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第49話 彼女がココに居た理由

[待って! ユリハ、それは待って!!]

「ユリっち。エア太郎君、だっけ? 物言いが入ってるよ」

「何? エア太郎」

「”その実験は正直怖いんだけど”だって」

 僕の主張は花太郎ではなくカガリさんが通訳してくれた。


 この時花太郎は、なんか涼しい顔しながら、ユリハが実験を行う様子をサイアと並んで眺めていた。

 結局、血液パックは使わなかった。カガリさん曰く、「副作用の危険もあるから、使わないならそれに越したことはない」と言ってた。


 でも、血はたっぷり抜かれてた。


 花太郎の血液が空気に触れると、

「お、さっきより濃くなった」

 とカガリさんからコメントを頂き、ユリハ達からも僕が見えるようになった。それでもやはり、僕の声が聞けるのは花太郎だけだった。


 で、ユリハが生き生きとしながら、花太郎の血液を何枚もの小さなシャーレの中に満たしていった。「これからシャーレ一つに付き、一種類の薬品をそれぞれ混ぜ、経過を観察する」と宣言した。


 一応、被検者になるわけだからってことで、ユリハは実験で使う薬品名を教えてくれた。

 薬品の名前はどれもチンプンカンプンだったけれど、ある薬品名をユリハが告げたとき、世間話をしているような感じで、カガリさんが尋ねた。


「それ、ヘビ毒だよね?」

「ええ、そうです」

「二滴で致死量のやつ」

「ええ」

 ここで僕が「待った」をかけた。花太郎は「僕の役目はもう終わったんだ」と、どこか達観した雰囲気を出していて役に立たなかった。完全に他人ヒト事だった。事実だけど。


 カガリさんに通訳してもらいながら抗議する。


「”僕の身体に異変起きたりするんじゃないの?”だって」

「わからないから実験するのよ」

「”ちょっとリスク高いんじゃないですか”だって」

「大丈夫じゃない? この血液に異変が起きても、せいぜい君の姿が私達から見えなるくらいよ。……多分」

 多分とか、そこ一番曖昧にしちゃいけない所でしょ? とカガリさんに通訳してもらおうとしたところで。


「垂らしていい?」

 と言いながらユリハは”成人男性一人を二滴で死に至らしめる”ヘビ毒を花太郎の血液が入ってるシャーレに数滴垂らしていた。


「ま、なるようになるって~」

 カガリさんはカップアイス(バニラ味)の最後の一掬いを口に入れると、匙をくわえたまま、空いた右手で僕の肩を”ポン、ポン、”と叩いて慰めてくれた。


 ユリハは手際よく、他のシャーレにも薬品を垂らしていった。


 真っ先に変質を始めたのは例の”ヘビ毒”だった。ユリハが経過観察のためにセットしたストップウォッチを見ると、たった三十秒しか経っていなかった。


 血液が凝固していた。経過さえ見ていなければ、着色料をふんだんに使ったイチゴゼリーと見間違いかねないほど、色鮮やかでプルプルしてた。


「イチゴジャムみたいだね~」

 言いながらカガリさんは壁抜けを行い、隣の部屋(多分カガリさんの住居)にいくと、未開封のカップアイス(イチゴ味)を持って帰ってきた。そういえばカガリさん、花太郎が採血されている間も普通にアイス食べてたな。血を見ても何とも思わないんだな。


 くだんのヘビ毒による血液ゼリーを皮切りに、他のシャーレ内の花太郎の血液(もしかしたら僕の身体の源)は多様な変化を見せ始めた。どれもこれも血液ゼリーに匹敵するほどの変質っぷりで、ユリハが用意した薬品は、一つ残らず劇薬であることを確信させた。


 今まで達観していた花太郎も、この時ばかりは「おお」と、驚きともドン引きともとれる声を漏らしていた。サイアは”アサシンヒーラー”の役職柄、見慣れているのだろう、興味深く観察しているようで、特に表情の変化は見られなかった。


