンタリーシリーズ ~きのこの人、宮沢賢治~」というタイトルで、宮沢賢治作品に登場するきのこの特集だ。 影絵みたいなイラストで、子どもたちが”はきぼだし(ホウキタケ)”を探す叙情的なアニメーションが流れていて、ついに見つけた”はきぼだし”は、なぜかイラストじゃなくて実写を使っている。
このシリーズは、きのこの生態にとことんまで追求する事がモットーらしく、それは時折、このような形で演出の意図を超越し、見事に雰囲気をぶち壊してくれるのだ。
「ああ~、はきぼだし食べたくなっちゃったな~」
悠里は食後のカップアイスを口に含みながら、口寂しそうにつぶやいた。
この時間の話題は大方決まっている。きのこの話、映画の話、花太郎が実技演習でコテンパンにされた話、そしてサイアのコイバナだ。
だけど、今日は違った。
[悠里はどうするの?]
「ん~? アタシはね。アッチで宇宙を観るよ」
悠里の両親は、二人とも墓石の下に入ることを拒み、遺灰は海へと流したのだそうだ。彼女の父の遺灰は、水葬される前にワームホールさくらを潜って、悠里と対面したと言っていた。
旧地球での滞在期間は、三日間となった。宇宙エレベーターで地表まで移動する時間をさっ引くと、実家に一泊二日できる計算だ。
三日というのは、幻影魔法の発動限界時間の都合だ。
仮に限界時間が経過して、騙している結界が正気に戻っても(なんか変な言い回しだな)アキラは問題なく行き来できるのだから、戻るときに魔法をかけなおしてもらえば、滞在時間はもっと延ばせる。だけど、アキラも花太郎も僕も、それを望まなかった。
コッチでやることが残っている。僕らは意思の弱いダメな大人たちだから、長く滞在しちゃいけないと思った。
悠里はいつも前を向いている。お父さんの臨終をモニター越しで看取る事はできたけど、会いたかったに違いないのに。
「エアっち、後悔はしないようにね」
[うん]
「ヨシ、ヨシ」
笑顔で僕に言い放った言葉が、重かった。なんか知らないけれど頭を撫でられたので、撫でかえしてやった。
明日、実家に帰る。手紙はまだ書けていない。
翌朝。
神殿広場には、食べ物屋台が建ち並んでいた。ギャラリーがすごい。
ユリハがアキラを引っ張ってニモ先生と魔法談義をしたせいで、この有様になった。
ニモ先生は各種族間の諍いを鎮める長老会の重鎮だ。ワームホールの進入を許さない、ロストテクノロジーの結界を突破する術を見つけた以上、その技術を隠してしまっては諍いの火種になるのは明白で、ニモ先生は今回の一連の出来事を長老会に報告したのだ。
ユリハとアキラがニモ先生の所におしかけたせいで、長老会全体でゆっくりと共有していかなければならない情報を、本人の希望とは関係なくニモ先生が独占してしまったのだ。ニモ先生は長老たちに臨時招集をかけて、迅速に情報開示を行った。
結果、各種族の長老を通じて、結界を幻影魔法で騙した男のウワサがあっという間に街中に広まった。
そして街中で広まった噂が、僅か数日の間で、辺境の都市リッケンブロウムの外にまで広がっていたらしく、内外から魔法使いや、魔法研究者がアキラの社宅に押し寄せてきて、それはそれは騒がしかった。
実家に帰るまで、部屋でゴロゴロしたり、全くできなかったリッケンブロウムの観光を楽しもう思っていたであろう、アキラだったけど、目立ちたがり屋でお調子者なのに、空気男な自分にコンプレックスを持っているコイツは、珍しくスポットが自身に当たっていることに大喜びで、ペラペラペラと自分の偉業について自慢しだした。
……千恵美さん、あなたの旦那はあなたの能力の威を借りて、どうどうと自分を誇張する情けない男ですよ。……でもこの時のアキラは本当に幸せそうだった。
