第59話 行く手を阻むモノ
それは一見すると、ただの倒木だった。
カガリさんが立ち止まる。カガリさんの異変に気付いたエルフたちが周囲を警戒しながらカガリさんの元へ、飛び参じた。
「……Dead man's fingers(死者の指)」
カガリさんがつぶやく。
よく見ると、倒木には真っ黒な指のような形状の物体がまとわりついていた。
…………きのこだった。
「すっげー、木の中までびっしりだ! 影だか、きのこだか、わかんねぇや」
「デジカメで綺麗に写るでしょうか? おねえさまみたいに一眼を持ってくればこんなことで悩まずに済んだのに!」
リズが一眼レフを所持していることに驚いた。
Dead man's fingers……日本では”マメザヤタケ”と呼ばれる夏季に見られるきのこで、毒はないらしいけど、食用には向いていない。
触ると黒く汚れる。形状が黒い指のような形をしていることから、この名前が付いた(成長の過程で、プックリと膨れてマメザヤのような形にもなる)。
尚、カガリさんが和名のマメザヤタケをつぶやかなかったのは、昔、きのこ初心者だったカガリさんが、きのこベテランな海外の友人ときのこ狩りに出かけたときに英名で名前を覚えたからだそうだ。
「幻霧の森には、アタシの郷愁が詰まっているよ。旧地球ではさしてめずらしくもない菌類たちが、ここでしか自生していないんだからさ。……先を急ごう」
カガリさんは再び一眼レフを取り出し、二、三回シャッターを切ると、今度はバックパックに収納せず、ぶら下げて持ち歩くようになった。
きのこをじっくり観察するため、行軍のペースは早かった。
リズとペティが周囲の驚異を警戒し、カガリさんが足下のレアなきのこを警戒するこの布陣を”命がけ☆サバイバルきのこの陣”と命名した。
それは一見すると、ただの倒木だった。
カガリさんが立ち止まる。カガリさんの異変に気付いたエルフたちが周囲を警戒しながらカガリさんの元へ飛び参じた。
「……なんと美しいのでしょう!」
「これは、カメラ映えするぜ!」
何を言っているのかわからなかった僕は、カガリさんの視線の高さに視点を合わせた。そしてカガリさんがつぶやいた。
「血潮茸だね」
…………きのこだった。
見ると広葉樹の倒木の側面にきのこが生えていた。透明感のある赤紫色で、傘の中心が濃く、外側に行くにつれて白身が増していく。直径五センチにも満たないだろう小さな傘の縁はフリルのようにクシュクシュしていて、深さのあるオシャレな日傘のような形をしていた。
カガリさんが懐からペン状の道具を取り出した。
先端部分のキャップは取りはずすと、カッターの刃がついていた。
[デザインナイフ?]
「……きのこ用のカッターだよ」
「アネゴ!」
「おねえさま!」
なんか変な緊張感が漂っていた。
カガリさんが目にも止まらぬスピードで「ピッ、ピッ、ピッ」っと、きのこ用カッターを上下に三回振った。刃を向けられた血潮茸は微動だにしなかったけれど、三筋の傷が傘に出来ていた。
エルフの二人はデジカメを動画モードに切り替えて撮影していた。
血潮茸の傷口の周りが色濃く染まりだした。
程なくして真っ赤な液体が傷口から滴りはじめた。血液のような赤だった。
血の滲み方が妙にリアルで、これが”血潮茸”の名前の由縁だと悟った。
一通り撮影し終えた後、カガリさんはポツポツと語り始めた。
「……アタシはさ、食用以外の茸は取らないし、傷つけたりしない。それは自然を尊敬してるからなんだよ? だけどね、血潮茸を見つめていると耐えられなくなる。私の中の残酷な心がむき出しになって、この娘を傷つけてしまうんだ」
「わかるよアネゴ。どうしても堪えきれないものだよな!」
「おねえさまがやっていなかったら、ワタクシが同じことをしていたと思います」
面白い寸劇だった。「はじめから傷つけるつもりはない」と言っておきながら、コンバットナイフを携行しているにも関わらず、きのこ専用のカッターを持ち歩いている時点で傷つける気満々だな、と思ったけれど、あえて言わなかった。