 ユリハが僕の方を見る。

「エア太郎に変化はなし、か。結果を見る限り、普通の血液と変わらないわね」

 ユリハがちょっと残念そうな口振りでつぶやいたように聞こえたのは、僕の被害妄想だろうか。


「……そうね、この二つにしましょう」

 ユリハは言いながら、血液ゼリーのシャーレと、すべてのシャーレの中で唯一薬品を混ぜても変化が起きているように見えなかったシャーレを選ぶと、新しい容器を取り出した。容器は三つあって、大きさは先ほどのシャーレと大差ないけれど、色は透明でなくて濃紺で、密閉できるような蓋がついていた。


[カガリさん、ユリハが選んだもう一つのシャーレに入れた薬品って、なんなのかわかります?]

 カガリさんはカップアイスの蓋をあけて、イチゴ味のそれを口に入れながら答えてくれた。

「ん~? あれもヘビ毒の一種だよ? 血小板が壊れて血が止まらなくなるんだゾ」

 ……目に見えないだけで、とんでもない変化が起きてたんだな。とりあえず、僕が無事でよかった。


「ユリッち。その容器って、開発部の奴?」

「ええ。魔導集石開発用のものを借りてきたの」


 JOXAでは、魔導集石を精製するプロジェクトが絶賛進行中で、ユリハが取り出した容器は、研究途中の副産物として開発した代物らしい。


「次はエア太郎の観測可能時間を計測するわ」

 ユリハは二つのヘビ毒入り花太郎血液ブラッドと、何も混ぜていない花太郎血液ブラッドを濃紺の容器にそれぞれ移した。


「今日中には結果がわかると思うけど、それなりに時間がかかるでしょうね」

 要はこのまま放置して、ユリハたちから僕が観測できなくなるまでの時間を計測するというものだ。


「ほえ、ほえ。そしたらさ、砂漠の話、聞かせてよ」

「その前にカガリのアネさん、一ついいですか?」

 花太郎が口を開いた。


「なんぞや?」

「ずっと、聞きそびれていたんですけど、どうして、この部屋でくつろいでいたんですか?」

「……聞きたい?」

「ええ、まぁ」

「よかろう。しかし、それにはまず、アタシがこの社宅にどうして住んでいるのか、その理由を説明するところから始めねばなるまい。ここは本来、旧地球から来た職員の単身赴任用の住まいなのだ。アタシのようにずっとこっちにいる人間は、こっちで別の住みよい家を探すのが常。少し長くはなるが、よろしいかな?」

「え? 一言二言で済ませられる話題ではないんですか?」

「まぁ、聞くがよい。アタシは暇なのだ」

「あ、はい。わかりました」

 カガリさんは持っていた匙で窓辺を指した。


「窓の向こう側。森があるでしょ? あれ、ただの森じゃないんだ」

「え?」


「……幻霧の森。この土地は標高が高い分、木々はそんなに高くは成長しない。でも、あの森だけは例外。どれも大きく育って、生い茂る枝は光を遮り、森の中は年中湿気を帯びている。どうして、あの森だけが特別なのか、花太郎君ならわかるよね?」

「……ハナタ、さん?」

 サイアは少し心配そうな表情で花太郎の顔をのぞき込んだ。不法侵入の理由を聞いていただけなのに、軽々しいテンションで全く別の話題を振られて、そこからいきなりディープな方向に誘導してきたカガリさんの言葉を聞いて、花太郎は一瞬思考が止まったようだった。


 そして、落ち着きを取り戻すと、やや沈痛な面もちで返答した。

「……アルターホール」


「大当たり~。私、あの森でアルターホールやってたんだよね」


「そう、だったんですか。すいません」

「なぜ謝る?」

「なんか、聞いちゃいけないこと聞いてしまったような気がして」

「花太郎君はアタシがこの部屋にいる理由を聞いただけじゃん。アタシは暇を持て余すために話をしてるだけだよ? わからないことあったら、どんどん聞いてねー」

「……はい」

「暗ーい!」


 カガリさんが花太郎の頬を「パンッ、パンッ」と叩いた。


「アタシがこの部屋にいた理由なんて、はたからみたら、本当にくだらないと思われることなんだから。これはその前フリだよ? もっと気持ち半分で聞きなよ、暇つぶしなんだから」