リッケンブロウムに滞在することを決めた魔法使いたちは、なぜか社宅前で早朝行われるラジオ体操にも参加して、はじめは四人でこじんまりとやってたラジオ体操の規模が一気に大きくなった。
体操を終えた後、アキラの魔法談義を聞きたい連中があんまりにも多いものだから、JOXAの園庭を借りて、片手で朝食を摘みながら、アキラが魔法自慢を始めだした。
内外から魔法に携わる者達の名打てから見習いまでが一つところに集まってきたのである。
こうなってしまったら、リッケンブロウムの住人がやることはもう決まっている。宴だ。
宴は朝から晩まで、屋台も客も非番の人間が頻繁に出入りしながら、連日行われた。アキラの話を聞くやつよりも買い食いして酒を飲み交わす連中の方が断然多かった。当然だ。アキラの話は基本的におもしろくないから。彼の無駄に長い話の中から自分の興味ある項目をピックアップして聞き出すのには、慣れが必要なのだ。
アキラは一応、宴の主役って肩書きになっているから、みんな好き好きに飲み食いしてたけど、夕刻に仕事終わりの連中がちらちらと姿を現し始めると、頃合いをみて、乾杯の音頭だけはコイツが毎日担当した。
「リッケンブロウムはJOXA支部園庭にて、真理の探究者とその他大勢に送る、偉大なる魔術師、末次飼彬の酒飲み前口上の詩歌、いくで~!
三千世界の 真理を統べるは
白衣の似合う ナイスガイ
視線で射るは 浮世の謎ども
調子のいいときゃ 幽世まで!
知らぬが花、知らぬが仏 と知りながら
見知らぬふりができぬ者ども!
知らざぁ 言って聞かせてやろう!
イデアの泉が尽きるまで!!」
「フー!!!!」
このときばかりは、リッケンブロウムの連中も心得ている。たとえ詩歌の中に”その他大勢”に向けたフレーズが入ってなくても、全力でグラスを掲げて、酒を飲み干し、大いに騒ぐ。彼らは本当に優しいと思う。というか、騒げればいいだけなのだろう。当然、この後行われるアキラの話よりも、連日繰り広げられるカイドとシドの撃拳の方に皆は熱狂していた。
……そして、僕と花太郎は気づいてしまった。これらの宴は、出発当日に僕たちに降りかかる大いなる試練の予兆であることに。
連日続いた宴の最終日の会場は、リッケンブロウムが興る遙か古から存在している、地上神殿の石階段下のこの広場だ。最終日 (らしい)ということで、朝っぱらからみんな仕事そっちのけで屋台を引っ張りだして、歌いながら飲み食いし、大いに盛り上がっている。
その偉業を一秒たりとも見逃すまいとする、内外から訪れた魔法関係者たちの視線が、石階段の前に立つアキラに注がれていた。
アキラは、もうかれこれ三時間ほど両手を祈るようにきつく合わせて、目ん玉ひんむいて充血した瞳をギラギラさせながら、体は猫背の前のめりで、全身からのっぴきならないオーラを醸し出している。ときどき踊っている。
この状況を事前に察知した僕たちは、悠里、花太郎と会合の場を開き、覚悟した。
どんなシチュエーションに立ち会っても、アキラの幻影魔法の成功を祈り、最後まで見守ろう、と。
アキラは相手をしていると疲れるヤツだ。だけど今のアキラは、僕たちの為に、この魔法を成功させようとしてくれている。三時間も目を充血させ続けてくれているんだ。
……絶対笑うまい。僕たちは絶対笑うまい、と、三人で意識を共有した。
プルプルと小刻みにふるえていたアキラの身体が、突然ピタッと静止した。
魔法関係者たちの視線に緊張が走る。僕たち三人は悠里を真ん中にして、無意識のうちに手をつなぎ、きつく握りあっていた。
……来る!
来るぞ。アキラの雄叫び「きぇぇやぁいおぉうぅ!!!」が!!