そしたら「エアっちなんかツッコンでよ! ボケてたの気付かなかった?」と三人に笑われた(ペティとリズは読唇術使えないのに笑われた)。これからはちゃんとツッコむことにした。
途中、数多のきのこたちに行く手を阻まれながらも、野獣とはち合わせることもなく、カガリさんの驚異的な早歩きによる巻き返し(でもきのこは見逃さない)で、予定していた野営地点のちょっと開けたエリアには、日暮れ前にたどり着いた。
地点、と言ってもカガリさんは一度も地図を広げていない。そもそも、この道なき道しかない、幻霧の森に、地図なんて存在しないのかもしれない。カガリさんは僕と同じで、かつてアルターホールとして支配していたエリアの地形を知覚していた。
昼食、夕食ともに山菜ときのこを現地調達して調理していた。荷物が少ないのはこのためだった。食料といえるものは、非常用のハイカロリーなクッキーと調味料とサプリメントだけだった。水はリズ、炎はペティの魔法で補ったため、調理器具も少なかった。
「やっぱり、懐かしい気分になるなぁ、ここにいると。森ってちょっとずつ姿を変えていくんだねぇ」
夕食時につぶやいたカガリさんの言葉に二人のエルフは同意し、リッケンブロウムに移住する前の故郷の話をカガリさんにしていた。
「森は少しずつ姿を変えますが、その中で菌類だけは理を外れている気がします」
「神出鬼没だよな! そこのオニフスベみたいにさ!」
結局は、きのこの話になった。
オニフスベというのは、真っ白くてまん丸で巨大な卵だ。大きい奴だと直径五十センチはある。野営地点に到着したとき、そこかしこに点々と、丸い巨大な卵があるので、「付近に巨大生物がいるのか? もしかして竜族の卵?」などと僕が一人だけ焦って笑われた。成長すると茶色く変色するらしい。
この巨大な卵は一晩で数十センチもの大きさに膨れ上がるというのだ。思えばカビなんかもあっという間に一気に広がって出てくるよなぁ、なんて想像して、菌類は神出鬼没というペティの発言は、的を射ていると思った。
カガリさん達は寝支度を始めた。
リズが乾燥した葉を取り出すと、陶器(セラミックみたいな丈夫な材質だと思う)の器に入れて、ペティから火種をもらっていた。
「これですか?」
その様子を見ていた僕と目が合うと、リズが察して、説明してくれた。
「これは”虫よけ”です。ニモお爺さまがワタクシたちのために調合して、託してくれました。森の中は巨大な獣よりも、小さな毒蛇や虫たちの方が危険です」
一枚の布の四隅にロープをくくりつけ、離れた木々に結ぶと、大きなハンモックになった。布の両端にはチームの荷物と、リズが仕込んだ虫よけの入った陶器が煙をあげながらぶら下がっていた。
三人がお互いを暖め合うようにカガリさんを真ん中にして、一つのハンモックにくるまり、化学繊維でできた毛布をかけた。
[見張りは?]
「エアっちが寝ずの番だよぉ。イヤ?」
[まぁ、それはかまわないけど、僕を信用してくれるの?]
「もちろんだよ。任せたよ。光栄かね? エアっち君」
「あ、うん。ありがとう」
「ほんじゃま、寝ましょう! おやすみ、エアっち」
「おやすみなさいませ」
「頼んだぜ! おやすみ」
[おやすみなさい]
ペティが魔法で周囲に灯していた火を消すと、あたりは一面真っ暗になった。
背の高い木々が月や星明かりを隠していた。それでも僕は夜目が効くから、周囲の状況はわかる。寝ずの番って適任かもな。
そういえば、アキラを見張ってる時も寝ずの番だったよな。
二人のエルフが寝息をたて始めた頃、カガリさんと目があった。
カガリさんは銀色に輝く丸い瞳に微笑みを浮かばせながら、声を出さず、口だけをゆっくり動かした。
”エアっち、手……”
……僕が読唇術をマスターする日は、そう遠くはないかもしれない。
化学繊維の毛布の上に置かれたカガリさんの右手を握ると、カガリさんは優しく握り返してくれて、そのまま毛布を透過して、僕の手を毛布の内側へと引っ張った。
やがて握る力が弱まってくると、寝息が聞こえ始めた。
そして、襲撃があった。