「はい」

「暗ーい!」

「ヘイ! アネさん! 話半分で聞かせていただきやす」

「うむ、よかろうよかろう」

 カガリさんは満足げな表情を浮かべながら言った。

「まぁ、手短に行こう。本当にショーもない理由じゃからのう」

「ヘイ!」

「着いて参れ」


 カガリさんはそう言うと、窓際に移動した。花太郎も窓際に行ってカガリさんの隣に立ち、サイアも追随した。ユリハは、まだ花太郎が一度も腰掛けてないイスに座り、花太郎が一度も使ってない机の上に広げられた、元は赤かったけれど今では色とりどりになったシャーレの中身達を観察しながらも、チラチラと窓辺の方に視線を向けていた。


「花太郎君も再構築されたのなら、もうわかっちゃったよね? アタシがココに住む理由」

「はい。”郷愁の念”といった所でしょうか」

「うむうむ、そんなところじゃ。ここはアタシが過ごしていた森の端っこなんだ。そして森っていうのはね、日々姿を変えていくんだよ。足下をみてごらん。これが、アタシが今日ここに居た理由だよ」


 花太郎とサイアが視線を落とした。二人の視線の先が一致するのを確認したカガリさんの表情は、とても穏やかだった。



「……これが、”ベニテングダケ”さ」



 カガリさんはきのこ愛好家マニアだった。



「この部屋のすぐ傍にベニテングダケが生えているのを見つけてから、最近、非番の時はこの部屋でベニテングダケを眺めながら日がな一日、過ごしていたんだ。もちろん、遠出して沢山のきのこ達と出会うのもいいけれど、こうやって窓辺でアイスを食べながら、ベニテングダケの傍でまどろんでいると、心が安らぐんだよね。ごめんね花太郎君、不法侵入なんかして」


「いえ、僕よりもJOXAの方々に言った方がいいんじゃないですか」

「大丈夫よ。センパイの”そういう所”はJOXAの間では黙認されているわ」


「いいのかよ!」

「別に迷惑はかかってないでしょ?」

 確かにこれを言っているユリハの今までの行いを振り返れば、カガリさんの行為は全くの無害だ。

「カガリのアネさん。お気になさらないでください」

「うむ。恩に着るよ、花太郎殿」


 カガリさんは花太郎の言葉を聞きながらも、窓の外のベニテングダケを見つめていた。

ベニテングダケはね、毒きのこなんだ」


 黒い腐葉土の中でひときわ目立つべにの色彩を放ちながらも、その紅の中に白いイボイボのアクセントをつけることで、より一層異質なオーラを放ち続ける食えない奴(ベニテングダケ)を見つめるカガリさんの瞳は、どこか寂しそうだった。


「思えば、私を菌類愛このせかいいざなってくれたのはベニテングダケだった。一目惚れだったんだよね。だけど、ベニテングダケは毒きのこ。毒抜きの方法はあるけれど、リスクも手間もかかるんだ。お手軽に食べられる菌類きのこじゃない。そしてアタシは……タマゴタケを好きになってしまった」


「え? あ、はぁ……」


「タマゴタケの傘は、力強いくれない色のベニテングダケとはほんの少し違っていて、優しい思い出の色をしているんだ。そしてお手軽に食べられる! アタシは食菌派なんだよ!」


 熱く語るカガリさんの傍らで花太郎は、どう切り替えしていいか途方にくれていた。サイアは「また、はじまっちゃった」みたいな呆れ顔をしていた。


 僕も話しかけられていれば、花太郎と同じ反応をしていたかもしれない。だけど、今の僕はこの一連のやりとりを俯瞰ふかんで眺めていて、そして楽しそうに熱弁しているカガリさんに見とれている自分に気づいてしまった。


 ……多分僕は、彼女に強く惹かれているんだと思う。


 カガリさんが話す菌類愛せかいは、僕にはイマイチ理解できなかった。それでも僕は、彼女から目を離すことができずにいた。


 

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