いままで、のほほんと日々を過ごしていた自分が恨めしい。手の内が事前にわかるということが、これほどの心の支えになるとは、思ってもいなかった。
「きぇぇやぁいやぁいやぁいやぁいあぁぁおぉうぅぅぅぅ!!!」
握りあった手が、さらにキツくしまる。”いつもより多めに回しております”みたいな不意打ち、本当にやめてほしい。
見開いた目がいっそう開いて、充血した白い目がさらに血走っていく様が、遠目にみていてもわかった。普段の寒い空気を醸している男とは思えないほどの存在感だ。襲いかかる強大なプレッシャーが僕たちの目を騙し、彼を大きくみせているのかもしれない。
「…………」
両手を合わせて背中をのけぞり、天を仰いだままアキラは静止し、雄叫びを止めた。
……大丈夫、みんな耐え切れた。あとはこのままコイツが白目を剥いて後頭部から地面に倒れ込むだけだ。これさえ耐えれれば、これさえ耐えれれば!
「…………ウホッ」
……それは残酷だよ。あんまりだよアキラ。このタイミングでおまけみたいに肺に残った空気を出し切るなよ!
ギリギリと音が聞こえる。二人とも歯を食いしばっているんだ。もう少しだ、もう少しだよ! 花太郎! 悠里!
そしてアキラが後頭部から後ろに倒れ込んだ。
魔法関係者たちから喝采が沸く。……僕からは何にもわからないけど、彼らにはきっと魔法の成功がわかったんだ。
アキラは白目をむいて、痙攣している。
みんなピクピクしているアキラに拍手喝采を送るばかりで、誰も駆け寄ろうとしない。
そして僕たちの向かい側の最前列、魔法使いとおぼしきエルフのイケメンが、アキラを見つめて鼻水垂らしながら大号泣している姿が目に入ってしまった。
……僕たちは敗北した。一人残らず、ダメだった。
花太郎は腹を抱えて転げた。本当に腹筋が痛そうだった。やがてふがいなさからか、腹筋の痛みからかわからないけど「うおっ……うおっ……」と男泣きで咽び泣いているような声を上げ始めた。それでも笑ってた。
悠里は爆笑しながら突っ伏し、地面を叩いていた。せめて音は立てまいと叩く右手は地面を透過していたけれど、笑い声が大きいからほとんど無意味だった。
僕は二人を観察し続けた。笑い転げる二人を俯瞰で眺めて、少しでも平静になろうとした。
でも、気になってついチラチラ見てしまうんだ。ピクピクうれしそうに痙攣しているアキラの姿を。
そのアキラの先で大号泣しているエルフのイケメンを。
……ダメだった。僕も耐えきれなかったんだ。
ひとしきり笑った後。悟られないように笑いをかみしめ、堪えながら、僕達三人は喝采を浴びせるばかりでほったらかしにしている魔法関係者たちのかわりに、アキラに駆け寄り、介抱した。
「キエッ」
花太郎が抱えると、アキラはすぐに目を覚ました。
「アキラ……」
「ハナよぉ? 何分かかった?」
「……三時間くらい、だと思う」
「へへっ へっへ。最初は丸一日かかったんや。次は三分で終わらせたるわ」
「アキラ、ありがとな」
「……なんや、ハナ、泣いとるんか? 悲しいことでもあったんか?」
笑い泣きだよこれは。うれし泣きですらないんだよ、本当にごめん。
「アキノシン、ありがとう」
「カガリさんに誉めてもらえるなんて、めっちゃうれしいわぁ」
[ありがとう、アキラ]
「エア太郎もお礼を言っているよ」
「ええんやで。ハナにもう一人のハナ、一緒に帰ろうな」
……アキラ、お前は本当にいいやつだな。
ことの一部始終に全く興味を示していなかったリッケンブロウムの住人たちが、魔法関係者達が喝采を挙げるのを聞くと「なんか、面白いことでもあったみたいだな」と思ったのか、陽気な演奏を奏でて、踊り始めた。住人達の懐深さが、心に染みた。




